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インド:岐路に立つ司法積極主義(3)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049531

佐藤 創

2016年3月

前回は、モディ政権が2015年に施行した憲法第99次改正法と全国裁判官任命委員会法による上位裁判所裁判官任命方法のどのような点が問題となったのか、最高裁長官(ないしカリージアム)の意見の法的効力の解釈に関する歴史的な経緯を敷衍しつつ確認しました。次に問題となるのは、最高裁はどのような根拠により、これらの法を違憲無効としたのかということです。

まず、2015年10月16日の判決の内容を確認しておきます1。第一に、第2次裁判官事件判決と第3次裁判官事件の意見を見直すべく大法廷を開廷すべきとの要求については5名の裁判官はいずれもこれを退けました。第二に、憲法第99次改正法の合憲性については、4名の裁判官がこれを違憲とし、1名の裁判官が合憲であるとする反対意見を著しています。第三に、全国裁判官任命委員会法については、憲法改正法が無効であれば、これにより憲法に挿入された規定による授権により制定された全国裁判官任命委員会法は存在しえないものとなり、当然違憲となることになります(4名は違憲無効と判断し、憲法改正法を合憲とした裁判官は判断を行っていません)。第四に、仮にこれらの法が違憲無効となってもカリージアムの制度はすでに廃棄されて復活しないという主張に対しては、カリージアム制度は今なお有効であると判断しました。第五に、ただし、カリージアム制度の改善措置があるならばその導入を検討するよう政府に命じました。

憲法第99次改正法と全国裁判官任命委員会法を違憲とした判断基準は、「憲法の基本構造」と呼ばれる法理です。簡単に解説すると、同法理は、憲法の基本構造を破壊するような憲法改正は憲法の予定するところではなく、立法権の憲法改正権には限界があり、また議会による憲法改正に対して司法は審査権を有するという意義を持っています。この法理により、多数意見は、憲法第99次改正法による全国裁判官任命委員会の設置やその構成は、裁判官任命における司法の優越性、したがって司法の独立性という憲法の基本構造を損なうおそれがあり、違憲無効であると判断したのに対し、少数意見は司法の独立性や違憲立法審査権は憲法の基本構造であるものの、裁判官の任命方法に関する今回の改革は憲法の基本構造を損なうおそれがあるものとまではいえないと判断しています。

議会といえども憲法を無制限に改正してよいわけではなく、議会の憲法改正権には制限がある、とするこの「憲法の基本構造」法理もまた、憲法のなかに明示的に記されているわけではありません。それではこの法理はどのような経緯で確立されたものなのでしょうか。

憲法の基本構造の法理は、すでに触れたインディラ・ガンディ政権による最高裁長官人事への介入を招いた1973年の基本権事件判決により導入され、確立されました。同判決は、議会は基本権を含むどの憲法の規定を改正することもできるとしつつ、ただし、憲法の基本構造を改正する権限までは有しないと判決したのです。

次の問題は、なにが憲法の基本構造なのか、ということです。これも最終的には司法が判断するということになりますが、難しい問題です。最高裁の判決にてこれまで基本構造として特定されてきたものは、民主制、セキュラリズム(非宗教主義)、司法の独立性、違憲立法審査権(司法審査権)、いくつかの基本権などです。今回の事件では、裁判官任命における司法の優越性が司法の独立性を担保しており、それゆえにこれを変更することは憲法の基本構造を損なうおそれがあり違憲であると最高裁は解釈したのです。

このような本件違憲判決に対して、モディ政権の有力閣僚であるジャイトリー財務大臣やミシュラ中小企業大臣らがかなり辛辣な批判を展開しています。ジャイトリーは2、本件違憲判決は「選挙で選ばれていない者の専制」であり、「最高裁は、司法の独立という憲法の基本構造の一つを支持したが、他の5つの基本構造を破壊した、それらは、議会民主制、選挙で選ばれた政府、内閣、選挙で選ばれた首相、そして選挙で選ばれた野党党首だ」と述べています。さらには1970年代の非常事態時に最高裁がどう政権に「妥協」したかに触れ、「私のような政治家こそが、あのとき戦ってそして監獄へ送られたのだ」、したがって司法の独立性を尊重することにより「最高裁のみが非常事態に対して国民を守ることができるなどということは歴史により否定されている」と主張しています3。また、ミシュラは、同違憲判決は「議会の主権を弱める努力であ」り、「権力分立の原則」にも違反すると寄稿しています4

つまり、司法の独立性が憲法の基本構造に含まれることまでは認めるとしても、議会主権など他の憲法の基本構造もあるはずであり、それらの関係をどう考えるべきか、また、裁判官の任命を司法内部で実質的に行うことまでが司法の独立性に含まれるのか、といった観点から疑問を呈しています。

結びにかえて

以上、憲法第99次改正法と全国裁判官任命委員会法を違憲とした昨秋の判決について検討してきました。2012年に議論となったガンジスからカンニャークマリまでの河川連結事業の推進を命じる判決5や、2014年に話題となったすべての石炭採掘権の取消を命じた判決6など、時として、経済的財政的な裏付けやより広い文脈を無視して下される上位裁判所の判決に、三権分立を超えてはいないかといった批判が、政権側あるいはより広く識者の間でも上がってきましたが、今回の事件ではより直接的に司法と政権の関係が問われたことに重要性があります。

最後に、本件判決を司法積極主義の長い歴史の中に位置づけ、かつモディ政権との関係のなかで検討して、本稿を閉じたいと思います。

すでに触れたように、1970年代前半において先鋭化したインディラ・ガンディ政権と最高裁の対立は、最先任順に最高裁長官に就任する慣行を変更する政権側からの強権的な介入を招きました。経済統制色を強めつつ開発政策を進めようとする政権側と、財産権の保障という近代法の原則を尊重する最高裁側との対立があり、政権側の行う憲法改正を、最高裁が無効とするという応酬の末にこの危機は生じたものでした7。このときの判例法のなかで最高裁は、議会といえども憲法の「基本構造」を変えることはできないと議会の憲法改正権に制限をかける法理を1973年に確立しました。

ほどなく1975年には非常事態宣言が宣言され、これもすでに触れた人身保護令状事件判決に象徴的に表れているように、最高裁は非常事態下で人権擁護の最後の砦となることができず、最高裁は政権側にいわば抑えこまれることになります。非常事態は2年ほどで終了し、インディラ・ガンディ率いる国民会議派は政権の座を失いましたが、最高裁や法曹界側にも、非常事態下における消極性、さらに非常事態以前の積極主義も近代法の原則に固執することにより結果的に富裕層の利害に資することになり市民の支持を失っていたのではないかという反省もありました。そのこともあり、最高裁が、1980年頃から展開した公益訴訟は、政府の社会政策の実施の不十分な点などを積極的に矯正しようという性質をもっており、社会的弱者層のために行動する世界にも稀に見る司法積極主義として、注目されるところとなりました8

このように、1970年代の非常事態を境に、インド最高裁の司法積極主義の方向が大きく変化していることは確かで、俗に、非常事態以前の司法積極主義を「富める者のための積極主義」、それ以降の司法積極主義を「貧しい者のための積極主義」と呼んだりもします。ただし、このように司法積極主義の方向性は変わっているものの、ほぼ一貫して最高裁自身の権限は強化される方向で司法積極主義は働いてきたという側面があり、今回の判決は、このように拡大してきた最高裁自身の権限を維持するという特徴があることになります。

上位裁判所の裁判官の任命について基本的に司法の自治とするのか、立法及び行政がより積極的な役割を果たす政治的=民主的関与の広いものとするのかは、それ自体きわめて重要な論点であり、インド法律委員会や最高裁の判決自体が他国の例に言及して認めているように、インドのように司法自らが裁判官の任命を実質的に決める仕組みを持つ国は、先進国諸国ではあまり多くはないようです9

それゆえ、今回の最高裁の違憲判決は、憲法の文言からだけでなく、比較法的にみても、無理のある解釈ではないかと議論する余地があるでしょう。しかし、実際の現実についてより注意深く目を向けると、インドでも裁判官の任命における政治的な関与は実は小さいとはいえないのではないか、と考えられます。たとえば、今回の判決のなかでも、とくに高裁の裁判官の任命については、1980年代から一貫して州政府の影響が強かったことが記されています10。1993年の第2次裁判官事件判決にて最高裁長官の意見に優越性を与えたことも、そうした状況に危機感を持ったという側面もあるのではないか、という可能性も検討してみる必要がありそうです。また、最高裁や高裁の裁判官の退官後の処遇においても、政治的な関与は存在します。

つまり、今回の違憲判決も、せめてカリージアムくらいは守っておかないと政治的な関与が大きくなりすぎる、という全体としての司法システムの中での、最高裁の側のバランス判断なのかもしれないという可能性があり、高裁裁判官の任命、さらには下位裁判所の裁判官、検察、弁護士を含めて法曹制度全体、さらには裁判官退任後の処遇なども含めて検討し、総合的に評価する必要があると考えられます。

さて、公益訴訟を通じた司法積極主義は、中央政府、州政府、財閥、企業、財団、ヒンドゥ・ナショナリズムなど、多数派やエスタブリッシュメント側の行過ぎ(あるいは無関心)に対して、一定の抑止力となってきた側面もあることは確かなことであるといってよいと考えられます。もちろん、ケースによっては、逆にそれらの利益に資する結果となっているものもないとはいえません。少なくとも重要なことは、財力や訴訟に関する知識がなくても、公益訴訟という訴訟形態を利用すれば、上位裁判所にて、政府や大企業を相手に争うことができるという事実はインド社会に広く知られており、またそのような訴訟形態が定着しているということです11

管見の限りですが、2014年に政権の座についたモディ率いるインド人民党は、ネーション、政府統治機構、経済の三面にて、インド社会の再編成ないし再構築を進めようとしているようにみえます。具体的には、ネーションの基礎としてはセキュラリズムに代えてヒンドゥ・ナショナリズム(たとえばヒンドゥ教を基礎とする統一民法典の制定推進)を、政府統治機構の形としては州に対する中央政府の指導力の強化(たとえば多数の州知事交代)を、経済についてはさらなる市場経済化(たとえば労働者保護や環境保護の規制緩和)を進めようと努力しているように観察されます。

もちろん、こうした動きは以前からあるものでした。たとえば、1997年の英国ブッカー賞を受賞したインド人作家アルンダディ・ロイ氏は、前政権を率いた国民会議派とインド人民党(BJP)について、「この二党は、一方の党が主にやっていることを他方の党が第二の党是としているので、BJPが夜やっていることを国民会議派が昼に行い、国民会議派が夜やることをBJPが昼にといった具合」であると指摘しています12。ロイの主張は、おおむね、国民会議派は昼に財閥や企業の利益に仕え、(セキュラリズムを唱えながらも実は)夜にヒンドゥ・ナショナリズムを進めており、インド人民党は昼と夜を逆転させて同じことを行っているという主旨です。この観点からおそらくモディ政権の新しいところは、いわば昼夜関わりなく、これらの価値を推し進めようとしている、ということになるでしょうか。

モディ政権がカリージアムによる推薦者を事実上拒否し、また裁判官任命システムに関する憲法改正を施行した背景には、こうしたインド社会の再編成を進めていくうえで障害となりうる司法を牽制する意図があったと考えられます。違憲判決でさらに高まったモディ政権との緊張により、司法はさらなる政権側からの圧力にさらされる可能性があります。それゆえ、これまでの富める者のため、あるいは貧しい者のためという形で捉えられうる司法積極主義というよりも、人権擁護の最後の砦として、立憲主義の擁護者として、立法、行政という政治的な政府部門とは独立して憲法判断を行うというそもそもの意味での司法積極主義を、今後もインドの上位裁判所は展開することができるのか、という問いに最高裁は直面しているのではないかと推察されます。そして、同時に、今回の違憲判決は、少なくとも比較法的にみる限り、インド最高裁は司法積極主義を展開し続けるに有利な制度を今のところは具備・維持していることを改めて示した、とも考えられます。


注記:本稿で引用したウェブサイトへの最終アクセスはいずれも2016年3月29日です。
謝辞:本稿は科研費(「インドにおける公益訴訟の経済社会への影響」研究課題番号25360036)の助成を受けた研究の一環です。

(2016年3月29日記)

脚 注

  1. Supreme Court Advocates-on-Record Association and another v. Union of India (Writ Petition (civil) 13 of 2015)。全体で1042頁あり、下記の最高裁のウェブサイトにて上記の整理番号などを入力して検索し、ダウンロード可能です。http://judis.nic.in/supremecourt/chejudis.asp。なお、憲法第99次改正法を違憲と判断したのはケハル裁判官、ロクル裁判官、ジョセフ裁判官、ゴエル裁判官で、少数意見はチェラメスワル裁判官です。
  2. Indian Express , October 19 2015.
  3. 1952年生まれのジャイトリーは1970年代には20代でデリー大学の学生組合の長を務めるなどしており、また非常事態時に19か月あまり予防拘禁されたという経歴を持っているとのことです。
  4. Indian Express, October 26 2015.
  5. In re: Networking of Rivers, Writ Petition (civil) No. 512 of 2002(2012年2月27日判決)。 Economic and Political Weekly Editorial (2012) “Supreme Folly”, Economic and Political Weekly , 47(11), p. 8.
  6. Manohar Lal Sharma v. The principal Secretary & others, Writ Petition (criminal) No 120 of 2012 (2014年8月25日判決)。
  7. より詳しくは、佐藤宏(1975)「1970年代インドの憲法状況(1)、(2)」『アジア経済』16(9), 16-30頁、16(10), 51-64頁、安田信之(1978)「インドにおける財産権」大内穂編『インド憲法の基本問題』アジア経済研究所所収。
  8. 公益訴訟を概観できる近年の文献として、浅野宜之(2013)「インドにおける公益訴訟の展開と課題」『関西大学法学論集』62(4/5), 299-324頁 。
  9. たとえば、日本の法曹制度検討会にて作成された資料に「資料11-2 諸外国等における最高裁判所裁判官任命手続等一覧表」があり、下記にてダウンロード可能です。
    http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/seido/dai11/11gaiyou.html
  10. たとえば中央政府の法務大臣が、州政府が都合の良い人物で高裁裁判官の人事を固めようとしていると不平を漏らしたエピソードなど、多くの政治的な関与の実例が、同判決(注(1))のなかで触れられています。そして、とくに1990年代以降、最高裁裁判官の任命はほぼ全員高裁裁判官経験者からであり、また8割近くが高裁所長経験者から登用されているとのことです。詳しくは、浅野宜之「インドにおける司法と政治:最高裁裁判官に注目して」今泉慎也編『アジアの司法化と裁判官の役割』調査研究報告書、アジア経済研究所所収。
  11. たとえば、清掃カーストが社会経済的地位の向上のために、2000年代より公益訴訟に運動を拡大していることが報告されています。鈴木真弥(2015)「突破口としての司法:清掃カーストの組織化と公益訴訟」石坂晋哉編『インドの社会運動と民主主義:変革を求める人びと』昭和堂所収。
  12. アルンダディ・ロイ(2012)『民主主義のあとに生き残るものは(本橋哲也訳)』岩波書店、129頁。