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アジ研ポリシー・ブリーフ

No.271 「ビジネスと人権」と経済安全保障―ふたつの政策を貫くもの

2026年3月5日発行

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  • 人権尊重と経済安全保障政策は理念および実務において密接に関連している。
  • 紛争影響地における強化されたデューディリジェンス実施の具体的な政策が必要である。
  • 日本政府は人権保護義務のうえに一貫性を確保した政策運営が求められる。

国際情勢の複雑化により不確実性が高まるなか、経済安全保障政策は、技術・資源・サプライチェーンの確保を通じて国家の安定と競争力を守る重要政策となっている。一方、企業の人権尊重責任への期待が高まり、サプライチェーンにおける人権デューディリジェンス(DD)を促進する政策が展開されている。両者は一見、別々の政策に見えるが、密接に関連している。本稿は、経済活動における人権尊重と経済安全保障の関係を整理し、政策のあり方を論じる。

サプライチェーンの強靭化

「ビジネスと人権に関する国連指導原則」(指導原則)に基づく政策が各国で展開し、企業活動が人権へ与えうる負の影響(人権侵害リスク)を特定・防止・軽減・是正する一連のプロセスである人権DDの奨励、義務化が進んでいる。なかでもサプライチェーンにおける強制労働撲滅を目的とする法規制は、2013年英国現代奴隷法を嚆矢として、直近では今年2月ニュージーランドで同様の法案が議会に提出された。EU(欧州連合)「強制労働製品禁止規則」は、強制労働による製品の域内上市を禁止する。米国1930年関税法第307条やウイグル強制労働防止法は強制労働による製品を輸入禁止する。

サプライチェーンにおける人権侵害リスクは、供給網の断絶に繋がる。法規制の如何に拘わらず、かかるリスクに適切に取り組まなければ、リスクは顕在化する。すなわちサプライチェーンの強靭化にはDDが肝要である。指導原則はバリューチェーンにわたるDDを求めており、販売、技術ライセンス等においても人権侵害を助長、悪化させないようDDが必要だ。これはセンシティヴデバイスの輸出やデュアルユースへの留意という経済安全保障の観点と合致する。

重要鉱物と紛争影響地

経済安全保障では重要鉱物の安定調達が必要とされるが、かかる鉱物の産出地は紛争影響地であることが多い。換言すれば産出地であるがゆえに紛争を招きやすい。2021年のクーデタ以降国内で戦闘が続くミャンマーは典型である。レアアース(希土類)の世界3位の産出量を有するが、中国系企業等の無秩序な採掘が、有害物質による河川の水質汚染、自然環境破壊、住民の健康被害をもたらしている。紛争影響地では規制等は存在したとしても執行されない。

2025年イタリアでのG7重要鉱物行動計画は、重要鉱物をデジタル経済とエネルギー安全保障経済の土台とし、重要鉱物の強靱なサプライチェーンの原則として、透明性、多様性、安全性、持続可能性、信頼性にコミットする。G7とパートナー国の経済的繁栄の観点から、トレーサビリティや適正な労働の重要性を認め、重要鉱物の生産、採掘、投資、開発等あらゆる鉱業関連活動に「責任ある」という言葉が繰り返されている。重要鉱物を責任ある供給源から確保するには国際規制が必要とされる。しかしそれが存在しないなか、指導原則7の意義は大きい。

強化された人権DDを促す政策の重要性

紛争影響地における人権尊重のあり方を規定する指導原則7は、企業による重大な人権侵害への関与を防ぐよう、国家に次を求める。a)適切な人権DD実施を促す早期の働きかけ、b)侵害リスクの評価・対処について適切な支援の提供、c)重大な人権侵害に関与する企業や対処への協力を拒む企業への公的支援の拒否、d)有効な政策、法令、規則、執行措置の確保。更に指導原則23は、事業環境によっては、治安部隊等他のアクターによる重大な人権侵害に企業が加担するリスクが高まると解説する。企業が重大な人権侵害に関与してしまうリスクは、武力紛争や暴力が蔓延している状況で特に高くなる。かかる状況において責任ある企業行動を促すための本国政府の政策が重要になる(山田2025)。

EU紛争鉱物規則は、武力紛争や人権侵害に加担しない責任ある調達の促進を目的として、当該規則の対象となる鉱物のEUへの輸入業者によるDDを促進する目的で世界各地の産出国のリスク状況をCAHRAsリストで一覧にしている。また国連開発計画(UNDP)と国連ビジネスと人権WGによる紛争影響地における人権DDガイドは、企業自体が紛争のダイナミクスに影響を与えていることを自覚し、その影響を考慮した効果的なDDの強化を実施できるよう指針を提供する。2025年12月公表の日本政府「ビジネスと人権」に関する行動計画(改定版)では、「紛争等の影響を受ける地域において事業活動を行う日本企業においては、高いリスクに応じた人権 DD(強化された人権 DD)を実施することが求められる」とある。それを促進する具体的施策が一刻も早く必要とされている。

ふたつのガイドラインの共通点

人権DDは企業が自らの取引先、調達先、サプライチェーンを把握しマッピングすることから始まる。今年1月に経済産業省から出された「経済安全保障経営ガイドライン(第1版)」が企業経営に求める3つの核は、2022年の「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」に通底している。双方ともに、①自社の事業を正確に把握し、取引先等サプライチェーンを明らかにし、リスクは必ず存在しうると想定し、対応・取組を策定する。②対応・取組をコストではなく、責任であり持続的成長への投資と捉える。そして③マルチステークホルダーとの対話が不可欠という点である。

企業にとっては、責任あるサプライチェーン管理および強靭化のためにDDを実施するということは、人権侵害、経済安全保障双方のリスクを回避することになる。日本企業が責任ある企業行動をとるためには、日本政府から企業に発信される期待とメッセージは一貫したものでなければならない。

ルールに基づく自由貿易体制が経済安全保障

2026年1月EUとメルコスールが世界最大の自由貿易圏を形成する歴史的な協定に署名した。暫定貿易協定(iTA)には持続可能性の章があり、労働・環境規定とともに、国際的基準に基づき、企業の社会的責任を通じた、責任あるサプライチェーン管理の重要性を規定する。締約国が普及する国際文書として指導原則が明記され、企業の責任ある企業行動を促進する。なかでもOECD 紛争地域および高リスク地域からの鉱物の責任あるサプライチェーンのためのDDガイダンスを挙げている。更に締約国間の協働のみならず、地域、国際場裡での協力を明記する。フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は「合意は世界に非常に強いメッセージを送る。我々は関税よりも公正な貿易、孤立よりも生産的で長期的なパートナーシップを選ぶ」と語った。

日本は世界に先駆けて2018年に経済安全保障推進法を成立させ、その目的は平和と安全、経済的な繁栄等の国益を経済上の措置を通じて確保することである。それはルールに基づく自由貿易体制こそが究極の経済安全保障であることを意味している。日本政府には貿易相手国との更なる協働が必要とされている。

まとめ

人権と経済安全保障は相互に影響し合う領域である。国家としては両者を包括的に捉え、一貫性を確保した政策運営が求められる。企業にとっては、人権尊重の取組と経済安全保障への対応は、コンプライアンス、リスク管理の観点はもちろんのこと、責任ある企業行動を実現すべく自律的な取組がますます必要になる。そこにはそれを実行できる環境整備、ルール形成自体への能動的な参画も含まれる。

すべての政策のベースに人があり人々の尊厳がある。ふたつの政策の礎には国際法における国家の人権保護義務がある。ふたつの政策は、自由、民主主義、人権の価値を守り、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を実現するために一貫していなければならない。

やまだ みわ/新領域研究センター)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

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