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韓国憲法裁判所と法の支配──尹錫悦大統領の弾劾審判
Guarding the Republic through the Rule of Law: The Constitutional Court of Korea in the Impeachment of President Yoon Suk Yeol
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001385
浅羽 祐樹
Yuki Asaba
2025年5月
(9,784字)
「12・3戒厳」は重大な憲法違反
韓国憲法裁判所は2025年4月4日に「被請求人(大統領・尹錫悦[ユン・ソンニョル])を罷免する」という決定(2024憲ナ8)を裁判官8名全員一致で宣告した。韓国では歴史的出来事を日付で表し、記憶・継承するが、尹錫悦大統領が2024年12月3日に非常戒厳を宣布し、国会や中央選挙管理委員会に軍を投入した出来事は「12・3」といわれている(浅羽 2025a;2025b)。「12・3」は国家緊急権の乱用であり、国民主権や権力分立などを根幹とする自由民主主義体制を脅かし、「民主共和国」(憲法第1条第1項)の主権者である「大韓国民」(憲法前文)の負託に背いたというのが憲法裁判所の判断である。1987年に民主化し、憲法が改正され、翌88年に憲法裁判所が設置されて以来、8名の大統領のうち3名が国会で弾劾訴追され、2名(もう1名は朴槿恵[パク・クネ])が憲法裁判所による弾劾審判を経て罷免されたことになる。
韓国憲法では、大統領が「職務執行において憲法や法律に違背した場合」(第65条第1項)、国会は在籍議員3分の2の以上の賛成で大統領を弾劾訴追できる。弾劾されると大統領の権限行使は直ちに停止され、国務総理、企画財政部長官、教育部長官の順にその権限を代行する。そして、憲法裁判所(定員9名)が弾劾審判をおこない、裁判官6名以上の賛成があれば認容(罷免)される。憲法裁判所は2004年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の弾劾審判(2004憲ナ1)において、法令違反の事実を認めつつも、選出職の大統領を罷免するほど重大ではないとして棄却した。この決定は、単なる法令違反ではなく、憲法守護の観点から違反が重大か、国民の信任を失ったかに基づいて判断するという弾劾審判の先例になった。
尹大統領の弾劾審判において、非常戒厳の宣布、布告令の発令、国会や中央選挙管理委員会に対する軍の投入はいずれも憲法や戒厳法に全面的に違反し、国民の期待を完全に裏切ったというのが憲法裁判所の判断である。
第1に、「戦時・事変、またはこれに準じる国家非常事態」(憲法第77条第1項)という戒厳宣布の実質的要件は客観的に確認されなければならないところ、尹大統領が挙げた「国会の専横」という理由は「顕著に非合理的あるいは恣意的な判断」(憲法裁判所「2024憲ナ8」決定文、31頁)にすぎず、それに該当しない。また、国務会議の審議、国会への通告という戒厳宣布の手続き的要件も満たしていない。
第2に、「国会と地方議会、政党の活動、政治的結社・集会・示威など一切の政治活動」などを禁じた布告令は、国会の権限を侵害し、「複数政党制」(憲法第8条第1項)、代議制民主主義、権力分立に違反する。戒厳時において「特別な措置」をとることができるのは「政府や法院(裁判所)」(同第77条第3項)だけと限定されている。さらに、国民の基本権を「必須不可欠の最低限度」以上に制限するものである。
第3に、国会に対する軍の投入は、唯一、戒厳解除を要求できる憲法機関の権限行使を妨害するものである。「議員を引き摺り出せ」という指示、国会議長や主要政党の代表などに対する逮捕者リストの作成は国会議員の不逮捕特権や令状主義に反する。また、中央選挙管理委員会に対する軍の投入はその独立性を侵害するものであり、1960年の憲法改正以来、選挙管理を政府から独立した憲法機関に委ねてきた趣旨にもそぐわない。さらに、「国家の安全保障と国土防衛という神聖な義務を遂行することを使命とする」(憲法第5条第2項)軍を国会や中央選挙管理委員会に投入したことは、「政治的中立性」(同上)に違反する統帥権(同第74条第1項)の行使である。
この政軍関係のあり方は国会の訴追事由にはない点であり、それだけ憲法裁判所が重視したといえる。訴追事由にない法令違反についても、憲法裁判所は裁量で判断することができる。
このように、法令違反については裁判官8名全員一致の判断であり、一部、判断が割れた朴槿恵大統領の弾劾審判(2016憲ナ1)とは異なる。各裁判官の個別意見は刑事訴訟法の準用の仕方や国会の弾劾訴追権について補充意見として示されただけである。刑事裁判では、刑事訴訟法第312条第1項が2020年に改正され、被告人が同意しない供述調書は法廷では証拠として用いられないようになったが、弾劾審判では「憲法裁判の性質に反しない限度において」(憲法裁判所法第40条第1項)刑事訴訟法を準用することが確認され、供述調書の扱いは「却下」の事由とはされなかった。
国家緊急権乱用の歴史
戒厳などの国家緊急権は本来、国家の存立が脅かされる非常事態が生じ、国家権力の通常の行使の仕方では到底対処できない場合に限って例外的に認められるものである。その場合、権力が大統領に集中し、むしろ憲法価値や国民の基本権を侵害する恐れがあるため、その内容、効力、限界、統制手段を明記し、乱用を防止している。韓国では国家緊急権が乱用され、軍と自国民が対峙した「苦い歴史的経験」(憲法裁判所「2024憲ナ8」決定文、75頁)があるため、民主化後、「(二度と)政治的目的で乱用されないと信じていた国民は大きな衝撃を受けた」(同上、81頁)。
奇しくも、映画『ソウルの春』や作家ハン・ガン(2016)の『少年が来る』やノーベル文学賞受賞記念講演「光と糸」(ハン・ガン 2024)が注目されるなか、「前回の」戒厳の記憶が韓国の人々には鮮明だった。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が死亡した翌日、1979年10月27日に宣布された非常戒厳は、翌80年5月18日に済州島も含めた全国に拡大され、81年1月24日に解除されるまで456日間続いた(四方田 2022)。この間、全斗煥(チョン・ドゥファン)や盧泰愚(ノ・テウ)らの「新軍部」は「12・12(粛軍クーデタ/反乱)」(79年)を通じて軍の実権をまず掌握したうえで、「光州事態」「5・18」(80年)を武力で鎮圧し、国会解散、代替立法機関の設置、憲法改正を経て、全斗煥は81年2月25日に第12代大統領に就任した。
この権力奪取の過程は、民主化後、権威主義体制期の不正、特に国家暴力の問題を正す「移行期正義(transitional justice)」のなかで再評価/再審された。「光州事態」が「光州民主化運動」として位置づけ直されたことで、「成功した軍事クーデタ」も法の裁きを受けた。「不正の是正を遅延させること自体が新たな不正である(Justice delayed is justice denied)」という法諺があるが、1997年4月17日、大法院(最高裁判所)は一連の過程が「内乱」(刑法第87条)に当たるとして、「首魁」の全斗煥と「重要任務従事」の盧泰愚に対して、それぞれ無期懲役と懲役17年に処するという判決(96ト3376)を言い渡した。内乱罪の構成要件は「国憲紊乱」目的で「暴動」を起こしたかであるが、国会解散は「憲法によって設置された国家機関を力で以て転覆またはその権能行使を不可能にすること」(同第91条)に該当し、戒厳の全国拡大によって「ひとつの地域の平穏を害する程度」以上の有形の暴行・脅迫や基本権が侵害されるという畏怖心が生じたとみなした。その後、まもなくして、全と盧は最後まで謝罪しなかったにもかかわらず、赦免された。
この他にも、憲法裁判所は李承晩(イ・スンマン)大統領による釜山政治波動(1952年)や朴正煕大統領による維新体制の樹立(1972年)を国家緊急権の乱用の事例として挙げている。前者は国会議員を連行して憲法改正を強いた後に大統領に再任した例、後者は大統領ただ一人に権限を集中させ、一切の牽制や批判を許さなかった例である。いずれも、リーダーが自らの権限を拡大したり、その在任期間を延ばしたりするために起こす「自主クーデタ(self-coup/autocoup)」に該当する。軍事クーデタとは異なり、「成功した自主クーデタ」はこれまで一度も裁かれていない。
「12・3」(2024年)は「戒厳」「内乱」「自主クーデタ」という性格を同時に有しているが、憲法裁判所で確定したのは「戒厳が重大な憲法違反であるため、尹錫悦大統領を罷免する」という側面だけである。「失敗に終わった自主クーデタ」を内乱として裁くかどうかは法院に委ねられていて、一審のソウル中央地方法院における審理は2025年4月14日に始まったばかりである。「内乱首魁」の被告人は「数時間の内乱がどこにあるのか」と起訴事実を全面否認し、大法院まで徹底して争う姿勢を示している。刑事事件であるため、事実認定は合理的な疑いを超える程度に確実であることが必要で、立証責任は検察側にある。その際、「国会への軍の投入はその権限行使を損ねた」「布告令によって国民の基本権は直ちに広範囲に侵害された」という憲法裁判所による事実認定がどこまで受け継がれるかが注視される。
写真2 光州の国立5・18民主墓地
「政治の問題」にいかにアプローチするか
大統領と国会の間の機関間対立、与野党の間の党派的対立は、二元代表制(大統領制)や複数政党制に必然的にともなう「政治の問題」(憲法裁判所「2024憲ナ8」決定文、84頁)であり、民主主義の原理や機制に則って解決が試みられなければならない。にもかかわらず、尹錫悦大統領は国会を「犯罪者集団の巣窟」とこき下ろし、「反国家勢力を一挙に剔抉」(同上、112頁、元は尹錫悦大統領による戒厳宣布の談話)するとして軍を向けた。「すべての政治的見解はそれぞれ相対的な真理性と合理性を有しているとみなす多元的な世界観」(同上、83頁)においては本来、大統領も国会多数派の野党も、「共にガバナンスを担うパートナー」として互いに認め合い、「寛容と自制」「対話と妥協」(同上、85頁)の姿勢で臨むべきだった。しかし、「自分だけが正しい」として、相手を悪魔化し、排除しようとする「相互拒否の支配(vetocracy)」がこの間ずっと前景化していた。
尹大統領は就任(2022年5月)から弾劾訴追(24年12月)までの2年7カ月間で法案に対する拒否権を25回行使した。この回数は、民主化以降、7名の大統領(や代行[高建(コ・ゴン)])が行使した計16回(盧泰愚[7回]、盧武鉉[4回]、高建[2回]、李明博[イ・ミョンバク][1回]、朴槿恵[2回]、金泳三[キム・ヨンサム]・金大中[キム・デジュン]・文在寅[ムン・ジェイン]の3名は0回)を上回る。拒否権は国会の立法権に対する大統領の牽制手段であるが、25回のなかには、尹大統領自身や婦人の疑惑に関する特別検察官設置法に対する拒否権行使も含まれている。弾劾訴追後の2人の代行、国務総理の韓悳洙(ハン・ドクス)や企画財政部長官の崔相穆(チェ・サンモク)もそれぞれ8回、9回、拒否権を行使した。
また、国会の人事聴聞会の対象になっている公務員の人事において、与野党の対立で報告書が採択されない場合でも任命した例が29件に上り、過去最多である。国務委員(行政各部[省]の長官[閣僚]を兼任)や放送通信委員会委員長などのポストは、国務総理、大法院長(最高裁判所長官)・大法官(最高裁判所判事)、憲法裁判所所長、監査院長とは異なり、任命にあたって国会の同意が憲法上必要なわけではないが、人事「強行」、国会「軽視」に映った。
逆に、2020年総選挙・24年総選挙に相次いで圧勝した野党「共に民主党」が過半数議席を占める国会も、総選挙の選挙制度を与党「国民の力」の同意を得ることなく改めるなど「立法改革/立法独走」を進めた。大統領が拒否権を行使し、国会の再議決で否決されることが確実視される法案も、繰り返して提出・議決された。
人事においても、外交部長官(2022年9月)や行政安全部長官(同年12月)、さらに国務総理(23年9月)に対する解任建議をおこなうなど国会は対決姿勢を示した。3件いずれにおいても尹大統領が受け入れないと、国会は行政安全部長官(23年2月)を皮切りに弾劾訴追を連発した。非常戒厳の宣布までに発議されたのは22件であり、そのうち14件は検事に対するものである。そのなかには、共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表の事件に関わる検事も含まれている。その後、尹大統領や韓悳洙国務総理など8名に対する弾劾がさらに発議されたが、最終的に憲法裁判所で審判・決定された11件のうち、「認容(罷免)」になったのは尹大統領の1件だけである。
拒否権にせよ、弾劾訴追権にせよ、憲法上、大統領や国会それぞれに認められた権限であることは間違いない。ただ、それを「フルに」行使するかはまったくの別問題である。尹大統領も、国会多数派の野党も、法、手続き、合法性のリミットを試すかのように「ハードボール(constitutional hardball)」(Tushnet 2004)を互いに投げ合うなかで、「ゲームのルール」、民主的規範を共有しているという意識が弱まっていった。
もちろん、だからといって非常戒厳という「他の手段」(クラウゼヴィッツ 2001)が正当化されるわけではないし、「どっちもどっち」というわけでもない。しかし、「政治の問題」がそれにふさわしいかたちでアプローチされないと、軍や司法という別のドメインに転じてしまいかねないということは確かである。結局、尹大統領と国会多数派の野党の間の対立は戒厳軍の国会投入という事態に帰結し、「憲政危機(constitutional crisis)」が生じたが、その解決は憲法裁判所が担った。
憲法裁判官の選び方
尹錫悦大統領の政治的生命だけでなく、「民主共和国」としての韓国の命運も左右した憲法裁判所は9名の裁判官で構成される。大統領、国会、大法院長が3名ずつ選出し、所長だけは国会で同意を得る必要がある。任期は6年であり、大統領(5年)や国会(4年)より長く、大法院(6年)と同じである。
憲法裁判所は法律の合憲性、弾劾、政党解散、機関間の権限争議、憲法訴願の5つの審判を分掌しているが、権限争議以外の4つの審判における「認容」決定には裁判官6名以上の賛成が必要である。尹錫悦大統領の弾劾審判の場合、決定宣告時、欠員1名で8名体制だったため、各裁判官の意見が「5(罷免)対3(却下)」に割れると、法廷意見は「棄却」になる状況だった。こうしたなか、誰に選ばれたのか、これまでの審判においてどのような意見を表したのかによって、裁判官をそれぞれ保守・中道・進歩に分類する「チラシ(噂)」が飛び交った。特に、意見が割れた放送通信委員会委員長(2024憲ナ1)や韓悳洙国務総理(2024憲ナ9)の弾劾審判のいずれにおいても、「法令違反がないため棄却」、または「却下」という意見を表した鄭亨植(チョン・ヒョンシク)・趙漢暢(チョ・ハンチャン)・金福馨(キム・ポッキョン)の3名の裁判官は「保守」と目された。鄭亨植は尹大統領が選出した唯一の裁判官、趙漢暢は「国民の力」推薦で国会が選出した裁判官、金福馨は尹大統領が任命した大法院長によって選出された裁判官である。
尹大統領の弾劾事件を憲法裁判所が受理した2024年12月14日当時は、欠員3名の6名体制だった。国会選出の裁判官3名(そのうち1名は尹大統領が国会の同意を得て23年11月に所長に任命)が24年10月17日に同時に退任したが、後任が選出されていなかった。所長も欠けていたため、先任順で文炯培(ムン・ヒョンべ)裁判官が代行を務めていた。6名だと、本来、決定はおろか審理すらできないが、審理充足数を定める憲法裁判所法第23条第1項について、放送通信委員会委員長の弾劾審判のなかで効力停止仮処分が同月14日に決定された状況だったため、弁論準備手続きは12月27日におこなわれた。
国会選出の3名をどのように選出するかについて明示的な法規定はなく、慣行も一定ではない。過去6回の例において、政党間の配分は「与党1名、野党1名、与野党合意1名」が3回(2000年・06年・12年)、「与党1名、野党1名、議会第3党1名」が2回(1988年・2018年)、「与党2名、野党1名」が1回(1994年)である。「共に民主党」は国会議席数の差を根拠に「野党2名、与党1名」を主張した一方で、「国民の力」は「与党1名、野党1名、与野党合意1名」で対抗するなかで、決着がついていなかった。
尹大統領の弾劾訴追後、2024年12月26日、国会は「野党2名、与党1名」ということで鄭桂先(チョン・ゲソン)・馬恩赫(マ・ウニョク)、趙漢暢の3名を選出した。しかし、大統領代行の韓悳洙国務総理は「代行の権限行使は自制されるべきだ」として誰も任命しなかったため、翌27日に弾劾訴追された。2人目の大統領代行に就いた崔相穆企画財政部長官は31日、鄭桂先と趙漢暢の2名だけ任命したが、馬恩赫については与野党間の合意が確認されないとして任命しなかった。この任命拒否について、国会は権限争議を提起し、憲法裁判所は25年2月27日に裁判官8名全員一致で違憲と決定(2025憲ラ1)した。にもかかわらず、その後も1カ月以上、2人の大統領代行は馬恩赫を任命しなかった。結局、尹大統領の罷免が決定された後、4月8日になってようやく、弾劾審判が棄却されて3月24日に再び大統領代行に就いた韓悳洙が馬恩赫を任命した。
韓悳洙は馬恩赫の任命と同時に、4月18日に退任する大統領選出枠の裁判官2名の後任を指名した。それに対して効力停止仮処分申請がおこなわれ、憲法裁判所は同月16日、裁判官9名全員一致で認容すると決定(2025憲サ399)したが、韓悳洙やその辞任にともない3人目(延べ4人目)の大統領代行に就いた李周浩(イ・ジュホ)教育部長官は指名を撤回していない。そもそも6月4日に第21代大統領が就任する前に、大統領代行が憲法裁判官を指名したことは異例である。朴槿恵大統領の弾劾・罷免前後で憲法裁判官2名が退任した際、大統領代行の黄教安(ファン・ギョアン)国務総理が大統領選出枠の裁判官1名の後任は指名せず、大法院長選出枠の裁判官1名の後任だけを任命したことと対照的である。
このように個別裁判官の選出や選出方法そのものが争点になるのは、誰が裁判官になるかによって憲法裁判所の決定が変わるという認識を、大統領、国会、大法院長、各政党、そして韓国国民が共有しているからである(林智奉 2020a;2020b;2023;大林・見平 2016)。
非選出部門の存在意義
憲法裁判所も、大統領、国会、大法院などと同じように、韓国憲法によって設置され、権限が授けられた国家機関である。憲法裁判は単審制であり、上訴や憲法訴願(国家機関の作為・不作為によって基本権を侵害された国民が憲法裁判所に救済を求める制度)をおこなうことが一切できない。それだけ憲法問題に関する終局的解決が期待されていると同時に、その決定が憲法の趣旨に合致し、当事者だけでなく広く社会的に受け入れられるかが問われている。
尹錫悦大統領を罷免した決定について、韓国国民の69%は「正しい」と判断している一方で、「誤り」という見方は25%にとどまっている(韓国ギャラップ「世論調査結果(2025年4月第2週)」)。決定宣告の直前、「弾劾賛成」と「弾劾反対」の回答がそれぞれ57%と37%だったことを踏まえると(韓国ギャラップ「世論調査結果(2025年4月第1週)」)、全般的には高い評価といえる。ただ、保守層(39%:56%)や「国民の力」支持層(24%:70%)では、「正しい」よりも「誤り」が上回っている。さらに、憲法裁判所に対する信頼(「信頼する」61%:「信頼しない」31%)も、保守層(33%:60%)や「国民の力」支持層(22%:70%)では絶対的に低い(韓国ギャラップ「世論調査結果(2025年4月第2週)」)。制度としての憲法裁判所に対する評価が党派性によって割れると、「憲政秩序の守護者」という憲法裁判の機能が損なわれることになりかねない。
韓国憲法裁判所は多国間比較において司法積極主義(judicial activism)の例として理解されている(浅羽 2024、第6章;在日コリアン弁護士協会 2010;李範俊 2012;曽我部・田辺 2016)。1988年9月に設立されて以来、2025年3月末までの36年7カ月の間に、法律の違憲審査(judicial review)において1205件の「違憲」「憲法不合致」「限定違憲」「限定合憲」の決定をおこなった。月平均2.7件という頻度である。国民に直接選出された国会において過半数の賛成で成立した法律について、国民から選出されたわけでもない裁判官9名の判断によって、直ちに違憲・無効にするというのは一体どういうことなのか。あるいは、変形決定(直ちに違憲・無効にせず、法律改正の方向性と期限を示して立法裁量を認める「憲法不合致」、法解釈の指針を示す「限定違憲」「限定合憲」)を通じて、国会や法院との間で「対話」を試みるのはなぜなのか(佐々木 2013)。さらに、国民に直接選出された大統領を任期途中に罷免するという決定はいかに正当化されるのか。
選挙で選ばれた多数派とはいえ、多数決で決めたとはいえ、権力を恣意的に行使すると、少数派や個人の基本権を侵害し、憲政秩序そのものを危機に晒す恐れがある。そのため、あえて選挙で選ばない少数の専門家に審判を委ねている。審判は、ゲームがルールに則っておこなわれているかを判断し、違反なプレーを取り消し、危険なプレーヤーは退場させる。その際、観客やファンの声も聴かないことになっている。公正に審判するためには、その時々の「民心(民意)」からの独立も重要だからである。そもそも、こうしたルールにしたのは、このゲームのオーナー、「民主共和国の主権者である大韓国民」(憲法裁判所「2024憲ナ8」決定文、87頁)である。
「大韓民国は民主共和国である」(憲法第1条第1項)という自己規定は、1919年の「3・1運動」(憲法前文)を受けて成立した大韓民国臨時政府の臨時憲章に遡る(國分 2025)。それは、王政復古の拒絶や植民地支配からの解放だけでなく、権力行使の恣意性を排除し、国家機関が相互に牽制し合うことで均衡を図り、国民の基本権を保障することを本旨とする。一方、尹大統領は在任中、「法治」を繰り返し強調したが、「法と秩序(law and order)」や「法律や命令による支配(rule by law)」、さらには「人治」とほとんど同義だった。戒厳宣布の理由に挙げた「自由民主主義体制」、「自由民主的基本秩序」(憲法前文、同第4条)において重要なのは「法の支配(rule of law)」であり、それこそがリベラリズムの核心である。
奇しくも、民主主義のありようについてさまざまな指標で計るV-Demはポスト「12・3」の韓国について、「自由民主主義(liberal democracy)」から「選挙民主主義(electoral democracy)」へ「後退(autocratization/democratic erosion)」したと判断した(V-Dem 2025)。EIUの指標でも、「完全な民主主義(full democracy)」から「欠陥のある民主主義(flawed democracy)」へ変化したと位置づけられた(EIU 2025)。戒厳が解除され、弾劾訴追がおこなわれたため、「民主主義体制の崩壊(democratic breakdown)」や「専制体制への移行」は瀬戸際で踏みとどまったかたちである。
韓国民主主義の「死に方」(レビツキー・ジブラット 2018)、いや「生き延び方」は、政党間だけでなく、有権者の間でもさらに深刻化している分極化や「政治の問題」について、憲法の枠組みのなかでいかにアプローチするかにかかっている。
写真の出典
- 写真1 VoiceOfSoul(CC BY 3.0)
- 写真2 Ulrich Lange(Bochum, Germany)(CC BY-SA 3.0)
- 写真3 Constitutional Court of Korea(©Constitutional Court of Korea)
参考文献
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- 헌법재판소[憲法裁判所](2025)“2025. 2. 27. 2025헌라1 국회와 대통령 간의 권한쟁의(대통령 권한대행의 국회 선출 재판관 임명부작위 사건)[2025. 2. 27. 2025憲ラ1 国会と大統領の間の権限争議(大統領権限代行の国会選出裁判官任命不作為事件)]” 헌법재판소[憲法裁判所]ウェブサイト.
- 헌법재판소[憲法裁判所](2025)“2025. 3. 24. 2024헌나9 국무총리(한덕수)탄핵[2025. 3. 24. 2024憲ナ9 国務総理(韓悳洙)弾劾]” 헌법재판소[憲法裁判所]ウェブサイト.
- 헌법재판소[憲法裁判所](2025)“2025. 4. 4. 2024헌나8 대통령(윤석열) 탄핵[2025. 4. 4. 2024憲ナ8 大統領(尹錫悦)弾劾]” 헌법재판소[憲法裁判所]ウェブサイト.
- 헌법재판소[憲法裁判所](2025)“2025. 4. 16. 2025헌사399 효력정지가처분신청[2025. 4. 16. 2025憲サ399 効力停止仮処分申請]” 헌법재판소[憲法裁判所]ウェブサイト.
著者プロフィール
浅羽祐樹(あさばゆうき) 同志社大学グローバル地域文化学部教授。Ph.D (Political Science).専門は比較政治学、韓国政治、司法政治論。著書に『比較のなかの韓国政治』(有斐閣、2024年)、『韓国とつながる』(有斐閣、2024年、編著)、『はじめて向きあう韓国』(法律文化社、2024年、編著)、『韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる』(朝日出版社、2024年、編著)など。