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タイ:軍がクーデター、タクシン政権崩壊、暫定首相により民主化の道筋

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049642

東 茂樹

2006年9月

9月19日夜、民主制度統治改革団(団長:ソンティ陸軍司令官)が戒厳令を施行し、翌20日未明にプミポン国王に謁見して、全権を掌握した。ニューヨークに滞在していたタクシン首相は職を解任され、イギリスにて事実上の亡命生活を余儀なくされている。

クーデターの直接の原因は、10月に迫った軍の定例人事異動をめぐって、軍人事に介入するタクシン首相と軍主流派との対立にあった。より根底には、「国王を元首とする立憲君主制」を脅かそうとする言動があったタクシン首相に対し、軍および王室に近い関係者が危機感を抱いて、クーデターを主導したと考えられる。またタクシン首相の強権的な政治手法や利益誘導を批判してきた市民グループの運動、都市中間層によるこの運動への支持があったため、クーデターは成功した。タクシン首相は、4月に次期首班指名を辞退すると発言しておきながら延命策を図ってきたため、側近や支持勢力の離反も相次いでいた。

統治改革団は、97年憲法、国会、内閣、憲法裁判所を廃止する一方で、2週間以内に文民から任命する暫定首相に権限を委譲すると発表している。クーデターの目的は、軍による統治の維持ではなく、社会の不正や対立を招いたタクシン政権を終焉させるためと説明している。一部の独立機関は存続させ、前政権の汚職や不正蓄財は徹底的に追求する構えである。暫定首相の役割は、1991年2月クーデターの後に発足したアーナン内閣と同様に、約1年をかけて新憲法を制定し、やり直し総選挙を実施することであり、各分野の専門家が閣僚となって実務を遂行する内閣となろう。経済政策や外交政策はおおむね前政権を踏襲して、企業活動に影響を及ぼすような大きな変化はないと思われる。ただし巨額の資金を投じるインフラ整備や海外との自由貿易協定などは、グローバル化が進むなかで即座の実行が求められており、暫定政権がどこまで対応できるかは未知数である。

今回のクーデターは、年初から続いてきたタイ政治の混迷を打開する点では大きな意味があると考えられるが、1992年5月流血事件以降、国民の手により進展してきたタイの民主主義は、クーデターによって挫折し、振り出しに戻ることになった。政治家の汚職や腐敗根絶をめざした97年憲法が、絶対多数のタクシン政権を生み出して、深刻な社会対立を招き、各界の努力にもかかわらず、法の枠内では解決できなかった。新憲法の起草では、極端な理想に走った97年憲法の教訓をふまえて、タイ社会の実態に即した権力監視の枠組を考える必要があろう。