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金正日総秘書死去とその影響について

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049557

2011年12月

2011年12月19日午前10時に平壌の朝鮮中央放送らの報道機関が同日正午に「重大発表」があると報道し、正午に朝鮮労働党総秘書・朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長・朝鮮人民軍最高司令官である金正日の死去を発表した。この発表では、金正日は17日(金)午前8時30分に「精神的肉体的過労」により列車で死亡したとされ、また、発表された「医学的結論書」では列車内で重症急性心筋梗塞を起こして心臓ショックを併発したことで17日8時30分に死亡したとされている。

発表当日の夕刊および翌日の朝刊で日本の各紙はトップニュースとしてこれをとりあげたが、この段階では死因への疑問はとくに提起されておらず、今後の政治状況に対する識者のコメントや日本人拉致被害者家族に対するインタビューなどを掲載した。報道機関などから当研究所に寄せられた質問は主に今後の政治状況、経済政策に関する変化の可能性、日本企業への影響に関するものであった。以下、筆者がこれらの質問に対応したときの回答を、若干の説明で補いながら報告する。

1.今後の政治状況の見通し
(1)金正恩に対する権力継承が順調に進められるかどうかという質問について:

金正日の死去により、すでに後継者とされている金正恩が金正日の権限を継承することになる。金正恩はすでに2009年に後継者として決定していることが、平壌からの意図的なリークによって外信報道で伝えられており、2010年9月の朝鮮労働党代表者会で姿を現した時には、権力継承のプロセスに入っていた( 『アジア動向年報』2010年版および2011年版 )。

権力の継承は順調に進められる可能性が高いといえる。そもそも金正日が金日成の後継者になったことについて、朝鮮労働党の党史は、「国際共産主義運動の歴史的経験」では、「革命偉業の継承問題」を解決できなかったときには、「革命が紆余曲折を免れることができなくなり、萎縮する革命偉業は中途で挫折するようになる」という表現で(『朝鮮労働党歴史』平壌 朝鮮労働党出版社 1991年 469ページ)、ソ連でのスターリン死去以後の「修正主義」の台頭や毛沢東の林彪後継者指名以後の政治的混乱を避けるため、権力後継の準備を整えておく必要性を認識していることを示している。実際に、金正日の権力後継はスムーズに進行し、今回も大きな混乱が見られない。

(2)金正恩の権力継承後は、金正恩の「経験不足」により、「集団指導」になるという見方をどう思うかとの質問について:

「集団指導」について筆者は否定的である。「集団指導」という言葉は、もともとソ連でスターリン死後に、数人の有力な政治家が「個人崇拝」を否定して、政治勢力間のバランスをとりながら党の指導に当たったことを指す。金日成と金正日の血縁者である金正恩が後継者にされたこと自体、「個人崇拝」を否定することは考えられない。また、亡命者である元・朝鮮労働党秘書(書記)の黄長燁の回想録などにも、党機関の中に特定の政治グループが形成されている兆候は見られない(黄長燁『黄長燁回想録—金正日への宣戦布告』萩原遼訳 文藝春秋 1999年)。「経験不足」に関しては、党政治局候補委員・国防委員会副委員長・党行政部長の張成沢とその妻で金正日の妹である党政治局委員・党軽工業部長の金慶喜が後見役であるといわれており、とくに前者は保安機関を指導する立場であり、権力行使の「経験不足」を補う力があるものと推定される。

金正日が就いていた職責は、党では総秘書(総書記)と党中央軍事委員会委員長、軍隊では人民軍最高司令官、国家機関では国防委員会委員長である。党総秘書はすべての党機関を指導する立場であるが、党の日常業務は担当の秘書[書記]、部長らによって動くため、総秘書の不在によって業務が停止するということはない。人民軍最高司令官は人民軍を指揮するものであるが、軍隊の日常業務は総参謀部、総政治局などそれぞれの部門での責任者によって動くため、最高司令官不在でも軍隊そのものは機能する。国防委員会委員長は軍事をはじめ国家機関を指導するものであるが、国防委員会委員長の指導がなくても軍隊、国家機関は機能する。党中央軍事委員会委員長はすでに副委員長として金正恩が掌握している。

(3)金正恩の兄たちが反対するということはないかとの質問について:

筆者はそうした人々は、金正恩が後継者になった時点で、賛成するとか反対する立場にはなく、反対しても何ら影響力のない存在であると考える。朝鮮中央通信2011年12月19日発で発表された国家葬儀委員会の名簿の中にはそうした人物の名前がなく、反対するかしないかは初めから問題ではなかったととらえるのが自然である。

2.経済政策への影響
経済政策についての影響にどのようなものがあるかという質問について:

1994年の金日成死去の例からみて、喪の期間として100日の間は、生産機関を含めた各機関が追悼行事などに入るため、生産が停滞する可能性が高い。ただし、生産活動がまったく行われないわけではない。また、2012年に「強盛大国の大門を開く」という目標については、すでに目標とされる物量指標は大部分到達済みであると見られ、この目標自体が変更される可能性は低い。

3.日本企業への影響

日本との貿易などにどのような影響があるのかという質問について:

日朝貿易はすでにほとんどゼロであるため、貿易に関する影響もほとんどゼロである。ただし、喪の期間に朝鮮側の官庁業務が滞ることが予想されるため、その間は貿易代金未払い問題に関する交渉の再開も困難となるであろう。
※本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。