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(クルド問題についての緊急レポート)トルコとKRGの関係

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049766

2017年10月

トルコ政府とトルコ・クルドの対立

9月25日に実施された北イラクでの住民投票、およびその結果を最も重く受け止めたのはイラク中央政府、トルコ、イランであった。イラクは当然のことながら、隣接するトルコとイランにも、本特集の最初にみたように多くのクルド人が住んでいる。現在のトルコでは、クルド人はトルコ人と共生している。しかし、クルド人とトルコ人が歴史的に対立してきたのも事実である。

1923年にトルコ共和国が成立して以降、まず、部族という単位でクルド人はトルコ政府に対抗した。1925年のシェイフ・サイードの反乱、1927年から30年にかけてのアララト山の反乱、1936年から38年にかけてのデルシィムでの反乱がそれに当たる。しかし、それらの反乱は全て鎮圧され、トルコにおいて部族の反乱は終焉した。クルド人が再びトルコ政府に対抗するようになるのは、1970年代からである。この主体となったのは、イスタンブルやアンカラをはじめとした大学で学んだクルド人の学生たちである。彼らはマルクス・レーニン主義に感化され、政治組織を立ち上げ、武力による抵抗を試みるようになった。その代表的な組織がアブドゥッラー・オジャランを中心に立ち上げられたクルディスタン労働者党(PKK)である。1978年に正式に発足したPKKは、1984年からトルコ政府に対して武力闘争をはじめ、33年間に渡り対立している。PKKはトルコで活動しているが、オジャランが1999年に逮捕されるまでその拠点はシリアにあり、2000年代になると北イラクのカンディール山を拠点とした。

写真:マスード・バルザーニ大統領の演説を聴く支持者

マスード・バルザーニ大統領の演説を聴く支持者
トルコ政府とKRGの関係発展

トルコと北イラクのクルド人との関係は、PKKとの関係に左右されてきた。特に1990年から91年の湾岸危機以降、その傾向が強まった。なぜなら、湾岸危機後にイラクのクルド地域は実質的な自治が可能になったからである。イラクのクルド地域では、マスード・バルザーニ率いるクルディスタン民主党(KDP)、そしてジャラール・タラバーニ率いるクルディスタン愛国者連合(PUK)が争う状況が続いていた。PUKはPKKと良好な関係にあったため、トルコ政府はKDPと協力した。このKDPとトルコ政府の協力関係は、2003年のイラク戦争後にクルディスタン地域政府(KRG)が発足し、クルド地域が正式に自治区になってからも続いた。KRGの議会では、2005年の選挙の結果、KDPとPUKの議員がほとんどの議席を占めた。そしてKRGの大統領にはバルザーニが就任した。これにより、KRGとトルコ政府は次第に安全保障だけでなく、経済に関しても協力を拡大した。2003年11月にトルコとイラクは電力の供給に関する協力を締結し、2004年8月には水資源と国境の開放、キルクークからの石油の輸出に関する話し合いなどが実施された(とはいえ、キルクークはイラク中央政府とKRGが領土を争う係争地であった)。一方で、トルコ政府はKRGが正式な自治区としてイラク中央政府とは一線を画し、独自の外交を展開することを危険視していたのも事実であった1。特に、トルコ政府が北イラクに陣取るPKKに対する越境攻撃を2007年10月に大国民議会で可決させ、同年11月、12月、2008年2月に大規模な攻撃を実施するとKRGとの関係も一時的に悪化した2

しかし、両者の緊張関係は、2008年5月にトルコ政府の代表団がKRGの代表団とバグダッドで公式に会談を行ったことで改善される。この会談は、トルコ政府とKRGの関係が新たな段階に入ったことを意味していた。2010年6月にバルザーニがトルコを公式訪問し、レジェップ・タイイップ・エルドアン首相やアフメット・ダヴトオール外相と会談した。その翌年の2011年3月にはエルドアン首相がバグダッド、ナジャフ、そしてエルビルを訪問した。

エルドアンのイラク訪問には2つの意図があった。まず、2010年の選挙以降、悪化していたシーア派を束ねるヌーリ・マーリキー首相との関係改善を探ることである。そのためにシーア派の聖地であるナジャフも訪問した。ただし、マーリキー首相との関係は改善せず、エルドアン首相はKRGとの関係を強化する方針を固めた。また、イラクに駐留していたアメリカ軍が2011年3月から撤退を始めていた。アメリカ軍撤退後のイラクを巡り、トルコ政府とイラン政府が主導権争いを展開し始めていた3。このこともトルコ政府とKRGの関係強化を後押しした。KRG側のトルコ対応は、マスードの甥で現KRG首相のネチルヴァン・バルザーニが主に担当している。

表1 トルコとKRGの関係

表1 トルコとKRGの関係

(出所)注で挙げた資料を基に筆者作成。
トルコとKRGの経済関係

2010年代、トルコとKRGの関係強化の軸となったのは経済関係であった。KRGは陸の孤島であり、トルコ、イラン、もしくはイラク南部を経由しないと原油を輸出できない。KRGがイラク中央政府と交渉の末、最初に石油を輸出したのは、トルコとイラク中央政府の間で使用されていたトルコとのパイプラインを通じてであった4。また、2012年にKRGと原油の輸出に関する協定を締結した最初の国家がトルコであった5。そして同年5月にKRGは、トルコとの独自のパイプラインを建設する構想を発表した。2013年末にはKRGの油田をヨーロッパ方面へのアクセスも良いトルコのジェイハンに直接結ぶ新たなパイプラインが完成、2014年の5月からこのパイプラインが稼働し始めた。ただし、新しいパイプラインが稼働する前からKRGはトルコ向けにトラックを使用して石油を輸出し、代わりに製品を輸入するバーター取引を開始していた6

トルコ政府とKRGが2008年以降、関係を深化させていくなかで、多くのトルコの企業がエルビルを中心としたKRGの支配地域に進出するようになった(表2参照)。トルコ政府がビザ・フリー政策の一環として、トルコ市民はビザがなくてもKRG支配下の北イラクに15日間滞在できるようにしたこともそうした動きを後押しした。

図1 北イラクに進出したトルコ企業の数

図1 北イラクに進出したトルコ企業の数

(出所)Christina Bache Fidan, “Turkish Business in the Kurdistan Region in Iraq”, Turkish Policy Quarterly,
Vol. 14, No. 4, Winter 2016, p.121をもとに筆者作成。

「イスラーム国(IS)」の台頭、さらに油価の下落による経済危機で2016年には一時期よりも進出企業は減少した。それでも約1000社のトルコ企業がKRGで事業を行っており、これは外国企業全体の40%に当たる数であった7。  

また、トルコのKRGに対する輸出も増え、表3にあるように2007年から2013年までの7年間で輸出量は約6倍、イラクの輸出全体に占めるKRG向けの輸出の割合も17%増加した。

表2 トルコのイラクに対する輸出とその中でのKRG向けの割合

表2 トルコのイラクに対する輸出とその中でのKRG向けの割合

(出所)Fidan, ibid, p.123.
トルコはKRGの姿勢に反対

このように、KRGとは良好な関係を保ってきたトルコ政府であるが、住民投票に関しては一貫して反対の姿勢をとってきた8。ただし、トルコ政府は懸念を表明する以上の行動はとらなかった。エルドアン大統領および公正発展党政権の政策決定者たちは、トルコとの関係を悪化させてまでKRGが住民投票を敢行することは想定外だったのではないだろうか。なぜなら、上述してきたようにトルコ政府とKRGの関係は大変良好であり、かつKRGにとってトルコとの関係は経済的に死活問題だったからである。事実、トルコ政府も本格的にKRGに住民投票の実施は問題であることを訴えるようになったのは投票まで1カ月近くになった8月からであった9。投票が直前に迫った9月18日にはイラク国境沿いで軍事演習を実施するなど威嚇行為を行ったが、それでも住民投票を止めることはできなかった。

KRGとは関係が良好でありながらトルコ政府が住民投票に反対するにはいくつかの理由がある。まず、KRGが独立への意欲を強めると、トルコ国内にいるクルド人、特に2015年7月のトルコ政府とPKKの停戦破棄以降の南東部でのトルコ軍とPKKの衝突で不満をため込んでいる人々の独立志向も強まる可能性があるためである。現状ではPKKですらそのスタンスを変え、独立を目指しているわけではないが、それでも隣国イラクでのクルドのそうした動きは、トルコのクルド人の活動を促進する要因となる10

第2に、現在、公正発展党が極右政党である民族主義者行動党と密接に協力している点である。今年(2017年)4月16日の国民投票で、トルコは2019年から大統領制に移行することが決定したが、民族主義者行動党が公正発展党に協力しなければ大統領制の議案は大国民議会の信任を得ることができなかった11。そうした経緯もあり、エルドアン大統領は民族主義者行動党、特に党首のデヴレット・バフチェリに非常に配慮しているようにみえる12。極右政党である民族主義者行動党はクルド問題の解決に否定的であり、KRGの独立にも強く反対している。

第3に、トルコ世論に対する配慮である。PKKと30年以上の抗争により多くの死者が出ていることもあり、国民レベルでは政府以上にPKKへの嫌悪感が強い。2009年に立ち上げられたクルド問題の解決に向けた「クルド・オープニング」が失敗に終わったのも世論の反対がその背景にあった。もちろん、KRGとPKKでは政治的スタンスが異なり、対立するアクター同士であるが、トルコ領内に住むクルドの独立志向を後押しする行為に賛同することは政府としては困難であった。

住民投票の結果を受け、トルコ政府は投票の翌日、イラク中央政府と合同で軍事演習を行うとともに、これまで行ってきたペシュメルガへの軍事支援を9月28日に停止した13。一方でトルコ政府は、ビジネスはこれまで通り継続すると述べており、なるべく一般住民が被害を受けないように配慮すべきとしている14

トルコは住民投票の制裁として、陸路国境の封鎖、石油輸出の停止、検問所の管理をKRGからイラク中央政府に変更、もしくは検問所の場所を変更するなどを検討しているものの、実際に制裁を実施するには至っていない。その理由として、うえでみたように、トルコとKRGの関係は密接であり、制裁を発動した場合にはトルコ政府が被る痛手も大きいこと、トルコがシリアにおいてその立ち位置を非常に重視しているロシアの動向が不透明である点があげられる。ロシアは「クルドの問題には関わらない」というスタンスをとるが、国営石油会社のロスネフチが2017年に入り、KRGと石油および天然ガスに関するMOUを2月に取り付け、9月には天然ガスのパイプラインの建設に合意するなど、KRGと密接な関係を築き始めている。加えて、PKKの影響力が北イラクにおいて高まっていることがあげられる。特にヤジィーディ教徒の都市として知られるシンジャールは、PKKが対IS戦で活躍しヤジィーディ教徒からの信頼を獲得したことで、今やカンディール山に次いでPKKの第2の拠点となりつつある。シンジャールにはKRGのペシュメルガも展開しているが、その影響力は低い。PKKの勢力拡大を懸念するトルコは、KRGにPKKを抑えてほしいと考えている。

まとめ

本稿ではトルコとKRGの関係を概観した。トルコとKRGの関係の強さを考えれば、トルコ政府のKRGに対する制裁は様子見、もしくは実施しても短期間のうちに終わることが合理的だろう。しかし、外交関係は常に合理的な選択がなされるわけではないし、良好な関係を保っていた2国間で対立に陥る例は枚挙に暇がない。トルコに関しても、2008年から2009年にかけてのガザ攻撃前にはイスラエルと良好な関係を維持していたし、シリア内戦前はアサド政権と非常に親密であった。しかし、その関係はガザ攻撃、およびシリア内戦をめぐり、悪化した。KRGとの関係も先行きは不透明である。注目すべきはシリアでもプレゼンスを高めているロシアの出方だろう。トルコ政府は現在、ロシアの政策には一定の配慮をみせており、ロシアがKRGとの関係を軟化させれば、トルコとKRGの関係も着地点を設定しやすいだろう。ISとの戦闘が終わってもイラク、そしてシリアに平穏な日々が訪れるには残念ながらまだ時間がかかりそうである。

20171015日脱稿)

著者プロフィール

今井宏平(いまいこうへい)。アジア経済研究所地域研究センター中東研究グループ所属。Ph.D. (International Relations). 博士(政治学)。著書に『トルコ現代史――オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで』中央公論新社(2017)、『中東秩序をめぐる現代トルコ外交――平和と安定の模索』ミネルヴァ書房(2015)など。

書籍:トルコ現代史

書籍:中東秩序をめぐる現代トルコ外交

写真の出典

By Levi Clancy (Own work) [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

脚注
  1. Marianna Charountaki, "Turkish Foreign Policy and the Kurdistan Regional Government", Perceptions, Vol. XVII, Number 4, 2012, p.199.
  2. トルコ政府の攻撃はアメリカとの軍事協力によって実施された。
  3. Ofra Bengio, "Ankara, Erbil, Baghdad: Relations Fraught with Dilemmas"in David Romano and Mehmet Gurses (eds.), Conflict, Democratization, and the Kurds in the Middle East, New York, Palgrave, 2014, p.270.
  4. 吉岡明子「揺らぐイラクの石油の支配」吉岡明子・山尾大編『「イスラーム国」の脅威とイラク』岩波書店、2014年、158-159ページ。結局KRGの石油輸出は数カ月で停止となり、イラク政府が管理する既存のパイプラインを使用する方法は2012年末に完全にとん挫することとなった。
  5. Kadir Ustun and Lesley Dudden, Turkey-KRG Relationship: Mutual Interests, Geopolitical Challenges, SETA Analysis No. 31, September 2017, pp. 14-15.
  6. 吉岡、前掲論文、159ページ。
  7. Ustun and Dudden, op.cit., p.10.
  8. 住民投票に至る経緯と問題点に関しては、吉岡明子「イラク・クルディスタンが独立を問う住民投票を実施へ」『JIMA 中東動向分析』2017年7月21日を参照。
  9. もちろん、トルコ政府は住民投票を実施する意向をKRGが示した2017年4月2日以降、一貫して反対の態度はとっている。
  10. PKKの政治的スタンスの変遷については本特集の間レポート参照。
  11. 今井宏平「民族主義者行動党はなぜ大統領制に賛成したのか」『中東レビュー』、Vol. 4、2017年。
  12. エルドアンが2019年の大統領選挙で大統領に選出された場合、副大統領の一人にバフチェリが就任するのではないかともいわれている。
  13. "Turkey stops training Iraqi Kurdish peshmerga after independence vote", Reuters, 28 September, 2017.
  14. "Turkey's trade with KRG 'business as usual' despite referendum, says Economy Minister", Hurriyet Daily News, 27 September, 2017.