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キューバ情勢レポート キューバと米国の国交正常化交渉をめぐって

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2015年2月

昨年12月17日に、米国のオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長は、ほぼ同時にそれぞれの国のテレビ演説で、両国が国交正常化交渉を開始することを発表した。そして年が明けた今年1月21日に、第1回目の交渉がハバナで行われた。本報告では、両国関係の歴史的背景、なぜ今の時期にこの動きが可能になったか、そして今後の展望について概観する。

キューバと米国の関係の歴史的経緯

1961年1月、大統領に就任したばかりのケネディが、キューバとの断交を宣言して54年が過ぎた。キューバは米国フロリダ半島からわずか140kmの近さに位置する。キューバの首都ハバナからマイアミへ向かうチャーター便は、ハバナを離陸後15分で、フロリダ半島南端のキー・ウェストの上空を通過、マイアミに到着するのはわずか35分後である。

1959年のキューバ革命の前はまだプロペラ機の時代だが、当時もフロリダとキューバは空路で結ばれており、キューバは米国人にとって、日帰りもできる観光地であった。フェリーで自家用車ごとキューバを訪問する米国人観光客も多かった。現在、米国へ移民あるいは一時滞在するキューバ国民、およびキューバに住む外国人しか利用できないチャーター便は、オバマ大統領になってから便数が激増し、ほぼ毎時間発着している。キューバ人と、米国へ移民したキューバ系の人々にとっては、キューバと米国はすでに互いに相当近い存在でもある。

キューバは1902年に米国の占領状態でスペインからの独立を達成した。米国大使の意向がキューバの大統領の意思決定を左右するといわれるほど、米国の影響は強かった。キューバ革命は、1930年代からキューバの政治運動の一大潮流であった民族主義、すなわち「米国からの独立・自立」を旗印に国民の支持を集めた。しかし同時に、これほど地理的に近く、文化的な影響も強い米国は、すでにキューバ人の血肉の中に入り込んでいるようにも思われる。キューバ人が今もあれほど革命前の米国車を大切にし、なけなしのお金をつぎ込み、ぴかぴかに磨いて走らせているのは、彼らの米国への愛着や憧れの象徴である。つまり、キューバ人の米国観はアンビバレントな、愛憎半ばする複雑なものなのだ。

キューバの対外政策にも、そのアンビバレンスが感じられる。革命が成功したのは1959年1月であるが、フィデル・カストロはその最初の外遊先に米国を選び、わずか3カ月後の同年4月に米国各地を訪問している。彼は米国政府に、共同でラテンアメリカの開発に取り組もうと呼びかけたが、アイゼンハワー大統領は理由をつけて彼に会おうともしなかった。カストロはハーバード大学を訪問した際、高校生のときにハーバードへの入学を志望して不合格だったことを、後にケネディ大統領の補佐官になる同大学政治学部長マクジョージ・バンディに告白している(バンディはその場で、不合格の決定を取り消すので、ぜひ今から入学してくださいと返答した)。流暢な英語で、全米各地の記者会見で質問に答えるフィデルには、後年の反米主義者の片鱗も見られない。

カストロは革命の目的に社会的公正を掲げており、革命成功後すぐに農地改革を発表した。キューバには米国企業が大農園を所有しており、これらの農園が農地改革の対象になったため、企業は米国政府に農地改革をやめさせるよう、圧力をかけた。しかしカストロは革命前の伝統的政治家の歴代大統領たちと異なり、信念を曲げておとなしく米国の言うことを聞くような若者ではなかった。

キューバ南岸の瀟洒な都市シエンフエゴスの郊外には、当時から米国企業の石油精製施設が立ち並び、キューバの石油製品の供給を独占していた。米国政府は農地改革への報復として、これらの米系石油会社に、キューバでの石油精製をやめるよう命令した。エネルギー供給を断たれたキューバは、やむなくソ連への接近を決断するのである。

ちなみにカストロが実施した農地改革は、所有農地の上限を約27ヘクタールに制限するもので、大農園には打撃であるが、たとえば米国自身が第二次世界大戦後に日本や日本の旧植民地で実施した農地改革に比べれば、ずっと穏健なものであった。にもかかわらず、米国政府はこの改革を「共産主義的」と決めつけ、結果としてキューバをソ連陣営へ追いやったのである。

ソ連崩壊後のキューバ・米国関係

冷戦期、ソ連は米国にこれほど近いキューバの地政学的価値を評価し、第三世界向け援助の半分をキューバ一国へ送るほど優遇した。キューバは、ソ連陣営に参加した社会主義国がソ連通貨ルーブル建てで域内貿易を行うコメコン体制に組み込まれ、ソ連・東欧をはじめとした社会主義国に砂糖を輸出し、工業製品や食料、消費者物資をそれらの国々から輸入するようになった。キューバの貿易額の7割がソ連、東欧を含めると8割がコメコン諸国との貿易であった。ソ連崩壊後、キューバは突然これらの国々との関係を失い、革命後最悪の経済危機に突入した。

米国はこの時期、キューバ革命はこの危機の中で早晩崩壊するだろうと見ていた。1992年のトリセリ法は、対キューバ経済制裁強化法であるが、これは革命体制の崩壊を早めることが目的だった。しかしキューバは持ちこたえ、その4年後に制定されたヘルムズ=バートン法(経済制裁全面解除を大統領の手から連邦議会の手に移した)によっても、体制を突き崩すことはできなかった。オバマ大統領が今回の発表で、米国の対キューバ政策は効果がない、と明言したのは、この経緯を踏まえている。

1998年に、ローマ法王ヨハネ=パウロ二世(当時)が、革命後初めてキューバを訪問した。法王は「キューバは世界に、世界はキューバに門戸を開くべきだ」と演説し、米国の経済制裁については人道に反する、と非難した。連邦議会の保守派の重鎮であったヘルムズ上院議員は、法王の批判に応え、食料・医薬品・医療材料の人道物資に限り、キューバへの輸出を認める法案を提出して、2001年に可決された。以来米国は、食料の83パーセントを輸入に頼るキューバの主要な食糧供給国となり、小麦、大豆、冷凍鶏肉などを輸出して、現在キューバの輸入相手国第4位にまで上昇している。

オバマ大統領は、就任直後の2009年に、キューバ系米国市民の多くが求めていた、キューバの親族訪問と親族送金の制限を撤廃した。年に何度キューバの親族を訪問してもよいし、滞在期間にも上限がなくなった。親族への外貨送金も制限がなくなった。年間10億ドルとも20億ドルともいわれる親族送金は、年にもよるがキューバの観光業やニッケル産業など、主要産業一つが稼ぎ出す外貨に匹敵する。危機的なキューバ経済を陰から支えているのである。

しかしオバマ大統領は、周囲の期待にもかかわらず、それ以上の対キューバ政策見直しは行わないままであった。その大きな理由は、キューバ革命後すぐに、革命に反対して亡命してきた保守系キューバ系市民の政治力である。革命後、所有していた資産を失い、あるいは革命前のバティスタ軍事独裁政権を支持していたために、キューバから米国に亡命した人々は、革命前のキューバ社会の上層・中上層に属していた。さらに米国が当時キューバからの亡命者に奨学金や雇用支援など、米国社会に定着するためのさまざまな支援を行ったため、キューバ系は短期間で米国社会に足場を築いていった。

これら初期の亡命者グループはカストロ政権に対する反感を持ち続け、米国の連邦政府に圧力をかけて、米国の対キューバ政策を通じてキューバ革命体制を打倒しようとしてきた。ソ連崩壊後、西側諸国対東側諸国という対立構造はなくなり、またキューバに対するソ連の軍事援助も停止したため、キューバが米国の安全保障上の脅威ではなくなった。しかしこの国際環境の変化が、敵対的な対キューバ政策を変えることがないよう、この亡命キューバ人の保守派は常に圧力をかけてきたのである。彼らはキューバから近いフロリダ州にとくに多く、現在もマリオ・ディアス=バラルト下院議員や、マルコ・ルビオ上院議員などを中央政界へ送り込んでいる。彼らはオバマ大統領の対キューバ政策変更にも、強硬に反対してきた。

国交正常化交渉以降の動き

2014年12月17日の国交正常化交渉発表は、オバマ大統領とラウル・カストロ国家評議会議長の両方がほぼ同時にそれぞれの国のテレビで発表する、という形を取った。オバマ大統領はその席で、キューバに対する敵対的な政策は54年間機能しておらず、むしろ関与によりキューバの民主化を促すべき、と、政策の変更について説明した。他方ラウル・カストロは、正常化交渉よりも、それに先立って実現した「5人の英雄」(スパイ容疑で米国で収監されていたキューバ人5名を、キューバではこう呼んできた)のうちまだ収監されていた3名が釈放されたことに詳しく時間を割き、また「両国は交渉の対話にあたり、互いの違いを尊重すべき」と述べ、国交正常化の目的がキューバの民主化や人権を促進することである、というオバマ大統領に対して釘を刺した。

ラウルはさらに3日後、キューバの国会に当たる全国人民権力議会の通常会期中に演説し、「オバマの公正な決定に国民ともども感謝」しつつも、経済・通商および金融封鎖(制裁のことをキューバは封鎖と呼ぶ)の解除が両国関係の改善の肝として残っていること、大統領がその権限の許す限り封鎖の緩和に動くよう求めた。17日の演説と同様、「わが国の独立と自立が侵されることがないような、双務的な形で、対等な関係を保って」交渉が行われることを望むと述べた。その直後に「当該国の国内管轄権に属する事項に介入することがないよう」と述べ、米国の民主化要求に予防線を張っている。「国家の独立や民主主義、政治体制や国際関係について、キューバと米国の両政府の間には大きな違いがあり」、その違いを相互に尊重することを米国に求めている。そのうえで、これらの条件が守られれば、どのようなテーマについても対話が可能だ、としている。つまり米国が相手国の国内政治のありように干渉する姿勢を改め、キューバの体制を尊重する態度を見せれば、どんな内容でも議論できる、ということである。これは米国の外交姿勢とは相容れない。

このすれ違いは今年1月21日にハバナで開催された第1回正常化交渉の席で、さらに鮮明になった。米国はキューバの反体制派への支持を表明し、キューバ政府が人権状況を改善するように求めた。米国のジェイコブソン代表は、ハバナ滞在中に反体制派との朝食会を計画したが、キューバ政府から止められた。キューバ側のビダル代表は、「この少人数のグループは、キューバ社会を代表しているわけではなく、またキューバ国民の利益を代表してもいない」と述べ、人権問題の改善や民主化を正面から求めてくる米国の働きかけをさえぎった。また人権問題については、昨年起こった、米ミズーリ州ファーガソンの白人警官による黒人少年射殺事件を挙げて、米国は他国の人権問題を云々するより、自国のそれを何とかすべきではないか、と反論した。

民主化や人権問題の解決を米国が持ち出せば、キューバ側は国交正常化の条件に経済制裁の全面解除を要求した。キューバ政府はここで、米国にとっては実現が非常に難しい経済制裁全面解除という高いハードルを設けたわけで、国交正常化実現のためには大変厳しい条件である。オバマ大統領は、国交正常化を単独で決定する権限が法的に保障されているが、対キューバ経済制裁の全面解除のためには、1996年に成立したヘルムズ=バートン法により、連邦議会の承認が必要となっている。ヘルムズ=バートン法は経済制裁解除の条件として、キューバが複数政党制を認め、自由な選挙を実施する準備が整ったことを確認することと、カストロ兄弟が政治権力から退くことを挙げており、どちらもキューバの現政府には受け入れがたい条件である。それでもこれらの条件は、連邦議会が達成できたと主観的に判断して承認すれば乗り越えることはできるかもしれない。

問題は、現在の連邦議会は上下院とも共和党が多数を占め、オバマ大統領の今回のキューバ政策転換についても、厳しく批判していることである。たとえばオバマ大統領がラウル・カストロ議長と共に、国交正常化交渉開始を発表した12月17日、その日のうちに、フロリダ州に次いでキューバ系が多く住む東部ニュージャージー州の州議会上院は、オバマの決定を批判する声明を発表した。まずキューバ政府の人権侵害、キューバ国内の経済的な困難に対するカストロ兄弟の責任を追及し、また革命体制が米国に脅威となっていると主張して、キューバに収監されていた米国人アラン・グロス1と3名のキューバ人スパイを交換したのは愚かな選択だった、と批判した。

フロリダ州選出のキューバ系上院議員のマルコ・ルビオは発表から3週間が経過した今年1月7日付けで、オバマ大統領に公開書簡を送り、キューバの人権状況に懸念があること、とくに発表の後で十数名の反体制派がデモをしたという理由で逮捕されていると指摘、人権状況の改善はみられないと批判した。正常化交渉の結果、両国に大使館が設置されることになった場合、彼が所属する外交委員会で駐キューバ大使の任命に反対すると言明した。

これら共和党の保守派、とくにキューバ革命に反対して米国へ亡命したキューバ系の議員たちの反対にもかかわらず、オバマ大統領は今後もキューバとの対話を進めるだろうと考える。最大の理由は近年の米国世論およびキューバ系米国人コミュニティの世論の変化である。

1990年代以降、キューバから米国へは毎年3~4万人が移民してきている。これら新世代のキューバ系は革命後に生まれた世代で、革命を人生の一部として成長した。彼らは初期の亡命世代のように革命を打倒したいという望みはなく、むしろ国に残した家族に制限なく会ったり、彼らに自由に送金したりすることを望んでいる。国交正常化や経済制裁の解除にも賛成する。革命直後に移民してきた世代が高齢化する一方で、これら新世代は年々数が増えているのである。

たとえばフロリダ国際大学キューバ研究所が2014年2~5月にマイアミのデイド郡に住むキューバ系米国人に対して実施した調査2によれば、68パーセントが国交正常化に賛成、52パーセントが経済制裁の継続に反対している。これが18歳から29歳の若年層に限れば、国交正常化に90パーセントが賛成、経済制裁の継続には62パーセントが反対となる。ただし国際テロ支援国リストにキューバが含まれていること(キューバ以外の国は現在、イラン、スーダン、シリアのみ)については、63パーセントが賛成しており、これは世代にかかわらずほとんど一定である。

さらにオバマ大統領の発表直後に、キューバ系だけでなく米国民全体に対して行われたABCニューズとワシントンポストの共同世論調査3によれば、64パーセントの国民が国交正常化に賛成し、68パーセントが経済制裁の終了に賛成し、74パーセントがキューバ渡航禁止措置の解除に賛成した。1998年の同様の調査では国交正常化に賛成したのは38パーセント、経済制裁解除に賛成したのは35パーセントだったので、関係改善に賛成する人が16年間で大幅に増加したことになる。

つまりオバマ大統領は、これらのキューバ系および米国全体の世論の変化に対応して、今回の政策変更を発表したとも考えられる。オバマは1月20日、正常化交渉の前日に行われた一般教書演説で、連邦議会に対キューバ経済制裁の見直しを呼びかけた。経済制裁解除を議会に求め、国交正常化からさらに大きく一歩踏み込んだ。この積極姿勢の背後には、世論の後押しがあるのである。共和党の保守派議員もそれぞれ自身の選挙区の動向には気を配らなければならないので、今後も関係改善に賛成する国民が増えていけば、彼らの意見も変化する可能性がある。

また2014年には、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席が相次いでキューバを公式訪問している。冷戦は終結したが、新たに米国と覇権を競いそうな大国が出現し、彼らが友好国キューバに接近しつつある現在、米国の政策転換は、新大国に対する牽制ともとれる。中間選挙が終わって1カ月後の電撃的な発表であった12月の国交正常化交渉開始発表は、もちろんオバマ大統領が選挙結果に責任を持たなくて済むようになったことが大きいが、時代の変化に即し、国際関係の変化に対応したものと考えられる。

今後の展望

1月15日に、オバマ大統領はキューバに親族がいない米国市民がキューバに送金する場合の上限額を、年500ドルから2000ドルへ引き上げた。さらにキューバ系市民を含む米国市民が米国へキューバ産品を持ち帰ることも、400ドルまでの上限つきで許可すると発表した。キューバ産品のうちキューバ産葉巻やラム酒などのアルコール類は100ドルまでとなっている。文化・学術交流や人道支援など、以前から例外として認められてきた12分類のキューバ渡航のケースについて、米財務省の許可は必要ないとした。財務省の許可申請にはこれまで手続きに数ヶ月かかっていたので、交換留学や宗教関係者や援助関係者のキューバ渡航などが、容易に実現できることになった。この発表に対して、早速共和党議員からは、キューバ政府が12月以来人権問題や民主化問題について何も進展をみせていないのに、米国政府だけが一方的に緩和策を発表していくのはいかがなものか、と批判が出たが、大統領は前述した世論の支持を背景に、反対派の声は意に介さず前進しようとしているようにみえる。

オバマ大統領の決断により、米国・キューバの関係はかなり変わることが期待される。経済制裁は前述したように、共和党が多数を占める連邦議会で承認される可能性は低い。オバマ大統領は自分が一人で決められる部分について、対キューバ政策を変えていくだろう。すなわち、国交正常化を何らかのレベルで実現すること、テロ支援国家リストからキューバを外すこと、そして経済制裁の部分的解除にあたるが、キューバに親族や姻族がいない米国市民にもキューバ渡航を認め、(渡航に伴い必要になる)キューバ国内でのドル支出を認めること、それに関連して米国銀行のキューバとの(一部)取引を認めること、革命初期から途絶している両国間の郵便サービスや定期航路を再開すること、などが考えられる。

一点目の国交正常化については、キューバが1回目の交渉で述べたように経済制裁全面解除を条件にすると、完全な正常化は難しい。米国側はとりあえず、大使館設置を実行目標にすると述べている。二点目のテロ支援国家問題は、1982年、キューバがアフリカのアンゴラに出兵し、民族主義左翼政権に加担してアパルトヘイトを実施していた南アフリカと戦い、中米のニカラグアやグレナダの左翼政権に軍事支援を行っていた、つまり「革命輸出」を行っていたことから、米国務省がテロ支援国家リストにキューバを含めたことに始まる。ソ連崩壊以来、キューバの海外での軍事的な活動はほぼ完全に停止しており、キューバ政府は過去20年間、テロ支援国から自国を外すよう、米国政府に求めてきた。

今回の国交正常化交渉は、象徴的な意味では小国キューバの外交的な勝利である。キューバ革命の民族主義と平等主義に反対して圧力をかけてきた超大国米国の断交と経済制裁に半世紀以上耐え、米国政府がその政策を引っ込めることに同意しつつあるわけであるから、実際に米国と戦火を交えて勝利したベトナムほどでないにせよ、大きな勝利であると評価できよう。

また歴史的に、キューバは米国からの武力侵攻を常に恐れてきた。米国の経済的な締め付けと同時に、軍事的な脅威がキューバをソ連に走らせた。その意味では、今回の関係改善が成功すれば、キューバにとって米国の脅威が低下することを期待できる。1月26日にフィデル・カストロは5カ月ぶりに共産党機関紙『グランマ』に不定期連載している「フィデルの省察』を掲載したが、そのなかで今回の正常化交渉にほとんど触れていないものの、最後の段落で「平和を守ることがすべての人々にとっての義務である」「米国とであれ、ラテンアメリカのどの国とであれ、平和的解決によって、国際慣習に即した合意に達するべき」と述べている。敵対的関係でも、平和的な話し合いによる解決を望む、とフィデルが言明する裏には、米国の軍事的脅威をこの機会に減らすことがキューバ革命体制の今後の生き残りにも必要だと考えているようにも読める。とくにカストロ兄弟が高齢になっている今(フィデル88歳、ラウル83歳)、彼らが生きている間に米国の武力侵攻の可能性を減らしておけば、彼らの死後、革命体制の存続がより保証されると考えたのではないかと思われる。

他方経済的には、もし米国人観光客のキューバ渡航が認められれば、観光収入が大幅に増加するだろう。現在キューバに来る300万人近い観光客のうち、3分の1にあたる100万人はカナダからの観光客である。米国人観光客がキューバに合法的に来られるようになるとすれば、少なくともカナダから来ている数くらいは米国からも来るだろう。米国からの訪問者数は、キューバ側の統計によれば10万人足らず(2013年)だが、これが10倍に増えれば、観光収入に大きなプラスとなる。

キューバは現在、2001年からベネズエラとの間にキューバ人医師とベネズエラ原油のバーター貿易を行っており、優遇価格でベネズエラ原油を輸入できている。しかし2013年にベネズエラ側でこの協定を推進していたチャベス大統領が死去し、その後もベネズエラ経済が悪化の一途をたどっているため、このキューバにとって有利な協定がいつまで続くかが不透明になっている。今回の国交正常化交渉開始のための水面下での交渉は、チャベス大統領が死去してすぐ後に始まったと報道されているが、これはキューバ側の危機感の表れである。ベネズエラに大きく依存した現在の経済を立て直すために、米国との関係改善に動いた可能性がある。

しかし、ラウルが繰り返し言明しているように、キューバ政府は米国政府に対し、「違いを認め合う」「対等な立場で交渉を」という表現で、キューバの国内問題に介入しないよう求めている。キューバ政府にとっての至上命題は、革命体制の存続である。冒頭で述べたように、キューバ国民の日常の社会の中に、米国文化や米国からの情報はほとんど血肉となって共存している。これほど近くにある米国なので、それはある意味当然のことだが、両国関係が深まって、米国からの文化的・社会的影響が深まれば、ちょうど東欧で起こったように、下からの変革が体制の不安定化につながる可能性がある。キューバ政府はそれをよくわかっていて、繰り返し米国政府に釘を刺し、米国が近づきすぎないよう、適度な距離を保っておきたい、というのが本音ではないかと思われる。つまり近づきたいが、近づきすぎると危険、という難しい舵取りを迫られるという意味で、諸刃の剣なのである。

キューバ政府にとって、今回の政策転換が諸刃の剣になる可能性があるもう一つの理由は、両国の移民問題に変化が生じることである。冷戦期に制定されたキューバ調整法などにより、キューバ人が米国に移住する際には他国よりも優遇された条件が適用される。たとえば米国の陸地に足を着いた移民希望者は、米国査証を持っていなくても米国入国が認められ(普通は強制送還である)、永住権(2年)や米国籍(5年)取得に必要な滞在期間も短い。政治亡命とみなされるからである。国交正常化が実現すると、この優遇政策は廃止されるといわれている。

キューバ経済は、既得権者の抵抗もあり、中央集権的な性格からなかなか抜け出せないでいる。大学を出ても、平均月収が18ドルの公的部門労働者の雇用はあまり魅力的ではない。キューバの若者の夢は、自分の将来に展望が持てないキューバにとどまってがんばるよりも、米国に移住することなのである。自分の夢を米国移住に賭けられるのは、上記のキューバ人に有利な移住制度が米国に存在することが大きい。国交正常化が実現して優遇政策がなくなれば、米国への移民は他国民と同じ程度に難しくなる。

革命体制に不満を持つ層は若年層に多いとされており、米国へ移民するのも若い世代が中心である。移住が難しくなってキューバにとどまらざるを得なくなった若い市民の体制への不満が高まる可能性がある。このいわゆる不満分子の国外移住による「ガス抜き」を重視するなら、キューバ政府にとって、国交正常化は実はしないほうが得策だということになる。同じことは、経済制裁にもいえる。キューバ政府は、とくにフィデル・カストロが引退するまでは、経済危機を米国の経済制裁のせいにしてきた。経済制裁がなくなれば、経済の不振を米国のせいにするのは難しくなる。したがって経済制裁も、ある意味であったほうが便利、という存在である可能性もある。

米国はキューバ革命にとって長年の仮想敵国であり、同時に普通のキューバ人にとっては、愛憎半ばする存在でもある。ある意味では米国は常に、キューバにとっての「大本命」であった。冷戦中はその本命は交響曲の重低音パートのように、キューバ外交や革命の構成要件に大きな影を落とし、主旋律はソ連だが、その底部に常に米国の音が響いているような感じだった。さらに文化的にはキューバ社会の血肉として、切っても切れない存在だったのだが、その米国がついに対外関係の主旋律に飛び込んできて、名実共に最も重要な隣国になったとき、キューバ革命体制をどのように作り上げるかが問われている。

オバマ大統領の任期はあと2年だが、その間にどこまで関係が改善するか、またこれも公式に任期をあと3年に区切ったラウル・カストロ国家評議会議長が、その間にどこまで改革を実施し、対米関係に向き合うか。カストロ兄弟の年齢問題も含め、不透明な部分も残るが、ラウル・カストロが繰り返し、今回の交渉以前から述べているのは、政府同士が「対等な交渉」「相手国の体制の違いを尊重する」ということである。他方米国政府は、キューバ政府よりも「政府に抑圧された」キューバ国民の政治・経済活動の自由を促進しようとしている。このままでは平行線であるが、今後も交渉は続くはずであり、どこかで両国が折り合えるかを注視していきたい。

 脚注

  1. アラン・グロス(Alan Gross)は2009年にキューバのユダヤ人協会に衛星通信機器を無償供与したが、この行為がスパイ行為であるとみなされ、キューバで収監されていた。米国で同じようにスパイ容疑で逮捕・拘禁されていた5名のキューバ人問題と共に、両国間の関係改善の障害になっていたが、国交正常化交渉に先立ち、グロスとキューバ人たちを同時に釈放することで障害を取り除いたのである。
  2. https://cri.fiu.edu/research/cuba-poll/2014-fiu-cuba-poll.pdf
  3. http://abcnews.go.com/blogs/politics/2014/12/poll-finds-broad-public-support-for-open-relations-with-cuba/