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ベトナム・コーヒー産業の課題 ――原材料供給国からコーヒー加工国へ――
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050720
2019年2月
(6,275字)
安い原材料の供給国に留まるベトナム
コーヒーはベトナムにとって、コメ、水産養殖品とならぶ主要な輸出農産品である。1986年のドイモイ開始以降、ベトナムのコーヒー輸出量は飛躍的に増加した。ベトナムは2000年から現在に至るまで、世界第2位のコーヒー輸出国の地位を維持している(図1)。
ベトナムのコーヒー輸出拡大の背景には、豆生産量の拡大に加えて、選別技術の向上も関係していたという。生豆の価値を決める主要な基準は、石や枝などの異物および割れ豆や未熟な豆などの欠点豆の混入度合いであるが、2000年代初頭のベトナムでは、生豆からそうした不純物を取り除く選別に機械が導入され、選別の精度が向上した1。
ただし、ベトナムで生産されるコーヒー豆の大半は相対的に価格の安いロブスタ種であるうえ(図2)、9割以上は生豆で輸出されている。ベトナムからドイツ、アメリカをはじめとする欧米諸国や日本などに輸出されたロブスタ豆は、輸出先で焙煎・粉砕・抽出され、他の豆とブレンドされて販売される2。コーヒーの生産から加工、販売にいたるグローバル・バリューチェーンのなかで、豆の一大生産国であるベトナムはいまのところ安価な原材料の供給者という位置づけにあり、その取り分は決して大きいとはいえない状況にある。とくに、コーヒー生産農家にほとんど利益が還元されていないといわれている(ワイルド2007など)。
豊富な農産物資源は、それへの過度な依存によって工業化や経済成長が遅れるという「オランダ病」「資源の呪い」といった現象を引き起こしうる反面、加工技術の高度化などがともなえば、経済発展のエンジンともなりうる。コーヒーという農産物資源から生み出される価値をベトナム経済発展に還元するうえでは、加工品の生産を拡大し、その国内販売および輸出を増やすことがひとつの課題となる。国内加工部門の発展は、新たな品種の導入やポストハーベスト段階での先進技術の適用などと並んで、ベトナム政府も目標として掲げている3。
国内加工の現状と担い手
では、ベトナムのコーヒー国内加工はどのような状況にあるのだろうか。コーヒーの国内加工に関するデータは出所によって数値が異なるうえ、現場の実感とも乖離があるといわれており、データから正確な状況を把握することは難しい。そうしたデータの制約を念頭に置いた上で、ここでは公開されているデータのなかで最も詳細に国内加工状況を示しているアメリカ農務省(USDA)のデータベースを用い、ベトナムのコーヒー国内加工の状況を検討してみたい(図3)。これに従えば、ベトナムで生産された生豆の総量に対する国内加工分の比重は、2010年代後半でも14~16%程度であり、他の主要コーヒー輸出国と比べてもまだ小さい4。しかし、2000年時点で2.9%にすぎなかったことを踏まえれば、国内加工は拡大の方向にあるといえるだろう。図3からは、とりわけ国内消費向けレギュラーコーヒーと輸出向けインスタントコーヒーの生産に使用される生豆の量が顕著に増加している様子が見てとれる。
なお、図3に従えば、国内加工に使われる生豆のうち45%前後がインスタントコーヒーの生産に用いられていることになるが、他所では国内向けインスタントコーヒーの生産分を図3より多めに見積もり、国内で加工される生豆の3分の2がインスタントコーヒーの生産に使われているとする見方もある5。
図3 加工向け生豆使用量と生豆生産量に占める加工向けの比重
(注2)1袋は60kg。 (注3)RCはレギュラーコーヒー、ICはインスタントコーヒーの意。
(注4)加工品生産の割合は以下の計算式に基づく。{(輸出RC+輸出IC)+(国内消費-輸入RC-輸入IC)}÷(繰越在庫+生産)
拡大しつつある国内加工は、これまで主として外資のネスレ(Nestle)と地場のビナカフェ・ビエンホア(Vinacafé Bien Hoa)、チュングエン(Trung Nguyen)の3社に担われてきた。なかでもネスレの存在感は大きい。現在ネスレはベトナムで生産される生豆の最大の購入者であり、ベトナム産コーヒー豆の20~25%を買い取り、それらを加工したうえで国内販売および輸出を行っている6。ハイエンド商品の製造にも力を入れており、2015年にはカフェインレスコーヒー、2018年にはカプセル式の高級プレミアムコーヒー(ネスカフェドルチェグスト)の製造ラインを導入した。
ネスレの最大の競争相手が、地場のビナカフェ・ビエンホアである。同社は1969年にフランス植民地下で設立されたコーヒー加工工場を前身とし、1975年に国有化されてからはインスタントコーヒーの製造および旧東側諸国への輸出を行ってきた。2004年に株式会社へと転換し、現在は食品・飲料の製造販売大手マサン・グループに株式の98.9%を保持されている7。マサン・グループを通じた販売モデルの革新により、ビナカフェ・ビエンホアはインスタントコーヒー市場でのシェアを急速に拡大している。
ネスレ、ビナカフェ・ビエンホアと並んで、ベトナムのコーヒー加工業を主導してきたチュングエンは、1996年にダン・レ・グエン・ブー氏がバンメトートで創業した民間企業である。コーヒーの加工販売に加えてカフェ・チェーンも展開しており、1990年代から2000年代にかけて国内のコーヒーおよびカフェ市場を席捲してきた存在といえる。海外進出にも積極的で、世界60カ国以上へコーヒー製品の輸出を展開し、2000年代初頭には六本木で数年間カフェを開いていた経験もある。
チュングエンの「お家騒動」
チュングエンはドイモイ開始以降のベトナム・コーヒー産業の発展を牽引してきた主要アクターであり、創業者のブー氏はベトナムの「コーヒー王」とも称されている。しかし実はここ数年、チュングエンは他社の成長の勢いに押され気味である。カフェ市場では、後述するように、ハイランズ・コーヒー(Highlands Coffee)をはじめとする多種のカフェ・チェーンが奮闘するなか、チュングエンは店舗の外装やコンセプトの変更に注力してきた一方で、店舗数ではハイランズ・コーヒーらに水をあけられている8。また、同社のブランドG7が抜群の知名度を誇っていたインスタントコーヒー市場でも、近年そのシェアは、ネスレとビナカフェ・ビエンホアに大きく引き離される状況になっている9。同社の税引後利益は、2014年には前年比5倍の伸びを記録したものの、その後3年間、減少を続けている 10。
こうしたチュングエンの停滞は、時期的にみると、同社の「お家騒動」勃発と重なっている。「お家騒動」とは、チュングエン・グループ創業者で会長のブー氏と、その妻で元チュングエン・グループ副会長のレ・ホアン・ジエップ・タオ氏の離婚訴訟および経営支配権争いの問題である。報道によれば、両者は2015年から、グループ全体、グループの筆頭株主であるチュングエン投資会社、および元々タオ氏が代表を務めていたグループ子会社(チュングエン・インスタントコーヒー)の経営支配権をめぐって、裁判所を通じて争いを続けている。チュングエン・インスタントコーヒーについては2016年にタオ氏の代表者資格を認める判決が出ており、騒動の最中にタオ氏が設立したチュングエン・インターナショナル(TNI)のホームページでも、タオ氏はTNIの最高経営責任者であると同時に、チュングエン・インスタントコーヒーの最高経営責任者でもあるとされている11。タオ氏はキングコーヒーというTNI独自のブランドでのコーヒー製造およびカフェ・チェーン展開を手掛けつつ、チュングエン・インスタントコーヒーでG7の製造も指揮している。しかし争いはまだ続いており、2018年にはブー氏率いるチュングエン・グループが、知的財産権の侵害を理由にタオ氏の配下で製造されたG7の輸出と国内流通の差し止めを関係当局に求めるという動きに出ている12。こうしたG7をめぐる争いは、チュングエンのインスタントコーヒー市場でのシェア縮小に少なからず影響していると考えられる。なお、ブー氏は騒動が勃発したころからスピリチュアリティへの関心を強めており、瞑想に多くの時間を割いているという報道もある13。
国内加工拡大の可能性
前掲図3で国内消費向け加工品の生産に使用される生豆の量が増えていることからも見て取れるように、国内のコーヒー市場規模は拡大している。加えて、高品質志向の高まりという変化もみられる。従来、ベトナムの消費者が濃く、かつ安価なコーヒーを好んできたこともあって、これまでベトナムで焙煎・加工されるコーヒー製品には、一般的にトウモロコシや大豆などが混ぜられてきた。大豆やトウモロコシを混ぜるとコーヒーの香りや色が薄まってしまうため、人工的な香料や着色料も加えられてきたという14。こうした不純物が多く含まれるコーヒーが普及している実態に対し、昨今、健康への意識を強めるベトナムの消費者の間では、100%コーヒー豆から作られたコーヒー「Cà phê sạch(きれいなコーヒー)」が求められるようになっている。
このような高品質商品を取り扱うものも含め、近年ベトナムではカフェやコーヒー専門店が急増している(Vũ Huy Phúc 2016: 16)。その大半は個人店だが、とくに都市中心部では、路上で低い椅子を並べてアルミのフィルターで淹れたコーヒーを提供するような従来型のカフェ(写真1)を見かける機会が減ってきた一方で、チェーン店が地場・外資ともに増加している(写真2~4)。
多様なカフェ・チェーンが鎬を削るようになったなかでも、近年とくに勢いがあるのが地場のハイランズ・コーヒーである。ハイランズ・コーヒーは高原コーヒーサービスが2002年に設立したカフェ・チェーンで、2012年にフィリピンのファーストフード・チェーン大手ジョリビーに買収されて以降、急速に店舗数を拡大している。2019年初時点で、全国に236店舗、ホーチミン市だけでも94店舗を展開しており15、2017年の売上高は後続のフック・ロン(Phuc Long)の4倍、ザ・コーヒー・ハウス(The Coffee House)の8倍、スターバックスの3倍に上ると報道されている16。
なお、インスタントコーヒーについては、現状ではベトナムの消費量はタイやマレーシアなど周辺諸国と比べると少ないが、経済成長に伴う生活の多忙化のなかで、消費者のインスタントコーヒー志向が強まるという見込みも示されている17。
このように、ベトナム国内市場におけるコーヒー需要は多様性をともないつつ拡大してきており、国内加工拡大の可能性は広がっているといえるだろう。そうしたなか、国内加工の担い手の多様化も注目される。ベトナムの主要コーヒー企業として君臨してきたチュングエンが停滞状態にあるなか、とくに国内向け加工品生産については、当面、外資企業のネスレと元国有企業のビナカフェ・ビエンホアが主導することになると考えられる。一方で、ハイランズ・コーヒーやザ・コーヒー・ハウスなど新たに台頭してきたカフェ・チェーンも自社の製造ラインを持つほか、乳業大手ヌティフードのように近年新たにコーヒー加工品の生産に参入する企業も出てきている。ベトナムにおけるコーヒー国内加工の拡大は、ベトナム・コーヒー産業全体からみれば、いまのところ小さな動きではあるものの、多様なアクターの参入によって、今後、量的拡大ならびに質的向上が進むことが期待される。
著者プロフィール
荒神衣美(こうじんえみ) 。アジア経済研究所地域研究センター東南アジアⅡ研究グループ。専門はベトナム地域研究(農村経済社会)。おもな著作に、『多層化するベトナム社会』(編著、アジア経済研究所、2018年)など。
参考文献
- アントニー・ワイルド著、三角和代訳2007.『コーヒーの真実』白揚社。
- Vũ Huy Phúc 2016. Triển vọng ngành hàng cà phê Việt Nam 2015/2016, Agroinfo.
写真の出典
- 写真1~4ともすべて筆者撮影
注
- 2017年8月、日系コーヒーメーカー(ホーチミン市)での聞き取りに基づく。
- 日本、アメリカ、北欧などではロブスタ種は各コーヒー商品の味の基軸となるアラビカ種のエッセンスとしてブレンドされるが、フランス、スペインなどの西欧諸国や東南アジアの新興国では伝統的にロブスタ種をブレンドのメインに使うことが多い。
- 2017年11月15日付農業農村開発相決定4653号(国家商品としての「高品質ベトナム・コーヒー」発展フレームワーク提案の承認)
- 主要コーヒー輸出国の国内加工比率(2017年)についても同様の計算をしたところ、ブラジルが43%、コロンビアが15%、インドネシアが34%となっている。
- 2018年12月、日系コーヒーメーカー(ホーチミン市)での聞き取り。
- "Mixing it up" Vietnam Economic Times, October 2018. および"Raising Vietnamese coffee's value" Saigon Times Weekly, August 4, 2018.
- Vietnambiz, 2018年2月7日。
- Vnexpress, 2018年11月6日。
- "Mixing it up" Vietnam Economic Times, October 2018. 同記事が用いているユーロモニターのデータによれば、ベトナム国内インスタントコーヒー市場に占める主要3社のシェアは、ネスレ44.4%、マサン・グループ30.7%、チュングエン7.9%。
- Vietnambiz, 2018年9月23日、VietNamFinance, 2018年7月3日。
- Trung Nguyen International社ホームページ。
- Vietnam Investment Review, 2018年6月27日。
- Vietnamnet, 2018年8月15日、VOV.vn, 2018年8月14日。
- 2018年12月、現地コーヒー輸出企業(ダクラク省)および日系コーヒーメーカー(ホーチミン市)での聞き取りに基づく。
- ハイランズ・コーヒーウェブサイト。
- Vnexpress, 2018年11月6日。
- "Mixing it up" Vietnam Economic Times, October 2018.