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ミャンマー:久しぶりの反政府デモの発生

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049624

岡本 郁子

2007年4月

2007年2月22日、前首都ヤンゴンで反政府デモが発生した。ミャンマー開発委員会を名乗る25名ほどがヤンゴン市内をデモ行進したのである。こうしたヤンゴン市内のデモはほぼ10年ぶりのことである。彼らは、物価の安定、教育、社会保障の改善などのプラカードを掲げながら、おおよそ30分程度静かに市中を行進した。このデモに遭遇した市民の中には拍手を送る者もいたようだが、飛び込み参加などでデモの規模が拡大するような動きは見られなかった。政府当局はただちにデモを解散させ、デモ参加者数名(後日拘束された者も含めると最終的には17名)とそこに居合わせた報道関係者を拘束・逮捕した。翌日には国営新聞紙上で、「デモは違法行為であり、政府は断固とした措置にでる」と強く非難した。

今回のデモは、国民民主連盟(NLD)などのいわゆる民主化運動グループが組織したものではない。過去軍政下で起きたデモでは、軍政自体に対する批判、民主化要求、NLDのスーチー書記長問題など政治問題が前面に出されてきた。対して今回のデモはこれらには一切触れず、一般国民の経済的・社会的困窮の改善(具体的には物価の安定、24時間の電力供給、教育の向上など)を求めるものだった。デモの組織者が政治的要求を第一に掲げなかったのは、軍政の厳しい統制が続く現状では、経済の窮状を訴えたほうが一般国民の共感を得て具体的行動につながりやすいと判断したためであろう。2006年は天候不順や燃料の高騰などの影響を受けて、一部の日常食料品の価格が100-300%も上昇した年である。経済の好転が容易には望めない状況下で国民の不満が蓄積し始めていることを、今回のデモは強く印象づけた。

デモから約1カ月後の3月27日、過去最大規模の国軍記念日パレードが新首都ネーピードーで行われた。2005年11月に同地に移って初めて新首都を外国報道関係者に公開し、外交団を多数招いての式典となった。一時健康不安説が流れていたタンシュエ議長も顕在ぶりをアピールした。国民生活の悪化を肌で感じることも目にすることもない、いわば「隔離された」新首都で行われた盛大な式典は、ミャンマー現政権の国家運営のアンバランスさを如実に表すものだったといえよう。