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ペルー情勢レポート 遺伝子組み換え作物の導入を10年間停止

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050888

清水 達也

2012年1月

2011年12月、遺伝子組み換えの作物(GM作物)の導入を10年間停止する法律が公布された。この法律によりペルーでは今後10年間、遺伝子組み換えの植物や動物の輸入、そして遺伝子組み換えにより作られた農畜産物や水産物を栽培、繁殖することが禁じられた。本報告ではこの法律の成立までの経緯を振り返りながら、ペルー国内のGM作物を巡る意見の対立について考察したい。

バイオテクノロジーの普及を推進する団体であるISAAA(http://www.isaaa.org/)によれば、2010年現在、世界で生産されている大豆の81%、ワタの64%、トウモロコシの29%、ナタネの23%が遺伝子組み換え作物である。GM作物はラテンアメリカでも多く生産されており、アルゼンチンでは遺伝子組み換え品種の割合が、大豆と綿花で95%以上、トウモロコシでも80%以上に達している(ArgenBio, http://www.argenbio.org/)。しかしペルーの気候や土壌は大豆やトウモロコシの大規模生産には適しておらず、今までGM作物の導入が国民の間で広く議論されることはなかった。

ラモリーナ農業大学のアントニエタ・グティエレス研究員が、リマ州北部のバランカ市でGMトウモロコシが栽培されているという報告書を2007年に国立農業研究所(INIA)に提出した。その後の再調査を行ったINIAは、バランカ市ではGMトウモロコシは発見されなかったとする報告書を首相府に提出した。しかしグティエレス研究員の報告がきっかけとして、農業関係者だけでなく広く国民の間で、GM作物の導入の是非を巡る議論が活発化した。

それまで政府は、GM作物の導入は解禁していないという立場をとっていたものの、それを明示的には禁止していなかった。しかし実際には既に導入されているかもしれないという恐れは、政府関係者を慌てさせた。政府がGM作物に対する方針を明らかにし、それに対して有効な措置をとるよう求める声がマスコミを中心に高まった。そして賛成派、反対派の双方が自らの主張を説明した。

賛成派は、GM作物の導入によって国内農業の競争力が高まり、輸入農産物への依存が減少すると主張している。現在ペルーは、消費している飼料用トウモロコシの約半分、大豆粕の大部分をアルゼンチン、パラグアイ、ボリビアから輸入している。綿、綿糸、綿繊維についてもインドや中国から輸入している。GM品種の導入による単収増が、国内産農産物の価格競争力を押し上げ、それによって輸入への依存が減少するという主張である。飼料の大口需要家である養鶏産業や種苗業者、そのほか大規模で近代的な農業生産者や法人が賛成派の中心を占めており、政府による規制緩和を求める経済学者などもこれに賛同している。ガルシア政権下では、農業の技術革新により生産者の所得向上を狙う農業省も、導入に積極的な姿勢を見せていた。

これに対して反対派の主張は大きく3点にまとめられる。第1点は消費者からみた食品の安全性を心配する主張である。ただしGM作物の安全性については、米国が「GM作物を含む食品の危険性は確認されていない」としており、安全性自体は争点とはなっていない。そのかわり、GM作物を含む食品の表示義務については現在も議論が続いている。第2点は生産者からみた種子の支配の問題である。GM品種の開発には莫大な費用がかかるため、これを供給できるのは世界でも数社の多国籍企業のみである。これまで自家採取の種子を使ってきた小規模農民がGM種子に依存するようになると、毎年新しい種子を購入しなければならなくなる。その結果、農民が多国籍企業に従属せざるを得なくなる、という議論である。第3点は生物多様性の喪失を懸念する声である。ペルーは海岸部、山間部、熱帯低地部と多様な気候や土壌を有しており、とくに山間部に当たるアンデス山脈は様々な農産物の原産地として知られている。また、熱帯低地部は世界でも有数の生物多様性を誇るアマゾンのジャングルである。このようなところにGM作物が導入されると、在来種がGM作物の花粉を受粉するなどして「汚染」され、生物多様性が失われる。その結果、自然や多様性を売りにしているペルーの農産物や食品、神秘的な国として売り出している観光地の魅力が失われ、経済的にも大きな被害がでるという主張である。反対派には中小規模の生産者を主体とした農業団体、環境保護団体、料理人らが中心となっている食文化の振興団体、マスコミなどが名前を連ねている。

2011年7月まで政権を担当していたガルシア政権は、市場経済の尊重による民間投資の誘致による経済成長を重視していた。その政権末期の2011年4月、農業省はGM作物の導入を可能にする法令(Decreto Supremo 003-2011AG)を公布し、GM作物の導入を図った。しかし、当時農業大臣であったラファエル・ケベド氏が養鶏企業のオーナー経営者で、養鶏業界は飼料用メイズのコスト削減のためにGMメイズ導入を積極的に支持していたことや、大臣顧問の一人がメイズなどの種子を販売する企業を経営していたことから、自らの利益を誘導するために法令を公布したと批判を受けてケベド大臣は辞任に追い込まれた。この出来事により、国民の間にGM作物導入に対する不信感が高まった。

これを受けて野党は、ガルシア政権の任期終了まで1カ月となった2011年6月に、GM作物の導入を10年間禁止する法案を議会に提出した。この法案は野党各党の賛成を受けて議会を通過したものの、ガルシア大統領は「次の政権が決めること」としてこの法案に署名をせず、結局廃案となった。

2011年7月末に始まったウマラ政権は、GM作物導入禁止を支持する姿勢を示した。2011年11月には新しい議会が再びGM作物導入10年間禁止法案を議会に提出し、これが可決された。12月には、ウマラ大統領による署名を経て、「遺伝子組み換え生物の国内への持ち込みと生産に10年間の猶予を設定する法律」(Ley que establece la moratoria al ingreso y producción de organismos vivos modificados al territorio nacional por un período de 10 años, Ley No 298111)として公布された。この法律の制定により、メイズや大豆などの作物のほか、家畜や魚介類などについても、遺伝子組み換え品種の栽培や飼育はできなくなった。ただし、大学などの研究機関が隔離された場所で試験的に栽培することや医薬品向けの利用については例外として認められる。法律にはその目的として、GM作物の影響を評価できるように生物多様性の現状を確認する能力やインフラなどを育成・整備する期間を設けると書かれている。

現在商業生産が行われているメイズや大豆のGM品種は、不耕起栽培と組み合わせて大規模栽培することで生産コスト削減などのメリットが享受できる。そのため、大規模生産ができないペルーにおいては、現在のGM品種の導入によるメリットは少ないと考えられる。しかし、カエタノ・エレディア医科大学研究員のルイス・デステファノ研究員が述べているようにこの法案によってペルー国内でGM作物に関する研究のインセンティブがそがれるとしたら、それによってペルーの農業部門が失うものは大きい。