研究者のご紹介

宇佐見 耕一 研究者インタビュー

「開発途上国における福祉国家論研究」

宇佐見 耕一 研究員
所属: 地域研究センター ラテンアメリカ研究グループ長
専門分野: 社会保障制度、福祉国家論 (アルゼンチン)
アルゼンチンを中心としたラテンアメリカの社会保障制度、福祉国家論。ラテンアメリカやアジア等の新興工業国における比較社会保障制度論、福祉国家論。

アルゼンチン研究、特に「社会保障制度」を専門にしたきっかけは?

学生時代にはメキシコの19世紀経済史を専攻していてメキシコにも留学しましたが、アジ研に入ってからアルゼンチンを担当するようになりました。ラテンアメリカの文化は、メキシコのような先住民の要素が強い「インド・アメリカ」、ブラジルのようにアフリカの影響が強い「アフロ・アメリカ」、ヨーロッパ移民が多い「エウロ・アメリカ」の3つに主に分けられますが、アルゼンチンはエウロ・アメリカに属します。メキシコとは対照的で面白いと思いました。同じスペイン語でもイタリア式アクセントのなまりがすごく強くて、最初は戸惑いました。中世スペイン語の名残もあって普通の辞書にも出ていないような単語や動詞の活用があります。

海外派遣でアルゼンチンに2年間滞在した際、貧富の格差を痛感しました。ヨーロッパ系3世であっても伝統を守って家の中ではフランス語を使うような上流層から、ビジャ・ミセリアといわれる下流層まで貧富の差が激しく、強い印象を受けました。経済危機が起きたとき、極寒の中で子どもが父母に抱えられて毛布一枚で過ごしていて正視できなかったことを覚えています。結局、こんな経験から「社会保障制度」「福祉国家論」をメインテーマに選び、方法論も勉強し始めたわけです。

途上国の福祉国家論とは?

1990年代に、理論面では先進国の「福祉国家、資本主義」の多様性について議論されるようになっていましたが、それまで途上国の社会福祉について相対的に捉える研究は非常に少なかったと思います。開発途上国のなかでも韓国や台湾といった新興工業国では社会保障制度が急速に拡大したのもこの時期以降でしたので、東アジアとラテンアメリカの社会福祉について研究することになりました。この成果が 『新興福祉国家論-アジアとラテンアメリカの比較研究』 (2003)です。福祉国家ではない国を福祉国家というのはおかしい、スウェーデンのような国が福祉国家だという意見がありましたが、先進国と同様の制度があっても新興工業国の不十分性・欠陥を含めた制度についてその特色や背景を表現したかったのです。先進国とは異なる政治環境、たとえばポピュリズム政権、軍事政権、あるいは一党支配のなかで、同時期にどんな福祉制度ができたかを比較研究してみました。

今回の『 21世紀ラテンアメリカの左派政権:虚像と実像 』は政治的アプローチ

ラテンアメリカは、広大ですが多様性がありますが、同時に政治経済の面でよく同一の潮流がみられます。1990年代には市場機能を重視する新自由主義経済政策が取られ、当初は民衆も支持していたように思います。しかしこの政策が失業問題や貧困問題を解決してくれない、むしろ格差を拡大させたということで、21世紀になると左派政権が次々と登場しました。この本は、左派政権誕生の背景や現政権がどのような言説を用いて経済、社会、外交政策を展開していくのかといった、今起きている現実についてまとめたものです。その結果、ラテンアメリカ左翼政権間の類似性とともに、様々な違いがあり決して一律ではないことがわかりました。ベネズエラ、アルゼンチン、ボリビアのような急進的な国は90年代に民営化したものを国営に切り替え、市場に対してもかなり介入を強め、社会政策の拡張を進めていますが、ブラジルやチリの場合は国際ルールに則った穏健な左派政権で、市場主義を全面的に否定しているわけではない。このような左派政権の実像と虚像について理解が深まればと思っています。このような本が出せたのは、アジ研では日本で一番ラテンアメリカ研究者が多く、現地とのネットワークも太いからだと思います。ことあるごとに集まって議論ができる環境にあります。

今関心のあるテーマは「高齢化問題」、「ソーシャルジェロントロジー」(社会老年学)

ラテンアメリカでも着実に高齢化が進んでいます。高齢者に対してどのような生活保障制度を構築するか、公的制度だけでなく、市場、NGO、市民セクター、家庭はどこまでケアでき、どこができないのかといった研究、すなわち「ソーシャルジェロントロジー」に関心があり、今度はアジアとラテンアメリカの新興工業国の高齢化社会の比較分析をしようと考えています。ラテンアメリカは歴史的にアジアより社会保障制度の発達が早く「早熟な福祉国家」と呼ばれています。経済発展よりも先に社会保障制度、労働者保護制度を大きくしてしまった国がある。それに対してアジアは経済発展を優先し、経済水準が高まって民主化してから急速に社会保障を拡大させている。そういう形成過程の差、戦略の差が面白いと思っています。

(取材:2009年1月14日)