21世紀の経済発展における政府の役割とは?

2011年2月16日(水曜)
グランドプリンスホテル赤坂  五色2階 五色の間
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主催:ジェトロ・アジア経済研究所、朝日新聞社、世界銀行

報告(2)「グローバル化する開発主義」

平野 克己 ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター長

今日の課題である開発主義国家と東アジアの関係で、まず日本との関係からお話しいたします。かつて日本は間違いなく開発主義の国家と言われていたのですが、その経験がかえって日本の成長を阻んでいるという議論が、今日本の中で強くなっています。それは、過剰な政府の介入があることによって、特に金融が自由に動かないので、むしろもっと日本の市場を自由化していく方が、日本の経済の成長を再生するに当たっては有利なのだという議論です。この開発主義経験の「桎梏」論(足かせ論)が本当なのかということを考えたいと思います。
 
地域別に世界の総輸出の中での比率を見ると、OPECが大きいのは石油危機のときです。資源価格が高いときには途上国の比率が高くなります。資源価格が高くなると、途上国の成長率は先進国より高くなるという傾向があります。しかしながら、これと全く違うパターンを取る途上国の国がありました。それが韓国を筆頭とするNIEs(新興工業経済地域)で、製造用製品を輸出することによって徐々に比率を伸ばしてきました。これを追い掛けたのがASEANです。これをまた猛烈な勢いで追い掛けているのが中国という構造です。このNIEsの前に、実は日本が輸出をがっと伸ばしてきています。これが経済学における開発主義国家論の現象だったのですが、これをどのように説明するかということです。

振り返ってみると、開発の議論というのは実は常に焦点は輸出、つまり貿易にありました。古くは南北問題というパラダイムがありました。この南北問題のときのメインの問題は、途上国が輸出している一次産品の価格を高くしろという議論でした。つまり貿易の議論だったのです。今お話ししたNIEsの台頭をいかに説明するかというのは、つまり途上国には製造業製品の輸出が可能なのか、また実際に伸びているとするとそれは一体どういう理由なのかということを説明しようとする議論でした。

これが開発の議論の中、経済学の中でどのような議論になったのか。世界銀行の1991年の開発報告のある章の題を「開発の政治経済学(The Political Economy of Development)」と命名しています。これは途上国における製造業製品の輸出の拡大を説明する議論でした。また全く同じ議論を、かの有名なジェフリー・サックスは「輸出主導型成長の政治経済学(The Political Economy of export-led glowth)」と彼は名付けています。実は世界銀行が始めた構造調整の背景にあった経済哲学が、この考え方でした。構造調整というとどうしてもネオリベラルと言われますが、実は出発点はそうではありません。それほどに世界の開発観を変える議論だったのです。
 
これを前段としまして、それでは開発主義のエッセンスとは一体何なのだろうかということについて、私なりの考えを述べさせていただきます。

どのような開発途上国も経済成長を全面に掲げていましたが、その中でNIEsはどこが違ったのか、そして開発主義の国家がどう違ったのか。結果として見ると、それは国際競争で勝てる企業の育成に成功できた国だったのです。国際競争の場で勝てるようになったからこそ輸出を伸ばせた。そういう製造業企業をつくることができた国がNIEsとして、また開発主義国家として、現在われわれが通念的に考えている国の在り方だろうと思います。

この政策は、一般に産業政策と言われますが、社会主義国家も産業政策をたくさんしたのです。しかしNIEsがやった産業政策の特徴は何かというと、国内市場の規制をなるべく少なくして自由市場を保つことよりも、国際市場での競争力を付けるということを主眼に置きました。これが恐らくは開発主義国家のエッセンスであったろうと私は考えています。

そういった特徴を持った開発主義の国家が今どうなっているかというと、これも韓国に典型的に表れていますが、チェ先生のお話にもあったとおり、グローバライズしようとしています。具体的には、それまで輸出振興が主な政策のターゲットだったものが、だんだん海外投資へと重点がシフトしています。そのターゲットが先進国市場だけではなくて、だんだん低所得への市場、案件へと広がっています。その一つは特に中国において典型的ですが、さらなる成長を続けるために資源をどうしても調達してこなければいけません。この厳しい大競争の中で資源の権益を確保しなければいけないということが、リクワイヤメントの一つとしてあります。

こういった開発主義国家の独特の国際開発への貢献をまた具体的に見ていきますと、OAD、のような援助とは少し違います。むしろ日本が最初に持っていた援助の在り方に近いものです。それは何かと一言でいうと、貿易と投資を生み出すための呼び水として援助を提供するというやり方でした。そしてもう一つ、プロジェクト指向がものすごく強いことです。具体的な物的なインフラストラクチャーを作り上げていくという指向が非常に強いという特徴を持っていると思います。

その中で、現在日本でも盛んに議論され復活してきているのが、ODAに出資機能を持たせるということです。これは中国が典型的です。このような変化の背景として、やはり中国が世界のGDPの1割経済になってきている、さらにどんどん伸びているという現実があるのだろうと思います。

そこで、国際開発の貢献ということから、この動きとODAを見てみましょう。日本が出す投資は90年代に一度ピークを迎え停滞していたのが、ここに来てぐっと伸びてきています。これには日本の市場がどんどん小さくなっていく、その中で企業が生き残りを図るとなれば、どうしても外の市場へ出ていかなければいけないということが一つと、資源調達ということがあります。これとODAの動きを見てみますと、こうして民間の投資が盛り上がっていく一方で、ODAは徐々に減ってきているのが日本の姿です。韓国は、出ていくODAが入ってくるODAを既に凌駕しています。先進国化が急速に進んでいるということが、対外経済政策でも見られます。この大いに出ていこうという韓国企業の動きにODAがついていっています。日本から比べれば韓国は理想的な姿をしています。中国はまだまだ入ってくる量は多いですが、既に今、出ていく投資がその半分ぐらいにまで来ています。

日本の旧JBIC(ODA借款)の援助ローンの動きを見ると、急速に伸びていたものが、90年代に入ると、大幅に減ってマイナスになっています。これは実は世界銀行の援助機関であるIDAと一緒に伸びてきていました。ほかの国はどんどん援助を無償化しましたから、世界でODAでローンをして開発金融をやっているのは実はずっと世界銀行と日本だったのです。この開発金融がどんどん今重要になってきているのですが、日本のODAローンはものすごい優良債権で、インドネシアや中国やタイなどにたくさん出してきましたが、それが順調に経済成長しているので遅れることなく、むしろ前倒しされてどんどん返されてきています。出しても出しても返ってくるので、収支はとんとんというのが日本のODAなのです。だから日本のODAというのは、かつて成功したがゆえに増えないという構造になっているのです。しかし開発金融を提供しているということで言えば、日本はすごく健闘しています。では中国はどうでしょうか。先月Financial Timesが中国の開発銀行と輸銀を合わせると、世界銀行(IBRD)の融資額を抜いたという記事がありました。2009年と2010年合わせて、この2つの銀行で1000億ドルぐらいを出しました。そうしますと、極めて多い開発金融が中国から途上国に提供されていることになります。もし本当に2年間で1000億ドルが開発金融として、インフラ中心、エネルギー中心で出ているとすれば、中国の途上国融資の拡大ぶりというのはものすごい勢いなのです。恐らく、やはり韓国と同じように中国もその巨大な規模において外に出ていく動きを政府が支えている、まさに社会主義的官民連携が行われていると言えると思います。

では日本の課題は何か。日本の国際開発に対して期待されている最大の貢献は、恐らく日本経済が再び成長を始めることなのです。日本経済が成長することによって、世界全体に与えていくプラスの効果は、はるかに大きなものがあります。まさに今日本がしなければいけないのは、経済成長をもう一回再生することだと考えます。

再生するためには、日本がこれまで出ていた比較的所得の高い国のみならず、低所得国へも出ていかなければいけません。投資もしなければいけない、事業もしなければいけない、インフラも輸出したいし商品も売りたいのです。日本の開発協力の在り方はどうあるべきなのかと考えると、それは日本が開発協力について再び初心に戻ることではないでしょうか。経済協力は通産(経産)省の管轄だったので、「経済協力の現状と問題点」という報告書が出ています。その中には、われわれの援助というのは高い理念に基づいて、具体的には貿易と投資を生み出すことだと書いてあります。この貿易と投資を生み出すという途上国との関係をもう一回視野に入れることが、私たちが開発主義で伸びてきた国家としての原点を見極めるということではないかと私は考えています。

具体的な政策については、次のプレゼンターである柳瀬課長にお願いしたいと思います。

平野 克己(ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター長)

平野 克己
ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター長