研究者のご紹介

川村 晃一 研究者インタビュー

「インドネシア政治の歴史的転換期を追い続ける」

所属: 地域研究センター 東南アジアⅠ研究グループ
専門分野: インドネシア政治、比較政治学

アジ研に入られたきっかけ、インドネシアに関心を持たれたきっかけは?

アジ研に入ったのもインドネシアを担当したのも、まったくの偶然です。南北問題や途上国問題を勉強したくて米国の大学院に入ったのですが、その頃ちょうど『東アジアの奇跡』が話題になっていて、私もなぜ韓国や台湾が途上国から離陸しつつあるのかについて研究していました。帰国してそのまま博士課程に行こうと思っていたところ、アジ研の採用試験があり、運良く採用されたわけです。実は、最初の2年間は『 アジア動向年報 』のバングラデシュを担当していました。将来はインド研究をやる予定だったのですが、1998年頃インドネシアの担当者がいなくなったので、急遽、インドネシア担当に変わることになったのです。ちょうどその時スハルト体制が崩壊し、大きく時代が動き始めた時期だったので、今考えるとインドネシアの政治研究を始めるには非常に良いタイミングだったと思います。私の研究のキャリアはインドネシアの民主化と共に始まったことになります。

これまでのインドネシア研究、あるいは研究スタイルについてお話いただけますか。

インドネシアがちょうど歴史の転換期だったこともあり、私の最初の重要な仕事は、日々何が起きているかをしっかり記録することでした。その時存在した資料や事実の記録が、そのまま歴史の記述になるとの思いで、意識的に取り組みました。特に、インドネシアなど途上国の場合、資料がどんどん散逸してしまうので、アジ研のやるべき仕事としてはまず重要な資料を残すことだと思っていました。2002年に出した『 民主化時代のインドネシア 』(佐藤百合編、研究双書525)の中で私は憲法改正のプロセスを分析したのですが、この研究会ではまず、自分たち自身のためもあって『 インドネシア資料データ集:スハルト政権崩壊からメガワティ政権誕生まで 』をまとめました。私は「政治の部」を担当し、現地に行ってインドネシア語資料を集めて日本語に訳し、時系列に並べ、各資料に解説を付けるといった作業を1年半ぐらいやったわけです。これは私にとって非常に重要な経験でした。この研究会で先輩の 佐藤百合 さんや松井和久さんたちと一緒に研究を進める中で、どうやって資料を集め、それをどう使うのか、どこまで実証を徹底しなければいけないのか、どうやって緻密 な議論を組み立てていくのかといった研究の厳しさを教わりました。この研究会を通じてアジ研的な地域研究の手法を学び、地域研究の重要性を実感できましたね。この資料集は今でもちゃんと役に立っています。

私の場合、米国の大学院で一通り比較政治学の理論を勉強した後アジ研に入ったので、最初の課題は理論と実際のフィールド調査をどう結びつけるかでした。インドネシア研究の枠組みの中で一般的な理論や概念をどう使うべきか、どう修正すべきか、といったことを考えながら研究を進めました。特に政治学の中では、 民主化の問題は大きな研究ジャンルですし、他国との比較が可能です。インドネシア研究において理論と実証を結びつける作業は非常に難しいものでしたが、選挙研究ではそれが可能だし、それが必要だろうと考えて、『 アジア開発途上諸国の投票行動 』( 間寧 編、研究双書577)の中で 東方孝之 さ んとともに実証的な選挙研究に取り組んでみました。このような分析ができるようになったのは、他国と同様に、確立された選挙分析の手法が使える状況にまでにインドネシアの民主化が進んできたためと、資料の公開性が広くなったためです。まだ選挙管理委員会に足を運んで自分でデータを探す必要がありますが、議会の議事録など政治関係の資料でも自由にアクセスできるようになりましたし、インタビューも自由に出来るようになるなど、政治に関するフィールド研究がやり易くなっています。インドネシアを研究する場合、資料やインタビューはインドネシア語が基本なので、まず言葉を習得する必要があります。民主化後、本もすごい勢いで出ていて、現地の議論を知るためには、現地語で書かれた分析、評論、新聞の論説も重要なリソースです。インターネットも大分使えるようになりましたが、やはり信頼性と累積性がいま一つですので鵜呑みにせず、現地に出向いて裏を取る必要があると思います。

今回出版された『 2009年インドネシアの選挙 』(情勢分析レポート No.14)はどんな内容ですか?

私たちは1997年から大きな政治変動や国政選挙があるたびにインドネシアの情勢分析報告を出していて、今回で5冊目になります。民主化が始まる前後の激動の時代からずっとインドネシアの政治動向や選挙について同時代的に分析してきたわけですが、このような研究の蓄積は世界的にも例がないと思います。その意味でも継続的に研究成果を社会に提供する意義と義務を感じています。2009年の選挙は、これまでの選挙に比べて国内外の注目度が低かったのですが、そ れは国内情勢が安定してきたからです。だから今回の選挙は重要ではないというわけではなく、新興の民主主義国であると同時に新興の経済国として重要な時期 を迎えつつあるインドネシアにとっては非常に重要な選挙でしたので、今回の情勢分析レポートでは、現在のインドネシアを理解したうえで、将来の姿を展望で きるような分析をすることを心がけました。今回は中堅から若手の執筆者を意識的に集め、この研究成果を通じて日本のインドネシア政治研究のいまを示せればと、かなり意欲的に取り組みました。非常にまとまりの良い本になったと思います。また、インドネシアでは政府が選挙データをきちんと保存していないため、1999年と2004年の選挙データですらすでに散逸し始めています。そこで、この本の巻末に資料集として今回の選挙データも載せました。読者の方にはあわせて利用していただきたいと思います。

今関心を持っている研究、今後やってみたいテーマについて教えてください。

一つは、インドネシアの今までの民主化の経験をきちんとまとめておくことです。これまで蓄積してきた時事分析、現状分析をもう少し理論的、歴史的な観点で 位置づけなおしてみたいと思っています。もう一つは、インドネシアの議会に関する本格的研究です。民主主義国家の政策決定過程の中心の一つは議会ですので、議会でどんな審議がなされ、どういう仕組みと政治力学の中で法律が生まれているのか。また、政治制度全体の中で議会はどのように位置づけられるのか。そろそろこういった観点から議会制度を実証的に研究 あする時期が来ているのではと思っています。まずその手始めとして、『アジアにおける大統領の比較政治学』(粕谷祐子編著:ミネルヴァ書房、2010年刊)の中に、「インドネシアの大統領制—合議・全員一致原則と連立政権による制約」を書きました。また、アジ研はこれまでインドネシアの総合研究を継続的に実施してきました。この系譜を引き継いで、中進国化しつつあるインドネシアをトータルに理解するための研究会をどこかのタイミングで立ち上げたいですね。

(取材:2010年4月19日)