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岐路に立つタイ王室――難航するメディア戦略、揺らぐ「タイ式民主主義」

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051892

2020年11月

(7,667字)

「拝啓、ワチラーロンコーン陛下」。2020年11月8日に開かれたデモのテーマは、「国王への手紙」だった。王宮宛て専用の即席ポストに投函された溢れんばかりの手紙は、人々が良くも悪くも王室に高い関心を寄せていることを物語っている。

君主制は、タイ社会の背骨として重要な役割を果たしてきた。政治・経済・社会に絶大な影響を与え、特に前国王プーミポン(在位1946~2016年)の「お言葉」は、国民の生活の指針とされてきた。しかし今タイでは、王室改革を求める声が日増しに大きくなっている。タマサート大学の学生が主催するデモで8月10日に発表された、王室財産のあり方や王室崇拝教育の廃止などを求める「10項目の要求」は、それまでタブーであった王室批判を真っ向から行ったものとして、国内外に大きな衝撃を与えた。

写真1 2020年9月20日の王宮前広場での集会。後ろに見えるのは王宮。

写真1 2020年9月20日の王宮前広場での集会。後ろに見えるのは王宮。
タイ社会の漸次的変化

タイに不敬罪があることを知る人は多いだろう。刑法112条の通称で、2014年クーデタ以降、取り締まりが強化される傾向にあった。これは、スキャンダルが多い現国王ワチラーロンコーン(在位2016年~)への批判を封じ込めるための強化、という単純な話ではない1。不敬罪の検挙数はプーミポン前国王の治世末期から急増しており、2007年には1年間で126件、2009年には164件にも上った。それまでで検挙数が最も多かった1977年ですら36件だったことに鑑みれば、異常なまでの増加である(Streckfuss 2011)。現在の「王室改革」の要求や、SNSに溢れる王室批判の書き込みは、そうした前国王の治世末期からの一連の流れが表面化した出来事とみるべきである。

そうであるなら、一体なぜ、民衆と王室の関係性の変化が顕在化したのか? その背景は何か? 本稿は、現在の政治混乱の背景には、「タイ式民主主義」というタイ社会の根幹をなしてきた考え方の揺らぎがあるという視点に立つ。そのうえで、タイ式民主主義を支えてきた王室のメディア戦略と、王室を取り巻く人的ネットワークという2点の変化から、タイの現状を概観したい。

「タイ式民主主義」とはなにか

現在展開しているデモを理解するためのキーワードのひとつは、「タイ式民主主義」である。タイは、絶対王政崩壊以来低迷していた王室の威信を回復するために尽力したサリット・タナラット(首相在任1959~1963年)以降、「タイ式民主主義」を掲げてきた。これは端的に言えば、国王の信託を得た者(多くの場合軍部)が、民衆の幸福のために政治を行うのが良いとする考え方である。タイにおける「民主主義」は、選挙によって民衆(下)の意見を反映させるものではなく、上から与えられるものであった。国王に政治的権限を持たせることを正当化する考え方でもあるため、「タイの民主主義は伝統的王権とコインの裏表」という指摘もある(Kobkua 2003)。

この「タイ式民主主義」を守る2つの砦は、軍と憲法裁判所である。前者の軍は、選挙でなくクーデタによって実権を握った自分たちが政治の主導権を握るという、本来の民主主義とは矛盾する体制を維持するために、これを利用してきた。引き換えに、軍に「信託」を与える国王を守護する役割を担ってきた。一方、後者の憲法裁判所は、近年その役割の重要度が増してきた。1997年憲法以降、裁判官は就任の宣誓において国王に忠誠を誓う。枢密院2のメンバーと同様のこの行為は、王室と憲法裁判所が強力な結びつきを有することを示している(Mérieau 2016)。裁判官たちは、国王に忠誠を誓った後で民衆や法律への忠誠を宣言する。この序列は、法律の適用すら国王の意向に左右されるのではないか、という疑念を生む要因となっている。

王室のメディア戦略――行幸と映画

「タイ式民主主義」は、上の者、つまり頂点に君臨する国王が民衆の意見を十分に吸い上げ、それを尊重しているとみなされている時には安泰である。だからこそ、国王には国民に寄り添うパフォーマンスが不可欠となる。前国王プーミポンが、民衆に近しい存在として語られ、人々が抱える問題を解決する「現人神」として崇拝されたのは、自分をそのように見せることに成功したからだ、ともいえる。

前国王プーミポンは、メディア戦略に長けていた。その手法は、70年という長い治世のなかで様々に変化してきたが、すべての基盤は治世の前半に展開された地方行幸と、それを伝えた「陛下の映画」にある。

地方行幸は、最盛期には年間平均250日行われた、前国王が最も重視した公務である。ただし、実際の訪問回数は離宮のある県に偏重している。それにもかかわらず、「各地に行幸して国民と近しく触れ合う」姿は、前国王の中心的イメージになり得た。行幸する国王の姿は、「陛下の映画」を通じて爆発的に拡散したからである。

「陛下の映画」は、言うまでもなく、国王が主役のニュース映画である。後に宮内事務所長官を務めたケーオクワン・ワッチャロータイが、すべての公務に随行して撮影したこの映画フィルムは、1962年までの間に17本の映画となって、全国各地で巡業上映された(櫻田 2017)。

特に、1955年の東北部行幸、1957年の北部行幸、1959年の南部行幸の様子を撮影した映画は、重要な意味を持っていた。歓声のなか入場してくるプーミポン前国王夫妻、民衆による国王讃歌の斉唱、湧き上がる万歳三唱、そして静まり返るなかで響き渡るプーミポン前国王の肉声スピーチ。そうした盛大な奉迎セレモニーの様子が、当時タイでは珍しかったオールカラー映像で上映された。上映に際しては、人気バンドや軍・警察の音楽隊による生演奏もあり、しかも鑑賞費用は「お心づけ」、収益は地元に還元されるということで、各地で驚異的な動員数を叩き出した。

「陛下の映画」は、地元にとって「ありがたい物」であるとして、次第に疑似奉迎セレモニーが催されるようになった。御真影や国旗の掲揚、知事による感謝の挨拶などが付随し、生身の国王のみならず、「映画の中の国王」が全国を行脚するようになった。そうして国民と親しく触れ合う国王の姿は、人々の中に浸透していった。

最も重要な特色は、映画の総監督がプーミポン前国王その人だったという点にある。撮影手法、挿入歌の選定、弁士3によるナレーションの内容、上映前の検見、すべての過程を前国王が管理した。これは、言い換えると「見せたい」自身の姿を見せ、「見せたくない」部分は編集できたということを示している。

「陛下の映画」そのものは、テレビの普及の影響を受けて1970年代初頭に上映されなくなった。しかし、このフィルムは1978年からは公教育で、1980年代半ばにはすべてのテレビチャンネルの王室ニュースで(当時地上波は4チャンネルのみ)、1987年の国王の還暦祝い以降は数多の書籍のなかで再利用されていった。前国王の若かりし頃の記録メディアが限られていたこともあって、同じような絵面が繰り返し使用された。前国王の行幸や市井の人々との会話の機会が無くなっても、「行幸する国王」の姿は拡散し続け、それが生身ではないがゆえに、前国王の神聖性はより強固なものになっていった。

一方、即位後もタイ国内に居住せず、ドイツを拠点とする現国王ワチラーロンコーンについては、市井の人々と親しく触れ合う様子を描き出すことがかなり難しい。前国王プーミポンは戴冠後、王室外交以外でタイを出国したことがない。それは「民衆の側にいるため」という考えに基づいていたと言われている。裏を返せば、タイに居ない現国王は「民衆の側にいる気がない」という語りになる。さらに、現国王は皇太子時代、最初の妃と結婚した際に大規模な「顔見せ行啓」を実施したものの、その後の公務のほとんどはバンコクを拠点とする非公開のものであった。即位後に制作されたいくつかの映像では、若かりし頃の現国王が民衆と近くで会話する様子が流れたが、多くの人にとっては空虚なものに映ったであろう。

いずれにせよ、記録媒体もマス・メディアも多様化した現代では、「見せたい」姿を編集して特定のメディアに載せ、それだけを拡散させることはもはや不可能である。前国王の治世末期からの不敬罪の検挙数の急増は、そうしたタイ王室のメディア戦略の綻びの表れだと考えられる。

写真2 地方行幸1975年ナコンパノムにて。一緒に写っているのは皇太子時代のワチラーロンコーン国王。

写真2 地方行幸1975年ナコンパノムにて。 一緒に写っているのは皇太子時代のワチラーロンコーン国王。
変わる人的ネットワークとSNSの用法

「タイ式民主主義」のもうひとつの特徴は、国王を中心に展開する網の目のような人的ネットワークに支えられているという点である。前国王は長い治世のなかで、枢密院議長を長年務めたプレーム(元首相、元陸軍司令官)のような重要人物や、多くの側近を得てきた。加えて、王族との姻戚関係で繋がる親族ネットワークも有した(Nishizaki 2020)。それらが広範なネットワークの中枢である。

彼ら「国王の代理」が核となり、新たなネットワークが生み出される(McCargo 2005)。地方でも同様に、国王と何らかの繋がりを持つ有力者などが核となる4。そうして国王のネットワークは国の隅々まで広がり、結果的に多くの人々が「国王の意向」を気にしながら物事を決めるようになる(Asa 2019)。国王は、核となる大物を一本釣りして自分のモノにすればよい。自然と、それにたくさんのモノが付随してくるからである。

この人的ネットワークの在り方は、「核」や「リーダー」となる人物が明確な場合には有効だが、「リーダー」不在の集団や組織化されていない人々を取り込むのは不得手である。今回のデモは、まさにこの弱点を突いたと言える。アイコンとなる代表的人物は存在するが、デモの指導者が存在しないからである。SNSを通じて集った群衆は、目的を達成するとあっという間に解散する。デモの費用は任意の寄付で賄われるため、金銭的「黒幕」も存在しない。核となる人物が存在しないので、政府や王室はそれを懐柔して取り込んだり、対抗できる人材を擁立したりして収拾を図ることができない。

一連のデモでは、Twitterの存在が大きな役割を果たしてきた。デモの概況も、Twitterを通じて随時発信されてきた。これは、運動を先導しているZ世代(2001年以降生まれ)がTwitterを主に使用する層だからというのが大きな理由である。最近まで、タイで使用されるSNSといえばFacebookを指した。Facebookは、リアルな友人たちとの交流を深めるには適しているが、政治的な議論の場としては機能しなかった。実名で登録するので、実生活と繋がっている。家族や親族、職場の関係者にも見られる。どのようなグループに関心を持っているかもわかってしまう。

一方のTwitterは、実生活とは一線を画す。匿名で登録でき、実生活での横の繋がりが可視化されにくい。社会階層が明確なタイでは、階層を超えて政治信条や価値観について議論する機会はほとんど存在しなかったが、Twitterがそのプラットフォームになった5。リツイートの機能によって出典が比較的明確にできることも、フェイクニュースが飛び交うSNS上では重要であった。

2014年クーデタ以降、軍事政権が真っ先に取り締まりを強化したのは、SNSであった。2016年には、国内外から猛反発を招きながらも、インターネットの取り締まりを強化する新法を可決。実際にFacebook上でのやり取りによって不敬罪として摘発される事例も出た。体制批判の場は次第にTwitterに移行し、匿名化していった。

しかし、現在すでに、人々は王室について議論する際、Facebook上などで実名を使うことを厭わなくなりつつある。「10項目の要求」に先駆けて、王室の話題を議論する場として100万人以上のメンバーを有したFacebookグループ「ロイヤリストマーケットプレイス」は、早々に規制の対象となったことで話題になった6。王室への関心の高まりは、SNSの種類の垣根も、ユーザーの年齢層も飛び越えて、大きなうねりになりつつあることは間違いない。

世代間ですれ違う王室観

最初に書いたように、タイ社会において王室はその背骨であった。前国王プーミポンは、民衆からの絶大な敬愛を集めた。しかし、前国王への愛着にも、世代間によって濃淡があると言われている。

現在のデモの中心世代であるZ世代は、前国王の行幸にほぼ立ち会ったことがない。「現人神」として積極的に活動する国王よりも、年齢を重ねて入退院を繰り返す姿を繰り返し見てきた。彼らにとって、前国王はもはや一人の「人間」として映っているのかもしれない。また、デモの参加者数として最も多いY世代(1981~2000年生まれ)は、王室を崇拝する教育が定着して前国王の神聖性を強く意識しながら、一方でそれを疑問視してきた過渡期の世代でもある。

彼らよりも上のX世代(1966~1980年生まれ)以上は、まさに前国王が最も活発に行幸し、それに伴って地方のインフラが整備された時代に育った人々である。前国王の威光を直接感じる機会も多く、加えて映画やテレビなどの限られた娯楽を通じて王室のメディア戦略に親しんできた。そして、「タイ式民主主義」のもと、国王を崇拝することが「良き国民」であることだと教育されてきた。「王室」や「君主制」を全批判することは、彼らが生きてきた時代やアイデンティティそのものの否定でもある。

だからこそ、「10項目の要求」は慎重に言葉を選んで書かれていた。要求内容は、現国王の治世下での出来事に重きを置いて語られている。デモにおいても、前国王プーミポンを批判する言葉は、表立ってはほとんど見られない。前国王をも批判の対象にするのか否か。ここが、今後のタイの動向を左右する一線になるだろう。おそらく、X世代以上の多くもこれに気が付いている。学生主体のデモ、保守派主体のデモの両方で、この世代の参加率が低いのは、この点を見極めるための「沈黙」とも取れる。彼らの「沈黙」は、いつ、どのような形で破られるのだろうか。

写真3 2020年8月16日。デモ会場に用意された紙面に要求を書き込む人。

写真3 2020年8月16日。デモ会場に用意された紙面に要求を書き込む人。
基本的人権、言論の自由などが書かれているなかに、王室に関連する事柄も書かれている。
11月8日の「国王への手紙」デモでは、王宮前広場にデモ隊が到着するなり、警察が一斉放水をして強制排除を行った。これが、国王からの「返信」だとすれば、こじれた両者の関係修復は、かなり困難であろう。民衆は今後、一線を越えた要求をするのだろうか。王室は、どこまで、そしてどのようにその要求に応えるのだろうか。タイ社会の行く末から、目が離せない。
写真の出典
参考文献
  • 櫻田智恵. 2017.『タイ国王を支えた人々――プーミポン国王の行幸と映画を巡る奮闘記』 風響社.
  • Asa Kumpa(อาสา คำภา) 2019. ความเปลี่ยนแปลงของเครือข่ายชนชั้นนาไทย พ.ศ. 2495-2535(タイのエリートネットワークの変遷 仏暦2495−2535年)Chiang Mai: Ph.D. Thesis. Chiang Mai University. 
  • Kobkua Suwannathat-Pian. 2003. Kings, Country and Constitutions: Thailand's Political Development, 1932-2000. London: Routledge Curzon.
  • McCargo, Duncan. 2005. "Network Monarchy and Legitimacy Crises in Thailand," The Pacific Review 18 (4): 499-519.
  • Mérieau, Eugénie. 2016. "Thailand’s Deep State, Royal Power and the Constitutional Court (1997–2015)," Journal of Contemporary Asia 46 (3): 445-466.
  • Nishizaki, Yoshinori. 2020. "Birds of a Feather: Anand Panyarachun, Elite Families and Network Monarchy in Thailand," Journal of Southeast Asian Studies 51(1-2): 197–242.
  • Streckfuss, David. 2011. Truth on Trial in Thailand: Defamation, Treason, and Lèse-Majesté. London and New York: Routledge.
著者プロフィール

櫻田智恵(さくらだちえ) 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 特任助教。博士(地域研究)。専門はタイ地域研究、現代政治史。2012年9月から2014年8月まで、チュラーロンコーン大学文学部International Staff。主著に『タイ国王を支えた人々――プーミポン国王の行幸と映画を巡る奮闘記』(風響社、2018年)等があるほか、『現代世界の陛下たち――デモクラシーと王室・皇室』(ミネルヴァ書房、2018年)などで分担執筆。2020年に、第19回アジア太平洋研究賞佳作を受賞。

書籍:タイ国王を支えた人々――プーミポン国王の行幸と映画を巡る奮闘記

  1. 現在は、不敬罪による摘発は抑制される傾向にある。
  2. 国王に対して助言を行う機関。国王にのみ任命権があり、国王に忠誠を誓う。
  3. 国王の肉声以外は、上映場所の機材等の状況に応じて、弁士が解説を行った。
  4. タイでは、チャオ・ポーと呼ばれる地域の有力者が存在する。彼らは非合法なやり方をも使って、地域のリーダーになっている。現代においてチャオ・ポーは減少しつつあるものの、彼らをロイヤリストとして取り込むことで、チャオ・ポーの意向を気にする地域の人々も、結果的に国王の意向に即していくという流れがある。
  5. 今回のデモの特徴として、ネットスラングや若者言葉が多用され、世代間の格差が大きいことも挙げられる。さらに、特権的階級と言われていた層の若者が、政治への疑問を投げかけるサイトなどを運営するなど、これまで見られなかった全く新しい動きもみられる(参考・https://www.choosechange.co/)。
  6. その後新しいグループページが立ち上がって参加者が移動・増加し、現在は200万人を超える参加者がいる。