研究者のご紹介

川上 桃子 研究者インタビュー

「台湾の産業・企業から世界の製造業システムの姿が見えてくる」 

川上 桃子 研究員
所属: 新領域研究センター 技術革新と成長研究グループ長代理
専門分野: 台湾を中心とする東アジアの経済、産業、企業。

台湾の企業研究を始めたきっかけは?

1991年にアジ研に入所した時は「もっとも深刻な開発問題にとりくみたい」と思い、担当国の希望調査のときには、バングラデシュを一番に選びました。ですので、台湾の経済予測の担当に配属された時にはずいぶん戸惑いました。すでに中進国の段階にある、人口2,000万人強の小さな島の経済を研究するということが、入所当時に私が抱いていた「アジ研で働く」ことのイメージからはかけ離れていたからです。ところが、台湾の経済は非常にダイナミックで、知れば 知るほど、魅力的な研究対象でした。私が「企業」という存在に興味を持っていたことも、台湾との相性がよかった理由ではないかと思います。企業は、利潤を 追求する営利組織という普遍的な性格を持っていますが、実際の企業は、それぞれの社会のしくみや歴史的な文脈に埋め込まれた存在です。また、企業は経済発 展の原動力であり、個々の企業が能力を高め、企業と企業のリンケージが深まっていくなかから、産業の発展が実現されます。台湾経済のダイナミズムにふれるうちに、「経済発展を支える企業の成長という現象を、企業間のリンケージの役割に注目して分析したい」という問題意識を持つようになりました。

これまでどんな企業を調査されてきたのですか?

90年代初めに台湾の日系企業の調査で自動車や電子製品の企業調査に行ったのが出発点です。その後、1995年から2年間台湾に滞在した際には、靴、スポーツ用品、電子製品の工場をずいぶん回りました。靴工場を訪問すると、老板(らおぱん)(社長)が手ずから烏龍茶をいれてくれ、何時間もかけて、自分の半生を語ってくれるようなことがよくありました。貧農の家に生まれ、靴工場の徒弟から裸一貫でたたきあげて、小さいながらも自分の工場を持ち、下請けから徐々に企業規模を拡大して、中国に大きな工場を持つまでになったといった話を、誇りをもって語ってくださいましたね。最近の研究につながるパソコン産業の調査を本格的に始めたのは、この5年ほどですが、IT企業の人たちとの出会いも新鮮でした。靴産業で出会った方たちの孫の世代にあたるわけですが、お互いを「ステファニー」「クリストファー」と英語名で呼び合い、仲間うちでも英語でメールのやりとりをするようなスマートな人たちです。とにかく皆さん超多忙 で、若い人たちでも分刻みのスケジュール。アポが取れても数分おきに携帯電話が鳴ってインタビューがまったく進まなかったり、相手が徹夜明けでぐったりしていて質問をするのがためらわれたりしたこともあります。企業調査を通じていろんな世代の人と出会い、圧縮された台湾の経済発展史を垣間見ることができるのは、非常に面白いです。

どんな方法で調査されるのですか?

私の研究にとってインタビューは非常に重要です。それだけに今でも、試行錯誤の連続です。台湾は政府統計や民間調査機関のデータなどがよくそろっていますが、私が知りたいのは「企業間の分業はどのように組織されているのか?個々の企業の成長にとって、企業間関係はどのような役割を果たしているのか?」といった文献資料がほとんど存在しないことがらです。ですので、できるだけ多くの企業インタビューを行い、それを積み重ねて私なりに産業の全体的な構図の「見取り図」のイメージを作ります。そしてそれを持ってもう一度、インタビューさせていただいた人たちに会い、確認をしたり、議論を発展させたりするという方法をとっています。ある時期まではひたすら教えを乞うばかりで、質問ばかりしていたのですが、あるとき、企業の方に「あなたが私たちとの面会から何を 得ているのか、もっと我々にもフィードバックしてほしい」と言われて、眼が覚めたんです。それからは、調査がある程度進んだ段階で、インタビューさせていただいた方達を再訪し、自分の仮説やその段階で分かっていることを討論する機会を持つよう心がけるようになりました。そこからさらに議論が広がり、新しい発見が得られます。

関心を共有している2、3人のチームでの調査も楽しいです。他の人のインタビューのしかたを見るのは勉強になりますし、後でお互いの思い込みを修正しあえるという大きなメリットがあります。

今まとめている研究は?

これから2つの研究成果を出す予定です。一つは私が主査を務めた「 国際価値連鎖のダイナミクスと東アジア企業の成長 」研究会の成果で、2010年冬に Palgrave MacmillanのIDE-JETRO Series として刊行されます。この研究会は、 二輪車研究会IT研究会 のコアメンバーが集まって2007-08年度に実施したものです。 国際価値連鎖論 を 議論の出発点として、自分たちがこれまで行ってきたフィールドワークの材料をもとに、グローバルな産業内分業のなかの途上国企業の能力形成のメカニズムを解明するという課題に挑みました。メンバー間でとても活発な議論を重ねましたし、国際価値連鎖論のリーダー的存在である Timothy Sturgeon 氏にも共編者として深く関わってもらいました。もう一つは、昨年度行った私の個人研究「 受託生産取引を通じた後発国企業の成長メカニズム-台湾ノート型PC製造業研究 」の成果です。台湾の産業は、かつての靴や雑貨から近年のIT製品まで、先発工業国企業との受託生産取引を通じて発展を遂げてきました。その最も華やかな成 功例であるノート型パソコン産業を題材に、受託生産を通じて台湾企業の成長がどのように実現されたのかを、産業の主なアクター間の関係に焦点をあてて分析したものです。一冊の本をまとめるというのは、論文を書くこととは違う楽しさと難しさがあると思いました。

今後やりたい研究は?

私にとって台湾は、常に変わらぬ研究上のインスピレーションの源泉です。米国や日本、中国との分業体制のなかに深く組み込まれた台湾の企業や産業を見ていると、世界の製造業のシステムが見えてくるように思います。圧縮された経済発展を遂げてきただけに、後発工業国の発展を考えるうえでのヒントがたくさんつまっています。台湾という魅力的なフィールドから、後発工業国の産業や企業の発展を考えるうえで重要な研究課題を切り出して、分析していければいいな、と思っています。とにかく、台湾経済の変化の早さに取り残されないようにしないと。ノート型パソコン産業にしても、ここ数年は、ネットブック市場を中心に、台湾のブランド企業が躍進を遂げていて、明らかに産業発展の新たな段階に入ってきています。本当に「台湾、恐るべし!」という感じです。

ほかにも、台湾の労働市場や雇用システム、大型のビジネスグループ、地方経済の状況など、おもしろいテーマはたくさんあります。でも、研究の引き出しをたくさん持っている研究者に憧れるのですけれど、いましばらくは、台湾をフィールドとし、経営学や組織の経済学のツールを勉強しながら、世界の製造業の分業システムのなかでの後発工業国企業の成長について考えつづけていきたいと思います。

(取材:2010年6月21日)