資料紹介:Spies in the Congo――The Race for the Ore that Built the Atomic Bomb――
アフリカレポート
No.56
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050148
恥ずかしながら評者は、2014年に知り合いのコンゴ人に教えられるまで、広島と長崎に落とされた原子爆弾の原料となったウラン鉱石がコンゴ民主共和国(コンゴ)で産出されたことを知らなかった。本書を読み、原爆が投下された当時、ウランがコンゴ産であるという事実を隠すためにアメリカとイギリスが巧みに情報を操作していたことを理解した。核物理学者の能力や原爆開発に関する研究の面で、連合国と枢軸国の状況にはあまり差がなかったらしい。だがウランがなければ原爆は製造できず、その入手状況は大きく異なっていた。原爆開発に成功したアメリカは、酸化ウランの含有量がきわめて高いウラン鉱石がコンゴで産出されることを他国に知られないように、原料のウラン鉱石はカナダで産出されたものであるという偽りの情報を流布したのだった。
本書は、近年になって機密扱いが解除された公文書資料をもとに、第二次世界大戦期にベルギー領コンゴで諜報活動を行ったアメリカの諜報機関員の活動と生涯を歴史的に再構成したものである。著者によれば、彼らの存在は70年以上もの間、隠されてきた。その理由は、原爆開発のためのマンハッタン・プロジェクトが最重要機密として扱われていた上に、同プロジェクトの成否がコンゴ産ウランを独占的に入手できるか否かにかかっていたからである。アメリカに向けて輸出されるはずのウラン鉱石が、密輸業者などを通じて敵国ドイツにわたることを阻止するため、ベルギー領コンゴで諜報員が活動していたなどということは、機密中の機密であった。
歴史書でありながらスパイ小説の趣もある本書の中で評者が特に興味深く感じたのは、諜報員たちが活動した第二次世界大戦期のアフリカの植民地における複雑な国際関係のあり様である。たとえば、ドイツがベルギーを占領した後、ベルギー領コンゴ総督は反ドイツの姿勢を打ち出したが、コンゴで商売をするベルギー企業やカトリック教会関係者の中にはナチ・シンパがおり、敵味方の区別は容易ではなかった。通信文書の面倒な暗号化を怠るような、諜報員失格の鳥類学者の諜報員の話も面白かった。
その一方で、諜報員による通信記録や報告書には記されないような、当時のコンゴ人の生活や状況について本書から知りえることは限られている。ウラン鉱山では、現地の労働者が素手で鉱石の選別や梱包を行っていたことが記されており、著者は彼らの健康被害を懸念する。だが、調査が行われていないため、被害状況を知るすべは今のところないのである。コンゴのウラン鉱山をめぐって解き明かされるべき機密事項はいまだ多く残されている。
佐藤 千鶴子(さとう・ちづこ/アジア経済研究所)