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ロシアによるクリミア併合のインパクト:カザフスタンの対応と「ロシア人問題」

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049670

 岡 奈津子

2014年3月

2013年11月にウクライナの首都キエフで始まった反政府デモは、強制排除による流血を経てヤヌコヴィッチ大統領の国外逃亡、暫定政府樹立と急展開してきたが、ロシアの軍事介入によって一気に緊迫の度を増している。事実上のロシア軍占領下で2014年3月16日に実施された住民投票を受け、ロシアはウクライナ領クリミア自治共和国およびセヴァストポリ市(以下、クリミア)の「独立」を承認、クリミア政府とロシア編入に関する条約を結んだ。

「ロシア人保護」を口実にウクライナの一部を併合したプーチン政権は、旧ソ連地域にとって危険な先例を作ってしまった。ソ連解体によってロシアの外側に「取り残された」ロシア人への差別を理由に、ロシアが国境線の変更を要求するのではないかという指摘はかねてからあったが、実際にロシアがソ連から独立した国家の領土を併合したのは今回が初めてである。以下では、領土拡大を狙うロシアの潜在的ターゲットともいわれてきたカザフスタンについて、ウクライナ政変とクリミア併合の影響を考えてみたい。

カザフスタン外務省は3月18日、クリミアで実施された住民投票を「自治共和国住民の自由な意思表示」とみなすとの見解を発表した。また、これに先立つ3月10日には、ナザルバエフ大統領がプーチン大統領との電話会談で「ウクライナの少数民族の権利保護と、自らの安全保障上の利益を擁護するロシアの立場への理解」を示していた。ただしカザフスタンは、ウクライナの領土保全とクリミア住民投票の無効性に関する国連総会決議案には反対票を投じず、棄権している(3月27日採択、賛成100、反対11、棄権58)。

国内に少なからぬロシア人を抱え、ロシアの介入の可能性を懸念しているはずのカザフスタンが、なぜプーチン政権に「理解」を示したのだろうか。周知のとおり、カザフスタンはロシアおよびベラルーシと関税同盟を結成し、政治的・軍事的にも密接な関係を築いてきた。また独立以前から指導者の地位にあり、権威主義的な手法で政権の長期化を図ってきたナザルバエフとしては、プーチン同様、市民の抗議行動による政権交代を容認することはできない。これは過去2度の「革命」を経験しているキルギス共和国(クルグズスタン)が、ヤヌコヴィッチ大統領を非難しウクライナ暫定政権を承認する声明を出したのとは対照的である。

別の見方としては、ロシアの介入を阻むための予防的措置、という説明もできよう。カザフスタンの人口1667万人のうちロシア人は372万人で、全人口の22パーセントを占める(2012年初)。ソ連末期に比べれば激減したが、旧ソ連圏でみればこのロシア人人口はウクライナに次ぐ規模で、都市部と、ロシアと国境を接する北部、北東部に比較的多く住んでいる。カザフスタンはこうした人々の権利を尊重し、かつロシアの利益を考慮する姿勢を改めて強調することで、ロシアに介入の口実を与えまいとしているのかもしれない。

いずれにせよ、カザフスタンのロシア人が「われわれもクリミアに続け!」と決起する可能性は低い。カザフスタンではロシア語話者を中心に、ヤヌコヴィッチ政権の崩壊はアメリカの陰謀で、ウクライナ暫定政権は過激な民族主義者に牛耳られているというロシアの宣伝がかなり浸透している。しかしロシア人自身がカザフスタン北部で分離独立運動を起こすことは想定しにくい。筆者はむしろ、今回のロシアの軍事介入がカザフ人のあいだで反ロシア感情を引き起こし、その矛先が自分たちに向けられることを懸念している人が多いのではないかと考えている。

カザフスタンにおけるロシア人の民族運動は1990年代半ばまでは比較的活発であったが、当局による弾圧、活動の制限や事実上の禁止などにより、指導者は国外に脱出するか、活動停止を余儀なくされた。さらに政権の巧みな懐柔策もあって、現存するロシア人公認団体の代表らはみなナザルバエフ大統領を支持している。このように御用団体と化したロシア人団体の活動は、一般のロシア人にはほとんど影響力を及ぼしていないが、住民のあいだでも積極的に分離独立やロシアへの併合を求める動きはない。むしろ民族問題では穏健な態度を示しているナザルバエフの退陣後、急進的な民族主義者が政権につくことを恐れる気持ちから、現職を支持するロシア人も少なくない。また数世代にわたってカザフスタンに定住している人々のなかには、話す言語は同じでも、行動様式や考え方などの点で「自分たちはロシアのロシア人とは違う」という意識を持つ人も多い。

そもそも民族運動が盛んであった1990年代ですら、公然と分離独立を唱える勢力は、カザフスタン国内ではごく一部に過ぎなかった。ロシア人民族運動が掲げた主な争点は、ロシアとの二重国籍の承認、ロシア語の地位をめぐる問題、およびロシアとの統合強化であったが、これらの議論は(今後再燃する可能性が皆無というわけではないものの)すでに決着がついている。現行憲法で二重国籍は否定されているが、ロシア語は事実上公用語とされ(憲法規定により国家機関における公的使用を承認)、その地位は保証されている。ナザルバエフはもともとCIS諸国間の統合の熱心な提唱者で、カザフスタンがロシアと関税同盟を結成していることは上述したとおりだ。

またカザフスタンは中央集権国家であり、自治共和国というステイタスを持つ領域を抱えるウクライナとは前提条件が異なる。クリミアでは今回の住民投票に先立ち、武装集団の「警護」下で親ロシア派の首相が自治共和国議会により選出されている。ヤヌコヴィッチ大統領の国外逃亡と暫定政権の成立という混乱のなかで起こった事態とはいえ、自治共和国という枠組みがなければ、これほどのスピードで住民投票にこぎつけることはできなかっただろう。これに対しカザフスタンの行政区域の首長は大統領の任命であり、州知事は州議会に大きな影響力を行使している。民族構成という点でも、ロシア人の流出や州統廃合により、ロシア人人口がカザフ人人口を上回っているのは北カザフスタン州だけである(カザフ人34%、ロシア人50%)。たとえロシアの後ろ盾があったとしても、親ロシア派が議会を乗っ取り、州知事を追い出して住民投票を強行するというシナリオは描きづらい。

このように、ナザルバエフ政権がロシアに最大限の配慮をし、かつロシア人自身のあいだでも分離独立志向が弱い現状では、同胞保護を理由にロシアが介入する可能性は低い。ただしカザフスタンにおいても、旧ソ連諸国の主権を脅かし国際的にも孤立を深めるロシアと、このまま政治的・経済的統合を押し進めてよいのか、という批判は強まっている。なかでもロシアとの統合に強く反対しているのがカザフ民族主義の立場に立つ人々だ。ウクライナ危機が始まる以前から、ロシアとの関税同盟はカザフスタン経済にとってメリットが少ないという不満も上がっており、欧米諸国の経済制裁の悪影響がカザフスタンにも及べば、ナザルバエフ政権は外交路線の修正を迫られるかもしれない。しかしいずれにせよ、現政権がロシアと正面から対立するような政策をとることは考えにくい。今後注目すべきは、カザフ民族主義勢力を中心とするロシアへの反発が、ナザルバエフ政権を動揺させるような力を持ちうるのかという点にあろう。