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ロシアと中国の東部国境地域における地域間交流と中国の推進政策

 

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平泉 秀樹

2016年3月

ロシア極東地域(極東地域)を発展させるという課題は、ロシアがこの地を獲得して以来の重要な国家的課題のひとつであり、特に2000年に成立したプーチン政権以降のロシアの最も重要な政策課題のひとつとなっている。この課題を達成するため、ロシア政府は様々な戦略、プログラム、プランを実施してきているが、そのようなもののひとつが国境を接する中国との協力である。他方、中国でも東北地区(東北地区)は、胡政権時代からの課題である国内地域間格差解消の重要な対象地域となっている。両国の政府間では、このような両地域が抱える問題の解決に向けて、国境を接する地域間の協力を促進することが重要であると考えられている。これに基づいて、2009年にはメドベージェフ大統領と胡錦涛国家主席の国家元首会談において、両地域の国境インフラや鉄道、物流インフラなどの整備、相手国企業への投資などを含む総合的な協力プログラムが締結された。このようなロ中国境地域発展のための両国の相互協力にいたるまでには、それまでにこの地域で蓄積されてきた長い交流の歴史がある。

ロシアと中国は4000kmを超える長大な国境を接している。この大部分は東部国境と呼ばれ、その過半はアルグン河(Аргунь=額尔古納河)、アムール河(Амур=黑龙江)、ウスリー河(Уссури=烏苏里江)などの河川である。国境線は国を隔てるラインであるとともに、地域間の交流の場ともなっている。

ロシアと中国の国境は、基本的にはロシア帝国と清朝時代の1689年に締結されたネルチンスク(Нерчинск=尼布楚)条約によって最初の国境画定がなされてから、1858年のアイグン(Аигунь=瑷珲)条約、1860年の北京条約によって画定されていたが1、1960年代に領土紛争が生じたため、1991年の東部国境協定(ソ連邦と締結)、1994年の西部国境協定、2004年の東部国境補足協定を経て最終的に現在の形で確定した。東部国境地域ではロシア側のシベリア連邦管区に属するザバイカル地方、極東連邦管区に属するアムール州、ユダヤ自治州、ハバロフスク地方、プリモーリエ(沿海)地方と、中国側の内蒙古自治区、黒龍江省、吉林省が対面している。

この長大な国境線上には、ロシアと中国もしくは第三国の人・貨物の通過が許可され、ロシア側では「пункт пропуска」、中国側では「口岸(以後、本稿で中国の政策を述べるときには「口岸」を用いる)」と呼ばれている通行所が政府間協定2によって23対設けられている(表1、図1)。通行所は、ロシア側ではザバイカル地方6カ所、アムール州5カ所、ユダヤ自治州3カ所、ハバロフスク地方2カ所、沿海地方7カ所が開設され、これに対応して中国側では内蒙古自治区5カ所、黒龍江省16カ所、吉林省2カ所が開設されている。現在、極東地域と東北地区の交流は、主としてこの通行所を通じて行われている。これら通行所のいくつかは、すでに18世紀前半から両国住民の交流拠点となっており、両国の東部国境をはさんだ交流は長い歴史を有している。

東部国境地域における交流は、当初はロシア帝国と清朝の駐屯兵や地元住民を相手にした交易であった。ロシアと清朝の国境線を挟んだ交易はネルチンスク条約によって初めて合法化されたが、東部国境地域において交易拠点が設置されたのは、1728年に締結されたキャフタ(Кяхта=恰克图)条約による。この時、アルグン河沿岸に交易所が設置された。その後、交易の場はアムール河上中流部に異動した。19世紀末から20世紀はじめにかけての時期には、ロシアは満州地域において東清鉄道を敷設し、関連する産業への投資も行われた。20世紀半ばに中華人民共和国が誕生すると国家関係の蜜月の中で、ソ連邦は東北地区への経済支援を行っている。20世紀半ばの国家間関係の悪化による断絶を経て、20世紀後半から再び国境間の交流が復活した。その内容も貿易だけでなく、投資、科学技術、労務・請負などさまざまな分野で協力が行われるようになっている。

東部国境地域における現在の交流は、1960年代半ばに中断した国境貿易(中国では「辺境貿易」と呼ばれており、以後、本稿で中国の政策を述べるときには「辺境貿易」を用いる)が再開されたことを始めとしている。以後の地域間交流の発展は、特に中国政府の国境地方政策の一環としての「辺境貿易」政策の推進によって促進された。

本稿では、はじめに東部国境地域における地域間交流を歴史的に概観し、次に現在の地域間交流の基礎を築いた1980~90年代の中国の辺境貿易政策を明らかにする。最後に、ロ中国境地域間の諸問題を協議する政府・地方間の協議機構について簡単に紹介しておく。

なお本稿では、中国の地名に関して、漢字表記は文字の統一を図るために、原則として中国文字で記している。

1.東部国境地域におけるロ中交流の歴史的概観

ロシアと中国の国境をまたぐ交流は原始的な交易から始まった。それは、ロシア帝国の東進が当時の清朝の勢力範囲にまで及んだときに始まり、国境線の変化に伴って西から東へと交流の地点は移動した。

ネルチンスク条約締結以前、アムール河地域に向けて勢力を拡張し始めていたロシアが足場にしたのは1658年に占領した、現在、ロシア・シベリア連邦管区に属するザバイカル地方ネルチンスクである。ロシアはこの地に両国の貿易商人のための商所を設けた。他方、中国側では、現在の内蒙古自治区のフールン(呼伦)湖周辺の交易所が中心的な場所であった3

1689年に締結されたネルチンスク条約第5条は、証明書をもっている中国人とロシア人は国境を往来し、相手国の領土で交易(互市貿易)を行えることを両国間で初めて合法化した。この時期、東部国境地域ではアルグン河沿岸のあちこちで互市貿易が行われたようであるが、比較的安定的に定期市が開かれたのは現在の黒龍江省のチチハル(齐齐哈尔)周辺であった。当時、この地域において行われた交易は、国境周辺住民間の小額交易、清朝巡視兵とロシア兵とのガルビッツア(Горбица=格尔必齐)河とアルグン河沿岸における易貨交易、ロシアの商人・役人による北京への途路にあるチチハルなどでの交易という3種の交易形式で行われていた。国境警備のために定期的に巡回する将兵や、軍事哨所に居住する将兵などの交易は、清朝の軍事哨所が満州語で「卡伦」と呼ばれていたことから中国では「卡座貿易」と呼ばれていた4

18世紀はじめに現在のモンゴルとの国境を画定したキャフタ条約は、東部国境地域において2カ所の貿易拠点(互市)を開設することを定め、キャフタと、ネルチンスクから300露里にあるアルグン河左岸(ロシア側)のツールハイトゥ(粗魯海图)と右岸(中国側)のクカドゥォボ(库克多博)5に互市が開かれた6。キャフタ互市は18世紀後半から19世紀前半にかけて国際貿易センターとして隆盛を極める一方、粗魯海图-库克多博互市は地理的条件の悪さのために貿易は振るわなかった7

キャフタ条約以降もロシアはアムール河方面に進出を図り、各所に軍事哨所を設けた。ロシアが事実上、アムール河の左岸を掌握した時期で、未だアイグン条約が締結されていない時期には、国境をはさんだ経済交流は現在のアムール州シマノフスク地区にあったクマラ(Кумара=库马拉)哨所での「卡座貿易」が最も活発であった8。ロシアによるアムール河左岸の占領によりロシアと清朝は1858年と1860年にアムール河、ウスリー河とその南部を国境とするアイグン条約と北京条約を締結した。

1858年に締結されたアイグン条約第2条は、ウスリー河、アムール河、スンガリ河(松花江)沿岸に居住する両国民の貿易を許可し、役人たちは両国の取引を行う人々に保護を与えなければならないと定めた。1860年に締結されたペキン条約第4条でもアイグン条約第2条が再確認され、「国境を定めた各所は両国所属の人が自由に交易をし、税を納めないことを許可し、各所の官員は商人が規則に基づいて貿易をすることを保護、援助する」と定められ、ロ中国境沿いの交流は続けられた。アイグン条約とペキン条約の締結後、清朝の国境巡視制度が廃止されたことにより「卡座貿易」は停止した。ロシア側でブラゴベシチェンスク(Благовещенск)市の建設が開始されるに伴い国境貿易の重心は一時的にブラゴベシチェンスクに移り、アムール河右岸のアイグン(爱辉)から商人たちが訪れる定期市が立てられていた。中国商人たちは黒河対岸のブラゴベシチェンスクに簡素な販売施設を設け、毎日渡舟で対岸に渡り中国製品を販売するという方法を取っていた。商品はこの施設に保管され、ロシア側の官憲が盗みを阻止していた。しかし、1864年に中国商人たちが黒河に交易商品倉庫を建設して以降、交易の中心はブラゴベシチェンスクから対岸の黒河に移った。19世紀末にはブラゴベシチェンスクは既に人口4万人に達する大都市に成長しており、そのうち中国人は1万人以上を占め、中国人商家は500軒以上あった。他方、当時の黒河は住戸わずか10数戸ほどの寒村であった。しかし、19世紀末に始まるシベリア鉄道の建設や、当時勃興しつつあった採金業に従事する中国人労働者は数十万人に達しており、これら居住民向けに大量の農副産物がロシア側に輸出されていた。このような対岸のブラゴベシチェンスクとの取引を通して、黒河も20世紀はじめには中国人の工場や商業施設が200軒近く、ロシアの商店は13軒に達するまでに発達していた。また、日本、ドイツ、アメリカなどの商店もあり、国際的商業都市の様相を呈していた9

1862年に、ロシアと清朝の3年間の政府間協定「Правила для сухопутной торговли России с Китаем、陆路通商章程(ロシアと中国の陸地貿易のための規定)」が締結され、その第12条において、「ロ中国境50露里(100華里)における無関税交易」が定められた。これは、1869年に改定され、1881 年の通称ペテルブルグ条約(Договор между Россией и Китаем об Илийском крае=伊犁条約)に基づく改定でも有効であることが確認された。しかし、1912年にペテルブルグ条約が延長されたとき、ロシア政府は50露里(100華里)以内での無税貿易の廃止を宣言した。無税貿易の廃止は、ロシア側にとって不利益が大きかったこと、また極東地域における密貿易が蔓延していたことによるものであった10

20世紀の初め頃には、ヘイハ(黒河)には「八杂市」と呼ばれる毎日営業の民間貿易市場が形成されていた。八杂とはロシア語のバザール(базар)を中国語に音訳したものであり、当時ロシア人達が市場をバザールとよんでいたからである。マンジョーリ(满洲里)でも同様に、1946年以前には「八乍市」と呼ばれる市場が形成されていた。この名称も「八杂」同様、ロシア語のバザールを中国語に音訳したものである11

20世紀初頭に開通したシベリア鉄道のチタ(Чита)からロ中国境の满洲里を経てハルビン(哈尔滨)、スイフェンハ(綏芬河)に至り、ウラジオストック(Владивосток)につながる中国東清鉄道(中東鉄道)によって、極東地域と東北地区の経済交流の地点に満洲里や綏芬河のような新たな場所が加わった。

1917年のロシア革命後、ソ連邦政府は貿易を国家独占とした。国家独占の下で、ソ中貿易に占める東北地区の比重は圧倒的に高かった。1924年には中国の対ソ輸出総額中に占める東北地区の比率は97%、中国の対ソ輸入総額に占める東北地区の比率は75%であった。この時期、東北地区の対ソ通行所は中東鉄道に沿った満洲里、哈尔滨、ハイラル(海拉尔)、綏芬河、黒龍江沿いのトンジャン(同江)、黒河であり、その中でも哈尔滨は東北地区の対ソ貿易の90%以上を占めていた。国家独占の下でもアムール河、ウスリー河沿岸地帯では密貿易が盛んに行われ、満洲里、黒河、フーリン(虎林)、フージン(富錦)、同江、綏芬河、フンチュン(珲春)、ミーシャン(密山)などでは多くの商店が現れた12。内戦勝利後、ソ連邦政府は密貿易を厳しく管理し始めたが、その後もしばらくの間は非公然に貿易が行われていた。しかし、1935年に日本軍が黒河を占領した後、ソ中国境貿易は完全に停止し、その再開は、第2次世界大戦の終結を待たねばならなかった。

第2次世界大戦終戦後の1946年、ソ連邦と中国は貿易再開の協議を行い、年末に貿易協定が締結され、貿易が再開された。中華人民共和国の成立(1949年)とソ中国交樹立(1951年)を経て、ソ連邦から中国への経済援助として、特に東北地区の産業基盤に重点投資が行われ、東北地区は後に工業基地と呼ばれるまでに発展した。このようなソ中国家間関係の蜜月の中で、1956年、ソ連邦政府は中国政府に対し、極東地域と東北地区の国境貿易を発展させることを提案し、協議が行われた13。具体的な作業は地方に任せることにし、地方指導者の往来が頻繁になされた。その結果として、黒河市とアムール州との国境貿易が政府間協定(1957年)によって再開された14。この国境貿易は、国境地方の需要を満たすという原則の下で行われ、黒河市とブラゴベシチェンスクの間でのみ許可された。当時、ソ連邦も中国も国家が貿易権を握っており、両市間の貿易は特別に許可されたものであった。この時期の国境貿易は、相互に貿易商品の展覧会を行い、その中で品目を取り決め、契約を締結するという方法(記帳貿易)をとった。このような国境貿易方式は1957年から1963年まで8年間続いたが、1964年には契約は行われず、それ以後はきわめて小規模な取引がなされたに過ぎなかった。1967年にソ中の貿易関係者が接触した後は、黒河市とアムール州の間の国境貿易は完全に停止した。この間の貿易主体は、中国側、ロシア側とも地方の省(州)レベルで設立された組織が担った。

1980年代は、国家関係の悪化と中国国内における文化大革命の影響により1967年に完全に中断した地方間の小額貿易(国境貿易)が再開され、その基礎が固められた時期であり、また東部国境地域で長い歴史を有する住民間の交易(互市貿易)が再開された時期でもある。1982年1月、中国政府(国務院)は黒龍江省の要請を受け、黒龍江省が極東地域との地方間貿易を再開することを許可した。同年4月には両国の対外貿易省(部)が1967年以来途絶えていた国境貿易を再開することを確認し、合意文書を取り交わした。貿易方式は易貨貿易とし、計算単位はスイスフラン、商品価格は原則として当時の国家貿易協定の設定価格を用い、取引は黒龍江省綏芬河と沿海地方グロデコボ(Гродеково)、内蒙古自治区満洲里とチタ州ザバイカリスク(Забайкальск)の通行所を通じて行うことが決まり、1983年に再開された15。これ以降、東部国境地域における交流は急速に発展し、1987年には黒河市とブラゴベシチェンスク市、同江市とニージニレーニンスコエ区(Нижнеленинское)の間でも国境貿易が行われるようになった。

以後の地域間貿易の急速な発展16と交流の拡大は、主として中国側の積極的な政策の採用によってもたらされた。

中ロ国境地区における局地的交流は、元来、国境を挟んだ住民の間で、自分たちに必要なものをまかなうために自然発生的に生まれたものであった。しかし、新中国建国後、1990年代に入るまでは国の機関によって行われる官制貿易として行われていた。それは、ロシア(当時はソ連邦)も中国も計画経済体制にあったという事情による。ロシア(ソ連邦)では1980年代末に共同組合などに貿易権が与えられるようになるまで、貿易は完全な国家独占にあり、専門の外国貿易会社が貿易を行っていた。他方、中国では2004年に外国貿易法が改正されるまで、外国貿易は国家から許可を受けた少数の企業のみが外国貿易を行うことができた。このような事情から、地方間の貿易も1980年代までは双方の国家機関(外国貿易会社)による貿易が行われた。

1990年代に入ると、ロシアでは1992年以後民営企業の誕生と国家貿易独占制度が自由化されたため、局地的交流も民営企業の取引へと変化するようになった。また、交流の目的も、単に住民需要を充足するだけでなく、地区経済の発展を重視する方向に移行し、交流の分野も投資活動、労務輸出、買い物ツアーを含む観光旅行へと多様化してきた。

21世紀の現在でもアムール河沿岸や黒龍江省の東部国境地区で行われ、政府間の条約によって法的に管理されている国境貿易のひとつの形式としての互市貿易は、長い歴史を有している。現在、東部国境地域には互市貿易区が14カ所設けられているが、そのうち12カ所は黒龍江省にある。

2.中国政府の地方間交流推進政策

中国では1976年に毛沢東がなくなるとともに政策の見直しが始まり、1978年末に開催された中国共産党第11期第3回中央委員会総会において対外開放政策が決定された。一方ソ連邦でも、1985年にゴルバチョフが共産党書記長に就任し、対外政策の見直しがなされ、新思考外交が実施され始めた。このような環境変化の中で1980年代初め、中国では1960年代半ばに断絶されたソ中辺境貿易再開に対する関心が高まり、国境を跨ぐ地域間経済関係への取り組みが始まった。中国では国務院によって辺境貿易に関する規定が定められ、制度としての辺境貿易が確立され始めた。

中国の開放政策は、一般に1980年代に東南沿海部の開放を進め、1990年代に入り内陸部国境地区にまで及んだと考えられている。しかし、1980年代はじめから沿海部における開放が開始されるのとほぼ同時期に、国境地域でも隣国との地方間貿易が許可されるようになり、その後、買い物ツアーを含む観光旅行の解禁など、制限されたものであるとはいえ、開放政策が進められた。地方間の貿易は、ソ連邦と中国の対外貿易権がいまだ国家に独占されていた時期には「辺境貿易」と呼ばれる特殊な形式での貿易によって行われてきた。その後、貿易権が地方に移譲され、一般貿易も可能になったが、辺境貿易制度も維持されている。

1980年代までの国境地域間の貿易は官製の貿易機関による取引に限定されていたが、1990年代にはいると私的企業間の取引もなされるようになった。また国境地域住民が相互に越境して取引をすることがありふれた姿となり、人の行き来も急激に拡大した。この時期、経済的、人的交流が急速に進展したのには中ロ双方に関係する要因があった。ロシア側ではソ連邦の解体・消滅によって、中国東北地区と国境を接している極東地域の経済も混乱し、地域住民の生活必需品を国内調達することが困難になったこと、またソ連邦時代に行われていた貿易の国家独占が廃止され、企業が自由に外国企業と取引することができるようになったことがある。一方、中国では1990年代初めになると、1970年代末から開始された改革・開放政策が国境地区にまで拡大され、その一環としてロシアとの国境4都市の開放政策が実施されたことがある。一方、人的交流については、1988年に両国の間でビザなし旅行をすることが可能になる協定が締結され、その後、1990年には中国人労働者の受け入れについての協定、1992年にはビザなしグループ旅行など一連の協定が締結されたことによって、交流が拡大した。


1)地方間辺境貿易に関する政策

中国では、1994年5月に「中华人民共和国对外贸易法(対外貿易法)」が制定されたが、2004年4月に対外貿易法が改訂されるまで、原則として国家が「貿易権」を与えた少数の法人と組織しか貿易に従事することができなかった17。しかし、1994年対外貿易法は、「国家は民族自治地方と経済の遅れた地区の対外貿易の発展を支援し、促進する」と定め(37条)、さらに付則第42条では、「国家は辺境都市が隣国の辺境都市との間で行う貿易と辺民互市貿易に対して、柔軟な措置をとり、優遇と便宜を与える」と定め、辺境地区では相手国国境地区との都市間貿易や定められた区域での個人取引(互市貿易)を行うことが認められてきた。このような国境地域での小額貿易(辺境貿易)に対し、中国では1994年の対外貿易法制定以前、特に中ロ辺境貿易の発展に対して1980年代初めから中央政府の関心が高まり、1980年代半ば以降は「辺境貿易」という概念で制度的に保護し、地方貿易の促進のためにインフラ整備など実務面での支援を行ってきた。

黒龍江省では、1982年に国務院によって辺境貿易を行うことが許可され、1983年に国境貿易が再開された。その後、1984年には中央と黒龍江省の専門家、実業家たちがソ中経済貿易協力のための研究会を発足し、黒龍江省の辺境地域の19都市の対ソ貿易の歴史と現状に関する研究を行い、その成果に基づいて中央政府に対し辺境地域開放の具体的建議がなされた。このような状況を受けて、1984年8月、胡耀邦共産党総書記が黒龍江省の国境地域を視察し、この地区における対ソ貿易の重要性を述べている。たとえば、黒龍江省黒河視察時には、黒河と深圳を比較して、“南有深圳、北有黑河、南深北黑、比翼齐飞”という標語を掲げた。これは、「南に深圳、北に黒河があり、仲良く翼を連ねて飛ぶ」ということを意味し、開放政策において深圳同様、黒河の重要性を指摘したものである。胡耀邦は黒河視察後、当時は未だ開放されていなかった黒龍江省の対ソ国境地区である同江、虎林、密山、绥芬河、フートウ(虎头)など、現在の中ロ地方間貿易において重要な地区を視察している18。これらの地区は第2次世界大戦前にすでに地域間交流の拠点となっていたところである。


(辺境小額貿易暫定管理方法)

胡耀邦共産党総書記が黒龍江省の国境地域を視察した年の1984年12月、対外貿易部19は中国で初めての辺境貿易に関する全国統一規定「边境小额貿易暂行管理办法(辺境小額貿易暫定管理方法)」を制定した。これは1980年代以降の地方間交流のひとつの形式としての辺境貿易に関して最も早くに定められた規定である。この管理方法は、全12項からなる簡潔なものであるが、これ以後の地方間辺境貿易を管理する基本規定のモデルとなっているといえる。管理規定は、その制定の目的を、1)辺境地域経済を活性化させ、2)辺境住民の生産と生活需要を満足させ、3)両国国境住民の交流を促進し、4)善隣友好関係を促進することであるとしており、中国政府が辺境小額貿易を国境地区発展のための政策として採用したことをうかがわせている。

当管理方法によれば、「辺境小額貿易」は、中国の辺境地域にある都市・農村の中で、地方政府(省、自治区政府)の指定を得た部門と企業が相手方の国境地区にある都市・農村との間で行う「小額貿易」と、隣接国の国境住民が定められた区域で行う「辺民互市貿易」の2種類とされた。小額貿易は中国政府と相手方政府が協定した口岸と貿易場所で行うこと、小額貿易の管理、互市貿易の限度額の決定、許可証の必要な商品の輸出入審査などに関しては地方に権限が委譲されることが明記される一方、口岸の開放、外交、安全、国境防衛、税関、銀行、商品検査、動植物検疫、工商行政管理などは国家が実行することとされた。この時期、外国貿易は一部経済開放区を除き未だ国家の独占であり、貿易による損失は国家の補てんがなされていたが、小額貿易は自己責任の原則で行われた。また、小額貿易に対して税的優遇政策はとられず、規定通り関税、産品税(増値税)を徴収することとしたが、互市貿易に対しては一定金額内の取引に関して関税、産品税(増値税)を免税とした20


(外国貿易改革の若干の問題に関する規定)

1988年3月、国務院は「关于外贸体制改革若干问题的规定(外国貿易改革の若干の問題に関する規定)」を公布し、地方が貿易主体となる外国貿易請負経営責任制を開始した。これを受けて、対外経済貿易部は「关於审批对外贸易企业有关问题的规定(対外貿易企業の審査・許可問題に関する規定)」を出した。この中で、地方政府は、当該地方の商品を取り扱う貿易企業や当該地方の生産企業、企業集団が貿易をおこなう場合など一定の条件の下で、対外貿易企業の審査・許可権を、その主管部門である対外経済貿易部から受権した。


(辺境貿易と経済協力を積極的に発展させ、辺境の繁栄と安定を促進させる意見)

1990年に国務院は、対外経済貿易部、海関総署などいくつかの国家機関から共同で組織した辺境貿易政策調査グループを発足させ、同年10月から11月にかけて黒龍江省、広西チワン族自治区、新疆ウイグル自治区および雲南省4省区における辺境貿易の情況調査を行わせた。報告書は、翌1991年4月はじめに提出され、国務院はこれを直ちに承認するとともに、全国に周知する通知「国务院办公厅转发经贸部等部门关于积极发展边境贸易和经济合作促进边疆繁荣稳定意见的通知(対外経済貿易部などの辺境貿易と経済協力を積極的に発展させ、辺境の繁栄と安定を促進させる意見に関する通知)」を回付した。当通知では、1984年の「辺境小額貿易暫定管理方法」に比べて、辺境貿易の形式と管理、優遇政策などがより具体化され、また国境地方の発展のためには隣国との経済協力を促進することが必要であるとのメッセージが出された。

報告書は、「辺境貿易と経済協力をさらに発展させることは、中国辺境地区の経済発展を促進し、民族団結を強化し、辺境を反映・安定させ、中国と周辺国家との善隣友好関係を強固にするのに重要な意義を有していること。さらにこれらの任務を成し遂げるためには、辺境地区がその優位性を十分に発揮できるように引き続き支持・奨励すること、辺境貿易と経済協力を積極的に発展させ、統一的に指導し、管理を強化し、辺境貿易発展の中に存在する不十分な政策や管理措置などの問題を解決し、辺境地区の対外経済貿易活動が健全な軌道に沿って安定的に発展し続けられるように保証しなければならない」と以下のような内容を政府に建議した。

第1項は辺境貿易の形式と管理方法であり、国境地区で行われる貿易は1984年の「暫定方法」における「辺境小額貿易」から「辺境貿易」に変更され、それには1)辺境小額易貨貿易、2)辺民互市貿易、3)中国ビルマ辺境民間貿易の3種類があるとされた。「辺境小額易貨貿易」は、陸地国境線に沿って国家が対外開放を許可した県、市、その他地区、州、盟などの対外経済貿易部によって易貨貿易権を許可された国営外国貿易会社が、隣国国境地区の貿易機関(企業)との間で行う小額易貨貿易である。「辺民互市貿易」は、辺境地区の住民が、政府が許可した開放地区もしくは市場で規定の金額(300元)あるいは数量の範囲内で「自産・自販・自用」の原則で行う商品交換活動である。互市貿易区の場所は各省などが国家機関と協議の上定める。中国ビルマ辺境民間貿易は、中国国境地域の国営企業とビルマの私人企業の間で、バーターもしくは両国が認めた貨幣交付の方法で行う貿易である。第2項は、辺境貿易に対する国家の優遇税制を定めている21。1995年末までの期限付きで、対外経済貿易部によって許可された辺境貿易会社が指定口岸を通して当該地区で消費される輸入商品に対して、国家が輸入を制限する一部の商品(機械電気製品、たばこ、酒、化粧品など)を除いて輸入関税と産品税(増値税)を半減する22。辺民互市貿易の輸入品は、たばこ、酒、化粧品を除き300元以下の場合関税、産品税(増値税)は免税とされた。

当通知が1984年の「辺境小額貿易暫定方法」と異なる点は、1)小額貿易の貿易主体は国(対外経済貿易部)が審査・許可した国営企業であり、貿易方式は易貨であると具体的にしたこと、2)辺民互市貿易は「自産・自販・自用」の原則で行うこと、3)貿易会社が輸入した製品に対して輸入関税と産品税(増値税)を半減する優遇策を与えたこと、4)辺民互市貿易の限度額(300元)を全国統一的に示したこと23、5)辺民互市貿易の場所、管理方法は省(自治区)が定めることなどである。また、当通知では隣国国境地区との「経済技術協力」を奨励し、これによって輸入した商品の輸入関税と産品税(増値税)を免除したり、辺境貿易の輸入品とみなして半減するなど、税的優遇政策が適用されることを明記している。さらに、辺境貿易と経済技術協力に従事する人々の出国手続きを簡素化した24


(黒河等4辺境都市をさらに開放することに関する通知)

1992年3月、国務院は「关于进一步对外开放黑河等四个边境城市的通知(黒河等4辺境都市をさらに開放することに関する通知)」を公布した。この通知は上述した1991年国務院文書「关于积极发展边境贸易和经济合作促进边疆繁荣稳定意见的通知」に基づいて、ロ中地方間交流の重要拠点である黒龍江省、吉林省、内蒙古自治区政府に対して出されたものである。黒河および綏芬河(黒龍江省)、珲春(吉林省)、満州里(内蒙古自治区)をさらに開放し、ロシアおよびその他の独立国家共同体(CIS)諸国との辺境貿易と地方貿易を拡大し、投資協力、技術交流、労務協力などの多様な経済協力を発展させ、当該都市の優位を利用して製造業と第3次産業を発展させ、辺境地区の安定した発展を促進することを求めた。そのため4市は以下の政策を行うこととした。イ)地方(省、自治区)政府はその権限の一部を4市政府に移譲し、4市政府は辺境貿易、加工労務協力などの経済契約の審査・許可を自ら行うことができる。また、4市は対外経済貿易部の許可を得て、辺境貿易をおこなう会社を増やすこともできる。ロ)加工貿易と外貨獲得農業を振興し、農産物の輸出を促進させる。このため、第8次5カ年計画期間中(1991~95年)、生産資材(輸入種子、苗、飼料)や関連技術設備などの輸入に対し輸入関税と産品税(増値税)を免除する。ハ)国内外の投資を積極的に受け入れ、経済発展を促進させる。当面CIS諸国及び中国国内からの投資受け入れを促進するが、将来的にはそれ以外の国々からの投資を積極的に受け入れ、輸出貿易を発展させるための条件を作る。そのために、地方政府は4市政府に外国企業の投資計画を審査・許可する権限を移譲することができる。また、外国投資企業の企業所得税を減税することができる。CIS諸国の投資企業に対しては、生産資材とその他物資、木材等の実物を投資資本と見なし、辺境貿易易貨貿易の取引とみなして加工貿易関税と工商統一税を半減徴収する。ニ)市内の一定区域に辺境経済協力区を設置し、国内企業の投資を受け入れ、CIS国家への輸出加工企業とそれに関連する第3次産業を興す。経済協力区の場所は国務院特区事務所が関係部局と審査・決定する。ホ)協力区内で輸出を主とする国内の生産企業に対して生産規模が一定の段階に達するまで、CIS国家に対する輸出入経営権を付与する。この企業に対する企業所得税は24%減税し、投資企業が利潤所得を当該企業の本社に送金する場合には所得税を9%減税する。ヘ)協力区内の企業とCIS諸国企業との易貨貿易商品は輸入関税と工商統一税を半減し、自由に国内で販売することを許可する。ト)辺境経済協力区の基盤整備に必要な機器・設備、その他物資の輸入は、輸入関税と産品税(増値税)を免除し、協力区が獲得した財政収入は当面、協力区の処理に任せ、基盤施設建設にあてることを許可する。チ)中国人民銀行は、第8次5カ年計画期間中、各市に1000万元を融資し、協力区建設資金とする。


(旧ソ連邦各国との経済貿易関係をさらに積極的に発展させるための通知)

1992年6月、国務院は「关于进一步积极发展与原苏联各国经贸关系的通知(旧ソ連邦諸国との経済貿易関係をさらに積極的に発展させるための通知)」を公布した。当通知は、1991年末にソ連邦が解体され、旧ソ連邦共和国が独立したという現実に立脚して、輸出を拡大し、必要な原材料、技術設備を輸入するために、いくつかの指示を行っている。第1に旧ソ連邦諸国が外貨不足にあることから易貨貿易を積極的に行うこと、そのために易貨輸出商品品目を一部商品を除き、全面的に開放すること。また、輸出申請と輸出許可証手続きを免除した。第2に易貨貿易または経済技術協力によって輸入される商品は原則、制限なしとされ、輸入計画、輸入申請と許可証手続きを免除された。第3に易貨貿易の口岸はいずれの口岸でも可能とされた。第4に旧ソ連邦諸国で大規模商店を開設する場合、資金不足の場合には中国銀行が融資を行えるとした。また、旧ソ連邦諸国で設立した企業に対し、その利潤に対し当初5年間の免税と、以降の8割減税を行った。


(辺境貿易に関する問題について)

1996年1月、国務院はこれまでに政府が行ってきた辺境貿易と辺境地区の対外経済協力の発展のための支援政策をさらに改善するために、「关于边境贸易有关问题的通知(辺境貿易に関する問題についての通知)」を公布した。この文書は以後の辺境貿易政策の基本となる性格を有しており、当通知に基づいて「边境小额贸易和边境地区对外经济技术合作管理办法(辺境小額貿易と辺境地区対外経済技術協力管理方法)」「边民互市贸易管理办法(辺民互市貿易管理方法)」が制定されている。

当通知によれば、国境地区で行われる辺境貿易は「辺境小額貿易」と「辺民互市貿易」の2種類とされた。辺境小額貿易経営権を有する企業は、国家指定の陸地辺境口岸を通じて隣国国境地区の企業あるいはその他貿易機関との間で貿易活動を行うことができるようになった。この形式の貿易は、対外貿易経済協力部が国務院の関係部署と協議のうえ管理方法を定める。「辺民互市貿易」は、国境地区住民が国境線20キロ以内の政府が許可した開放地区あるいは市場で、規定の金額(1000元)もしくは数量を超えない範囲内で行う商品交換活動を指す。この形式の貿易は、対外貿易経済協力部と海関総署が共同で管理方法を定める。

辺境貿易には優遇措置が取られている。辺境小額貿易では、辺境小額貿易企業が指定辺境口岸を通じて輸入する商品が隣国国家原産の場合、一部商品(タバコ、酒、化粧品、国家が法律に基づき徴収を必要とするその他商品)を除き、1996~98年の間、関税と輸入間接税を半減する。しかし、辺境貿易以外の、旧ソ連邦諸国および東欧諸国、周辺国家との易貨貿易および経済技術協力における商品の輸入には通常の輸入税制が適用される。辺民互市貿易では輸入商品に対して、その無税限度額が一人1日300元から1000元に拡大された。1000元をこえるものは、超過部分に対して法定税率を適用する。

辺境小額貿易は国家の厳しい規制のもとで行われるが、新しい国務院通知のもとで、いくつかの権限が地方に委譲された。以前の規定では辺境小額易貨貿易は、国家が対外開放を許可した県などの易貨貿易経営権を有する国営外貿会社が行うとされていたが、新たな規定では対外貿易経済協力部統一規定の経営資格、条件に基づき、また確定の企業総数内で辺境省、自治区が自主的に辺境小額貿易を行うことができる企業を一次審査、許可することができるようになった。地方は、その企業リストを対外貿易経済協力部に報告し、審査・許可を経た後、国務院の関係部署に報告して初めて、企業は辺境小額貿易をおこなうことができる。また、小額貿易の輸入は、国家計画委員会と国家経貿委員会が毎年辺境地区に対し小額貿易輸入割当額を下達した範囲内で行う。対外貿易経済協力部は、その割当額の範囲内で辺境地区の対外貿易経済協力部管理部門に対し輸入許可証を発行する権限を与える。

当通知では、対外経済技術協力を行う企業が隣国国境地区との経済協力を通じて輸入する商品に対して辺境少額貿易の輸入税政策を適用することが明記された。

1991年文書との違いは、1)辺民互市貿易の行われる場所が、国境線20キロ以内であると定めたこと、2)辺民互市貿易の限度額を一人1日1000元に拡大したこと、3)小額貿易の管理方法は国(対外貿易経済協力部)が定めること、4)小額貿易を行う企業は、当該省(自治区)がまず審査・許可すること、5)企業が行う小額貿易は易貨貿易だけではないことなどである。

1996年3月には、1月に出された国務院通知に基づく複数の文書が、対外貿易経済協力部と海関総署の共同で出された。


(辺境小額貿易と辺境地区対外経済技術協力管理方法)

「边境小额贸易和边境地区对外经济技术合作管理办法(辺境小額貿易と辺境地区対外経済技術協力管理方法)」は、1996年1月の国務院通知において管理方法は対外貿易経済協力部が定めるとした規定を受けて出されたものである。辺境貿易や対外経済技術協力をおこなう企業はまず、当該地方(省、自治区)の審査・許可を得なければならないが、その基準が定められた。辺境小額貿易の場合、辺境貿易企業候補は当該地区の工商行政管理部門に登録し、その登録資金が50万元以上であること、さらに固定の営業所と必要な従業員を擁していることが条件である。辺境小額貿易企業は、必ず登録した地区の口岸および隣接の口岸を通じて交易をおこなわなければならないが、第三国との交易はできない。経済技術協力(請負工事と労務輸出)の場合、すでに当通知以前に経済技術協力を行う許可を外経貿部から得ている企業は、請負・労務協力を行うことができる。さらに、国家が許可した1類口岸(下記 2)口岸の開放に関する政策を参照)を有する地区では、辺境小額貿易企業1社を選択し、対外貿易経済協力部の許可を得て経済技術協力を実施することができる。当管理方法の中で、全国135か所の辺境地区が指定された。中ロ国境地帯では、内蒙古自治区18地区、黒龍江省18地区、吉林省10地区が指定された。辺境小額貿易や経済技術協力は、その実施、契約状況を厳しく管理され、辺境小額貿易の場合、辺境地区は毎年4半期、1年の小額貿易輸出入状況を、また経済技術協力の場合にはその契約状況を外経貿部に報告しなければならない。


(辺民互市貿易管理方法)

「边民互市贸易管理办法(辺民互市貿易管理方法)」は、1996年1月の国務院通知中の辺民互市貿易に関してより具体的に管理方法を定めている。辺民互市貿易の設置場所は陸路国境線付近(20キロ以内)にあり、地方政府が許可をする。貿易区は明確な境界線を有し、海関が要求する施設を備える。辺民互市貿易の金額が1000元を超える場合、1000~5000元と5000元以上では徴税根拠が異なる。


(辺境貿易外貨管理暫定方法)

1997年1月、外貨管理局は「关于下发《边境贸易外汇管理暂行办法》的通知(《辺境貿易外貨管理暫定方法》下達に関する通知)」を出した。当通知は、国家外貨管理局が、隣国との辺境貿易をおこなっている外貨管理局の遼寧省、吉林省、黒龍江省、内蒙古自治区、新疆ウイグル族自治区、チベット自治区、広西チュワン族自治区、雲南省、甘粛省の分局あてに下達したものであり、対外経済技術協力も含む辺境貿易に使用することができる通貨を指定している。また、本通知では辺民互市貿易では、交換可能通貨、中国通貨および隣国通貨を使用できる。辺境小額貿易では、隣国通貨は使用できず、交換可能通貨と中国通貨だけが使用できる。


(辺境貿易のさらなる発展のための拡充規程)

1998年11月、対外貿易経済協力部と海関総署は共同で「关于进一步发展边境贸易的补充规定的通知(辺境貿易のさらなる発展のための拡充規程)」を公布し、1996年国務院通知の規定を拡充している。両者の主要な違いは、1)辺民互市貿易の輸入商品の限度額を3000元に拡大した、2)辺境小額貿易権を有する企業は、対外経済技術協力経営権を付与され、隣国国境地区との請負工事、労務協力を行うことができる、3)対外経済技術協力経営権を有する企業は辺境小額貿易を行うことができる、などである。


(辺境地区経済貿易発展促進問題に関する回答)

2008年10月、国務院は「关于促进边境地区经济贸易发展问题的批复(辺境地区経済貿易発展促進問題に関する回答)」を出した。この中で、これまで辺境小額貿易に対して与えられてきた優遇税制(輸入関税及び間接税の半減徴収)が廃止されるとともに、互市貿易による輸入の免税上限額が3000元から8000元に拡大された。


2)口岸の開放に関する政策

中国政府は、1984年の12月に辺境小額貿易暫定管理方法を制定したあと、1985年9月、国境貿易において相手国地域との貿易を行う口岸開放に関する統一規定である「国务院关于口岸开放的若干规定(口岸の開放に関する若干の規定)」を定めた。当規定によれば、口岸とは人や貨物、輸送手段などが出入りする国境の港、空港、駅、通道などを指し、検査機関(国境警備、税関、衛生検疫、動植物検疫、商品検査など)を備えていなければならない。口岸は、1,2類に区分され、1類口岸は国務院の許可によって開放された口岸(国家管理の口岸と省、自治区、直轄市管理の一部口岸を含む)、2類口岸は省級の地方政府が許可、開放、管理する口岸と定められた。1類口岸は、(1)外国の船舶、航空機、車両などに開放される海、陸、空の客貨口岸と、(2)中国の船舶、航空機、車両が出入国を許可される海、陸、空の客貨口岸などがあり、2類口岸は、(1)隣国地方政府との間で辺境小額貿易を行い、その人々が往来する口岸と、(2)国境住民だけが通行できる出入国の口岸などがある。2類口岸は関係する地区(市や県など)政府が必要な手続きを経た後、地方(省、自治区)政府の許可を得ることになっている。開放政策が実施される以前は、中国の対外貿易の口岸は、主として広州、大連、上海、青島、天津等の港湾都市に開設されていたが、開放政策の下で新たな口岸開放の必要性が高まった。当規定は1980年代初めから始まった中国各地の国境地方と隣国国境地方との辺境貿易に関係する2類口岸の開設権を地方政府に移譲する根拠規定となっている。

1986年3月に公安部、外交部、総参謀部によって共同で出された「关于公布中外籍人员入出境通行口岸的通知(中国人、外国人出入国通行口岸に関する通知)によれば、71口岸が中国人と外国人の出入国を許可され、14口岸が中国人と国境を接する国の住民のみが出入国を許可され、12口岸は特別に許可されたものだけが出入国できるとされている。ロ中国境地帯では3か所の口岸が設置されていたが、第三国人にも開放されていたのは内蒙古自治区満州里口岸のみであり、黒龍江省の綏芬河と黒河は中国人とロシア人にだけ通行が許可されていた。国務院は1989年に、黒龍江省のモハ(漠河)、ジアイン(嘉荫)、ルオベイ(萝北)、ラオハ(饶河)、虎林、密山、シュンカ(逊克)、ドンニン(東宁)の口岸を対ソ開放口岸として開放することに同意した25

しかし、1991年1月、交通部が黒龍江省の関係部局に対し回付した「关于中苏边境口岸出入境运输管理有关问题的通知(中ソ国境口岸出入国運輸管理問題に関する通知)によれば、黒龍江省にはすでに十数の自動車、船舶などの口岸が開設されているとされているが、運輸の管理が統一されていないことや手続きが不完全であることなどが指摘されている。そのため、当通知によって、道路、水路を利用する運輸は、必ず両国政府が合意した開放口岸を使用すること、口岸のある都市間の国境運輸の場合は黒龍江省の関係部局に審査・許可権限を委譲する一方、口岸都市を超える運輸と内陸部及び内内地水路運輸の場合は交通部が審査・許可を行い、相手と協議、協定締結を行う直接の責任を負うことが定められた。

1994年にはソ連邦と中国政府の間で、東部国境地域における通行所(口岸)に関する協定が締結された。これは、それまで個別的に取り決められてきた通行所を一括して政府間協定書として合法化したものである。その後1998年には補充協定によって、さらに2カ所の通行所が追加された。


3)人的交流の拡大

国境地区では、地方間の貿易だけでなく、互市貿易区への出入りや、相手国国境地区への観光(買い物ツアーを含む)旅行を含め、人の行き来も拡大している。国境とは、基本的に人や物の入出を制限する制度である。東部国境地域では1980年代初めまで国境は厳しく閉ざされた線であった。しかし現在では、ビザなし団体旅行や互市貿易区への簡素入境手続きの導入によって、国境線を越えて行き来する人々の数が増大している。

1988年7月、ソ連邦と中国はビザなしで国境通過を認める協定を締結した。これが、人的交流の増大、特に中国人のロシアへの入国を急激に増大させたといわれている26。同年9月には、東部国境地域で初めての黒河とブラゴベシチェンスクの間での日帰り旅行が実施された。1991年に、ソ連邦と中国政府はビザなしグループ旅行に関する覚書を交換し、同年3月31日以降、ビザなしで団体旅行ができる制度ができた27。外交部等によるこの覚書の通知文書によれば、ソ連邦および中国の指定された旅行会社28が組織する団体旅行にはビザなしで相手国を旅行できるようになった。この覚書によるビザなし団体旅行制度は、1992年に政府間協定によって管理されるようになった29。その後、ビザなし出入国制度は1993年の政府間協定30によって廃止されたが、ビザなし団体旅行制度は2000年の協定改定31、2006年の補充改定議定書32の調印によって維持されている。2000年協定に対する2006年の主な変更は、団体旅行の規模が50人以下と明記されたこと、相手国での滞在期間が30日から15日に短縮されたことなどである。

中国では、辺境地域住民による相手国国境地域への旅行に対する支援策が国家旅行局によって講じられてきた。東部国境地域間の短期旅行は、1988年に黒河=ブラゴベシチェンスク1日旅行で始まった。その後、国家旅行局は1990年2月に、黒龍江省旅行局が少人数のソ連邦との試験的な自費団体旅行を行うことに対する許可を与えた33。この中で、ソ中双方は7日旅行を毎週1団体(30~40人)を全部で20団体相互に組織することを許可した。中国側のメンバーは黒龍江省の大中企業の支払い能力のある人とされた。同年7月には、綏芬河市がソ連邦パグラニチヌイ(Пограничный)と1日旅行を行うことが許可された34。黒龍江省旅行局に対する1990年2月の同意は、翌1991年にはさらに規模が拡大された。1991,92年の両年、それぞれ1200名ほどに規模を拡大して7日間旅行団を実施することが許可された35。1992年には、3月に満州里とチタの間で3日旅行36が、6月に吉林省延吉市とウラジオストック市の間で4日旅行37が許可された。

国家旅行局は、1992年7月16日、これらの試験的な旅行実践が「辺境地区の国民経済の協調的発展を促進し、交通・運輸を推進し、商品市場を反映させ、サービス業を振興し、財政収入を増加させた」と大いに評価して、辺境地域間の旅行を拡大させるため「国家旅游局关于扩大边境旅游促进边疆繁荣的意见(辺境旅行を拡大して辺境地区の繁栄を促進させるための意見)」を通達した。この中で、黒龍江省は綏芬河市=ウラジオストック3日旅行、五大连池・黒河=ブラゴベシチェンスク5日旅行、牡丹江=ナホトカ(Находка)5日旅行、吉林省は珲春=スラビャンカ(Славянка)2日旅行、珲春=ナホトカ3日旅行、内蒙古はハイラル=チタ3日旅行が許可された。

1997年10月、国家旅行局は国務院の許可を得た「边境旅游暂行管理办法(辺境旅行暫定管理方法)」を定め、上述したようなこれまで黒龍江省等の辺境地区が行う辺境旅行に対して個別的に許可してきた方式から、全国的な統一規定に基づく辺境旅行の実施方式に改めた。この中で、地方が辺境旅行を開設するためには、国務院が外国人に対して開放を許可した辺境市・県であること、これら地区に正式に対外開放した1,2類の口岸施設があること、国家旅行管理部門が外国人接待を許可した旅行社がその地区にあること、相手国国境地区旅行部門と合意を得ていることなどが必要条件であると定めた。この規定に基づき、国家旅行局は、外交部、海関総署等と共同で中ロ辺境旅行に関する詳細な管理細則「中俄边境旅游暂行管理实施细则(中ロ辺境旅行暫定管理実施細則)」を定めた。

互市貿易は、旅行とともに人の行き来のひとつの形である。東部国境における互市貿易は、すでに見てきたように長い歴史を有しているが、1960年代からの断絶を経て1980年代以降に再開された。現在、東部国境地区では中国側には、満州里、黒河、綏芬河など大小14カ所の互市貿易区が作られている(図1参照)。

1996年3月、海关总署、对外贸易经济合作部が定めた「边民互市贸易管理办法(辺民互市管理方法)」によれば、「辺民互市貿易」とは辺境住民が国境線20キロ以内で政府の許可の開放点あるいは市場において、規定金額あるいは数量を超えない範囲内で行う商品交換活動である。さらに、互市貿易区は、1)陸路、国境河川付近に設置すること、2)辺境省、自治区政府によって許可を受けること、3)明確な境界線で区切られていること、4)互市貿易区(点)の税関の管理監督施設は税関の要求に合致すること、などが設置条件となっている。具体的な辺民互市貿易区は、対外貿易経済協力部と税関総署が統一して管理方法を制定し、辺境省、自治区人民政府が具体的に実施するとした。

互市貿易区への入境には通常の入国手続きが必要とされているが、1998年2月、中国側に設置された満州里、黒河、綏芬河貿易区へのロシア人の入境手続きの簡素化に関する協定が締結された38。第1段階として、満州里の貿易区への入境に際してビザが免除された。黒河、綏芬河貿易区に関しては個別に協議され、1999年2月に両貿易区への簡素入境に関する政府間協定が締結された39

3.中ロ地域間の協議機構

1980年代から90年代半ばにかけて、国境地域間の交流は急激に高まったが、これに伴って地域間交流の諸問題を協議する両国政府間の体制も整えられ始めた。

中ロ政府間では1996年以降、毎年1度、定期的に首相会談が開催されている。首相会談は多層構造で構成されており、首相会談を準備するための副首相クラスで実施される準備会議があり、その下には各省の大臣クラスを長とする各種領域の委員会が設置されている。この組織構造はほぼボトムアップ型であり、各領域の常設作業部会、各委員会、準備会議、そして最終的に首相会議で承認されることとなる。それらの課題の重要なものは首相会議だけでなく、さらに上層レベルの元首会談の議題にも取り上げられている。そのようなもののひとつは、2009年に国家元首会談で締結された極東・シベリア地域と東北地方の協力プログラムである40

首相会議では、主として中国とロシアの国家レベルでの議題が検討されるが、経済貿易委員会、運輸委員会は特に国境地域間の経済関係に大きく関係している。また、銀行委員会も国境地域における貿易、観光などの決済に関する議題を審議している。経済貿易委員会の下では、常設機構である国境・地域間貿易経済協力常設作業部会が活動しており、運輸委員会の下では通行所(口岸)作業部会が活動している。国境・地域間貿易経済協力常設作業部会は、ロシア経済発展商業省副首相と中国対外貿易経済協力部副部長が共同議長となり、中央政府の関係機関とともに地方政府も参加している。

国境地域間でも「地域間・国境貿易経済協力調整会議(Российско-китайский Координационный Совет по межрегиональному и приграничному торгово-экономическому сотрудничеству、俄中地方及边境合作协调委员会)」と呼ばれる常設の協議機関が1998年に設けられ、定期的に協議が行われている。地方レベルでの協議機関の設置は、極東地域と東北地区との交流が拡大するに従い、個別地域(地区)のみでは解決することが困難な問題が生じてきたことによる。たとえば、極東地域への中国人の流入、担ぎや貿易の急増、通行所(口岸)設備や連絡交通インフラの改善、国境河川や湖の環境保護、貿易決済方式等々、極東地域にとって深刻な問題になった。調整会議には、ロシア側はシベリア連邦管区に属するアルタイ共和国、ブリヤート共和国、ザバイカル地方、極東連邦管区に属するアムール州、ハバロフスク地方、沿海地方、ユダヤ自治州の副知事、中国側は5省(黒龍江省、内蒙古自治区、遼寧、吉林、新彊ウイグル族自治区)の副省長と東北地区の大都市(ハルビン、シェンヤン(瀋陽)、チャンチュン(長春)、ダーリャン(大連)の市長で構成されている。

        表1 ロ中東部国境における対応通行所
表1 ロ中東部国境における対応通行所
出所:「Соглашение межлу правительством Российской Федерации и провительством Китайской Народной Республики о пункт пропуска на Российско-Китайской государственной границе от 27 января 1994 г(ロ中国境における通行所についての政府間定1994年1月27日)」、「Распоряжение ГТК России от 4 октября 2001 г. N 961-р "О пунктах пропуска через государственную границу Российской Федерации"(国家税関委員会指令“ロシア連邦の国境通行所について”」( http://www.alta.ru/tamdoc/01r00961/ )。
注:*冬季、河川が凍結した時に自動車使用。
           図1 中ロ国境地区と口岸

図1 中ロ国境地区と口岸

(出所)著者作成。


脚 注

  1. ネルチンスク条約はアルグン河流域を画定し、アイグン条約はアムール河を国境とし、ペキン条約はウスリー河とその南部の国境線を定めた。
  2. 「Соглашение между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о пунктах пропуска на российско-китайской государственной границе(ロ中国境における通行所についての政府間協定)」(1994年1月27日締結)。当協定では21対の通行所が開放されたが、1998年に補充協定が締結され、さらに2カ所の通行所が開放された。「Соглашение между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о допорнении к Соглашению между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о пунктах пропуска на российско-китайской государственной границе от 27 января 1994 г.(1994年の通行所協定の補充協定)」(1998年1月19日)。「Постановление Правительства РФ от 27 марта 1998 г. N 357 об открытии сезонного пункта пропуска Покровка-Логухэ на российско-китайской государственной границе(季節通行所ポクロフカ=洛古河の開設についての政令)」(1998年3月27日)。
  3. 孟宪章編、「中苏经济贸易史」(28-29頁)、黑龙江人民出版社、1992年、哈尔滨。
  4. 孟宪章編、「中苏经济贸易史」(53-54頁、122頁)。『边境贸易』(http://www.hlmohe.gov.cn/htm6/bnmh-bjmy1.htm)。
  5. 現在の内蒙古自治区呼伦贝尔市黒山头(ヘイシャントウ)一帯の地区。黒山头と対岸のスタロツールハイトゥイ(Староцурхайтуй)には一対の通行所が設けられている。
  6. キャフタ条約の締結に先行して行われた交渉の過程で2カ所の互市地点が選択され、文書交換が行われた(1728年5月17日)。キャフタ条約の締結によって、この交換文書が効力を発した。孟宪章編、「中苏经济贸易史」(81頁)。
  7. 宋玉成・宿丰林、『关于创建中俄沿边自由贸易区的思考』、俄罗斯中亚东欧市场、2004年第2期。孟宪章編、「中苏经济贸易史」(81-82頁)。
  8. 『边境贸易』(http://www.hlmohe.gov.cn/htm6/bnmh-bjmy1.htm)。クマラは、現在のブラゴベシチェンスク市と黒河市より上流沿岸にあり、対岸は現在の黒龍江省フーマ(呼玛)である。現在、呼玛と対岸西北にあるウシャコヴォ(Ушаково)は一対の通行所となっている。
  9. 『边境贸易』(http://www.hlmohe.gov.cn/htm6/bnmh-bjmy1.htm)、
  10. 『爱辉区商业(对外贸易)-边境贸易(黑龙江)』(http://aihuiqu.mofcom.gov.cn/aarticle/gaikuang/200509/20050900425956.html)。
  11. 加.尼.罗曼诺娃、「远东俄中经济关系」(原典Г.Н.Романова, Экономическое отношение России и Китая на Дальнем Востоке XIX –начало XX вв., Издательство<наука> , Москва 1987)(62頁、104頁)、黑龙江科学技术出版社、哈尔滨。杨新华等編、「中苏贸易口岸」(28頁)、黑龙江人民出版社、1991年、哈尔滨。この規定はロシア商人に特権を与えただけでなく、中国税収に大きな損失を与える要因となったとも指摘されている( http://www.people.com.cn/GBhistoric/0304/451.html)。
  12. 「満洲里市志」(643頁)、内蒙古人民出版社、1998年、呼和浩特。
  13. 孟宪章編、「中苏经济贸易史」(233、249頁)。
  14. 『「爱辉县志』」(http://www.zglz.gov.cn/trsweb/Detail.wct?SelectID=9401&RecID=160)
    『「边境贸易』」(http://www.hlmohe.gov.cn/htm6/bnmh-bjmy1.htm)、
    『爱辉区商业(对外贸易)-边境贸易(黑龙江)』
    (http://aihuiqu.mofcom.gov.cn/aarticle/gaikuang/200509/20050900425956.html)。
  15. 宿丰林 孙丽、『「黑龙江省实施沿边开放战略的回顾与前瞻』」
    (http://www.sinorussia.com/fenance/9-1/14.HTM)、
    В.Мизинчиков,『“Окно”в СССР』,Дальневосточный капитал,No.4 2007.г( http://www.zpress.ru/dk/2007/4/27)。
  16. 平泉秀樹、『中国黒龍江省の対ロシア貿易—辺境貿易を中心に』、ワールド・トレンド(2010年2月号)、アジア経済研究所。平泉秀樹、『中国黒龍江省の対ロシア貿易の現状と国境地区への影響』、ERINA REPORT(2010年7月号)、環日本海経済研究所。
  17. 青木浩治・藤川清史、「現代中国経済」( http://kccn.konan-u.ac.jp/keizai/china/07/03.html )によれば、貿易権を得た企業は1978年時点では全国でわずかに10社であったが、1992年時点では数百社、1995年では3400社、1996年では1万社、1998年では2.1万社と次第に拡大していった。また、2001年までは中国企業だけが貿易権を得ることができたが、2001年8月、外資企業にも製品の輸出を認めた(米国通商代表部(USTR)2004年外国貿易障壁報告書(仮訳))( http://www.jetro.go.jp/theme/wto-fta/column/)。
  18. 宿丰林 孙丽、『黑龙江省实施沿边开放战略的回顾与前瞻』
    (http://www.sinorussia.com/fenance/9-1/14.HTM)。
    『思念依然无尽-回忆父亲胡耀邦』、
    (http://www.qdcaijing.com/content/2006-03/07/content_6162944.htm)。
  19. 中国政府の外国貿易担当機関は、貿易制度の改革とともに変化してきた。1949年に貿易部が設置され、1952年に対外貿易部に改組された。その後、1982年に対外経済関係を担当する他の2機関と統合され、対外経済貿易部が設置され、さらに1994年対外貿易経済協力部に改組されている。
  20. 1991年以降、互市貿易を含むすべての辺境貿易に税的優遇政策が導入された。
  21. 互市貿易の免税対象額は、1991年に300元、1996年に1000元、1999年に3000元、2008年に8000元に拡大された。
  22. 辺境貿易会社を通じた代理輸入商品は、上記の優遇を受けない。辺境貿易の輸入貨物が辺境省、自治区外で販売される場合には、半減した輸入関税と産品税(増値税)を支払わねばならない。
  23. 1984年文書では、辺民互市貿易の限度額は、当該省(自治区)が規定し、国家機関(対外経済貿易部、海関総署)に報告することとなっていた。
  24.  通行証で国境出入国ができることを国家間協議で合意した地区では、通行証によってまた、合意がない地区では公用パスポート(因公普通护照)で何度でも出入国可能とした。
  25. 黑龙江省商务厅
    (http://kaifangzhan.mofcom.gov.cn/column/print.shtml?/g/h/200902/20090206027992)。
  26. 1993年12月29日付で締結された「Соглашение между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о визовых поездках Граждан(市民のビザ旅行)」によれば、当協定の発効によって、1988年7月15日の「市民の相互旅行についての協定」の効力が失効した。1988年協定の原文はロシア語版、中国語版とも入手できなかったが、いくつかの文献によれば、その協定はビザなしで国境を通行することができる内容であった。А.Ларин ,『К вопросу о китайской“демографической экспансии”』, Проблемы Дальнего Востока, No.6, 2002. М.Алексеев,『Угражает ли Китайская миграция』, Мировая Экономика и Международные отношения,No.11, 2000. О.Зотов,『 Китайцы на российском Дальнем Востоке норма или угроза?』( http://rus.ru/politics/20010425-zotov.html)。
  27. 「外交部公安部关于中苏达成互免团体旅游签证协议的通知(ビザなし団体旅行協議の達成に関する通知)」(1991年3月28日)。
  28. 中国側5社、ソ連邦側3社。
  29. 「Соглашение между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о безвизовых групповых туристских поездках(ビザなし団体旅行についての協定)」(1992年12月11日)。
  30. 「Соглашение между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о визовых поездках Граждан(市民のビザ旅行についての協定)」(1993年12月29日)。
  31. 「Соглашение между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о безвизовых групповых туристских поездках、中华人民共和国政府和俄罗斯联邦政府关于互免团体旅游签证的协定(ビザなし団体旅行に関する協定)」(2000年2月29日)。
  32. 「Соглашение между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о безвизовых групповых туристических поездках、中华人民共和国政府与俄罗斯联邦政府关于修改和补充2000年2月29日签订的《中华人民共和国政府和俄罗斯联邦政府关于互免团体旅游签证的协定》的议定书(2000年2月29日締結のビザなし団体旅行協定の改定についての協定)」(2006年11月17日)。
  33. 「国家旅游局关于同意黑龙江省旅游局组织少量自费旅游试验团同苏联进行交换的批复(黒龍江省旅行局が少人数の自費旅行試験団をソ連邦と交換することに同意することに関する回等」(1990年2月8日)。
  34. 「国家旅游局关于同意黑龙江省绥芬河市与苏联波格拉尼奇内区开展边境一日游的函(黒龍江省綏芬河市とソ連邦パグラニチヌイと辺境1日旅行の開設に同意する公文)」(1990年7月18日)。
  35. 「关于同意黑龙江省继续进行中苏对等交换旅游团业务的函(黒龍江省が引き続き中ソ対等交換旅行団業務を行うことに同意する公文書)」(1991年1月10日)。
  36. 「关于同意我满州里市与俄罗斯赤塔市开展边境三日游活动的复函(満州里市とチタ市との3日旅行の開設に同意する公文書)」(1992年3月28日)。
  37. 「关于同意吉林省延吉市与俄罗斯符拉迪沃斯托克市开展边境四日游活动的复函(吉林省延吉市とロシアウラジオストック市との4日旅行の開設に同意する公文書)」(1992年6月15日)。
  38. 「Соглашение в форме обмена номами между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики по организации упрощенного пропуска граждан Российской Федерации в ряд торговых комплексов,расположенных с китайской стораны от Российско-Китайской государственной границы(中国領にあるいくつかの貿易総合区へのロシア市民の簡素通行に関する協定)」(1998年2月17日)。
  39. 「Соглашение между Правительством Российской Федерации и Правительством Китайской Народной Республики о распространении практики упрощенного пропуска граждан Российской Федерации в торговые комплексы в г.г. Хэйхэ и Суйфэньхэ, действующие по китайскую сторону российско-китайской границы, в форме обмена нотами(黒河と綏芬河の貿易複合区へのロシア市民の簡素通行適用についての協定)」(1999年6月2日)。
  40. 2009年9月23日にはメドベージェフ大統領と胡錦禱国家主席の会談において「Программа сотрудничества между регионами Дальнего Востока и Восточной Сибири Российской Федерации и Северо-востока Китайской Народной Республики (2009-2018 годы)、中华人民共和国东北地区与俄罗斯联邦远东及东西伯利亚地区合作规划纲要(ロシア極東・東シベリア地域と中国東北地区の協力プログラム(2009~2018年))」が締結された(2009年9月23日)。協力プログラムは9つの協力領域を指定し、付属文書として重要プロジェクトが列記されている。この協力領域の中でも、国境通行所の施設の改善や輸送インフラの改善などが重要な分野として挙げられている。