研究者のご紹介

岡 奈津子 研究者インタビュー

「カザフスタンの民族問題について政治体制と絡めて捉える」

岡 奈津子 研究員
所属: 地域研究センター中東研究グループ
専門分野: カザフスタン政治、ナショナリズム論

カザフスタンに関心を持たれたきっかけは? なぜアジ研に入られたのですか?

大学ではロシア語を勉強していまして、就職活動をしたのが修士課程2年目の1993年でした。ちょうどその年にアジ研でロシア語ができる人を募集していると知り、応募したところ採用され、たいへんラッキーでした。私は学生時代、「日韓学生会議」というサークルに所属していた関係で韓国に興味があったのですが、たまたま同じ大学の先生がカザフスタンで発行されていた『レーニンの旗』(現『高麗日報』)を購読していて、それを日本語に翻訳する企画に誘われたのです。『レーニンの旗』はソ連の朝鮮人を対象とした朝鮮語新聞なのですが、ペレストロイカの時期にロシア語のページができたため、私はその部分の担当として参加し、翻訳作業を通して彼らの現状を知ることができました。ソ連の朝鮮人の大多数は、朝鮮半島北部からロシア極東に移り住んだのち、1937年、スターリン時代にカザフスタンやウズベキスタンなど中央アジアに強制移住させられた人々とその子孫です。私はソ連の朝鮮人というテーマに出会うことで中央アジアに関心を持つようになりました。

アジ研に入所して、最初の4年間は「中央アジアの市場経済化プロジェクト」を担当したのですが、私には経済学の素養がなかったので、何をどう研究したらよいか一番悩んだ時期でした。ただ、毎年プロジェクトのメンバーで中央アジア諸国を訪問していましたので、ソ連崩壊後間もない時期、大きく変動する現地の様子を目の当りすることができたのは、非常に有益でした。

カザフスタンではどんな経験をされましたか?

カザフスタンには海外派遣員として1999年から2年間滞在しました。カザフスタンはソ連崩壊後、他の旧ソ連諸国同様、基幹民族、すなわちカザフ人の国であることをより前面に出して国づくりをしてきました。しかし独立当時はカザフ人とロシア人の人口が拮抗しており、カザフスタン国外の研究者のなかには、カザフ人中心の国家建設に反対するロシア人が分離独立運動を起こすのではないか、さらにはロシアの介入によってそれが国際紛争化するのではないか、と危惧する人も少なからずいました。ところが、私が住んでいたころには民族問題はすでに沈静化していて、分離独立どころか、ほとんどのロシア人は民族運動には無関心でした。一方で、自分が考えていた問題設定、つまり「カザフ人対ロシア人」という構図からなかなか自由になれず、どう現状を説明すべきかうまく整理できない時期がありました。

帰国後、アジ研の地域横断的な研究会に入り、他の地域の紛争や政治体制について議論し、論文にコメントをいただく中で、カザフスタンの民族問題について「紛争が発生するとしたら、どのように起こるのか」ではなく、「なぜ今まで安定していたのか」という逆の視点から考えるようになりました。最終的には、民族運動を巧みにコントロールしている現政権のやり方に注目しました。つまり、民族運動すべてを否定するのではなく、公認の民族団体を御用団体化し、体制の支持基盤として活用するという、いわゆる懐柔策です。民族問題を論じる際に、はじめはどうしてもそこだけを見てしまいがちだったのですが、政治体制と絡めて考察することでよりうまく説明ができるようになったと思います。

現地ではどんな調査をされるのですか?現地調査で注意することは?

やはりインタビューを重視しています。私の場合、研究者、政治家、官僚のほか、民族団体の指導者や、調査目的に応じて一般の方々にもお話を聞きます。最近、諸外国からカザフスタンに移住してきたカザフ人について論文(「 同胞の『帰還』——カザフスタンにおける在外カザフ人呼び寄せ政策 」(『 アジア経済」2010年6月号 』)を書きましたが、その際には移民の方々にもインタビューしました。彼らは政府の呼びかけに応じて「帰国」したのに、期待したほど政府からの援助もなく経済的・社会的に困難な状況にあり、当初思い描いていたような生活ができていません。そういう方々にお話を伺いに行くと「話を聞いてくれた人は君が始めてだ!」と歓迎されたりもします。でも、場合によっては外国人のインタビューに応じることで、調査協力者にメリットがないばかりか、不利益が生じる可能性も否定できません。実際、ある民族団体のリーダーに「君に話をしていったい何の得になるんだ?」と言われ、返答に困ったこともあります。

最近読んだ本に「研究者が一方的な知識の収奪を行ってはいけない」とあり、私も考えさせられたのですが、協力してくださった方々に研究の成果をどう還元していくかが課題ですね。かつては、共同研究の謝礼という形で資金を提供することで、現地の研究機関の存続に貢献することもありました。でも、最近はカザフスタンも以前よりは経済的に豊かになり、むしろお金を払ってでも自分たちに必要な情報がほしいという時代になってきました。

一般に、カザフスタンは比較的治安もよく、外国人にとっても調査しやすい国です。とくに日本人の場合、カザフ人と顔があまり変わらないので道を歩いていても目立ちません。カザフ人をはじめとしてムスリムが住民の多数を占めていますが、お酒も自由に飲めますし、男女が分離されているわけでもなく、都市部ならむしろ日本より露出の多い格好で女性が闊歩しています。

今後の研究、取り組みたいテーマは?

2年ぐらい前からエスノグラフィーに関する理論書や事例研究を読み漁っています。私自身も含め、アジ研の研究者は社会学・人類学のバックグラウンドがなくてもエスノグラフィーを実践している人が多いと思うのですが、方法論を意識することで調査の質を上げたいと考えています。それに加えて、中央アジア、旧ソ連という地域の枠を越えた研究の中に自分の事例研究を位置づけたいですね。また、いままでやってきたテーマから完全に離れるつもりはありませんが、今後はカザフスタンの一般市民にとって切実で、かつ生活に密着したテーマをとりあげたいと思っています。その一つが「コラプション」の問題。腐敗は日本も含めどの国にもありますが、開発途上国においては、普通の人たちが日常生活を送る中で避けて通ることのできない問題として存在します。一般に腐敗撲滅には市場経済化が有効であると言われることが多いですが、実際には多くの旧ソ連諸国では計画経済をやめ経済の自由化を推進するなかで、むしろ腐敗が深刻化しています。人々が腐敗にどのように「参加」し、そのことをいかに認識しているかを、数値に基づく社会調査ではなく、インタビューを中心とした質的な方法によって研究するつもりです。

(取材:2010年10月7日)