出版物・レポート
レポート・出版物

アフリカの政治・社会変動とイスラーム

調査研究報告書

佐藤 章

2018年3月発行

表紙 / 目次(259KB)

第1章

サハラ以南アフリカでは近年、イスラーム主義武装勢力の活動が活発化しているが、この動きは、「テロ」や紛争といった面にとどまらず、アフリカの政治と社会にとってイスラームがどのような存在であったのかを、歴史的かつ同時代的に検討することを要請している。本稿はこのような研究課題の持ちうる可能性と意義について論じる。また、この研究課題に沿うものとして、アフリカ諸国の独立運動におけるイスラームの役割を問う研究構想について述べる。

第2章

モザンビークでは、2000年代以降、北部のイスラーム社会の若年層の間で政治的な活動を展開する集団やスーフィー教団の復興がみられる。さらに近年は、イスラームを掲げた武装集団が襲撃事件を引き起こしている。

本章では、こうした事象が発生する背景を理解するため、2000年代以降のモザンビーク北部のイスラーム社会の変化を捉えることを目的とする。その基礎作業として、1980年代までの社会主義期のイスラームの抑圧、1990年代の民主化や複数政党制の導入といった社会・政治環境の変化に照らし、同国におけるイスラームの特徴を把握する。また、イスラームが各時代においてどのように争点化されてきたのかを明らかにする。

第3章

本稿では、今日の南アフリカにおけるイスラーム教の分布や影響力、ムスリム・アイデンティティとは何かということについて理解を深めるための基礎作業として、先行研究をもとに3つの事柄について検討を行う。第一に、南アフリカ統計局の資料をもとに、今日の南アフリカにおけるムスリム人口の規模と地理的分布を確認する。第二に、17世紀半ばのオランダによる植民地化以降、奴隷の輸入と商人の到来を通じて、イスラーム教が南アフリカへ伝播した3つの歴史的経路を整理する。第三に、ムスリム人口が最も多い西ケープ州ケープタウンに焦点を当て、人種差別体制が確立された20世紀の南アフリカにおけるムスリムを取り巻くアイデンティティと政治の問題について考察する。以上の作業を通じて、南アフリカにおけるムスリムが人口規模としては非常に小さいものの、内部に大きな多様性を持つ集団であることが示される。

第4章

本章は、南アフリカにおけるムスリムの政治との関わりについて、先行研究に基づき情報を整理することを目的としている。具体的には、南アフリカのムスリム人口に関する基本的な情報を整理したうえで、サブサハラ・アフリカで活動を活発化させているイスラーム主義武装勢力と南アフリカとの接点、1990年代後半から2000年頃にかけて西ケープ州で起きた数々の暴力的事件に関わったと疑われてきた「ギャングと麻薬に反対する人民」(PAGAD)の成り立ちとその性質、そしてアパルトヘイト体制下とポスト・アパルトヘイトの南アフリカ政治へのムスリムの関わりについて検討を加える。

第5章

本章では、ケニアにおけるイスラーム政治研究のための準備作業として、ケニアにおけるムスリム人口の布置を示すとともに、イギリスによる植民地支配よりも前から、現在のケニアを含む東アフリカ領域の一部にイスラーム法が適用されてきた歴史を跡づける。

ケニアにおけるイスラーム法の適用は、具体的には「カジ・コート」(Kadhi’s Courts)の設立、婚姻や相続など特定の場合に限定したカジ・コートによる裁定という形をとってあらわれてきた。本稿では、東アフリカのインド洋沿岸にアラブ系住民によってイスラーム教がもたらされ、カジ・コートが設立されてきた様子とあわせ、イギリスによる植民地化とその後の独立ケニアにおいて、カジ・コートがどのように制度化されてきたかを、植民地法制、独立後の憲法と関連法の変遷に依拠しつつ跡づける。なお、本稿で行う憲法、法律の翻訳は全て著者による試訳である。

第6章
中央アフリカ共和国の人口の大多数はキリスト教を受容しているが、北東部にはムスリムが居住している。彼らは国全体から見れば圧倒的な少数派だが、2013年にボジゼ政権を打倒した武装勢力を輩出するなど、近年政治的に重要な役割を演じている。本章では、中央アフリカのイスラームを理解するための基礎作業として、北東部地域住民のイスラーム受容の過程を歴史的に跡付ける。この地域はチャド湖周辺からダールフールに至る中央スーダンに興隆したイスラーム諸王国の周縁部であり、奴隷供給地であった。19世紀に奴隷調達活動がアフリカ大陸中心部へと移動するなかで、中央アフリカ北東部はそこからさらに南部に向かう奴隷調達活動の前線基地として、ムスリム支配者の権威下に置かれた。これが、この地域の住民がイスラームを受容する契機となったと考えられる。