資料紹介:生体認証国家――グローバルな監視政治と南アフリカの近現代――

アフリカレポート

No.56

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050150

資料紹介:キース・ブレッケンリッジ 著 堀内 隆行 訳 『生体認証国家――グローバルな監視政治と南アフリカの近現代――』

■ 資料紹介:キース・ブレッケンリッジ 著 堀内 隆行 訳 『生体認証国家――グローバルな監視政治と南アフリカの近現代――』
牧野 久美子
■ 『アフリカレポート』2018年 No.56、p.15
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生体認証技術は、こんにち、私たちの日常においてありふれたものとなっている。指先を軽くあてるだけでさまざまな操作を行えるスマートフォンは、その最も身近な例である。生体認証によって生活はより便利になり、他人による「なりすまし」防止という安心感も提供される。その一方で、その技術にどこか不安や得体の知れなさを感じてしまう人が多いのは、生体認証が犯罪捜査や「テロ」対策といった、国家による監視や管理のための道具ともなりうるからである。 本書は、このような二面性をもつ生体認証のルーツを、南アフリカとそれをとりまく植民地帝国の歴史のなかに探る試みである。国家による指紋の大規模な収集とデータベース化が、今から100年以上も前にいち早く試みられ、そして(数々の失敗ののちに)初めて技術的に完成したのは、アパルトヘイトの歴史をもつ他ならぬ南アフリカにおいてであった。

本書の議論で最も特徴的なのは、著者が生体認証国家を、従来の「文書国家」の延長線上にではなく、むしろそれと対立する、新たなタイプの国家として位置づけていることである。文書国家の中核には官僚による書記行為があり、市民権は読み書きの能力と深く結びついてきた。それに対して生体認証国家は、もともと、イギリス帝国内の読み書きできない臣民の身元を判別する欲望によって動機づけられたものであったと著者はいう。読み書きができ、文書により身元確認される市民と、読み書きができず、身体により身元確認される臣民とは、当初から明確に分断されていたのである。そしてその境界線は、まさに南アフリカにおいて最も極端に現れたように、しばしば人種的なものであった。

関連するもう一つの重要な論点は、生体認証統治のグローバルな配置に見出される植民地帝国の痕跡である。現在、グローバル・サウスに属する多くの国々で生体認証による市民登録が広く行われているのに対して、欧米諸国での実践は限定的なものにとどまっている。この不均等に著者が与える説明は、生体認証国家の出現が、統治対象の人びとのことを深く知る意思も能力ももたない「門衛国家」としての植民地のあり方と根源的に結びついていたから、というものだ。

南アフリカに関する記述が中心ではあるが、本書は生体認証という新たな角度からの国家論として書かれており、多くの読者に開かれている。ぜひ一読をお勧めしたい。

牧野 久美子(まきの・くみこ/アジア経済研究所)