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インド:岐路に立つ司法積極主義(2)

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佐藤 創

2016年3月

前回は、憲法第99次改正法と全国裁判官任命委員会法を違憲とする最高裁判決が、これらの法の施行からわずか半年ほどで下されることを可能としている制度的な仕組みについて、憲法32条に規定された最高裁の令状管轄権と公益訴訟の展開による同条に基づく訴訟における最高裁の裁量権の拡大を確認しました。次に、裁判官任命の仕組みのいったい何が問題となっていたのかという点をより詳しく見ていきたいと思います。

上位裁判所裁判官の任命については、1993年の第2次裁判官事件と一般に呼ばれるケースにおいて1、最高裁が、最高裁長官の意見に優越性があり、その推薦通りに大統領は任命を行うべきこと、また、最高裁長官はその意見の形成にあたっては最高裁裁判官に任命された順に在職期間が長い2名と協議すべきこと、との判決を下して、この判決がそれ以来基本となった任命が行われてきています。この最高裁長官が同僚の先任順の裁判官2名と協議する会議体(1+2=3)はカリージアム(collegium)と呼ばれ、後述するように後に場合によっては先任順の4名と協議する(1+4=5)と増員されています。

しかし、最高裁長官の意見の優越性についても、カリージアムについても、明示的に憲法に書かれているわけではありません。憲法には、「最高裁判所裁判官は、大統領が最高裁判所裁判官及び高等裁判所裁判官のなかで必要と認める者と協議した後、大統領の署名捺印した辞令をもって任命し、65歳に達するまでその職にある。ただし、最高裁長官以外の裁判官を任命する場合には、最高裁長官はつねに協議をうける」(憲法124条2項)2と規定されています。また、高裁については、「高等裁判所裁判官は大統領が最高裁判所長官及び州の知事と協議した後、かつ、高等裁判所所長以外の裁判官を任命する場合には当該裁判所所長と協議した後」(憲法217条1項)に同様に大統領により任命されるとあり、さらに、高裁の裁判官の転任については、「大統領は、最高裁判所長官と協議した後、高等裁判所裁判官を他の高等裁判所へ転任させることができる」(憲法222条1項)と規定されています。

このように、これらの憲法の規定によれば、大統領は上位裁判所の裁判官を任命し、あるいは高裁の裁判官を転任させる際には、最高裁長官(高裁の場合にはさらに州知事及び高裁所長)と「協議」せねばなりませんが、その意見通りに大統領は任命を行わなければならない、ということまで明記されているわけではありません。また、カリージアムという言葉や制度は憲法のどこを探しても存在していません。

さらに、大統領は、一般に、総理大臣を長とする大臣会議の「助言にしたがってその権能を行使しなければならない」(憲法74条1項)ため、内閣の助言を得て最終的に裁判官を任命するということになるはずです。

はたして、大統領が最高裁長官ないしカリージアムの意見に従わないこと、あるいは内閣がその意見に沿わない助言を行うことは違憲となる、つまり、その意見は行政に対して拘束力を持つのでしょうか。この大統領による最高裁長官との「協議」の意味ないし法的な効力が何度か裁判で論点となってきました。

その第一のケースが、1981年に判決が下された第1次裁判官事件と呼ばれるケース3です。実はこの判決では、最高裁は、上位裁判所裁判官の任命及び高裁の転任に関して、最高裁長官の意見の優越性を明示的に否定しました。この事件でおもに問題となったのは、高裁の裁判官の任命に関する217条と高裁裁判官の転任に関する222条であり、それぞれの高裁の三分の一の裁判官をその高裁の位置する州以外の出身者から構成する方向へ改革すべく、高裁の補佐裁判官から他の高裁にて正規の裁判官に任命されることの同意を取り付けるよう、各高裁に指示した法務省の措置でした。これを司法の独立性に対する攻撃ととらえた法曹関連の団体や弁護士が、この措置の違憲無効を求める令状訴訟を提起したのです。

この1981年判決の多数意見を執筆したバグワティ裁判官は、重要な指摘を二点行っています。第一に、高裁裁判官の任命に関する大統領の最高裁長官との協議は、高裁所長との協議、州知事との協議のいずれにも優越するものではなく、いずれも等しいウェイトを与えられるべきであり、第二に、最高裁裁判官の任命についての大統領の最高裁長官との協議も、あくまでも協議であり、中央政府は最高裁長官の意見に拘束されず、イギリスなど他の民主制国家と同様に、裁判官の最終的な任命権は行政の側にある、と明確に述べています。つまり、大統領の最高裁長官(場合によっては高裁および州知事)との協議ということを定めた憲法の規定の趣旨は、あくまでも中央政府が恣意専断で裁判官を任命しないための抑止にある、と議論しています4

裁判官の任命権限が最終的には行政に与えられていると解釈するその理由として、バグワティ裁判官は主に二点の指摘を行っています。第一に、司法は国民に対して直接には説明責任を負っていないのに対し、行政は議会を通じて国民に説明責任を負っていること、第二に、憲法起草委員会の委員長を務めたアンベードカルの制憲議会における発言を引用しつつ、最高裁長官も結局は人間である限り欠点や過ちをまぬかれず、最高裁長官一人に事実上の任命権を与えることは危険である、と指摘しています5

さらに、バグワティ裁判官は、カリージアムという用語を用いて、大統領に対して最高裁又は高裁の裁判官の任命について推薦を行う会議体(カリージアム)が必要ではないかと提案しています6。ただし、バグワティ裁判官は、このカリージアムを裁判官のみから構成すべきとは主張しておらず、候補となる者の人となりを十分に判断できるよう、柔軟な構成にすべきというニュアンスで論旨を展開しています。

これに対して、第1次裁判官事件判決の12年後、上述の1993年の第2次裁判官事件判決は、この第2次裁判官事件判決の解釈を変更しました。本件では、3名からなる法廷で審理されていた別な事件7で、高裁所長及び最高裁長官が同意しない、あるいは推薦していない者を行政府は上位裁判所の裁判官として任命できないのではないか、最高裁長官と高裁所長(および州知事)の間で意見が異なる場合、最高裁長官の意見が優越性を持つべきではないか、なんとなれば「協議」の目的は司法の独立性を保障することにあるからであるとの見解に基づき、第1次裁判官事件判決を再検討すべきより大きな法廷の開廷が求められたもので、9名からなる法廷で審理されました。

このように論点としては、最高裁長官の意見に優越性はない(また行政の側に裁判官任命の決定権が最終的にはある)とした第1次裁判官事件判決の判断を変更するか否かということだったのですが、多数意見を執筆したヴァルマ裁判官は、より広い議論を展開して、最高裁裁判官のみから構成されるカリージアム制度を確立する判決を執筆したのです。

ヴァルマ裁判官は、最高裁長官こそがどの者を上位裁判所の裁判官として任命するのにふさわしいかもっとも適切に判断できる地位にあり、また裁判官の任命については政治的介入を排除することが重要であり、行政は裁判官の任命に司法と対等な発言権はないと解釈すべきであると述べています。つまり、司法の独立性の重要な要素として、裁判官の任命を司法の側でイニシアティブを持つことが含まれると解釈し、具体的には8、高裁所長(および州知事)と意見が異なる場合には、最高裁長官の意見が優越性を持つこと、最高裁長官の意見と合致していないかぎり大統領による裁判官の任命はなされてはならないこと、適切な理由がある場合には最高裁長官の推薦に従わない例外的なケースもありうるが、その行政の側から示された理由に最高裁長官が納得しない場合には、任命はなされるべきであること、高裁裁判官および所長の転任についての最高裁長官の意見は優越性をもつのみならず決定力があること、などの内容を持つ判決を下しました。

またヴァルマ裁判官は、最高裁長官はその意見を構成するに当たっては、最高裁の裁判官の任命の場合には、最先任の最高裁裁判官2名の見解や候補者と同じ高裁出身の最先任の裁判官の意見を考慮すべきこと、高裁の裁判官の任命の場合には当該高裁について詳しい最高裁裁判官たちや当該高裁の裁判官、高裁所長と協議すべきこと、などの最高裁長官を規律する規範も判決に盛り込みました9

この第2次裁判官判決により、司法の側で裁判官の任命を事実上決定するシステムが確立したのです。

しかし、その後、当時の最高裁長官たちが他の2名の最先任の裁判官と協議をせずに裁判官の任命などを行ったために、1998年に当時のナラヤナン大統領は裁判官の任命方法について最高裁に諮問し、これに答えるべく9名から構成された最高裁の法廷は、最高裁長官は、最高裁の裁判官の任命及び高裁の裁判官の転任については4名の最先任の最高裁裁判官と協議の上で、高裁の裁判官の任命については2名の最先任の最高裁裁判官と協議の上で意見を形成せねばならない、などの意見を大統領に提出しました(第3次裁判官事件)10。つまり、最高裁長官の意見の優越性は維持あるいは強化しつつ、同時に最高裁長官の専断を抑止するために、あるいは最高裁長官の意見の優越性を担保するために、カリージアムを再構成し、かつ書類の作成などについても敷衍して、司法の内部で裁判官の任命を実質的に決める1993年判決で示された枠組みを再肯定したのです11

なお、ここでいう先任とは、最高裁の裁判官として任命された順序のことで、最高裁長官についても長官が定年を迎えた時点で現職の最高裁裁判官のうち最先任の裁判官が次の長官に就任します。したがって、後から最高裁裁判官に任命された裁判官よりも年齢の若い裁判官が先に任命されていれば、後者が最高裁長官に就任し、年長である前者は最高裁長官に就任せずして65歳の定年を迎えることになります。この長官就任への先任制度は、少なくとも独立以降長年にわたり尊重されており、今回のモディ政権による改革は、この慣行の変更にまで踏み込んだわけではありません。

この点は実は重要なことです。というのは、この最先任の裁判官が最高裁長官となる慣行が、1970年代に当時のインディラ・ガンディ政権により強権的に変更されたことがあるからです12

1973年に先任の3名の裁判官を飛び越えてレイ裁判官が最高裁長官に任命されました。後に触れますが、財産権の制限をめぐって当時の最高裁はたびたび政権に対して不利な判決を下し、一般に基本権事件と呼ばれるケースにて13、ついには議会の憲法改正権に縛りをかける判決を下すまでに至りました。このような最高裁と政権側との対立の結果、基本権事件判決が下された翌日に、インディラ・ガンディ政権はいくつかの判決で政権側の措置を擁護する少数意見を書いたレイ裁判官を長官に据えたのです。この措置は、法曹界やメディアから強い批判を招き、政権側と司法との対立はさらに高まり、75年のインディラ・ガンディ政権による非常事態宣言につながっていきます14

レイ最高裁長官は、その後、非常事態下で予防拘禁された人々が拘禁の適法性を争えるかが問題となった有名な1976年の人身保護令状事件15で、非常事態下では、生命と身体の自由というもっとも重要な基本権も停止されるかという論点で、政権側の意見を支持して停止されると判断する多数意見を書きました。さらに、この多数意見側のベグ裁判官が、この人身保護令状事件で政権からの圧力に屈せず一人だけ反対意見を書いた先任のカンナ裁判官を飛び越えて1977年に次の最高裁長官に任命されたという歴史があります。なお、上述した第1次裁判官事件で多数意見を書いたバグワティ裁判官も、本事件では多数意見側の一人で、2011年になって、この判決の多数意見は間違いであったと表明しています16

それゆえ、インドでは、司法人事への政権による介入は、すでに40年余りが経過しているとはいえ、非常事態の暗い時代、民主制の否定、という記憶と結びつきやすい、という事情があると思われます。

重要なことは、憲法の文言をそのまま読めば、大統領による裁判官の任命に対する助言という形で内閣は上位裁判所の裁判官の任命に関与できるはずですが、このカリージアムにより推薦される人事を大統領(及び大統領の任命行為に助言を行うべき内閣)が拒否することは原則としては認められないという第2次裁判官事件の最高裁判決と第3次裁判官事件の最高裁の意見による憲法解釈が確立され、遵守されてきたということです。2009年に腐敗問題が取りざたされた最高裁裁判官への任命候補者について、当時のマンモハン・シン政権がカリージアムに再考を促したことがありますが17、基本的には行政が司法の人事に介入することはありませんでした。

この慣行、つまり1990年代に確立した憲法解釈を、モディ政権は変えようとしたのです。しかも二つの方法をほぼ同時的に進めました。一つは人事介入であり、一つは憲法改正です。

まず、第一に、モディ政権は、2014年5月に発足して間もない翌6月に、カリージアムにより推薦された4名の候補者のうち、ゴパル・スブラマニアム弁護士の最高裁裁判官への就任については保留し、他の3名についてはそのまま任命手続を進めました。モディ政権が同氏の最高裁裁判官への就任に難色を示した理由は明らかにされていませんが、同氏は、前政権時代の2009年から2年間あまり法務次長を務めており、また、グジャラート州警察があるモスリムを殺傷した事件の裁判において18、法廷助言者して、モディが州首相をしていた当時の州政府に不利となるような事実を報告したことがあります。モディ政権によるこの候補者の事実上の拒否に対して、当時のロダ最高裁長官は、不適切な措置ではないか、との異議を表明しましたが、スブラマニアンは候補者となることを辞退する旨、最高裁に申し入れ、その申し出を最高裁は受け入れるという経緯を辿りました。

さらに、第二に、8月には、全国裁判官任命法案と関連する憲法改正法案を、連邦の下院に提出したのです。二つの法案は、決議に参加しなかった者を除き全会一致で下院、上院を8月中に通過しました19。上位裁判所に関わる憲法の規定(憲法第5編第4章、第6編第5章)の改正は、両院で可決された後、「認証を求めるため大統領に提出される前に、2分の1以上の州の議会によりこれを承認する決議を可決することにより、承認されなければならない」(憲法368条2項)ため、これに必要な数の州の承認を得た後に、二つの法案は2014年12月31日に大統領により認証され、2015年4月13日に施行されました。

ただし、これらの法をモディ政権が、かくも迅速に制定することができたのは、前マンモハン・シン政権が筋道を作っていたからです。

1993年の第2次裁判官事件判決による憲法解釈に対しては、憲法124条、217条、222条の解釈の範囲を超えてはいないか(最高裁長官の意見の優越性、カリージアムで人数を定めたり絞ったりすることなどは憲法に明記されていない)、司法の独立性の意味を拡大しすぎているのではないか、といった批判もあり、また、司法の腐敗問題や誰もが疑問を持つような人事もあり、カリージアムが適切に選任を行うことができるのか、その不透明性や非公開性が、折に触れて問題視されていました。さらに著しい訴訟遅延が懸案となっているにもかかわらず、全国に24ある高裁の裁判官ポスト800あまりのうち3割あまりが空席となったまま任命されないなどの問題もありました。

そのため、シン政権は裁判官任命制度の改革を進めようとしていました。例えば、2008年11月には、法務省に提出されたインド法律委員会の第214次報告書が、カリージアム制度を見直すことを提言していました20。この報告書ではアメリカ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、ケニヤなどの裁判官任命の制度に触れ、いずれも行政が多かれ少なかれ重要な役割を果たしていることを指摘し、インド憲法はもともと行政と司法の役割分担につきバランスのよい仕組みを与えていたにもかかわらず、第2次裁判官事件判決がこの憲法の仕組みをゆがめてしまっており、裁判官の任命に関する憲法の予定している司法と行政のバランスに戻すべき時がきていると提案しています。

2013年8月には、シン政権は、裁判官任命委員会法案(2013)と関連した憲法改正法案を上院に提出しました。憲法改正法案は上院で翌9月には可決される一方で、裁判官任命委員会法案は人事・公的苦情・法及び正義に関する省別常任委員会21に検討に付されました。同委員会は、裁判官任命委員会の構成や役割については議会制定法で定めると憲法に定めるだけでは足りず、憲法レベルにその構成などを含めるべきといった勧告を行い、シン政権は2013年12月にこの勧告を受け入れることを閣議決定していました22

ほどなく、2014年5月に政権交代が起こり、モディ政権は、基本的にはこの前シン政権の決定に沿った形で、憲法レベルに委員会の構成などを盛り込むべく、前政権が提出した裁判官任命委員会法案(2013)と憲法改正案をいったん取り下げ、新たに全国裁判官任命委員会法案(2014)と憲法改正案をまとめ、2014年8月に下院に提出したのです。その内容は、委員の構成など、前政権がまとめていたものをほぼそのまま踏襲しています。

かくしてモディ政権下で2015年に施行された憲法第99次改正法は10条からなり、全国裁判官任命委員会の構成を定める憲法124A条、その責務を定める124B条、上位裁判所裁判官に関する任命手続を規制する法律制定権及び同委員会に対する規則制定権の授権権限を議会に与える124C条の挿入などが含まれています。また、同改正法により、大統領は「最高裁判所裁判官及び州高等裁判所裁判官のうち必要と認められる者と協議した後」(124条2項)に上位裁判所の裁判官を任命するという文言の部分は「全国裁判官任命委員会の勧告に基づき」という文言に置き換えられています。

つまり、全国裁判官任命委員会という委員会を設置してこれに上位裁判所の裁判官任命に関する実質的な権限を与えるものです。新たに挿入された憲法124A条には、委員会は6名の委員(最高裁長官、その他2名の最先任の最高裁裁判官、法務大臣、2名の有識者)から構成されることが定められています。また、2名の有識者は、中央政府総理大臣、最高裁長官、連邦下院の野党のリーダー(そのような者がいない場合には連邦下院の野党第一党党首)の3名で構成される会議体により選ばれるとされています23

全国裁判官任命委員会法については、同法は憲法124C条の授権により議会が制定したという形をとっており、14条からなる同法には期限なども含めて具体的な任命手続が規定されています。このうち重要な規定は、一つは、5条1項(最高裁長官)、6条1項(高裁所長)で、これまでの慣行である最先任の裁判官を長官とするよう勧告すると委員会に基本的には義務付けつつ、「長官として職を保持するにふさわしい場合には」、加えて「規則により定められる能力、業績及びその他の適任性に関する基準により」という条件を明示的に付けたことです。

もう一つ重要な規定は、裁判官の任命勧告について、6名の委員のうち2名の反対がある場合にはその者の任命を勧告してはならない、と定めていることです(5条2項但書)。つまり、6名の委員のうち2名の有識者の選任において与党と野党が関わること、6名の委員会内で2名が拒否権を発動すれば、裁判官の任命の対象候補となれないことになる、という形で、大統領による任命への内閣による助言より前の段階で、行政および立法の関与が広がっています。

このように司法自身による人事決定を改め、裁判官任命における行政及び立法の役割を拡大し、明確に組み込む改革を、今回、最高裁は違憲とした、ということになります。しかし、上述したように、1981年の第1次裁判官事件では、バグワティ裁判官は、むしろ裁判官の任命について司法が最終的な決定権を握ることに疑義を示していました。また、インド法律委員会の報告書が触れているように、三権分立、司法の独立性を保障している国々において、必ずしも裁判官の任命権を司法の排他的な権限としているわけではありません。それにもかかわらず、いわば「第4次」裁判官事件とでもよぶべき今回の事件で、憲法第99次改正と全国裁判官任命委員会法を、最高裁はどのような根拠、法理により、これを違憲としたのでしょうか。

続く。

脚 注

  1. Supreme Court Advocates on Record Association v. Union of India, AIR 1994 SC 268.
  2. 以下、インド憲法の翻訳については孝忠延夫・浅野宜之(2006)『インドの憲法:21世紀「国民国家」の将来像』(関西大学出版部)を参照しています。
  3. S.P. Gupta v. Union of India (Judges’ Transfer case), AIR 1982 SC 149.
  4. このあたりの論旨は、 同判決(注3)のパラグラフ29にて展開されています。
  5. なおアンベードカルは最高裁長官一人に任命権を与えることの危険性を指摘すると同時に、最高裁裁判官を行政が任命するイギリスと上院の同意が必要とされるアメリカの例に言及し、インドの現状では、抑止の仕組みなく行政に任命権限を与えることも、立法府に同意権限を与えることも危険であると議論しています。稲正樹(1985)「インド最高裁長官任命事件」『北大法学論集』36(3), 47-69頁。
  6. カリージアムについては、同判決(注3)のパラグラフ30を参照。
  7. Subhash Sharma v. Union of India, AIR 1991 SC 631.
  8. 同判決(注1)のパラグラフ80にある要約を参照。
  9. 同判決(注1)のパラグラフ69から70を参照。
  10. Special reference No.1 of 1998, AIR 1999 SC 1. 憲法143条により大統領には最高裁に対する諮問権が与えられており、最高裁は諮問を受けた場合には、審理後に、その意見を大統領に報告するという規定に基づいたものです。
  11. 政府は、第3次裁判官事件の最高裁の意見に従って、1999年に任命手続内規を策定しました。
  12. 安田信之(1974)「インドにおける「司法危機」」『アジア経済』15(1), 88-99頁。
  13. Kesavananda Bharati v. State of Kerala, AIR 1973 SC 1461.
  14. 最先任の裁判官を最高裁長官に据えるという慣行自体の是非、そもそもどう長官を決めるべきかという論争を惹起しました。その後、非常事態終了後のデサイ政権が先任の原則を復活させ、今日に至っています。
  15. Additional District Magistrate, Jabalpur v. S. S. Shukla , AIR 1976 SC 1207.
  16. Chhiber Maneesh “35 years later, a former Chief justice of India pleads guilty” Indian Express , Sep, 16 2011. もしもう一度同じ事件を扱えるならば、カンナ裁判官の意見に賛成するだろうと述べています。
  17. カリージアムが、カルナータカ高裁所長のディナカラン裁判官を最高裁裁判官へ任命する候補者リストに入れたところ、同裁判官の汚職、腐敗問題が広く取り沙汰され、最高裁裁判官への任命は取りやめになり、同裁判官はその後シッキム高裁所長へと転任となりましたが、弾劾裁判がはじまり、2011年に辞職したとのことです。
  18. 保護観察下にあるイスラム過激派とみられる被疑者が2005年に殺害された事件であり、グジャラート州警察は銃撃戦となりやむなく射殺した主張しているのに対し、銃撃戦は捏造で、単に「処分」したのではないか、という疑惑がもたれている事件です。被疑者殺害を指示したのではないかと、モディ側近で当時のグジャラート州内務大臣であったアミット・シャー(現インド人民党総裁)を被告とする訴訟が最高裁に係属していました。2014年12月にインド中央捜査局の特別法廷はシャーを無罪としています。なお銃撃戦の目撃者とされている者も翌2006年にグジャラート州警察に、同様に銃撃戦となったとの理由で、殺害されているとのことです。
  19. 下院では、全インド・アンナ・ドラヴィダ進歩党の37議員が議決に参加せず、367名全員が賛成、上院では法曹界出身の1議員が議決に参加せず、179名全員が賛成したと報道されています。
  20. THE LAW COMMISSION OF INDIA (2008), REPORT NO. 214 ( Proposal for Reconsideration of Judges cases I, II and III - S. P. Gupta Vs UOI reported in AIR 1982 SC 149, Supreme Court Advocates-on-Record Association Vs UOI reported in 1993 (4) SCC 441 and Special Reference 1 of 1998 reported in 1998 (7) SCC 739 ). http://lawcommissionofindia.nic.in/reports.htm からダウンロード可能。なお、インド法律委員会は英領時代(1834年)に設立され、コモンローの法典化に重要な役割を果たしてきたもので、現在も法制度に関する各種の報告書を法務省に提出することがその主な役割です。内田力蔵(1975)「インド法委員会について:その第14報告書を中心として」『比較法研究』37, 129-147頁。
  21. PARLIAMENT OF INDIA RAJYA SABHA DEPARTMENT-RELATED PARLIAMENTARY STANDING COMMITTEE ON PERSONNEL, PUBLIC GRIEVANCES, LAW AND JUSTICE (2013) SIXTY FOURTH REPORT The Judicial Appointments Commission Bill, 2013 . http://rajyasabha.nic.in/rsnew/rs_rule/rulesdrpscs.asp からダウンロード可能。なお、議会の省別常任委員会について詳しくは佐藤宏(2009)「インドの民主主義と連邦下院議会」(近藤則夫編『インド民主主義体制の行方』アジア経済研究所所収)を参照。
  22. その他、州レベルにも同様の委員会を設けること、委員会を構成する委員のうちの有識者枠を2名ではなく3名とすること、そのうち1名は指定部族、指定カースト、女性あるいはマイノリティであるべきこと、などを勧告しています。
  23. 憲法第99次改正法と全国裁判官任命委員会法の施行後に、当時のダットゥ最高裁長官がモディ政権に対して、これらの法の合憲性に関する訴訟が決着するまで、同委員会に協力しないと伝えていたことに触れましたが、正確には、そもそも二名の有識者を選任するための、この3名からなる会議体に参加することを拒みました。