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(クルド問題についての緊急レポート)イランからみたイラク・クルドの住民投票
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049765
2017年10月
はじめに――クルド民族について
イラク領内の北部クルド居住地域および周辺のキルクークを含む15地区ではマスード・バルザーニを首班とするクルディスタン地域政府(KRG)によって住民投票が9月25日に実施され、有権者数約390万人のうち投票率72パーセント、賛成票92.7パーセントの圧倒的多数で将来的なクルディスタン地域の独立が支持された。しかし、これをめぐっては周辺国および米国・ロシアなど地域に政治的利害をもつ大国の利害が複雑に交錯し、さながら現在の中東域内政治の混迷を象徴するような事態が現在まで続いている。もっともKRG側によれば、今回の投票結果は直接独立に向けたものではなく、バグダード政府との分離に向けた交渉の出発点として位置づけられている。
そもそもクルド民族は、言語的および文化的に周囲のイラン・トルコ・アラブのいずれにも属さず、単一の民族として独自の民族的な一体性があることは歴史的にも明らかであるが、第1次世界大戦後のイギリス・フランス・ロシア等欧米の帝国主義列強が主導する中東地域の国民国家の編成過程のなかで例外的に不利な扱いを受け、中東において国家を持たない最大の民族と呼ばれるにいたったのである1。
中東地域全体でトルコ・イラク・イラン・シリアを中心に総計3500万人程を数えるクルド民族は、多くがアナトリア半島からチグリス・ユーフラテス川の上流域に居住する山岳民族として知られる。だが必ずしもある地域に纏まってのみ居住しているとはいえず、例えばイランでは北東部のクルディスタン州や西アゼルバイジャン州に限られず、主にサファヴィー朝期(1502~1736年)以降の歴史的経緯によってカスピ海沿岸のギーラーン州や北ホラーサーン州などにも集住している地域がある。
クルド民族といえば最近までシリア・イラク方面において広大な領域を拠点に跳梁跋扈していた「イスラーム国」がヤズィーディー教を「邪教」として敵視し、特に女性を拉致して強姦・殺害するという残虐な挙に出た。これに対する防衛の意味からも、以前からクルディスタン地域の武装治安軍としてとりわけ1991年以降公式・非公式に組織されてきたペシュメルガが米国の主導する対テロ戦争の最前線で闘ってきたということは我々も日頃から報道で接しているところである。
だが他方で、そのクルド人に対して2015年の夏以降はトルコのエルドアン大統領が「国内のクルディスタン労働者党(PKK)は明白なテロ組織であり、そのシリアにおける分派である人民防衛隊(YPG)はトルコの国家安全保障を脅かす」との論理で厳しい武力行使を行ってきた。特に11月の国会選挙で公正発展党(AKP)が単独与党の地位を回復して以降は、国境を挟んだシリア領内のクルド人勢力に対してさらに徹底した軍事的攻勢に出た。
イラン領内におけるクルド民族の地位
このようなトルコのクルド民族およびクルディスタン独立に対する一貫して厳しい姿勢に比して、イランは最近までクルド民族との対立を先鋭化させることなく、国内外の同民族と比較的に良好な関係を維持してきたといい得るだろう。これはイランが近代史の過程において統治体制の違いにかかわらず、一貫して国内最大の少数民族のひとつであるクルド民族に対峙してきたことと必ずしも矛盾しない。
上述のような第1次世界大戦後の中東地域における諸国体制の形成の過程で、クルド民族が独立国家として固有の領域を得た歴史上唯一のケースがある。これが1946年1月から1年足らずの間マハーバード(現イラン領内)を主邑として成立したクルディスタン共和国である2。ここではその成立から崩壊までの経緯を詳細に述べることはしないが、第2次世界大戦後の混乱期に革命ロシアからの支援を拠り所にイラン領内に成立したクルディスタン共和国が、その後の国際関係の中で存続の根拠を失っていく過程はクルド民族にとって共通の歴史的記憶となってきた。
ここでひとつ注目すべき点は、このクルディスタン共和国の成立過程において現イラク領内においても呼応する動きが出てクルド人武装兵士が支援のため駆けつけていることである。クルド民族は歴史の過程で必ずしも民族的な一体性を保持してきたとばかりはいえない一方で、一朝事があれば国境をまたいで隣接する民族同胞のために軍事的な行動も辞さないという民族的一体性を保っている一面がある。
こうしたクルド民族の微妙な立場を反映して、1979年の革命以前のパフラヴィー朝期においてもまた革命後のホメイニー体制下においても、イラン国家の統合にとってクルディスタンの問題が潜在的脅威(より具体的には隣国イラクとの紛争の要因)として常に意識されてきたことはいうまでもない3。例えば1973~74年のイラン当局によるイラク側クルドの蜂起への幇助はこれを逆手に取った策動であった4。またイラン革命の直後にはクルディスタン地域の分離独立的な動向への中央政府の警戒感が高まり、1979年8月には国内クルディスタン地方のパーヴェその他に革命防衛隊を派兵している5。その後もイラン国内ではクルド民族およびクルディスタン地域の社会経済的な地位は相対的に低く抑えられ続けたが、1997年のハータミー大統領登場以後は長期的な国内的安定化のなかで次第に両者間の緊張の緩和が進んできた。
この過程で隣国のイラク領内においては特にイラン・イラク戦争の末期以降クルディスタン地域をめぐる大きな変動があり、これがむしろイラン国内のクルディスタン地域の地位に影響を与えてきたという側面も無視できない。イラク領内では特にサッダーム・フサイン大統領(当時)が対イラン戦争末期の1988年にクルドの町であるハラブチェにおいて毒ガス兵器を使用して自国住民約5000人を抹殺したことが同政権のクルド民族に対する過酷な姿勢を象徴的に示している。それ以降は1991年の湾岸戦争期からの米国による飛行禁止区域設定、2003年の米国を中心とする有志連合軍のイラク侵攻、その後のサッダーム・フサイン体制の崩壊によるKRG成立(首班はマスード・バルザーニ)まで、イラク領内のクルド民族は他のどの国の同胞よりも政治的な独立を享受してきたといいうる。
このような同地域における近年の独立的な傾向をさらに決定的にしたのが、2014年のシリアにおける「イスラーム国」の登場とイラク方面への支配領域の拡大、これに伴うイラン北部の主要な油田地帯であるキルクークからのイラク軍の撤退(6月)とKRGによる実効支配である。イラク国のKRGは対「イスラーム国」戦で混乱するバグダード政府を尻目に豊富な石油収入で欧米の企業を呼び込み、近年では石油ブームに沸くアゼルバイジャン共和国と共にバブル的な様相すら見せてきた。
キルクーク油田の原油生産量は日産約60万バレルで、その石油収入は現在KRGの歳入の80~90パーセント程を占めているといわれる。クルド側としては長年にわたってキルクークの支配権を主張しながらイラク政府によって黙殺されるという経緯が続いてきた訳であるが(キルクークの住民構成はクルドに加えてアラブ及びトルコマンである)、これが「イスラーム国」の攻撃に晒されたイラク側の2014年6月の撤兵によってクルド側の手に落ちたといういい方も可能である。
いずれにしても、クルディスタン地域の経済的自立にとって決定的な意味をもつキルクークの支配権をクルディスタン側が今後簡単にイラク側に手放すことは考え難く、2014年のモースル占領以降この地域を武力によって実効支配した「イスラーム国」がロシアの空爆による参戦以降急速に支配領域を縮小させている現状で、KRG首班たるバルザーニとしては今が年来の独立に向けた絶好のタイミングであると判断したことは想像に難くない6。
だがイラン政府側にとってはまさにそれゆえに、イラクにおけるクルド独立国家の成立に向けた動きはそのままイラク国家の分断に直結しており、それはまた現在の同国のイラク・シリア方面における影響力を決定的に脅かす存在として映る。仮にクルドの独立国家が数年内にイラク領内に成立し、さらにそれが米国およびイスラエルと近い立場の政権として登場した場合7、新たなクルディスタン国家は直接的にイランと軍事的に対峙しイランの国家的存立を直接的に脅かす存在となる可能性が存在する。その意味でKRGのイラク地域からの独立への動きは、現在の極めて不安定な中東地域の政治的均衡のなかに新たな不安定要因を持ち込むことと同義であるといわざるを得ないのである。
イラク・クルディスタン住民投票へのイラン他の対応
こうした全体的な文脈のうえに、クルド住民投票に対するイラン側の対応をみてみることとしよう。上述のような革命前のパフラヴィー朝下におけるイラク・クルド蜂起の扇動と裏切り、革命直後の相互不信に比べれば、今回の対応は極めて理性的かつ合理的な情勢判断の結果であり、正面からの外交政策であることが明らかである。
まずイランは「バグダード政府の要請により」イラン側とイラク・クルディスタン間の航空便および領空通過を投票日前日から全面的に封鎖した。だがこれについては多分に象徴的な意味が強いものと思われる。イラン側のクルディスタン地域とイラク側クルディスタンの間の往来は、実態としては約400キロにおよぶ国境を跨いだ陸路による交通がその大部分を占めているからである。これに比してトルコの投票当日からの経済封鎖措置はハブール経由の陸路の封鎖とキルクーク油田からの原油のパイプライン封鎖を含んでおり、後者は同油田からの全輸出量の過半に影響するだけにKRGにとって極めて厳しい内容であるだろう8。
他方でイランとトルコの両国はイラク北部クルディスタン地域との国境付近において投票日の直前にそれぞれ軍事演習を行っている。これは一面でKRGの住民投票実施に対する警告的意味をもつと同時に、イランにとってはこの問題の当事者がトルコ一国ではないということの国際的表明にもなっている。つまりトルコが同地域のPKK拠点への従来からの空爆攻撃の範囲を越えて、新たな軍事的行動を起こすことへの抑止的な意図も含んでいると考えるべきであろう。
もとよりイランとトルコの両国ではイラクのクルディスタン地域に対する戦略的利害が異なっており、仮にトルコが同地域に侵攻するようなことがあれば、これはイラン側にとってまったく新たな軍事的脅威をもたらすこととなる(これはトルコ側にしても十分認識しているものと思われる)。これらを勘案すると、イラン・トルコのどちらかがある程度大規模な軍事的行動を起こす蓋然性は現状において極めて少ないものと考えられるが、他方でKRG側にとっては隣接する両国の圧力のもとで住民投票後の行動の選択肢は自然と限定されたものとなるだろう。
換言すれば、バルザーニ首班にとって独立を視野に入れた交渉相手はイラク政府に限定されず、実質的にはイランおよびトルコ両政府(および場合によってはイランの影響下にあるシリア政府)を含めたものとならざるを得ないということになる。
域外の超大国についてみると、米国はオバマ大統領からトランプ大統領までを通じてクルドのペシュメルガを一貫して対「イスラーム国」戦線の最前線に位置づけてきたが、他方で今回のクルディスタン住民投票に対しては、トランプ政権は当初から実施に反対している。ロシアは、投票後の最近でもクルディスタンの独立に向けた動きにエールを送っているかのごとくであるが、中東域内における戦略的パートナーであるイラン・トルコの両国からの強い牽制があり、バルザーニにとって最終的に頼りとなる国ではない。
結論に代えて
今回のクルディスタン住民投票については、KRG首班のバルザーニの基盤政党であるクルディスタン民主党(KDP)が、実施すればクルド人居住者の大多数が独立賛成に票を投じることが当初から明らかななかで、油価の低迷による財政難をはじめ様々な難題に直面するバルザーニ政権の延命を狙って賭けを打ったスタンドプレーに過ぎないとの批判もある。確かに今回の投票結果がクルディスタン国家の独立に直接結び付くという可能性はほとんどないだろう。またイラクのバグダード政府に加えてトルコやイランなどの主要周辺国が態度を硬化させたことにより、短期的にはKRGがこれまでイラク内で獲得してきた半ば独立的な地位自体が損なわれるだけに終わる可能性もある。
だが他方でこうした周辺国を含む国際的な圧力が、3500万のクルド民族の間にさらなる独立への希求と現状への不満を醸成することになれば、それは将来的にイラン・トルコを含めクルド民族を抱える国々の国内的な不安定化をもたらすことに繋がるだろう。現にイランでは6月7日に初めて「イスラーム国」に繋がりのあるクルド系イラン人によるテヘラン周辺でのテロ事件が発生している。またKRGの住民投票に先立って1年ほど前からイラン国内のクルド系反体制組織であるイラン・クルディスタン民主党(KDPI)が活動を強化しており、対イラク国境地域などでの武力衝突も発生している9。
その一方でイラク領内のクルド地域に続いて緊張が高まる可能性があるのは、差し当たりシリア北部のクルド居住地域であろう。イラクのKRGによる住民投票の実施は、直接にはこれに同調するシリア・クルドのラッカを中心とした動向10に波及し、これに対するトルコの警戒感がひいてはトルコのシリア・クルド地域における軍事的介入を激化させる可能性もあるだろう。他方でダマスカスのアサド政権もクルド地域に対する警戒を強めている。この点ではトルコ政府と各国のクルディスタン地域の関係は、イランよりもさらにデリケートな問題を含んでいるといえるかもしれない。
中東地域を取り巻く極めて不安定な現状のなかで、国境線の変更はあまりにリスクの大きな選択である。だが同時にクルド民族の独立をめぐる問題は、最終的には国境線と国家領域の再編成の問題に行き着かざるを得ず、そこに最大のジレンマがあることは言を俟たない。今回のイラク・クルド住民投票の実施は、少なくとも国際社会に向けてこのような問題の深刻さを改めて突き付ける結果となったということだけは明らかである。
(2017年10月10日脱稿)
著者プロフィール
鈴木均(すずきひとし)。アジア経済研究所新領域研究センター上席主任調査研究員。2008年に東京大学より学術博士号を取得。著書に『現代イランの農村都市』勁草書房(2011)、編著に『ハンドブック現代アフガニスタン』明石書店(2005)など。現在ウェブ雑誌『中東レビュー』の編集代表をしている。
写真の出典
Tasnim News Agency [CC BY 4.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/4.0)], via Wikimedia Commons.
脚注
- この間の経緯は最近では池内恵『【中東大混迷を解く】サイクス=ピコ協定百年の呪縛』(新潮社、2016年)において明瞭に議論されている。ここでのクルドの扱いをめぐる議論の中心は、1916年のサイクス=ピコ協定からセーヴル条約(1920年)、ローザンヌ条約(1923年)という領域画定の枠組みの変遷の過程でいったんは約束されていたクルド民族の領域が結果的に霧消してしまったという点である。
- クルディスタン共和国については取り敢えずHitoshi Suzuki, "Introduction," in Soleyman Soltanian, The 1946 Republic of Kurdistan, The Toyo Bunko, 2013.を参照。同共和国についての基本的な文献としてはWilliam Eagleton Jr., The Kurdish Republic of 1946, Oxford University Press, 1963; Archie Roosevelt Jr., "The Kurdish Republic of Mahabad," republished in Gerald Chaliand (ed.), People Without A Country, Zed Press, 1978.等があり、また最近のものとしてはAbbas Vali, Kurds and the State in Iran, I. B. Tauris, 2011.がある。なお住民投票直前の全体的な状況については特に以下の記事を"照した。Tim Alango, "Independence beckons Kurds,"New York Times International Edition, 15 Sep. 2017; Erika Solomon, "Defiant Kurds plan to make voices heard," Finlncial Times, 25 Sep. 2017; David Gardner, "Thirsting for independence, the Kurds face serious obstacles," Financial Times, 27 Sep. 2017.
- 1979年の革命期にもイラン領内のクルディスタン地方では独自の政治的動きがあり、内外の注目を集めた。例えば加納弘勝「革命化における少数民族――クルドの抵抗の記録」大野盛雄編『イラン革命考察のために』アジア経済研究所、1982年、77-109ページを参照。
- これの終結を目的とした1975年3月のアルジェ協定がその後のイラク・クルド蜂起への弾圧を準備し、またイラン・イラク戦争(1980~88年)の遠因ともなった。
- 1970年代にレバノンで活動していたシャヒード・モスタファ・チャムラーンは革命直後の時期にクルディスタン州において革命防衛隊司令官として武力制圧の指揮をとった。また2007年から2期8年間大統領だったマフムード・アフマディネジャードはこのイラン・イラク戦争(1980~88年)開戦直後の2年間クルディスタン州に行政官として派遣されている。
- イラン側は正にこの点に楔を打ち込もうとしており、革命防衛隊のコドゥス部隊司令官のガーセム・スレイマーニー(現在イランの在イラク全権大使)はバルザーニに対してキルクークを含む拡大地域での住民投票の実施に強く警告している。
- イスラエルのネタニエフ首相はイラク・クルディスタンの独立を支持しており、保守派の『ケイハーン』紙をはじめとするイランの各種メディアは25日の投票当日にこの点を大きく取り上げたという。
- トルコは2013年以降キルクーク油田で産出される原油の過半をイラクの石油会社を通さずに輸出する契約をKRGと結んでおり、原油は常時そこから国際市場に流れていたが、バグダード政府側は一貫してこれに反発し、KRGへの政府予算の支払いを拒んできた。他方でKRGは2017年にロシアの国営石油会社OAO Rosneftとの原油販売契約を結んでいる。"Kurd Oil Sector Comes Under Fire From Turkey, Iraq," The Wall Street Journal, 26 Sep. 2017.
- Fazel Hawrami, "Iranian Kurdish fighters step up clashes ahead of KRG independence vote," al-Monitor, 18 Aug. 2017.(2017年8月25日アクセス。)
- Ain Issa, "Les Kurdes preparent l'apres-EI a Rakka," Le Monde Selection Hebdomadaire, 2 Sep. 2017.