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ペルー情勢レポート 変化を選んだペルー国民

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050882

清水 達也

2011年6月

2011年6月5日、ペルーでは大統領選挙の決選投票が行われた。候補者は第1回の投票で第1位につけた元軍人のオジャンタ・ウマラ氏と、第2位のケイコ・フジモリ氏である。各社が行った決選投票に関する世論調査によると、候補者2人の得票差は誤差の範囲内である数%にとどまり、最後まで接戦となった。

決戦投票の結果は表1の通り、ウマラ氏が51.45%、ケイコ氏が48.55%を得票し、ウマラ氏が大統領に当選した。任期はペルーの独立記念日である7月28日からの5年間である。

前回のレポート「ペルー 接戦が予想されるペルー大統領選挙決選投票」に続くこのレポートでは、決選投票までの選挙動向やウマラ政権の課題をまとめた。

表1 大統領・国会議員選挙の結果

政党・政党連合 大統領候補者 第1回投票
得票率
決選投票
得票率
国会議員数
(計130)
Gana Perú
(左派)
オジャンタ・ウマラ(47) 31.70% 51.45% 47
Fuerza 2011
(中道右派)
ケイコ・フジモリ(36) 23.55% 48.55% 37
Alianza por el Gran Cambio
(中道右派)
ペドロ・パブロ・クチンスキー(72) 18.51% 12
Perú Posible
(中道)
アレハンドロ・トレド(65) 15.63%

21

Solidaridad Nacional
(中道右派)
ルイス・カスタニェダ(65) 9.83% 9
APRA
(中道左派)
(候補者なし) 4
(出所)選挙管理委員会(ONPE)、La Republica紙に基づき筆者作成。
より穏健化したウマラ候補

第1回目の投票では主に2つの争点があった。1つ目は現在の新自由主義的な経済モデルの継続の是非、2つめは民主主義の尊重である。第1回目の投票でウマラ氏とケイコ氏が残ったことで2つめの争点は消え、1つめの争点のみが残った(前回のレポート「ペルー 接戦が予想されるペルー大統領選挙決選投票」を参照)。

経済成長の持続か、所得分配の改善など社会的包摂の優先かが争点になる中で、大きく中道に近づいたのがウマラ氏である。より広い国民の支持を取り付けるために急進左派のイメージを打ち消すことに力を入れた。

まず行ったのが、第1回投票で第4位と惨敗したトレド前大統領からの支持の取り付けである。トレド前大統領は、フジモリ元大統領の権威主義的な政権運営を批判することで国民の支持を得たが、経済政策についてはフジモリ時代の新自由主義的な市場重視の経済モデルを継承した。トレド前大統領の支持を得られればウマラ氏は急進左派のイメージを和らげられるし、トレド氏も将来のウマラ政権に対して一定の影響力を保つことができる。両者の利害が一致して、トレド氏によるウマラ氏支持が実現した。トレド氏が党首を務めるPerú Posible党内にウマラ氏支持を反対する声があったため、当初は党としては公式に支持を表明できなかったものの、トレド政権で活躍した専門家や知識人が個人としてウマラ氏支持を表明した。そして決選投票の直前には、党として公式に支持することを明らかにし、トレド氏自身がウマラ氏の選挙集会に参加して支持を訴えた。

トレド政権で活躍した専門家の中でも、当時、経済財政省次官と中央銀行総裁を務めたエコノミストをウマラ氏の経済チームに加えたことは、中高所得者層の間に広がっていた経済路線の急激な変更に対する恐怖を和らげるのに役だったと考えられる。

さらにウマラ氏は、新自由主義に対する強い批判を含む約200ページにも及ぶ政策綱領に代えて、社会政策を強調しマクロ経済の安定と経済成長の継続を約束した8ページの簡単な政策綱領を発表することで、急進的な政策は行わない姿勢を前面に打ち出した。

父の過ちを認めたケイコ候補

左派から中道左派へ穏健化して支持層の拡大を狙ったウマラ氏に対して、既に中道右派に位置するケイコ氏が政策面で支持を拡大できる余地は限られていた。そこでケイコ氏は、フジモリ政権時代の過ちを認めることで根強い反フジモリ票を取り込む戦略をとった。

ケイコ氏は第1回投票まで父親のフジモリ元大統領を史上最高の大統領として全面的に称賛していた。しかし決選投票に向けた選挙キャンペーンが始まってまもなく、父親の過ちを認めはじめた。特にフジモリ政権期の1992年4月に、大統領自らが憲法を停止して国会を閉鎖した自主クーデターは行き過ぎであったと発言した。そして、フジモリ元大統領は独裁者ではないものの権威主義的であったことは確かで、自分は同じ過ちは繰り返さないと主張した。さらに自分が大統領になっても父親に恩赦を与えることはないと明言し、自分は家族のためではなく国民のために国を治めると約束した。

第1回目の投票で第3位のクチンスキー氏と第5位のカスタニェダ氏は、しばらくは正式にはどちらを支持するかは明らかにしなかったが、最終的には経済成長のために現在の新自由主義にもとづく経済モデルの継続を強調したケイコ氏への支持に回った。

国を二分した選挙戦

第1回投票の結果が出た4月上旬から決選投票が行われた6月7日まで、ペルーでは国を二分する選挙戦が繰り広げられた。

まず主要紙とグループ企業であるテレビ局などが、特定候補を応援する報道合戦を繰り広げた。保守系の El Comercio 紙はケイコ氏、反フジモリの La Republica 紙はウマラ氏を支持し、自らの候補に有利な情報を中心に報道した。テレビなどのニュース番組もそれぞれが支持する候補の選挙キャンペーン報道により多くの時間を割いた。これに反発したニュースキャスターが、本番中にテレビ局の方針を批判することもあった。

相手候補の弱点を突くネガティブ・キャンペーンも加熱した。ウマラ氏に対しては、軍人として反政府ゲリラ組織との戦闘に参加した際の人権侵害に関する記事が紙面を賑わした。ケイコ氏に対しては米国人である配偶者の父親の脱税事件や、フジモリ政権期に実施された強制的な不妊手術問題などが大々的に報道された。

このほかにもメディアを賑わせたのが、2010年にノーベル文学賞を受賞したペルー人作家のマリオ・バルガス=リョサ氏のフジモリ批判である。バルガス=リョサ氏は1990年の大統領選挙に出馬、選挙戦前半では圧倒的な人気を得ながらも最後にはフジモリ氏に敗れた。ペルー国内では最も影響力のある知識人の1人で、民主主義と人権の尊重を重視し、以前からフジモリ元大統領を強く批判していた。今回の大統領選ではペルーにおける民主主義の擁護者を自認するトレド前大統領を支持していた。第1回投票でトレド前大統領が敗れると、独裁者の再来を阻止するためとしてウマラ氏の支持にまわり、メディアを通じてフジモリ批判を繰り返した。

地方票が決めた大統領

結果はウマラ氏の勝利である。その差は約44万7000票、2.9パーセンテージ・ポイントで、6.2パーセンテージ・ポイントの差でトレド前大統領がガルシア現大統領に勝利した2001年や、5.29パーセンテージ・ポイントでガルシア現大統領がウマラ氏に勝利した2006年と比べると接戦であった。

今回の選挙結果の最大の特徴が、前回のレポートで述べた「リマ中間層が大統領を決める」というこれまでの前例が覆ったことである。ウマラは地方の票に支えられて大統領に当選している。

図1にウマラ候補の州別得票率を示した。ウマラ氏が勝ったのは全国の19州で、特に南部で多くの票を得た。南部の9州では6割以上、うち5州では7割以上の票を獲得して圧勝した。それに対してケイコ氏が勝ったのは海岸地域北部の4州とリマ首都圏を含むリマ州、カヤオ憲法区、そして外国(国外居住者)にとどまった。ケイコ氏は外国では7割以上の支持を得て圧勝したものの、それ以外に勝った州での得票率は6割に届いていない。

結局、ウマラ氏は有権者の3分の1以上を占めるリマでは敗れたにもかかわらず、アンデス山間地域とアマゾン熱帯低地地域の支持を得て、大統領に当選した。

図1 ウマラ候補の州別得票率

図1 ウマラ候補の州別得票率
(出所) La Republica紙のサイト (http://www.larepublica.pe/resultados-elecciones-2011/)に基づき筆者作成。
手本はブラジル

決選投票1週間後の6月9日、ウマラ氏は次期大統領として南アメリカ諸国の外遊に出かけた。最初の外遊ではブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチン、チリを訪問し、各国の大統領と会談した。

一番初めに訪れたブラジルでは、ジルマ・ルセフ大統領のほか、ルラ前大統領とも会談した。ウマラ氏は選挙キャンペーン中から、穏健左派として経済成長と社会的包摂を両立し、任期の最後まで高い支持を維持したルラ大統領を称賛していた。ウマラ氏はブラジルをペルーにとっての戦略的パートナーと位置づけ、ブラジルのやり方をそっくりまねることはできないものの、多くのことを学びたいとしている。

各国首脳との会談の内容の詳細は明らかにされていないが、南米南部共同市場(メルコスール)を中心とした南米各国との関わりを深めていくと考えられる。

この後、6月21日にはボリビアを訪問してエボ・モラレス大統領と会談した。そして6月末にはエクアドル、コロンビア、ベネズエラの訪問を予定している。さらにその後に米国にオバマ大統領を訪問する話も出ている。

ウマラ政権の課題

ウマラ氏の当選が明らかになった6月6日、リマ証券取引所の株式指数は12.4%下落し、過去最大の下げ幅となった。翌7日には前日の下げ幅の半分ほどが回復したが、その後再び下落している。ウマラ氏が選挙公約の中で鉱山企業への課税強化を主張したことから、リマ証券取引所の取引高の約6割を占める鉱山企業株を中心に株価が大きく下落した。今後は経済財政相や9月に任期が切れる中央銀行総裁の選出を通じて、経済モデルを継続していくことを国内外に向けてアピールしていくことが当初の課題となる。

もう1つの課題が貧困の削減を初めとする社会的包摂への取り組みである。ウマラ氏がこのために約束したのが、子供の通学や健康診断の受診などを条件に貧困家庭に現金を支給する条件付現金移転政策、法廷最低賃金の引き上げ、貧困のために就労する母親のための保育所の設置、65歳以上の無年金者への年金支給、低所得世帯の若者への奨学金、ガス料金の引き下げ、中小零細企業を中心とした国内企業の振興などである。

いずれにしても、急進左派諸国のように大きく経済モデルを変更しないのであれば、政府の財源がこれまでより大きく増えることはない。限られた財源の中で社会政策を拡充するには、それぞれの政策をいかに効率的・効果的に実施できるかが重要になる。