時事解説: 2015年エチオピア総選挙——現政権圧勝後の展望——

アフリカレポート

No.53

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■ 時事解説: 2015年エチオピア総選挙——現政権圧勝後の展望——
児玉 由佳
■ 『アフリカレポート』2015年 No.53、pp.62-67
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はじめに

2015年5月24日、エチオピアでは総選挙が行われた。エチオピアの総選挙では、通常、国会下院にあたる人民代表議会(House of People’s Representatives)と9つの州レベルの議会(州議会:Regional State Councils)の選挙が同時に行われる 1 。エチオピアでは、儀礼的な役割を果たす大統領については下院が候補者を指名し、上院と下院の合同議会で3分2以上の票をもって承認される(憲法第70条) 2 。連邦政府の最高行政権を持つ首相の場合は、国会下院議員から選出される。また、下院で最多数の議員を擁する政党もしくは政党連合が政府の権力を与えられる(憲法第73条)。本稿では紙幅の関係上、州議会の結果は扱わず、国政に大きな影響を及ぼす国会下院の選挙結果に限定して分析を進めたい 3

エチオピアは、1991年に、エチオピア人民革命民主戦線(Ethiopian People’s Revolutionary Democratic Front: EPRDF)が、社会主義を標榜していた前政権を武力で打倒するという大きな政治的変動を経験した。1995年には、EPRDFのもとで新憲法が施行され、エチオピア連邦民主共和国が発足し、第1回総選挙が行われた。今回の選挙は、EPRDFが政権を握ってから5回目の総選挙となる。過去4回の総選挙では、いずれもEPRDFが大勝してきた。本稿では、今回の選挙結果を概観したのち、現在のエチオピアの政治状況を検討する。

なお、EPRDFは全国レベルの戦線(front) 4 として登録されており、ティグレ州、アムハラ州、オロミヤ州、南部諸民族州において地域政党として登録された独立の4つの政党によって構成されている。具体的には、ティグライ人民解放戦線(Tigray People’s Liberation Front: TPLF)、オロモ人民民主機構(Oromo Peoples' Democratic Organization: OPDO)、アムハラ民族民主運動(Amhara National Democratic Movement: ANDM)、南エチオピア人民民主戦線(South Ethiopian Peoples' Democratic Front: SEPDM)である 5 。それ以外に、EPRDFではないがEPRDFに協力的な政党が現在7つある。これらの政党は、特定のエスニック・グループのための地域政党として、または上記4つの党の活動地域以外の州の地域政党として登録されている。党の規模は小さく、今回の選挙での内訳は不明だが、第4回総選挙(2010年)では、ソマリ人民民主党(Somali People’s Democratic Party: SPDP)の議員が24名当選しているのみで、それ以外の党の当選議員は一桁にとどまっている 6 。中には、大臣を輩出している党もあるが、EPRDFとの具体的な協力関係については不明である。
1. 第5回エチオピア国会下院選挙結果
2015年6月29日、エチオピア全国選挙委員会(National Electoral Board of Ethiopia: NEBE)は、第5回総選挙における国会下院選挙には、52の登録政党の党員と無所属の9人が立候補し、選挙登録した3680万人のうち93%にあたる3440万人が投票したと発表した[Addis Fortune 2015]。投票権のある18歳以上の人口を考えると、85%が実際に投票したと考えられ、投票率も高かった。

今回の下院選挙では、選挙が延期されて未確定の1議席(2015年6月29日現在)を除いたすべての議席をEPRDFと同党と協力関係にある諸政党が獲得するという、EPRDF側の圧勝となった 7 。具体的には、EPRDFが500議席、EPRDFに協力的な政党が46議席を獲得して、547議席中546議席をEPRDF側が占めた。政府系新聞のエチオピアン・ヘラルド紙(Ethiopian Herald)は、この結果を「EPRDF地滑り的勝利(Landslide Victory)」という見出しで報じた[Ethiopian Herald 2015a]。

したがって、国会下院における野党の議席は前回の1議席からゼロとなった。また、EPRDFとその協力政党以外の政党の得票率も低い。死票が多いといわれる小選挙区制だが、有効投票数3320万票に対して野党の合計は170万票で全投票数の5.1%に過ぎない。その中では、エチオピア連邦民主統一フォーラム(Ethiopian Federal Democratic Unity Forum: Medrek)が100万票以上を集めており、ついでセマヤウィ党(アムハラ語で「青」を意味する)が続く[Reporter 2015a]。Medrekもセマヤウィ党も、選挙過程と結果に対しては、公正でも自由でもなく、信頼できるものではないとして、結果の受け入れを拒否している[Ethiopian Herald 2015b, Ethiopian News Agency 2015]。

なお、Medrekは、前回2010年の総選挙で唯一の議席を獲得した政党連合である[Finfinne Tribune 2010]。2009年に正式に8つの政党による政党連合としてNEBEに登録されている。そのうちの1つに、民主正義統一党(Unity for Democracy and Justice: UDJ)がある。UDJは、野党が躍進した2005年の第3回総選挙で野党最大の109議席を獲得した統一民主主義連合(Coalition for Unity and Democracy: CUD)の後継党である[Finfinne Tribune 2009]。一方、セマヤウィ党は、2012年に政党として登録された比較的新しい党である。セマヤウィ党メンバーの多くは、後述する2005年第3回総選挙の結果に対する抗議運動に参加していた活動家であったとされる[UNHCR 2014]。
2. 第1回から第5回国会下院選挙結果の推移
下掲の表は、第1回から今回までの国会下院議員選挙結果の変遷である。エチオピアの国会下院選挙は小選挙区制で、5年に一度行われる。これまでの選挙結果でもEPRDFが大多数の議席を獲得しているが、2005年の選挙だけは、EPRDFとその協力党以外の政党が議席の32%を占めており、大きく議席数を伸ばした。これらの政党は、選挙結果を不服として、2005年11月にアディスアベバで大規模な抗議デモを行った。それに対して警察が発砲し、約200名が死亡、何千人もの人々が逮捕された[UNHCR 2014]。さらにこの選挙で最大野党となったCUDの主な指導者たちや、100人以上のジャーナリスト、人権活動家そして援助活動家らも、国家転覆罪の容疑で逮捕された[EIU 2006, 13]。この後、反EPRDFである政党関係者やメディアへのEPRDF政府による抑圧が強化されていった 8 。この2005年の総選挙後の政治的混乱が、現在のEPRDFの一党優位の状況を強化したといえる。

国際人権団体などの報告を参照しても、エチオピアの政治体制は抑圧的といえる。ジャーナリスト保護委員会(Committee to Protect Journalists: CPJ)によると、エチオピア政府によるジャーナリストの逮捕者数は、2013年には7名であったところ、2014年には17名と2倍以上増え、中国、イラン、エリトリアについで逮捕者数で世界第4位となっている。また、検閲の厳しさに関しても世界第4位である[CPJ 2014, 2015b]。

表 第1~5回 エチオピア国会下院選挙結果
表 第1~5回 エチオピア国会下院選挙結果
(注)*南部諸民族州のGinbo Gewtaの選挙区での選挙が6月14日に延期されたため。結果は現段階で不明である。
(出所)第1回:Meier (1999, 383)、
 第2回:Inter-Parliamentary Union(http://www.ipu.org/english/parline/reports/arc/2107_00.htm, 2015年9月4日アクセス)、
 第3回:Carter Center (2009, 6)、
 第4回:NEBEホームページ(http://www.electionethiopia.org/en/announcement.html, 2015年7月1日アクセス)、
 第5回:NEBEホームページ(http://www.electionethiopia.org/en/home.html, 2015年7月30日アクセス)
ただし、エチオピア政府にとっても、今回の選挙で100%の議席を獲得したことは予想外の結果だったと思われる。選挙後の政府の行動は、EPRDFが非民主主義的な政権ではないということを国内外に印象付けようとしているようにも見える。

たとえば、政府系英字新聞のエチオピアン・ヘラルド紙は、2015年6月26日付の社説として、「エチオピアの民主主義は強い野党無くして繁栄できるのか?」(“Can Ethiopian Democracy Thrive without Strong Opposition?”)と題した記事を掲載し、野党待望論を繰り広げた[Ethiopian Herald 2015b]。この社説は、もしEPRDFが選挙結果を操作したのであれば、多少の議席を野党に渡すぐらいのことはしたと述べ、今回のEPRDFの議席独占という結果は、国民の選択の結果であるとしている。また、有力な野党がいなければ民主主義は育たないと語り、2005年の総選挙で、国会下院の3分の1の議席を得た野党が、民主主義的な形でEPRDFに対抗する機会を自ら失ったことを惜しんでいる。そして、与党が全議席を取るという結果は、政府の民主主義に対するコミットメントに疑義を呈されることになるので、有力野党の出現を望むという文で記事は終わっている。英語で発信しているエチオピアン・ヘラルド紙においてこのような議論を展開することで、EPRDF政権は国際社会に対して懐柔を図っているとも考えられる。

さらに、総選挙が終了して影響力が低下したという判断もあっただろうが、EPRDF政権は、政治犯として逮捕していた人々を複数釈放した。裁判所は、テロや扇動の罪に問われて2013年4月に逮捕されていたインターネットのブロガー5人に対して、7月8日に罪状を取り下げて釈放し、続く9日には同様の罪で2011年6月に逮捕され、懲役14年の判決が下っていたコラムニスト1名を、控訴審で5年の執行猶予に減刑して釈放したのである[CPJ 2015a]。
3. 選挙に対する国際的反応
エチオピア政府は、今回の選挙監視については、アフリカ連合監視団(African Union Observation Mission: AUBM)のみ参加を認め、2005年や2010年の選挙監視に参加していたEUやアメリカの参加は認めなかった[Human Rights Watch 2015]。AUBMへの参加者以外の外交官が選挙を監視することができなかったことに対して、在エチオピア・イギリス大使は批判している[Reporter 2015b]。

なお、AUBMの総選挙に対する評価は、民主主義の側面で改善は見られるとし、選挙は「静かで、平和的で信頼できる」(“calm, peaceful and credible”)と結論付けている[Horn Affairs- English 2015]。国際人権NGOであるヒューマン・ライツ・ウォッチは、この評価に対して、選挙の評価で一般に使われる「自由で公正」(“free and fair”)という言葉を使用していないことを指摘し、選挙が民主的に行われていなかったのではないかという疑問を投げかけている[Human Rights Watch 2015]。

しかし、EUやアメリカのエチオピア政府への外交姿勢は、批判と支援の二面性をもっている。上のイギリス大使の批判にも見られるように、これらの国々は、現政権の抑圧的性格を認識して批判している[USAID/Ethiopia 2012, Voice of America 2013]。2013年には、EU議会派遣団も、投獄されているジャーナリストや政治活動家の早期釈放をエチオピア政府に求めている[Associated Press 2013]。しかしその一方で、エチオピアの隣国であるソマリアや南北スーダンなど、政治的に不安定な国々に対する外交での重要な役割をエチオピアに期待していることもあり、欧米諸国は押し並べて今回のEPRDF圧勝という選挙結果を歓迎し、積極的に援助や軍事的支援を進めている。たとえば、2015年7月27日のオバマ米大統領のエチオピア訪問時の合同記者会見の演説でも、このような外交姿勢は明白だった。オバマ大統領は、演説の前半でエチオピアへの経済援助と軍事的パートナーシップを強調する一方で、最後の部分でエチオピアへの注文として、ガバナンスならびに人権や民主主義の向上について言及していた[White House 2015]。このように、欧米諸国は、現政権の抑圧的な性格を認識しており、人権問題改善のプレッシャーをかける一方で、援助や軍事的協力を提供しているのである。
おわりに
今回のEPRDFの完全勝利ともいえる選挙結果を考えると、EPRDF政権の野党側に対する圧倒的優位は当面続くであろう。ただし、この政治的安定は、順調な経済成長に対する国民の評価だけではなく、EPRDFへの対抗勢力の逮捕や拘束などの長年の抑圧的な政策によってもたらされたものでもある。

現在エチオピアは順調な経済成長を続けているが、農村部から都市部への人口流入や経済格差も拡大しつつある。野党側が議席を大幅に増やした第3回総選挙の結果は、国民の潜在的な政府への不満が表面に現れたものといえる。今後経済成長が鈍化していった時に、人々の不満をEPRDF政権が解消していくことができるのかが、今後の政権の試金石となるであろう。

《参考文献》


(こだま・ゆか/アジア経済研究所)

脚 注


  1. エチオピア全国選挙委員会(NEBE)の総選挙(General Elections)に関する記述を参照。
    ( http://www.electionethiopia.org/en/ethiopian-election/election-system.html , 2015年9月3日アクセス)
  2. エチオピアの国会は上下二院制で、上院である連邦議会(House of Federation)と下院である人民代表議会で構成される(憲法53条)。前者は、各エスニック・グループの代表者が議員である。上院の議員は、州議会によって選出されるか、州内での直接投票によって選出される。1つのエスニック・グループに対して最低1人の上院議員が選出される。人口100万人に対して1議席ずつ追加されていくため、エスニック・グループの人口規模が大きいほど多くの代表者が選出される(憲法第61条)。
  3. なお、州議会での結果も、後述する国会下院の選挙結果と同様、EPRDFとEPRDFと協力関係にある政党がすべての議席を占めた。(NEBEホーム—ページ: http://www.electionethiopia.org/en/home.html , 2015年7月16日アクセス)
  4. エチオピア全国選挙委員会は、登録上連合(coalition)と戦線(front)を区別している。しかし、その区別は明らかではなく、どちらについても独立したステータスを持つ複数の政党が「共通の目的をもって、連合または戦線を形成する」と記述している。そのため本稿では、EPRDFを便宜上政党連合と呼ぶ。なお、複数政党が一つの組織として統合されている場合は、同盟(union)とされる。
    ( http://www.electionethiopia.org/en/political-parties.html , 2015年8月17日アクセス)
  5. NEBEホームページ( http://www.electionethiopia.org/en/political-parties/active-political-parties.html , 2015年8月17日アクセス)
  6. NEBEホームページ( http://www.electionethiopia.org/en/announcement.html , 2015年7月1日アクセス)
  7. 2015年7月30日にNEBEのホームページにアクセスした時点では第5回総選挙の結果は記載されていたが、その後白紙となっている。9月4日に確認した時点でも同様であり、最新の結果は不明である。( http://www.electionethiopia.org/en/home.html )
  8. このような政府による抑圧は第3回総選挙のあとだけではなく、第2回2000年の選挙の前後にも行われている。Pausewang et al.[2002]は、その当時の日常的な政府の抑圧状況を報告している。