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ミャンマー:大規模デモの発生と武力弾圧の開始

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049606

 岡本 郁子

2007年9月

2007年9月23日、僧侶を中心とする大規模デモが最大都市ヤンゴンで発生した。民主化、国民和解、政治犯釈放、国民生活の改善などを求めて10万人から15万人が参加した。これは、1988年の民主化運動以来、最大規模のデモである。大規模デモ3日目にあたる9月26日には、軍政当局が治安部隊を投入し、死者複数名、負傷者、拘束者が多数出た。さらに当局は、27日未明にヤンゴン内の僧院を襲撃、破壊し、数百名の僧侶を拘束したといわれる。まさに、最悪のシナリオをたどりつつある。

今回の一連の抗議活動の根底には、長年にわたる国民生活の困窮がある。直接のきっかけとなったのは8月15日の燃料価格(政府価格)の大幅引き上げだった。それによって、公共交通手段の運賃や日常品の価格も上がり、庶民の不満が一気に高まったのである。

8月19日からすでに物価引き下げ等を求める小規模なデモが全国各地で起き始めていた。しかし、抗議運動の中心人物を拘束するなど当局が素早く対応したこともあり、一連の運動はそのまま収束していくかのように思われた。それが予想に反して、今回のような大規模デモに発展したのは、9月5日の地方都市で当局がデモに参加していた僧侶に暴力をふるったことが発端となっている。僧侶らは、軍政からこの事件への謝罪を求めたがそれが得られなかったために、9月18日、鉢伏せ行(軍政関係者等からの寄進を受けない)という形でデモを全国的に展開しはじめた。敬虔な仏教徒が多い一般市民がそれに呼応し、連日参加者が増えていったのである。その過程で、当初経済的な要求が中心だったデモが次第に政治色を帯びていった。僧侶のデモ隊が自宅軟禁中のスーチー氏と接触したことも(9月22日)、一連の抗議運動の政治色を強めたとも見られる。

世界各国は、一斉に今回の軍政の対応を強く批判している。しかし、過去20年を振り返ると、国際的な批判によって軍政がすぐさまスタンスを変えるとは考えにくい。ミャンマー中部のネーピードーに首都を移して約2年。軍政は、ヤンゴンでの大規模デモの発生を恐れて遷都したともいわれるが、それが現実となり、離れた場所から武力で事態を収拾しようとしている。