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タイ:FTA交渉の遅れに見る政治運営の混乱

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049622

2007年5月

2007年4月3日、日タイ両国は経済連携協定(通称日タイFTA)に署名した。同協定は2005年8月に実質合意に達していたにもかかわらず、調印まで1年以上もかかった。遅延の背景には、2006年以降、日タイFTAを含む自由貿易地域協定交渉をめぐりタイ国内を二分している論争の影響がある。いずれの国でも、FTA交渉は貿易自由化の影響をめぐって激しい議論を巻き起こす。しかしタイの場合、論争の争点が、具体的な自由化の可否から政府の政策運営の是非にまで拡大した点が特徴的である。

FTAは、クーデタで倒されたタクシン前政権の最大の外交課題だった。タクシン首相は経済自由化による競争力強化を目指し、FTA締結を積極的に進めた。交渉は首相の腹心である政治家のもとで官僚を中心に行われていた。これに対し、タイ国内では2004年頃からNGOや農民などを中心にFTA反対運動がおこった。FTA反対派は、政府が国民に意思表示の機会を与えないまま、タイ国民に不利益をもたらしかねない協定の交渉を進めることを批判した。さらにタクシン首相の進退をめぐって政治対立が先鋭化した同年3月には、首相退陣を訴える団体がFTA交渉の凍結をも主張しはじめる。こうしてFTA問題は、タクシン政権の是非をめぐる政治対立の争点に転化した。

こうした経緯から、クーデタ後に成立したスラユット政権はFTA交渉を国民に公開した。クーデタがタクシン政権の政策を「非民主的」として否定していたため、前政権の課題であったFTA政策の見直しにも着手せざるを得なかったのである。2006年11月にはFTAで不利益を被る恐れがある中小企業や農民への補償を検討する政府委員会が設置され、12月には日タイFTAに関する公聴会が行われた。公聴会で、FTAに反対するNGOは産業廃棄物取引に関する項目が日本からの汚染物質輸入を促し、タイの環境破壊に繋がると批判した。また日タイFTA調印直前には、市民団体が最高裁判所に同協定を憲法違反として提訴したほか、現在起草中の新憲法の中にFTA締結に国民了解を必要とする条文を加えるよう主張している。一方でタイの主要企業は協定の早期発効を訴えたことから、政府は国民の支持獲得と経済自由化の間で苦しい選択を迫られた。一般国民が国際通商交渉にも関与を求め始めたことで、クーデタ後の政策運営は一層の混迷を深めている。