研究者のご紹介

森 壮也 研究者インタビュー

「「開発」のフレームワークのなかで「障害」を捉えることの重要性」 

所属: 新領域研究センター 貧困削減・社会開発研究グループ長代理 主任研究員
専門分野: 開発経済学(特に産業組織論、産業政策)、フィリピン経済、障害と開発

これまでの研究について

アジ研に入所し、最初の配属が「アジア工業化プロジェクト」。「フィリピンを担当する若手がいない」ということで、フィリピン経済史関係の本をボンと渡され「これを読んでおけ」と言われたのが始まりでした。大学院では多国籍企業について勉強していたのですが、フィリピンについてはまったく一からのスタートでした。当時1988年ですが、フィリピン経済がどん底からなんとか立ち直ろうとしているという時代でした。それまでの政権が倒れ、アキノ政権に国民が期待をかけていた新しい時代でした。今考えると、新たに研究に取り組むには非常に良い時期だったと思います。アジ研にはフィリピン研究の先輩が大勢いましたので色々教えていただくことができました。

工業化プロジェクトでは、最初はフィリピンの製造業全体について研究していました。後にフィリピンの地場企業と日本・欧米系進出企業の産業組織論的な比較研究を始めました。フィリピンに進出していた製造業の多国籍企業は圧倒的に日本の家電・自動車産業で、日本から中小の部品企業も進出していました。もともと地場の部品企業もかなりあったので、フィリピンやタイ、インドネシアも含めた域内展開で「どの部品を日本から持ってくる」、「どの部品は現地で作る」、「日系進出企業がどの部品を作る」「全くローカルの企業が作る」というようなバランスやパターンについて研究していました。現地での企業や業界団体、管掌 政府機関等でのヒアリング、日本の海外事業本部や部品企業などでのインタビューがとても面白かったですね。日本での生産を諦めて、社長さんひとりでフィリピンに飛んで、現地での生産に特化している中小企業の方にもお会いしたことがありました。

最近「障害者と開発」の研究に傾注されていますが、その経緯を教えてください。

40歳頃になって「今のままでいいのだろうか?」と考えていたところ、ちょうど世界銀行で障害者問題をプロジェクトの中で主流化する動きがあり、アジア開発銀行でも「障害と開発」のワークショップがあったのです。現地調査に行った際、タイミングよくこのワークショップに参加できたのですが、「これは私がやらなければならない」と一種の使命感に駆られました。というのは、このワークショップには障害の専門家はいましたが、途上国の事情や政策に通じた人、経済や開発の専門家の参加が非常に少なかった。このままでは大変なことになると思ったのです。

私自身も開発と障害について勉強する必要がありました。でも、当時アジ研ですら障害の問題は社会福祉の枠組みの中でしか認識されていませんでした。「障害だけでは範囲が狭すぎる。社会的弱者全体を広範に研究してほしい」と言われ、なかなか業務として取り組むことができなかったのです。「開発と障害」は「社会福祉」というより、「女性と開発」と同様にクロスカッティングな視点から取り組む必要があります。なかなか理解されず、何度が研究提案を繰り返した後、やっと2005年に研究会「開発問題と福祉問題の相互接近:障害を中心に」を組織することができました。この研究成果は『 障害と開発:途上国の障害当事者と社会 』として刊行されています。

前回の研究会「 障害者の貧困削減—開発途上国の障害者の生計 」では、フィリピンの障害者調査を行う際、フィリピンの障害当事者団体の協力を得、当事者も調査員として採用し実施しました。フィリピン開発研究所 (PIDS)がカウンターパートになってくれました。ここの開発研究者と当事者たちが一緒に調査に参加しました。これは、世界銀行でさえやっていない画期的調査方法です。この調査についてはフォトエッセイ「 フィリピン障害者のエンパワメント 」で紹介しているので是非ご覧ください。現地の障害の当事者が研究に参加することは、途上国ならではのバリアーの把握という意味でも非常に重要だと思います。

現在実施中の研究会「 南アジアの障害者 」も含め、私が組織してきた研究会では、私以外にもう一人女性の障害当事者を委員として入れることで、ジェンダーバランスも取っています。「障害と開発」の研究ベースは「ディスアビリティスタディーズ」という新しい研究分野です。福祉の場合、障害者の向こう側にいて「助けてあげる」というイメージですが、ディスアビリティスタディーズは当事者の視点で社会がどうなっているのか、どうおかしいのか、といったことを重視しています。今年度はインド、ネパール、パキスタン、バングラデシュを調査する予定です。

森さんはろう者というディスアビリティとどう向き合っていますか?

いろいろありますが、たとえば、アジ研に入った当初、私を一人で現地調査に出してくれませんでした。一人で外出するのもダメ。いつも先輩研究者と一緒でした。最初の一回目ぐらいならわかりますが・・・でもある調査出張の時、たまたま一人で渡航して調査データを持ち帰ったことがあり、それからやっと単独でも 行かせてもらえるようになりました。今思えば、「危ない」という視点が「障害を持っているから危ない」と「ヒヨっ子だから危ない」が、ごちゃ混ぜになっていたのだと思います。たとえば、フィリピンには庶民に一般的なジープニーという小さな乗り合いバスがありますが、危ないからということで日系企業等の人は乗りません。「危ない、と言われたら乗らないほうがよい」で終わってしまいます。私の場合、現地の人と同じ視点になるにはジープニーにも乗らなければならない。乗り方がわかればいいんです。聞こえない人は聞こえない人なりの乗り方を覚えればいいのです。降りるときには「パラ」というのですが、聞こえない人の場合、車の天井を叩きます。現地のろう者なりのルール、やり方、それなりの生き方をしているわけです。そういったことを知らないと重要な部分がすっぽり 抜け落ちた研究、政策になってしまいます。その意味でも現地の障害当事者に調査依頼をし、彼らと一緒にやることで非常に得るものがあります。

障害研究に関しては、障害者のいろんなネットワークとパイプを持っていることがプラスになっています。ろう者とはどこででもコミュニケーションが取れます。いろんな国でいろんな手話を少しずつ学んでいったので、いくつかの途上国の手話ができます。手話も国によって違うので、日本手話とアメリカ手話の手話間での通訳を頼まれることがあります。国際手話は、各国の手話とはまた異なり、ジェスチャーよりはスタイライズされたコミュニケーション様式ですが、国際手話通訳のボランティアも10年程やっています。

最近は障害問題について国際機関の諮問会議等でもご活躍ですね。

先週、日本で「第7回ASEAN・日本社会保障ハイレベル会合」(厚生労働省主催)があり、私は途上国の障害問題専門家として参加しました。これまでの研究や障害者統計の作成の経験からの発言をしたのですが、今後、国連・ASEANの開発援助や統計作成等への協力の仕事が増えそうです。また今月末から来月始めには、国連で、ミレニアム開発目標に対して障害を考慮に入れた評価指標も検討される専門家会議があり、専門研究者として招かれています。「誰かがやらなければ」と思ってこれまでやってきたことが今役立っています。途上国の障害問題に取り組む研究者が非常に少ないのが現状です。協力者や仲間を増やすために外部から講演や講義の要請があれば喜んで行っています。

(取材:2009年9月7日)