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(アジアに浸透する中国)変わるミャンマー、適応する中国

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050592

2018年9月

軍事政権と中国

ミャンマーが軍事政権だった時代、ミャンマーと中国との関係はしばしば依存と称された。中国からミャンマーへの経済協力は、1997年から2006年の間に累計で、贈与が2,430万ドル、貸し付けが4億6,280万ドルにのぼった1。この数字は米国や欧州連合から制裁を受けていた当時のミャンマーとしては、突出した援助額だった。また、ときに国連安全保障理事会に提出されるミャンマーへの非難決議には中国が拒否権を行使してきた。依存という言葉が適切かどうかは別にして、ミャンマーは中国に外交上頼らざるをえない状況であった。

こうした事態の背景に両国の戦略があったことはいうまでもない。民主化運動の弾圧によって欧米から制裁を受けていたミャンマーにとって中国は、その国際的な立場を守ってくれるほぼ唯一の大国だった。中国にとっても、ミャンマーの豊かな天然資源は隣接する雲南省の経済開発にとって重要なものであり、インド洋へのアクセスを可能にする地政学的なメリットも大きかった。両者の戦略的な思惑は一致し、ミャンマーは水力発電所や道路などのインフラ開発を中心にした支援と投資を受け入れ、中国はミャンマーを経由してインド洋に直接アクセスする輸送路を確保するとともに、木材や翡翠といった資源を有利な条件で獲得することができた。なかでも、ミャンマーのラカイン州にあるチャウピューを起点に、国土を南西から北東へと貫く天然ガスと石油のパイプライン敷設は、中国にとっておおきな成果だったといえる2

写真:中国ミャンマー国境(2010年5月筆者撮影)

中国ミャンマー国境(2010年5月筆者撮影)
ミャンマー内政の変化

2000年代末と現在とを比べると、両国の国力の差はそう大きくは変わっていない。もちろん中国経済の拡大の方がペースは速いが、2010年代のミャンマー経済も高成長を記録したため、経済規模を示す国内総生産(1人あたり購買力平価)で、ミャンマーの経済規模は中国の1.6%から1.4%に低下した程度である3。しかしながら、もしも今、ミャンマーの国土を南西から北東へと貫くパイプライン建設事業が実現可能かと問われれば、まず不可能だと誰もが答えるだろう。ミャンマーの内政と同国をとりまく国際情勢がこの7年ほどで大きく変わったからである。

かつてミャンマーでは、タンシュエ将軍を頂点とする国家平和発展評議会(SPDC)に国家権限が集中しており、国軍の幹部将校の判断で相当なことができた。独裁的な国内政治構造と、欧米の制裁という同国の置かれた外交条件を中国はうまく利用して、公式、非公式にさまざまな利益を軍事政権に提供しながら中国自身の国益の獲得を目指した。独裁と制裁が1990年代、2000年代のミャンマー・中国関係の前提条件だったといえる。  

この前提条件を崩したのはミャンマー政府である。2011年3月の民政移管によって新憲法が施行されて、国家権力が分散した。かつてのように独裁的な権限を持つ人物はいなくなり、国家元首である大統領といえども意思決定には議会や国軍司令官との調整が必要になった。5年に1度の選挙がはじまって、有権者の反応が政権や議員にとって死活問題となる。さらに、結社の自由や言論の自由が大幅に拡大したことで、政府の動きを監視するメディアの影響力が増大した。  

外交的な変化もまた早かった。民政移管で新政権を担ったテインセイン大統領は、長らく停滞していた国内経済の発展を急務と考え、その最大の阻害要因であった米国の経済制裁の緩和を目指した。長く行き詰まっていたアウンサンスーチーをはじめとする民主化勢力との和解に動き、3,000名以上いた政治囚に恩赦を与えていった。言論の自由や結社の自由など、市民の自由を大幅に拡大するとともに、二重為替の廃止など経済改革にも着手する。

さらに、ミャンマーにとって幸運なことに、米国で2009年に民主党政権が誕生して、バラク・オバマ大統領(当時)のもとで、対ミャンマー政策の見直しの機運が高まっていた。アウンサンスーチーが党首をつとめる国民民主連盟(NLD)が2012年の補欠選挙に参加したことで、米国との関係改善にはずみがついた。米国による段階的な制裁緩和が、欧州諸国や日本、韓国といったさまざまな国々との関係改善にも結びついた4

こうしたミャンマーの変化を象徴的に示したのが2011年末のミッソンダム建設の延期である。イラワジ川上流での総工費36億ドルの中国主導の水力発電所建設事業を、環境破壊を懸念する国内世論を受けて、テインセインが自身の在任期間中は工事を中断することを発表したのである。中国に対する事前通知もなかったといわれる。この余波は大きく、長期投資のリスクが上がり、中国からミャンマーのインフラ開発への投資が減少した。また、ミャンマー内でも親中国派として知られた副大統領のひとりがこの発表後に辞任している。国際社会にはミャンマーの「中国離れ」の印象を与えることになった。  

実際のところ、「中国離れ」というのはいい過ぎであろう。民政移管をきっかけにミャンマーが外交的なバランス感覚を取り戻した、というほうが正確である。そもそもミャンマーは独立以来、非同盟中立を外交上の原則としてきた。1990年代から2000年代にかけての中国への傾倒がむしろ例外的だった。制裁下でのやむなき選択だったといえる。より重要なのは、この変化の背景にあるのが、単なる指導者の交代ではなく、ミャンマー内政の構造変容である点だろう。複数の主体の間の複雑な利害の調整が必要になり、両国関係はかつてより不確実性が高まることになった。

アウンサンスーチーの現実主義

2016年3月にアウンサンスーチーを実質的な国家元首とする政権が誕生した5。彼女は、最初の外遊先に中国を選び、2017年5月には「一帯一路」国際協力サミットフォーラムに、同年10月には第19回中国共産党大会に出席している。「一帯一路」構想(BRI)への協力を表明するなど、中国との友好関係維持には積極的である。軍事政権を支援した中国に対してミャンマー世論には反発もあるため、中国寄りという印象を国民に与え過ぎないように現政権は注意してはいるものの、親欧米路線に傾斜して中国との距離をとるということはなかった。

これは、政権運営能力の点で未知数だったアウンサンスーチーが、ミャンマーの置かれた国際的な条件を理解した現実主義者としての側面を持っていたことを示す。ミャンマーにとってこれまでも中国との友好関係は必須であった。1949年の中国共産党政権の成立を最初に承認した非共産党国はミャンマーである。その時点ですでに武装闘争路線を採用していたビルマ共産党を、中国共産党が水面下で支援していたことは公然の秘密だった。それでも両国は外交的には友好関係を維持していた。いまや世界第2位の経済規模を誇る中国と敵対することは、ミャンマーにとってますます非合理的な選択肢になっている。

写真:アウンサンスーチー

アウンサンスーチー

内政上も中国の重要性が高く、それがアウンサンスーチーの慎重な外交姿勢に影響している。なぜなら政権の最重要政策として少数民族武装勢力との停戦交渉があり、中国の役割が停戦交渉とその後に期待される内戦終結のひとつの鍵だからである。テインセイン政権時代から中国はこの停戦交渉に関与していたが、現政権になってより積極的な姿勢を見せるようになっている。なかでも、20を越える少数民族武装勢力のなかで、勢力が相対的に大きいカチン独立軍(KIO)、ワ州連合軍(UWSA)、ミャンマー民主同盟軍(MNDAA)はいずれも中国との国境地帯に本拠地があり、中国の政治経済的な影響を強く受けている。UWSAが主導してKIOなど6つの組織とともに結成したthe Federal Political Negotiation Consultative Committeeは、政府が目指す全国停戦協定(NCA)のための和平交渉に必ずしも協力的ではない。それでも、アウンサンスーチー政権下で3度開催された「連邦和平会議――21世紀パンロン——」に彼らが出席しているのは、中国からの強い要請を受けているためである。彼らが中国政府のコントロール下にあるとまで想定するのは中国の影響力の過大評価だが、両者の間に入って交渉を仲介できるのは中国政府以外にはないだろう。  

経済パートナーとしての中国の重要性はいまさら言及するまでもない。前述のように、ミッソンダム建設の中断以降、政府間の合意にもとづく大規模なインフラ開発プロジェクトは停滞しているが、民間セクターでの貿易額や投資額は拡大しており、中国はミャンマーにとって依然として最大の貿易相手国である(2016年は総輸出額の約40%、総輸入額の約34%は中国)。認可ベースの直接投資額は年によって上下はあるものの、中国は常に上位3位のなかにいる。さらに、製造業やサービス業にも次第に投資先が広がっている。これは対ミャンマー投資全般の傾向であるが、政府間関係が主だったミャンマー・中国間の経済関係は多元化しているといえそうである。

写真:連邦和平会議——21世紀パンロン——

連邦和平会議――21世紀パンロン――
ロヒンギャ問題はミャンマーを中国寄りにするのか

 2017年8月25日、ミャンマーの西部にあるヤカイン州北部で30以上の国軍、警察施設が全ロヒンギャ救世軍(ARSA)の構成員とされる集団によって襲撃された。即座に国軍は掃討作戦を開始し6、その結果、戦闘から逃れようとする難民が大量に隣国バングラデシュに流出した。最終的に難民の数は70万人を越えたといわれる。これまでも同地域からの難民流出はあったが、わずか1カ月足らずでこれほど大量に難民が発生したのははじめてだった。流失した難民のほとんどはロヒンギャと呼ばれるムスリムであった。

写真:バングラデシュに流出した難民

バングラデシュに流出した難民

国際人権団体や国際連合人権高等弁務官はミャンマー国軍の掃討作戦が「民族浄化」だとしてミャンマー政府を強く非難した7。現行憲法下では国軍に対する文民統制が確立していないため、国軍による掃討作戦の責任が文民の指導者にどれほどあるのかは議論の余地がある。だが、同国の領土内で起きたことである以上、政権が国内外から批判を受けるのは仕方のないことであろう。批判を受けて、アウンサンスーチーは2017年9月19日に会見を行い、すべての人権侵害と不法な暴力を非難するとともに、流出した難民がミャンマーに帰還するための作業をすすめると発表した。

彼女のスタンスは、国内に少なくないロヒンギャへの否定的な言説と比べると、比較的穏健なものであるが、人権や民主主義のアイコンとしての彼女の国際的イメージからすれば、消極的な姿勢に見えただろう。結果、民政移管後に改善しつつあったミャンマーと欧米諸国、国際機関(なかでも国連)との関係に今、大きな亀裂が生まれつつある。国際刑事裁判所(ICC)への告発に向けた動きも活発化しており、欧米とミャンマーとの外交関係はしばらく停滞を余儀なくされる。一方で中国政府は、ロヒンギャ問題について、2017年11月にミャンマーを訪問した王毅外相が、同問題を解決するための3つのステップ(秩序回復、ミャンマー・バングラデシュ間の交渉促進と合意内容の履行、ヤカイン州の開発)を提唱するなど8、制裁をちらつかせる欧米とは異なるかたちで関与の姿勢を示している。

では、ロヒンギャ問題をきっかけにミャンマーは再び以前のように中国に接近し、取り込まれていくのだろうか。おそらく、そうしたことは起きない。理由は大きく3つである。

第1に、ミャンマー政府にはかつてよりずっと多様な外交的オプションがある。日本や韓国、ASEAN諸国といった、必ずしも中国とは利益を共有しない非欧米諸国が同国の支援を続けている。それらの国々は、ミャンマーが中国寄りになることを望んでいないし、すでに相当の援助や自国の民間投資が入っており、その是非は置くとしても、人権や民主主義等の政治問題で対ミャンマー政策が左右されがちな欧米諸国とは異なる動きをとる可能性が高い。

第2に、中国に対する警戒心がミャンマー政府や社会にある。かねてから反中感情はあったが、軍政時代に軍事政権を支えた存在として、中国への一般的なイメージは1990年代と2000年代にさらに悪化した。軍事政権が終わってまだ間もない現在、そうしたイメージは消えていない。くわえて、中国からの過剰な借款の結果起きる「債務の罠」(Debt trap)に対する警戒がミャンマーでも高まっている9。最近でも、ミャンマーの財務大臣が日本経済新聞のインタビューに答えて、将来的に債務が大きくなる可能性を理由に、中国の主導するヤカイン州南部のチャウピュー経済特区の深海港と工業団地建設事業(総額100億ドル規模)について、開発権を取得している中国国営企業主体の企業連合に対して計画規模の縮小を打診すると明らかにした10

第3に、ミャンマー政府の調整能力不足がある。例として、BRIに含まれるミャンマー・中国経済回廊(MCEC)計画を挙げよう。この計画は、具体的には3つの経路(1.国境の町ムセからマンダレー、2.マンダレーからヤンゴン、3.マンダレーからチャウピュー)における道路と鉄道などの開発計画などから成り立っている。これはかつて、チャウピューから雲南省へのガス・石油パイプライン計画時に含まれていた鉄道、道路敷設計画の新バージョンといえる。マンダレー=ヤンゴン間の輸送路開発を新たに事業に組み込むことで、ミャンマー政府に、より強いインセンティブを提供したかたちである。同提案にミャンマー政府は合意し、2018年9月にはMCEC開発のための15点からなる覚書(MoU)に調印した11

とはいうものの、この計画を実現するための用地買収や法整備、環境評価、国境付近の安全確保などの膨大な作業について、ミャンマー政府がすみやかに対処できるか疑問の声も多い。しかも、ムセ=チャウピュー間の道路建設には国軍が安全保障上の理由から消極的だといわれる。さまざまな利害関係者間での調整を行うことはアウンサンスーチーほどのカリスマ的なリーダーでも容易ではないだろう。両政府間の合意がそのとおり実現するのかは軍政時代以上に不透明だといえる。

中国の影響力を見定めるには

むろん、こうしたミャンマーの現状については中国政府もわかっているはずで、最近では中国側のアプローチにさまざまな変化が見られる。目立つ変化のひとつは、ミャンマーの地方政府への働きかけである。なかでも、インフラ需要の高いヤンゴン政府とは関係の深化が見られる。例えば、ヤンゴン管区政府の公共バスサービス改革のため、昨年、北京オリンピックで使用した約2,000台のバスを、ヤンゴン公共バス会社(Yangon Public Bus Company)が中国から購入している12。今年に入っても、ヤンゴン管区政府下にある新ヤンゴン開発会社(New Yangon Development Company)と、中国の国有企業でインフラ開発を手がける中国交通建設(China Communications Construction Company Limited)とが、ヤンゴンの都市開発のための「枠組み合意」を結んでいる13。その他の地方でも、中国と国境を接する地域にあるカチン州、シャン州では国境近くの3カ所(カンピケティ、チンシュエホー、ムセ)に「経済協力区」を建設する計画を承認したことが、ミャンマー政府により発表された14。紛争地域も含まれるこの計画の実現性はあまり高くないように思えるが、紛争地帯の経済開発という現政権の希望に沿ったかたちで中国が提案を行い、政府間関係を再構築しようとしていることがうかがえる。

他にも、NLDを含めた政党関係者やメディア関係者をしばしば中国に招いて信頼関係の構築につとめている15。中国の大学に留学するためのミャンマー人学生向けの奨学金を拡充するなど裾野での人的交流も盛んになってきた。こういったことは他国ではそれほど珍しいことではないが、民政移管までインフラ開発と資源開発のための投資がほとんどであり、また、軍事政権との関係に配慮してNLDやその他の社会組織と積極的に接触しなかった中国政府としては、対ミャンマー政策の静かな転換を意味する。いまだに軍事政権との癒着のイメージが強い中国企業も、通信企業大手Huaweiが68万ドルをCSR活動に支出するなど16、市場というあらたな目でミャンマーをとらえ、企業イメージの向上をはかっている。ただし、これらを統括しているような組織は存在しないと考えた方がよい。それぞれの個人や組織が自律的に状況に適応しようとした結果と理解すべきだろう。

こうした動きが長い時間をかけてミャンマー世論の対中感情を変えていく可能性は否定できない。しかしながら、中国型の統治体制や経済発展がミャンマーにとって目指すべきモデルになることは目下のところ考えにくい。というのも、長年の抑圧的な軍事政権の経験から、民主的な政治体制を求める声がミャンマーでは根強いからである。今も国軍が憲法改正を拒否しており、政権を獲得したNLDにとっても、また多くの政治政党にとっても、民主化はいまだに達成すべき目標である。こうした状況は簡単には変わらない。

中国の影響力はより間接的なかたちであらわれそうである。例えば、国軍はその政治への関与について、国内に少数民族武装勢力が存在して国家統合を脅かしていることを理由に正当化しようとしている。すでに記したように、武装勢力との和平の鍵を握るのは中国政府だが、中国政府は和平交渉への協力姿勢を示す一方で、国境地帯の不安定化は望んでいないため、軍事的協力や武装勢力への経済的な圧力といった深い介入は行わない。もちろん、ミャンマー側も特に軍事面での介入は受け入れないだろう。結果的にこれが現状を維持することにつながりうる。つまり、ミャンマーにおける、文民政権とそこから独立性の高い国軍の共存という状況が続くことになるのである。これは中国政府が意図したかどうかとは必ずしも関係なく起きる間接的な影響である。

こうした間接的な影響関係を含めて、いま調整過程にあるミャンマーと中国の関係のこれからを見定める必要がある。かつてのような政府間を中心にした不均衡な関係ではもはやない。ミャンマーの変化に伴って政治、経済、外交、いずれも拡大・多角化しており、より複雑さと不確実性を増している。中国のミャンマーに対する影響力はきわめて大きいが、それを単純な支配と服従の関係で理解することなく、短期的な変化の積み重ねを絶えず観察し続けることが不可欠である。

著者プロフィール

中西嘉宏(なかにしよしひろ)。京都大学東南アジア地域研究研究所准教授。おもな著作に『2015年ミャンマー総選挙――アウンサンスーチー新政権はいかに誕生したのか――』(長田紀之、工藤年博と共著)アジア経済研究所(2016年)、『軍政ビルマの権力構造――ネー・ウィン体制下の国家と軍隊(1962-1988)――』京都大学学術出版会(2009年)など。

書籍:軍政ビルマの権力構造

書籍:ミャンマー2015年総選挙

写真の出典
  • 中国ミャンマー国境:筆者撮影(2010年5月)
  • アウンサンスーチー:By Foreign and Commonwealth Office [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons
  • 連邦和平会議――21世紀パンロン:By A. N. Soe (VOA) (SourceSource article) [Public domain], via Wikimedia Commons
  • バングラデシュに流出した難民:By Tasnim News Agency [CC BY 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/4.0)], via Wikimedia Commons
  1. Carr, Thomass. Supporting the Transition: Understanding Aid to Myanmar since 2011. Asian Foundation, 2018, p.4
  2. このパイプラインは、軍事政権下で契約が成立して、2009年に着工した。その後、2013年7月に天然ガスの輸送がはじまり、2017年には石油の輸送が開始された。
  3. International Monetary Fund, "World Economic Outlook Database".
  4. 民政移管後の内政、外交の変化については以下の拙稿を参照されたい。中西嘉宏「民政移管後のミャンマーにおける新しい政治――大統領・議会・国軍――」(工藤年博編『ポスト軍政のミャンマー――改革の実像――』アジア経済研究所、2015所収)、中西嘉宏「戦略的依存からバランス志向へ――ミャンマー外交と対中国関係の現在――」『国際問題』No.643、2015年7・8月合併号。中西嘉宏「パーリア国家の自己改革――ミャンマーの外交「正常化」と米国、中国との関係――」『国際政治』第177号, 2014年。
  5. 2008年憲法59条(f)により、2人の子供が外国籍を持つアウンサンスーチーには大統領資格がない。この条文を変えるには、75%を越える連邦議会議員が改正案に賛成して国民投票にかける必要がある。ただし、議会の25%は国軍司令官が指名した現役軍人の議員であるため、国軍が憲法改正に拒否権を持っていることになる。国軍は同条の改正には消極的だったため、政権成立直後にNLDは国家顧問法を制定して、大統領に「助言」ができる役職として国家顧問とポストを彼女のために新設した。以降、アウンサンスーチーが国家元首としての役割を担っている。
  6. 政府発表では、この掃討作戦で9月5日までに合計97回の戦闘が発生し、治安部隊13名及び公務員2名が死亡し、ARSAは372名が死亡、38名を逮捕した。
  7. "Myanmar treatment of Rohingya looks like 'textbook ethnic cleansing', says UN," The Guardian, 11 Sep 2017.
  8. South China Morning Post, Nov 19, 2017.
  9. かつて軍事政権時代、石油・ガス田の開発のために中国から16億ドルを4.5%の金利で借り入れており、当時の状況では中国政府からしかそうした借り入れはできなかったと関係者が語っている(Eleven Media Group, June 29, 2018)。
  10. ミャンマー、港湾開発の縮小要求へ」(日本経済新聞2018年7月5日付朝刊)。
  11. "China signs CMEC MOUs with Myanmar" Global Times, September 10, 2018 .
  12. "Suu Kyi's man in Yangon under fire over transit deal with China," Reuters, August 6, 2017.
  13. "Yangon works with China to lay down development plan for new city project," Myanmar Times, May 2, 2018.
  14. "Govt approves sites for three new economic zones along China border," The Irrawaddy, July 13, 2018.
  15. "Xi meets Aung San Suu Kyi, calls for more party-to-party cooperation," China Daily, December 1, 2017.
  16. "Chinese technology company provides 680,000 USD worth CSR assistance to Myanmar in 2016-17," Xinhua Economic News Service, October 30, 2017.