21世紀の経済発展における政府の役割とは?

2011年2月16日(水曜)
グランドプリンスホテル赤坂  五色2階 五色の間
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主催:ジェトロ・アジア経済研究所、朝日新聞社、世界銀行

報告(1)「Korea Diligently Running With International Economic Policies Over the Past Six Decades」

チェ・ウック氏 韓国対外経済政策研究院院長

ここでは、まず韓国の通商政策について報告します。その次に、韓国の投資政策、ODA政策、海外直接投資についてお話しし、最後に私からの評価について申し上げます。

韓国の貿易に占める製品の割合を見ていきますと、過去から随分変わってきました。1960年代、韓国は労働集約型産業の輸出が中心でした。例えば衣類や繊維などです。1970年代になりますと、重化学工業、鉄鋼、そして船舶などが増えました。1980年代になりますと、資本集約型あるいは技術集約型産業での輸出が増えてきました。半導体や自動車などです。しかし輸出のパターンはありましたが、輸入のパターンに関してははっきりとした変化はありませんでした。2009年の数字をご紹介いたしますと、輸出の3%未満が一次産品で、97%は工業製品が占めています。さらに重化学工業製品が輸出の90%以上を占めています。

1960年代以前の韓国の主な産業化政策は、輸入代替工業化でした。当時の韓国には、体系立った産業政策はありませんでした。しかし1960年代になり、大きな政策の変更がありました。1960年代の初頭、通商政策が大きく変わり、輸入代替から輸出促進へとシフトしていったのです。1960年代から1970年代にかけて、輸入は非常に厳しく管理されました。輸入を規制するため、平均関税が非常に高く維持され、さまざまな種類の特別関税も設けられました。1967年に平均関税が約40%である一方、輸入自由化比率はわずか60%でした。しかし1980年代以降、韓国政府は輸入規制を緩和させて、市場競争システムを強化していきました。輸入自由化5カ年計画が策定され、1983年から1988年にかけて実施されました。この期間で注目すべきは、輸入自由化通告制度が導入されたことです。これは成功裏に実施され、政府政策への信頼性も高まりました。その後韓国政府は、GATTやWTOなどを通じて引き続き市場の自由化を行っていきます。そして1995年、輸入自由化比率は99%に達しました。これは1967年の60%から大きく伸びています。2000年には、韓国は積極的な市場開放という政策スタンスを継続して実施しています。

このように輸出促進政策や措置を講じていくだけではなく、さまざまな通商支援制度を導入しました。例えば輸出補償制度は、輸出促進のため1969年に導入されています。1962年には、KOTRAと呼ばれる日本のジェトロに非常に類似しているものが、輸出主導的な経済発展を迅速に動かしていくことを目的に設立されています。KITA(韓国国際貿易協会)は1946年に設立されていますが、これは韓国から輸出する貿易関係の業界にかかわる人たちの利害を代表する機関として立ち上げられています。そして、海外市場への進出において重要な役割を担いました。また、韓国の輸出入銀行は1976年に設立されました。輸出入に関して中長期で信用を提供し、海外との国際的な経済協力を促し、トレードファイナンスなどを支援していくためです。

韓国は多角的貿易協定の恩恵を大いに受けていると言えます。例えばDDA(Doha Development Agenda)などです。韓国は2000年まで日本や中国のようにFTA(自由貿易協定)を全く結んでいませんでした。しかし、チリとFTAを2002年に締結して2004年に発効して以降、韓国は合わせて8つのFTAを結び、そのうち5つは既に発効しています。アメリカ、EU、ペルーの3つは議会による合意(発効)待ちです。それ以外にも、カナダ、メキシコ、6つの湾岸諸国によるGCC、オーストラリア、コロンビア、トルコ、日本との、7つのFTAが現在交渉中です。しかし日本とのFTA交渉は2004年以降中断されています。

また、韓国は中国とのFTA、そして韓国・中国・日本の3カ国でのFTAを締結すべく検討中です。またメルコスール(南米南部共同体)、SACU(南部アフリカ関税同盟)とのFTAも検討中です。


次に韓国の投資政策について見ていきたいと思います。対内・対外的な海外直接投資の政策についてです。

韓国における海外直接投資は1962年から認められていますが、1995年までその金額は非常に少額でした。というのも、韓国政府は海外直接投資よりも開発戦略において外債に依存していたからです。しかしOECDに1966年に加盟して以降、韓国政府は非常に積極的に自由化のステップをとり、サービス産業を開放するとともに、外資による友好的なM&Aを認めていく方向へと変わっていきました。韓国政府は幾つかのFEZs(自由経済区)も指定しています。これには釜山、鎮海、光陽、仁川、大邱広域市などが含まれています。こういった自由経済区が指定されることによって、より多くの外資を誘致できるようになりました。率直に言って今は非常にうまくいっている状態ではありませんが、これからの改善を期待しています。

一方、韓国の対外直接投資政策ですが、1985年まではほとんどなかったと言っていいと思います。なぜなら当時、認められてはいたものの、非常に厳しい許可制を採っていたのです。1980年代初頭に、前もって許可を取るという制度は撤廃されたものの、1986年まで対外直接投資の自由化は行われませんでした。1994年以降にさらに自由化がされ、それによって対外直接投資は飛躍的に伸びてきました。韓国の対外直接投資の48%はアジア向けです。約28%が北米向け、15%がヨーロッパ向けとなっています。


最後に韓国のODAについてです。韓国のODAは順調に伸びてきています。しかし日本、あるいはアメリカ、EU、中国などと比べると非常に少額です。2009年では、米ドルにして8億1600万ドル。これはGNIの0.1%です。そのうち71%が二国間援助、残りの29%は多国間援助となっています。無償資金協力が63%を占めており、37%は融資です。
 韓国からアジア諸国への援助は1998年から2009年にかけて減っています。1998年では韓国からのODAの83%がアジア諸国向けでしたが、2009年には54%になっています。とはいえ、依然としてアジア諸国が韓国ODAの主たる被援助国となっています。それに比べて、アフリカ諸国が5%から16%に、中南米が4%から10%に増えてきました。韓国からの援助の多くが、途上国向けの社会経済インフラの整備に使われています。

昨年1月、韓国はOECDのDAC(開発援助委員会)に加わりました。すなわち韓国は、被援助国から新興ドナー国へと成功裏にその姿を変えていった、唯一かつ最初の国なのです。

韓国は現在ODAとして、GNIのわずか0.1%を拠出しています。しかし今後、2012年までには0.15%まで増やし、2015年までには0.25%まで拡大させていきたいと考えています。 引き続き、これからもアジアは韓国にとってコアの地域となっていきます。そして、IT、グリーン成長、インフラ、ナレッジシェアリング、韓国の成長経験について共有していきたいと思っています。

韓国の経済成長における主な戦略は、輸出主導型の成長をするというものでした。この戦略あるいは政策は、輸入規制政策や政府の介入とうまく歩調を合わせていました。ファイン教授も先ほどおっしゃっていましたが、政府の介入が有効だったのではないかと考えています。

韓国学界あるいは政府関係者は、政策は非常に成功した、そして韓国の経済成長において、現在の発展を遂げるためには効果的だったが、同じ政策が果たして今のような状況の中で導入されるべきかどうかは分からないとよく言います。なぜなら、通商政策などで多くのことが規制されているような状況だからです。

チェ・ウック氏 韓国対外経済政策研究院院長

チェ・ウック氏
韓国対外経済政策研究院院長