時事解説: ギニアにおけるエボラ出血熱の流行をめぐる「知」の流通と滞留

アフリカレポート

No.53

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■ 時事解説: ギニアにおけるエボラ出血熱の流行をめぐる「知」の流通と滞留
■ 中川 千草
■ 『アフリカレポート』2015年 No.53、pp.57-61
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はじめに

2014年3月23日、WHOはギニア保健省からの報告を受け、同国内の森林地方(Guinée forestière)でエボラ出血熱(以下、Ebola virus disease=EVDとする)が発生したことを報告した。感染地域はまたたく間に広がり、都市部や隣国への到達までに時間はかからなかった。2014年7月にナイジェリアへの空路による感染拡大が確認され、8月にWHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言したことを機に、今回の流行は世界的に知られる事態となった[中川ほか 2014]。2015年3月にはギニア、リベリア、シエラレオネ3国でEVD感染による死亡者数が1万人を超えた。一時は制御困難とさえ言われたリベリアだが、同年5月9日の終息宣言にこぎつけたことは、事態の好転を期待させた。しかし、わずか2カ月足らずで再び感染が報告された。ギニアとシエラオネでは同年7月下旬の段階で、毎週新規の感染者が報告されつづけている。EVDの流行規模は未曾有のものとなり、わたしたちはその「しつこさ」を認めざるを得ない。

流行拡大の主な原因としては、元来の不安定な社会情勢や脆弱な医療システムがあげられる。これに加え、WHOや政府が事態を甘く見積もり、初動に遅れが生じたことがこれまでに指摘されてきた。同時に、現地の人びとのEVDに対する意識の低さや病人のケアや葬儀に関する習慣の継続が、流行を後押ししているとの見解も示されている。ギニアの場合、「無知と恐怖(l’ignorance et la peur)」[Anoko et al. 2014, 28]や、「不安と混乱(frayeurs et stupeurs)」[Diallo 2015, 32]などによる影響が大きいという。

現在は、多くの国際支援団体が現地に入り実践的な対応に尽力している。アカデミックな分野では、リベリアやシエラレオネでフィールドワークをおこなって来たアメリカやイギリスの人類学者たちが中心となり、情報の共有と発信のためのネットワークがいち早く立ち上げられた[杉田 2015]。また、フランスの外来病理学会(Bulletin de la Société de Pathologie Exotique)が、「西アフリカのエボラ流行からの学び(Les leçons de l’épidémie d’Ébola en Afrique de l’Ouest)」と題した特集号を企画するなど 1 、EVDに対する関心が高まっている。

本稿では、こうした経緯をふまえながら、今回のEVDの流行について、ギニアの首都コナクリ(Conakry)に暮らす人びとと国外に移住しているギニア出身者たちを対象に実施してきた聞き取りデータをもとに、「知 2 の流通と滞留」という観点からまとめる 3

1. 知の具体化と認識の変化
かれらへの聞き取り調査では、語りや態度が徐々に変化を見せている。当初は、自分の周りの「どこを探しても感染者がいない」ため、EVDの発生や流行を全否定するものが大半を占めていた。総人口約1200万人、総面積約24.6万平方キロメートル(日本の本州とほぼ同じ)のギニアにおいて、これまでの感染者数は計3786人(2015年7月30日現在)と人口の0.04%にも満たない[WHO 2015]。他方、2014年における未治療のマラリア患者数は7万4000人と見積もられている [Plucinski et al. 2015]。筆者の知人関係においても、2014年3月〜2015年7月のあいだに、合計21人の死の知らせを受けたが、いずれもEVDではなかった。かれらは、日々の食費や教育費の調達、下痢や発熱といった軽症の病気、身近な人間関係のもつれなどEVD以外の事柄で頭を悩ませていることの方が圧倒的に多い。

そこに変化が見えはじめたのは、2014年の秋以降である。まず、ギニアのEVDの状況について現地から筆者に問い合わせが来るようになった。その後、「流行は森林地方の話。コナクリではない」というように、完全否定ではなく、一部を肯定するようになった。流行当初のホットスポットであるゲケドゥ(Guéckédou)は、首都から約670キロメートル、車で9時間以上かかる距離に位置する。同地域での主なエスニックグループはキシ(Kissi)であり、コナクリのスス(Soussou)とは使用言語が異なる。その後、コナクリから100キロメートル足らずに位置し、ススの人びとが多く暮らすフォレカリア(Forécariah)での感染拡大がはじまった。EVDを認めるような発言をしはじめた時期は、このフォレカリアでの流行時期と重なる。「フォレカリアには、エボラのせいで一家が全滅したと聞いた」、「エボラのせいで、家のドアをいつも閉めなければいけない」 4 というように、EVDに関する情報は、メディアが一方的に伝えるものから、身近な人を介して、具体的で既知の地域と結びつくかたちで耳にするようになった。
2. 無知ではなく熟知
冒頭にも記したが、現地の人びとは、EVDに関して「無知」な存在としてフォーカスされがちである。EVDの存在を認めない態度や、感染予防と相反する旧来の看病や埋葬の習慣を重んじることは、感染拡大の原因になり得るため、対策の観点からは「改められるもの」とみなされるからだ。啓発活動は、こうした無知や誤解を払拭し、感染予防に関する「正しい」知を身につけることを目指す。キャンペーンの方向性そのものが間違っているわけではない。しかし、これでは国際社会側の対応の遅れや無関心さを棚にあげ、文化という名の下で、責任を現地にのみ負わせかねない。

加えて、かれらは「無知」なのかというところから考える必要もある。かれらはすでに、EVDに対するワクチン 5 や治療方法がないということを十分に理解している。では、感染者はなぜ、治療センターへ連れて行かれるのか。そこから生きて帰ってくることがむずかしいということを知っている。では、治療センターで一体何がおこなわれているのか。病院や医師への期待はことごとく裏切られる。啓発活動チームへの疑問や不信感は拭えない。「白い煙を吹きかけられた(消毒された)家の者は亡くなるらしい」という情報は「その白い煙のせいで死ぬのでは?」 6 という疑問を生み出す。因果関係は逆転しているが、現実に起こっていることを順に追っていくなかでの理解だ。できごと上はすべて事実であり、人びとは状況を「熟知」しているからこそ、感染予防活動に懐疑的となる。
写真 啓発活動のための看板「エボラは常にギニアにある!気をつけよう!」病人を家に置いておかないこと、遺体にはふれないこと、フリーダイヤルへの連絡や近隣の医療機関での受診が推奨されている(2015年1月コンデ氏撮影)。
写真 啓発活動のための看板
「エボラは常にギニアにある!気をつけよう!」
病人を家に置いておかないこと、遺体にはふれないこと、
フリーダイヤルへの連絡や近隣の医療機関での
受診が推奨されている
(2015年1月コンデ氏撮影)。
支援活動では、最もリスクが高い地域を絞り込み、感染者や感染の疑いがある人びとをいち早く見つけ治療センターに収容し、他の住民に対して啓発活動をおこなう 7 。資金、人材、時間という制限を鑑みれば、この方針は理解できるが、こうした集中型の活動がどの団体においても行動指針となるため、高リスク地域に多数の団体が輻輳する。つまり、同じ地域や住民を対象に異なる団体が1日に何度も世帯訪問をしたり、説明の場を設定したり、と類似した活動の重複が引き起こされている。度重なる啓発活動に、当然、住民たちは疲れる。

啓発活動の充実により、EVDに関する知が無意味化されてしまっている可能性が高い。聞き取りの際も「(予防するには)清潔に!遺体や病人に触れない!人が集まるところに行かない!でしょ?みんな、知っているよ」 8 、と倦怠感に満ちた態度を示されることが増えてきた。「わたしたちはEVDについて未だに何も知らない、というあなたたちの態度にはうんざりする」、とはっきりと口にされることもあった。無知を前提とした啓発活動には、かれらによる知の蓄積を見誤る可能性がある。無知や誤解として一蹴するのではなく、熟知が感染拡大や啓発活動の拒否へとつながることを確認し、わたしたちの姿勢をまずは見直す必要があるのではないだろうか。
3. EVDをめぐる知の流通
感染予防に関する知の大半は、伝えたい側から伝えられるべき側へと単方向に流されてきた。多くの知が流されることにより、感染予防上の「正しい」知に接する機会はずいぶん増えた。しかし皮肉にも、EVDに関する知は、いわゆるオオカミ少年化し、EVDに対する恐怖はむしろ薄れつつある。他の病気と同じように、生きて行くことに付随する不幸や不運として位置づけられているかのようだ。長引く流行は、いまやEVDを日常化してしまったといっても過言ではない。

他方、この飽和状態の啓発活動からも漏れ落ちている人びとが存在する。コナクリの場合、若者の男性はたいてい、生家を離れ仲間数人で共同生活を送っている。彼らの大半は、地域の自治組織に属していない 9 。職に就いていることもめずらしい。啓発活動の場には、家庭を切り盛りする女性や地域自治に携わる年配の男性たちが集い、そこから各家庭や職場を通じて知が届けられる。しかし、若い男性たちは、こうした知の提供から遠い存在である。ここにも知の滞留がみられる。

2015年7月29日、歌のコンクールがコナクリ中心部で開催された。アフリカのミュージシャンたちによって昨秋リリースされたAfrica Stop Ebolaというエボラ撲滅のキャンペーンソングがある。この歌に携わったアーティストたちが国境なき医師団と協力し開催したものだ。これも啓発活動の1つだが、このコンクールのことや、歌すら知らないという人も実は少なくない。現地アシスタントのコンデ氏や友人M氏に会場の様子を見てきほしいと頼んだ。しかし、「招待状がなければ入れない」と言われ、入場できなかった。招待状は誰の元に届いているのだろうか。
4. 知の連携に向けて
今回のEVDの流行は、現地社会および国際社会双方の社会的な危機への対応力が試される機会をもたらした。近年、医療支援活動において、人文・社会科学的な視点からの現地調査やデータ分析、その活用が重視されてきた。その反面、現地の文化的側面と支援する側が持ち込みたい「正しい」知との乖離がクローズアップされ、これらの情報はメディアを通じ、世界へと広がる。たとえば、2014年10月28日付け『ニューズウィーク日本版』には、「 無知 と無策が引き起こしたエボラパニック」「 正しい 知識を得て冷静に」「故人をきちんと『送る』ために 遺体隠しが横行 」(傍点は筆者による追記)など、流行の原因を現地の社会側に見出しているかのような表現が並んだ。WHOによる週刊報告書では、「危険な埋葬数」を公表してきた。初期段階での「危険な埋葬数」の多さは望ましくない習慣の多さとして、その後の減少はWHOをはじめとする啓発チームの功績として、わたしたちの目に映りかねない。慣習やローカルな価値観への注目は支援活動を補強する一方で、こうした意図せざる印象操作を招いている可能性もある。

流行の責任は「無知」に集約されるものではない。「無知」という手身近な理由に思考を預けることを避けるためにも、EVDの治療薬の研究・開発の遅れも含め、さまざまな要因が複雑に絡み合っているということを前提とし、常にそこへ立ち返り事態を理解していく必要性を強調したい。そのうえで、現地に生きる人びとが逃れようのない社会的な危機と向き合う様を、思考の柔軟性や理解の深さという観点からとらえなおし、支援や研究といった活動領域、自然科学や人文社会科学といった学問領域、さらに支援する側とそれを受ける側といった立場を超えた「知」の連携を目指したい。

付記:本稿は、科学研究補助金・若手研究B「アウトブレイクにおける知識の信頼性の経時分析とコミュニティ・レジリエンス評価」(研究代表者 中川千草)の成果の一部である。

《参考文献》


(なかがわ・ちぐさ/龍谷大学)

脚 注

  1. http://www.pathexo.fr/1299-accueil.html (2015年5月20アクセス).
  2. ここでいう「知」とは、科学的な知、生活をよりよくするための工夫や知恵、共有される情報など、総合的な意味で用いている。
  3. 移住者に対する聞き取りは日本、セネガル、フランスにおいて筆者が、コナクリにおける聞き取りはサラン・モリ・コンデ(Saran Moly Condé)氏が主に担当している。
  4. 2015年4月時点での聞き取り(コナクリ)より。
  5. 英医学雑誌『ザ・ランセット』( The Lancet )は、2015年8月3日、WHO主導による新規EVDワクチンの臨床試験(当時で医療従事者を中心に7651人が接種した)の中間結果として、そのワクチンの有効と安全の可能性を発表した。その後、試験は継続中である。
  6. 2015年2月時点での聞き取り(セネガル・ダカール)より。
  7. これまでリベリアとシエラレオネにおいてそれぞれ数ヶ月単位でEVD対策を目的とした支援団体のメンバーとして活動したA氏へのインタビューより。
  8. 2015年4月時点での聞き取り(コナクリ)より。
  9. そもそもコナクリでは、地域社会の自治が機能していることが稀である。