論 考: 南アフリカにおける農場労働者のストライキをめぐる一考察
アフリカレポート
No.51
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要 約
2012年11月~2013年1月、南アフリカ共和国西ケープ州の20を超える農場地帯においてストライキが発生した。幾人かの識者が「歴史的」と表現した同ストライキは大きな注目を集め、農場労働者の賃金や待遇をめぐる問題の重要性を改めて喚起した。ストライキを収束させるため、政府は農場労働者に対する法定最低賃金の見直しを約束し、2013年3月1日には農場労働者の最低賃金が日給105ランドに改定された。農場労働者が要求していた日給150ランドには及ばなかったものの、それまでの最低賃金を50%以上も上回る大幅な上昇改定であった。
本稿はこのストライキについて3つの観点から考察を加える。第一に、ぶどう生産地デドゥランズ(De Doorns)を震源地として起こったストライキの発生から収束までの経緯を整理する。第二に、農業部門における雇用環境の変化を見ることを通じて、農場労働者のストライキがなぜ起こったのか、その背景要因を探る。第三に、「自然発生的」と報道されたストライキが実際にはローカルな農場労働者の自治組織によって主導されていたことを確認したうえで、ストライキと賃金をめぐる交渉に外部の支援組織が介入するようになった結果、労働者の主体性にどのような変化が生じたのかについて考察する。
はじめに
2012年11月、南アフリカ共和国西ケープ州デドゥランズ(De Doorns)において農場労働者のストライキが発生した。農場労働者によるストライキは、西ケープ州内の20を超える農場地帯へと広がり、幾度か中断しつつも翌年1月末まで続いた。南アフリカでは、賃上げを求める労働者が団体交渉の手段としてストライキに訴えることは決して珍しいことではない。しかしながら、(1)労働組合による組織化率が非常に低い農場労働者が団体行動を起こすことは稀であること、(2)ストライキが、果物の収穫期という西ケープ州内の多くの農場がもっとも労働力を必要とする時期に発生したこと、(3)同年8月に起こったマリカナ鉱山での鉱山労働者によるストライキとそれに対する警察による暴力的鎮圧という悲劇的な結末 1 が記憶に新しい最中で発生したことなどの理由により、このストライキは大きな注目を集め、政府は迅速な対応を迫られることになった。
ティナ・ジョエマット=ピーターソン(Tina Joemat-Pettersson)農業大臣を含む幾人かの識者が「歴史的」と表現したこのストライキの背景と意義を理解するため、本稿ではまず第1節において、2012年11月以降の新聞報道などをもとに西ケープ州の農場労働者によるストライキについて発生から収束までの経緯を整理する。第2節では、ストライキの背景として、農業部門におけるフルタイム雇用の減少と季節雇用の増加といった民主化以降の農場労働者を取り巻く雇用環境の変化を考察する。第3節では、ストライキを収束させるために政府が採用した方策(農場労働者の法定最低賃金の大幅な上昇改定)について検討する。最後に第4節では、農場労働者の組織化をめぐる問題について考察を加える。
ティナ・ジョエマット=ピーターソン(Tina Joemat-Pettersson)農業大臣を含む幾人かの識者が「歴史的」と表現したこのストライキの背景と意義を理解するため、本稿ではまず第1節において、2012年11月以降の新聞報道などをもとに西ケープ州の農場労働者によるストライキについて発生から収束までの経緯を整理する。第2節では、ストライキの背景として、農業部門におけるフルタイム雇用の減少と季節雇用の増加といった民主化以降の農場労働者を取り巻く雇用環境の変化を考察する。第3節では、ストライキを収束させるために政府が採用した方策(農場労働者の法定最低賃金の大幅な上昇改定)について検討する。最後に第4節では、農場労働者の組織化をめぐる問題について考察を加える。
1. 農場労働者によるストライキの経緯
西ケープ州の農場労働者によるストライキの震源地となったデドゥランズは、ケープタウンから北に伸びる国道1号線沿いにおよそ150キロメートルのところに位置する。ヘックスリバー・バレー(Hex River Valley)として知られるこの地域は生食用ぶどう(以下、ぶどう)栽培の中心地のひとつであり、国内のぶどう生産量の3分の1を担っている。栽培されるぶどうの9割近くはヨーロッパを中心とする国外へ輸出される[SATI 2012, 22]。
ヘックスリバー・バレー生食用ぶどう協会の会長によれば、同地域で雇用されている農場労働者は1万6000人ほどである。このうち主に農場に居住する常勤の労働者は5000人ほどで、残りはトウズリバー(Touws River)やウースター(Worcester)といった近郊の町やデドゥランズにある2つの非正規居住区 2 に住み、ぶどうの収穫準備が始まる9月から収穫の終わる4月まで雇用される季節労働者である。非正規居住区の住人には、東ケープ州、ジンバブウェ 3 、レソトからの移民労働者が多数含まれる[Donnelly 2013a]。
(1)デドゥランズにおけるストライキの開始と要求
デドゥランズの農場においてストライキが始まったのは、マリカナ事件直後の2012年8月末とされているが、この時点ではストライキは一部の農場に限定され、参加者も限られていた[Christie 2012]。それに対して、デドゥランズで農場労働者による抗議行動が可視化したのは2012年11月5日、国道1号線でデモが行われた際である。国道1号線はトウズリバーとデドゥランズ間で閉鎖され、道路上ではタイヤが燃やされた。翌日には抗議の参加者が警察発表で推定8000人に増加した[Sapa 2012a]。農場主の目撃談によれば、抗議者は、行進しながら道路脇のぶどう畑や牧草地に火を放ち、消火を試みる農場主に対しては投石が行われた。これに対して農場主は、ぶどう畑の被害を最小限に抑えるため、ヘリコプターでデモ隊の行進を追跡し、消火活動を行った[Underhill 2012]。
ストライキの原因については、当初、意見が分かれていた。警察は賃金を巡る争いであるとしたのに対し、西ケープ州の与党である民主同盟(Democratic Alliance: DA)と西ケープ州農業大臣は政治的な動機に基づいた行動であり、特にアフリカ民族会議(African National Congress: ANC)の地元の指導者が西ケープ州の治安を悪化させるために暴力行為を扇動している、と非難した。西ケープ州は南アフリカにある9つの州のうち唯一ANCが州政府の実権を掌握していない州であり、何かにつけ政党政治が引き合いに出されることが多い。だが、抗議行動が始まって1週間後には、農場労働者の要求が、最低賃金を日給69ランド 4 から150ランドに引き上げることにあることが明らかになった[Sapa 2012b]。
デドゥランズで始まったストライキは、1週間と経たないうちに西ケープ州内の16の町へと拡大し 5 、警察との衝突によりウォーズレイ(Wolseley)で1名の死者と6名のけが人が出た。一部の町では抗議行動が過激さと暴力性を持っていた。西ケープ州の農場主団体(Agri Wes-Cape)は、果物の梱包小屋の破壊行為、畑への放火、農作物の損害などを報告している[Sapa 2012c]。抗議行動が複数の町に広がったことで、ヘレン・ジラ(Helen Zille)西ケープ州知事は、治安維持のために軍隊の出動をズマ大統領に要請したが、大統領府はこの要請を受け入れなかった[Parker 2012; Sapa 2012e]。
(2)賃金を巡る交渉の開始とストライキの一時停止
マリカナ鉱山の悲劇が繰り返されることを怖れ、かつ抗議行動が複数の町に広がったことで事態を重く見た中央政府は、11月14日、農場労働者の最低賃金の見直しに雇用条件委員会(Employment Conditions Commission)が着手することを条件に、ストライキを一時停止することを南アフリカ最大の労働組合連合団体である南アフリカ労働組合会議(Congress of South African Trade Unions: COSATU)に対して提案し、事態の収束を試みた[Etheridge 2012; Sapa 2012c; 2012d]。
デドゥランズで発生したストライキは、COSATUやその傘下にある食品関連労働者組合(Food and Allied Workers Union: FAWU)などの既存の労働組合によって主導されていたわけではなかった。そのため、このストライキは「自然発生的」なものであると報道されたが[Christie 2012]、第4節で詳述するように、実際には多くの季節労働者が住む非正規居住区において結成された農場労働者委員会というローカルな組織がストライキの発生にかかわっていた。さらに、抗議行動が西ケープ州内の複数の町に拡散する過程においては、同州の農場地帯でコミュニティに対する啓蒙活動や開発支援を行ってきた複数のNGOなどにより、ストライキをきっかけに11月半ばに結成された農場労働者連盟(Farm Workers’ Coalition)というネットワーク組織が重要な役割を果たしていた[SPP 2013a; Wesso 2013]。
しかしながら、ストライキを収束するための交渉過程においてはCOSATU西ケープ州支部とFAWUが重要な役割を果たすことになった。ストライキ発生後、COSATU西ケープ州支部の首脳部は、農場労働者によるストライキを支持する声明を出し、デドゥランズに赴いて抗議者との対話を試み始めた。FAWUも各地でストライキの参加者と対話を開始し、逮捕された抗議者の釈放について警察との交渉にあたるようになった。COSATUとFAWUは、労働大臣による最低賃金見直しの提案を受けて抗議者を説得し、11月16日にはストライキが一時停止された。翌週には雇用条件委員会が最低賃金の改定に関する公聴会を開始した。同時に、ケープタウンでは、COSATUを含む労働者代表とアグリ南アフリカ(AgriSA) 6 を含む農場主代表の間で、調停・仲裁・裁定委員会(Commission for Conciliation, Mediation and Arbitration: CCMA)の後援のもと、賃金と労働条件について交渉が行われた。CCMAでの交渉の目的は、労働者代表と雇用者代表が雇用条件委員会に対して共同提案を提出することにあった[Sapa-AP 2012] 7 。
11月末、ミルドレッド・オリファント(Mildred Oliphant)労働大臣は、「雇用に関する基本条件法(Basic Conditions of Employment Act, Act 75 of 1997)」の規定により、最低賃金の改定は前回の改定(2012年3月)から12ヵ月後にしかできないため、ストライキの一時停止期限が切れる12月4日までに農場労働者の最低賃金の改定を行うことは不可能であると発表した[Sapa 2012e]。この発表を受けて、12月4日、西ケープ州のいくつかの町でストライキが再開されたものの[Sapa 2012f]、翌5日にCOSATU西ケープ州支部書記長でありケープタウン市議会のANC所属議員でもあるトニー・エイレンライヒ(Tony Ehrenreich)がAgriSAとの次のような合意を発表し、ストライキは再び中止された。合意内容は、(1)日給150ランドの賃上げ要求と農場主と労働者の間での利益分配スキームについて農場ごとに交渉を実施する、(2)労働者は仕事に戻り、任意の組合に加入する、(3)これらの組合が農場ごとに農場主と交渉をする、(4)1月9日までに合意が形成されない農場では労働者が再びストライキをする、というものであった[Sapa 2012g]。
(3)ストライキの再開から収束へ
年が明けた2013年1月9日、デドゥランズでストライキが再開された。再開したストライキは以前よりも暴力的なものとなり、道路ではタイヤが燃やされ、車両や警察への投石が行われた。ストライキ参加者のほとんどが季節労働者と見込まれ、メイル・アンド・ガーディアン・オンライン(Mail and Guardian Online: MGO)紙の報道カメラマンの証言によれば、若者や子供が抗議者の最前線を占めるようになった。警察は国道1号線を再び閉鎖し、放水やゴム弾、催涙弾で応酬、少なくとも50人を拘束した[Parker and Bauer 2013; Harrison 2013; Sapa 2013a; 2013b; 2013c]。14日には警察のゴム弾により1名の抗議者が死亡した[Roelf 2013; Fogel 2013]。フラボウ(Grabouw)やウォーズレイでも抗議行動が報告されている。
デドゥランズを中心にストライキ参加者と警察の間の対立が激化する一方で、FAWU、COSATU、AgriSAの間では農場労働者の賃金を巡る交渉が続けられた。FAWUは、農場主が交渉を放棄、無視しているとして農場主を非難した。それに対してAgriSAは、日給150ランドの要求は農場主の支払える金額を超えており、賃金が大きく上昇すれば、農業部門は持続不可能なものとなる危険があるとの警告を繰り返した[Underhill 2013a]。批判の応酬はDAとANCの同盟組織間でも行われた。ANC率いる中央政府はストライキ収束のための努力を怠っているとDAが非難すれば、ANCと同盟関係にあるCOSATUや南アフリカ共産党(South African Communist Party: SACP)は、DAが農場主に対して正当な賃金を支払うよう説得すれば問題は解決すると主張した[Bauer 2013]。
農場労働者によるストライキ開始後、COSATUやFAWUとは異なる第三の労組、ワイン蒸留酒産業黒人協会(Black Association of Wine and Spirits Industry: BAWSI)の労働組合部門である南アフリカ農業労働者組合(BAWSI Agricultural Workers Union of South Africa: BAWUSA) 8 が、特にデドゥランズの労働者の間で支持を獲得し、影響力を拡大するようになった。両組織の代表を務めるノージー・ピータース(Nosey Pieterse)は西ケープ州内では有名な人物であり、CCMAでの交渉に加わったほか、メディアにおいて農場労働者の代弁者として頻繁に引用されるようになった。ストライキが始まってから1月半ばまでに、BAWUSAは組合員がそれまでの2倍の6000人に増加した[Underhill 2013b]。
農場労働者の賃金を巡る交渉が膠着状態に陥るなかで、収穫の最盛期を迎えたデドゥランズの農場主は他の地域から労働者を確保するようになった。結果、COSATU西ケープ州支部は生産を停止できない以上、ストライキを続けても意味がないとして、ストライキの継続を主張するBAWUSAを説得し、1月末までに農場労働者のストライキは収束した。11月以降のストライキをきっかけとする警察による逮捕者は少なくとも150人に上った[Etheridge 2013; Makinana and Underhill 2013]。
ヘックスリバー・バレー生食用ぶどう協会の会長によれば、同地域で雇用されている農場労働者は1万6000人ほどである。このうち主に農場に居住する常勤の労働者は5000人ほどで、残りはトウズリバー(Touws River)やウースター(Worcester)といった近郊の町やデドゥランズにある2つの非正規居住区 2 に住み、ぶどうの収穫準備が始まる9月から収穫の終わる4月まで雇用される季節労働者である。非正規居住区の住人には、東ケープ州、ジンバブウェ 3 、レソトからの移民労働者が多数含まれる[Donnelly 2013a]。
(1)デドゥランズにおけるストライキの開始と要求
デドゥランズの農場においてストライキが始まったのは、マリカナ事件直後の2012年8月末とされているが、この時点ではストライキは一部の農場に限定され、参加者も限られていた[Christie 2012]。それに対して、デドゥランズで農場労働者による抗議行動が可視化したのは2012年11月5日、国道1号線でデモが行われた際である。国道1号線はトウズリバーとデドゥランズ間で閉鎖され、道路上ではタイヤが燃やされた。翌日には抗議の参加者が警察発表で推定8000人に増加した[Sapa 2012a]。農場主の目撃談によれば、抗議者は、行進しながら道路脇のぶどう畑や牧草地に火を放ち、消火を試みる農場主に対しては投石が行われた。これに対して農場主は、ぶどう畑の被害を最小限に抑えるため、ヘリコプターでデモ隊の行進を追跡し、消火活動を行った[Underhill 2012]。
ストライキの原因については、当初、意見が分かれていた。警察は賃金を巡る争いであるとしたのに対し、西ケープ州の与党である民主同盟(Democratic Alliance: DA)と西ケープ州農業大臣は政治的な動機に基づいた行動であり、特にアフリカ民族会議(African National Congress: ANC)の地元の指導者が西ケープ州の治安を悪化させるために暴力行為を扇動している、と非難した。西ケープ州は南アフリカにある9つの州のうち唯一ANCが州政府の実権を掌握していない州であり、何かにつけ政党政治が引き合いに出されることが多い。だが、抗議行動が始まって1週間後には、農場労働者の要求が、最低賃金を日給69ランド 4 から150ランドに引き上げることにあることが明らかになった[Sapa 2012b]。
デドゥランズで始まったストライキは、1週間と経たないうちに西ケープ州内の16の町へと拡大し 5 、警察との衝突によりウォーズレイ(Wolseley)で1名の死者と6名のけが人が出た。一部の町では抗議行動が過激さと暴力性を持っていた。西ケープ州の農場主団体(Agri Wes-Cape)は、果物の梱包小屋の破壊行為、畑への放火、農作物の損害などを報告している[Sapa 2012c]。抗議行動が複数の町に広がったことで、ヘレン・ジラ(Helen Zille)西ケープ州知事は、治安維持のために軍隊の出動をズマ大統領に要請したが、大統領府はこの要請を受け入れなかった[Parker 2012; Sapa 2012e]。
(2)賃金を巡る交渉の開始とストライキの一時停止
マリカナ鉱山の悲劇が繰り返されることを怖れ、かつ抗議行動が複数の町に広がったことで事態を重く見た中央政府は、11月14日、農場労働者の最低賃金の見直しに雇用条件委員会(Employment Conditions Commission)が着手することを条件に、ストライキを一時停止することを南アフリカ最大の労働組合連合団体である南アフリカ労働組合会議(Congress of South African Trade Unions: COSATU)に対して提案し、事態の収束を試みた[Etheridge 2012; Sapa 2012c; 2012d]。
デドゥランズで発生したストライキは、COSATUやその傘下にある食品関連労働者組合(Food and Allied Workers Union: FAWU)などの既存の労働組合によって主導されていたわけではなかった。そのため、このストライキは「自然発生的」なものであると報道されたが[Christie 2012]、第4節で詳述するように、実際には多くの季節労働者が住む非正規居住区において結成された農場労働者委員会というローカルな組織がストライキの発生にかかわっていた。さらに、抗議行動が西ケープ州内の複数の町に拡散する過程においては、同州の農場地帯でコミュニティに対する啓蒙活動や開発支援を行ってきた複数のNGOなどにより、ストライキをきっかけに11月半ばに結成された農場労働者連盟(Farm Workers’ Coalition)というネットワーク組織が重要な役割を果たしていた[SPP 2013a; Wesso 2013]。
しかしながら、ストライキを収束するための交渉過程においてはCOSATU西ケープ州支部とFAWUが重要な役割を果たすことになった。ストライキ発生後、COSATU西ケープ州支部の首脳部は、農場労働者によるストライキを支持する声明を出し、デドゥランズに赴いて抗議者との対話を試み始めた。FAWUも各地でストライキの参加者と対話を開始し、逮捕された抗議者の釈放について警察との交渉にあたるようになった。COSATUとFAWUは、労働大臣による最低賃金見直しの提案を受けて抗議者を説得し、11月16日にはストライキが一時停止された。翌週には雇用条件委員会が最低賃金の改定に関する公聴会を開始した。同時に、ケープタウンでは、COSATUを含む労働者代表とアグリ南アフリカ(AgriSA) 6 を含む農場主代表の間で、調停・仲裁・裁定委員会(Commission for Conciliation, Mediation and Arbitration: CCMA)の後援のもと、賃金と労働条件について交渉が行われた。CCMAでの交渉の目的は、労働者代表と雇用者代表が雇用条件委員会に対して共同提案を提出することにあった[Sapa-AP 2012] 7 。
11月末、ミルドレッド・オリファント(Mildred Oliphant)労働大臣は、「雇用に関する基本条件法(Basic Conditions of Employment Act, Act 75 of 1997)」の規定により、最低賃金の改定は前回の改定(2012年3月)から12ヵ月後にしかできないため、ストライキの一時停止期限が切れる12月4日までに農場労働者の最低賃金の改定を行うことは不可能であると発表した[Sapa 2012e]。この発表を受けて、12月4日、西ケープ州のいくつかの町でストライキが再開されたものの[Sapa 2012f]、翌5日にCOSATU西ケープ州支部書記長でありケープタウン市議会のANC所属議員でもあるトニー・エイレンライヒ(Tony Ehrenreich)がAgriSAとの次のような合意を発表し、ストライキは再び中止された。合意内容は、(1)日給150ランドの賃上げ要求と農場主と労働者の間での利益分配スキームについて農場ごとに交渉を実施する、(2)労働者は仕事に戻り、任意の組合に加入する、(3)これらの組合が農場ごとに農場主と交渉をする、(4)1月9日までに合意が形成されない農場では労働者が再びストライキをする、というものであった[Sapa 2012g]。
(3)ストライキの再開から収束へ
年が明けた2013年1月9日、デドゥランズでストライキが再開された。再開したストライキは以前よりも暴力的なものとなり、道路ではタイヤが燃やされ、車両や警察への投石が行われた。ストライキ参加者のほとんどが季節労働者と見込まれ、メイル・アンド・ガーディアン・オンライン(Mail and Guardian Online: MGO)紙の報道カメラマンの証言によれば、若者や子供が抗議者の最前線を占めるようになった。警察は国道1号線を再び閉鎖し、放水やゴム弾、催涙弾で応酬、少なくとも50人を拘束した[Parker and Bauer 2013; Harrison 2013; Sapa 2013a; 2013b; 2013c]。14日には警察のゴム弾により1名の抗議者が死亡した[Roelf 2013; Fogel 2013]。フラボウ(Grabouw)やウォーズレイでも抗議行動が報告されている。
デドゥランズを中心にストライキ参加者と警察の間の対立が激化する一方で、FAWU、COSATU、AgriSAの間では農場労働者の賃金を巡る交渉が続けられた。FAWUは、農場主が交渉を放棄、無視しているとして農場主を非難した。それに対してAgriSAは、日給150ランドの要求は農場主の支払える金額を超えており、賃金が大きく上昇すれば、農業部門は持続不可能なものとなる危険があるとの警告を繰り返した[Underhill 2013a]。批判の応酬はDAとANCの同盟組織間でも行われた。ANC率いる中央政府はストライキ収束のための努力を怠っているとDAが非難すれば、ANCと同盟関係にあるCOSATUや南アフリカ共産党(South African Communist Party: SACP)は、DAが農場主に対して正当な賃金を支払うよう説得すれば問題は解決すると主張した[Bauer 2013]。
農場労働者によるストライキ開始後、COSATUやFAWUとは異なる第三の労組、ワイン蒸留酒産業黒人協会(Black Association of Wine and Spirits Industry: BAWSI)の労働組合部門である南アフリカ農業労働者組合(BAWSI Agricultural Workers Union of South Africa: BAWUSA) 8 が、特にデドゥランズの労働者の間で支持を獲得し、影響力を拡大するようになった。両組織の代表を務めるノージー・ピータース(Nosey Pieterse)は西ケープ州内では有名な人物であり、CCMAでの交渉に加わったほか、メディアにおいて農場労働者の代弁者として頻繁に引用されるようになった。ストライキが始まってから1月半ばまでに、BAWUSAは組合員がそれまでの2倍の6000人に増加した[Underhill 2013b]。
農場労働者の賃金を巡る交渉が膠着状態に陥るなかで、収穫の最盛期を迎えたデドゥランズの農場主は他の地域から労働者を確保するようになった。結果、COSATU西ケープ州支部は生産を停止できない以上、ストライキを続けても意味がないとして、ストライキの継続を主張するBAWUSAを説得し、1月末までに農場労働者のストライキは収束した。11月以降のストライキをきっかけとする警察による逮捕者は少なくとも150人に上った[Etheridge 2013; Makinana and Underhill 2013]。
2. 民主化後の農業部門における雇用環境の変化
労働者によるストライキが各地で毎年のように起こる南アフリカにおいても、農場労働者によるストライキは非常に珍しい。外部世界との交流が少なく、組合に対する敵対心が強いと言われる農場主のもとで雇用されている農場労働者は組織化が難しく、労働組合による組織化率は推定5~6%にすぎない。それゆえ他の産業と比べて、農場労働者によるストライキは稀であり、ぶどうの収穫期という農場主がもっとも労働力を必要とする時期に、西ケープ州の基幹産業である商業農業部門において発生したストライキは、中央政府、州政府、農場主団体、労働組合、NGO、研究者の誰もが予期せぬことだった。とはいえ、民主化後、農場労働者を取り巻く雇用環境が著しく変化してきたことについては、複数の研究が指摘してきた。とりわけ重要なのは、農業部門におけるフルタイム雇用の減少と季節雇用の増加であり、本節ではストライキ発生の遠因とも言えるこれらの変化について検討する。
南アフリカの農業統計によれば、農業部門における労働者数は、民主化以前からほぼ一貫して緩やかに減少してきた( 図1 )。民主化前後の数値を見ると、1993年には109万3265人だったのが、1995年には89万人に減少した。その後2002年には94万人に増加したものの、2000年代半ばには80万人を割るに至った。民主化直後から2002年ごろまで農業部門の労働者数が比較的安定していたのは、民主化によって経済制裁による国際的な孤立状況から抜け出し、ワインや果物を中心に南アフリカ産農産物の輸出が飛躍的に伸びたことによる。これに対して2000年代半ばには労働者数が一時期、急激に減少したが、その理由として多くの研究が2003年に農場労働者に対して法定最低賃金 9 が導入されたことをあげている[BFAP 2012, 3; Barrientos and Visser 2012, 23; Social Surveys Africa and Nkuzi Development Association 2005, 9]。Bhorat, Kanbur and Stanwix[2012]は2000~2007年までの統計データをもとに、法定最低賃金の導入により、それまで非常に低い賃金を受け取っていた農場労働者の賃金が上昇し、書面で雇用契約を取り交わす労働者の割合が増加した一方で、農業部門における雇用機会は減少したことを計量的に明らかにしている。しかしながら、図1からわかるのは、過去に農場労働者数が減少した年は定期的に訪れる旱魃年(1982~84年、1991~95年、2002~05年)にもあたっていること、労働者が減少した後には一定程度の雇用の回復が見られることである。2008年以降、農業部門の労働者総数が回復しつつあることにも注意を向ける必要があるだろう。
南アフリカの農業統計によれば、農業部門における労働者数は、民主化以前からほぼ一貫して緩やかに減少してきた( 図1 )。民主化前後の数値を見ると、1993年には109万3265人だったのが、1995年には89万人に減少した。その後2002年には94万人に増加したものの、2000年代半ばには80万人を割るに至った。民主化直後から2002年ごろまで農業部門の労働者数が比較的安定していたのは、民主化によって経済制裁による国際的な孤立状況から抜け出し、ワインや果物を中心に南アフリカ産農産物の輸出が飛躍的に伸びたことによる。これに対して2000年代半ばには労働者数が一時期、急激に減少したが、その理由として多くの研究が2003年に農場労働者に対して法定最低賃金 9 が導入されたことをあげている[BFAP 2012, 3; Barrientos and Visser 2012, 23; Social Surveys Africa and Nkuzi Development Association 2005, 9]。Bhorat, Kanbur and Stanwix[2012]は2000~2007年までの統計データをもとに、法定最低賃金の導入により、それまで非常に低い賃金を受け取っていた農場労働者の賃金が上昇し、書面で雇用契約を取り交わす労働者の割合が増加した一方で、農業部門における雇用機会は減少したことを計量的に明らかにしている。しかしながら、図1からわかるのは、過去に農場労働者数が減少した年は定期的に訪れる旱魃年(1982~84年、1991~95年、2002~05年)にもあたっていること、労働者が減少した後には一定程度の雇用の回復が見られることである。2008年以降、農業部門の労働者総数が回復しつつあることにも注意を向ける必要があるだろう。
図1 農業部門における労働者数の推移

(出所)1971~2007年についてはDAFF[2012, 4]、2008~09年についてはStatistics South Africa[2011, 12]より筆者作成。
(注)この統計には季節労働者と農場で雇用されている家事労働者が含まれる。ただし、1982年、1984年、1989年、1997~2001年、2003~04年、2006年についてはデータがない。 |
南アフリカでは、農場労働者数の減少とは、農場居住者人口の減少をも意味する。かつて南アフリカでは、多くの農場労働者が農場内に居住していた。労働者は仕事のみならず、住居や交通手段、教育・医療施設へのアクセスなどを含む生活全般を農場主に依存し、両者の関係は強力な父権主義(パターナリズム)によって特徴づけられていた。ところが、民主化後、「保有権の安全保障拡大法(Extension of Security of Tenure Act, Act 62 of 1997)」などの土地改革関連法が導入されたことで、農場内に長年居住してきた労働者の土地権が強化される一方、法律によるさらなる規制強化や義務の拡大を免れようとする農場主によって、農場から合法・非合法両方の手段で立ち退かされる労働者が続出することになった[BFAP 2012, 3; HRW 2011]。農場から立ち退かされた人びとの数を正確に知ることは容易ではないものの、南アフリカのNGOが行った調査によれば、民主化後最初の11年間(1994~2004年)に白人所有農場から強制的に立ち退かされた人びとは推定94万2303人、困難な生活環境を含むさまざまな理由で「自発的に」農場を出て行った人びとを含めると同期間に白人農場から移動した人びとの総数は推定235万人にのぼった。この数値はその前の10年間(1984~1993年)における農場立ち退き(推定73万人)、「自発的」移転(同183万人)をそれぞれ上回るものであった[Social Surveys Africa and Nkuzi Development Association 2005, 7]。農場から追い立てられた人々は、大都市の周辺部に位置するタウンシップのみならず、地方の町においても非正規居住区を形成し住み着くようになった。
農場から労働者やその家族が立ち退かされる理由のうちもっとも多いのは、労働者が解雇されたり、世帯内の主たる労働者が死亡したことにより、農場主にとって労働者を農場内に住まわせておく理由が消滅する場合である。だが、農場の売却によって所有者が交代する際に労働者が立ち退かされるケースも一定の割合を占めている[Social Surveys Africa and Nkuzi Development Association 2005, 14]。2007年の農業部門の粗収入は1993年と比べて4倍に増えているが、農場経営体自体は5万7980から3万9966へ45%も減少した[Statistics South Africa 2010, 8]。つまり、南アフリカでは過去20年間にわたり、農場の合併・大規模化が進み、企業経営農場が増加する一方で、農場を手放さざるを得なくなった農場主も相当数いたのである。農場労働者を取り巻く環境の変化は、農産物流通の自由化と政府による農業部門に対する財政的支援の撤廃によってもたらされた南アフリカ農業部門の構造変容の一部でもある。
農場労働者の雇用形態も変化し、1980年代や1990年代と比較すると、2000年代にはフルタイム労働者数が減少する一方で、全労働者数に占める臨時・季節労働者の割合が増加した( 表1 )。
農場から労働者やその家族が立ち退かされる理由のうちもっとも多いのは、労働者が解雇されたり、世帯内の主たる労働者が死亡したことにより、農場主にとって労働者を農場内に住まわせておく理由が消滅する場合である。だが、農場の売却によって所有者が交代する際に労働者が立ち退かされるケースも一定の割合を占めている[Social Surveys Africa and Nkuzi Development Association 2005, 14]。2007年の農業部門の粗収入は1993年と比べて4倍に増えているが、農場経営体自体は5万7980から3万9966へ45%も減少した[Statistics South Africa 2010, 8]。つまり、南アフリカでは過去20年間にわたり、農場の合併・大規模化が進み、企業経営農場が増加する一方で、農場を手放さざるを得なくなった農場主も相当数いたのである。農場労働者を取り巻く環境の変化は、農産物流通の自由化と政府による農業部門に対する財政的支援の撤廃によってもたらされた南アフリカ農業部門の構造変容の一部でもある。
農場労働者の雇用形態も変化し、1980年代や1990年代と比較すると、2000年代にはフルタイム労働者数が減少する一方で、全労働者数に占める臨時・季節労働者の割合が増加した( 表1 )。
表1 農業部門におけるフルタイム労働者数と臨時・季節労働者数の変遷 (単位:人)
年 | フルタイム労働者 | 割合(%) | 臨時・季節労働者 | 割合(%) | 総計 |
---|---|---|---|---|---|
1986 | 816,660 | 60.4 | 534,781 | 39.6 | 1,351,441 |
1991 | 702,323 | 63.0 | 413,239 | 37.0 | 1,115,562 |
1993 | 647,905 | 59.3 | 445,360 | 40.7 | 1,093,265 |
1996 | 610,476 | 66.8 | 303,997 | 33.2 | 914,473 |
2002 | 481,375 | 51.2 | 459,445 | 48.8 | 940,820 |
2007 | 377,773 | 51.4 | 357,420 | 48.6 | 735,193 |
2008 | 446,085 | 54.8 | 368,439 | 45.2 | 814,524 |
2009 | 459,901 | 54.1 | 389,881 | 45.9 | 849,782 |
(出所)1986年と1991年についてはSocial Surveys Africa and Nkuzi Development Association [2005, 8]、
1993年と2002年についてはStatistics South Africa[2005, 8]、
1996年についてはStatistics South Africa and NDA[2000]、2007年についてはStatistics South Africa[2010, 49]、
2008年と2009年についてはStatistics South Africa[2011, 12]より筆者作成。
1993年と2002年についてはStatistics South Africa[2005, 8]、
1996年についてはStatistics South Africa and NDA[2000]、2007年についてはStatistics South Africa[2010, 49]、
2008年と2009年についてはStatistics South Africa[2011, 12]より筆者作成。
季節労働者に対するニーズは実際には栽培作物によって大きく異なっており、柑橘類、ぶどう、果樹産業といった手作業での収穫が必要な作物において季節労働者への依存度が総じて高い[BFAP 2012, 9]。これらはいずれも西ケープ州を主要産地としており、 表2 からは、2002年と2007年の両年において、西ケープ州の全農場労働者数に占める臨時・季節労働者の割合が全国平均( 表1 )よりも7ポイント程度高いことがわかる。ぶどう産業の場合、2011年度にはフルタイム労働者1万1871人に対し、季節労働者はその4.3倍の5万999人にのぼった[SATI 2012, 16]。
表2 西ケープ州の農業部門におけるフルタイム労働者数と臨時・季節労働者数の変遷 (単位:人)
年 | フルタイム労働者 | 割合(%) | 臨時・季節労働者 | 割合(%) | 総計 |
---|---|---|---|---|---|
1996 | 127,918 | 64.5 | 70,460 | 35.5 | 198,378 |
2002 | 98,207 | 44.0 | 124,968 | 56.0 | 223,175 |
2007 | 84,590 | 44.0 | 107,679 | 56.0 | 192,269 |
(出所)1996年についてはStatistics South Africa and NDA[2000]、
2002年についてはStatistics South Africa[2005, 11]、2007年についてはStatistics South Africa[2010, 49]より筆者作成。
2002年についてはStatistics South Africa[2005, 11]、2007年についてはStatistics South Africa[2010, 49]より筆者作成。
大量の季節労働者を雇用する際に重要な役割を果たすようになったのが、雇用の周旋業者(ブローカー)であった。西ケープ州のNGOが行った調査によれば、りんごや梨といった果樹産業の中心地のひとつとして知られる同州東部のフラボウでは、190人以上の周旋業者が果樹の収穫や間伐作業に必要な季節労働者を農場主に提供する役割を担っていた。周旋業者の多くが男性の元農場労働者であり、周旋業者自身も季節労働者の多くが住むフラボウのタウンシップや非正規居住区に住み、口伝てで労働者を調達していた。季節労働者の多くは東ケープ州の旧トランスカイ地域の出身者であり、労働者を確保するために周旋業者が旧トランスカイ地域まで出向く場合もあった。農場主からすれば、労働者を確保するためのさまざまな面倒な手続きから解放され、短期間、必要なだけの労働者を確保することができる点が、周旋業者に依存する最大のメリットであった[WFP and CRLS 2009]。
他方、農場労働者が孤立して農場内に居住している状態から、タウンシップや非正規居住区に集住し、季節労働者として農場で働くようになったことは、農場労働者の組織化を進める機会を提供した、とする意見もある[Wesso 2013; Ntsebeza 2013]。この点については、ストライキの主体にかかわる問題として、第4節において検討することにしたい。
他方、農場労働者が孤立して農場内に居住している状態から、タウンシップや非正規居住区に集住し、季節労働者として農場で働くようになったことは、農場労働者の組織化を進める機会を提供した、とする意見もある[Wesso 2013; Ntsebeza 2013]。この点については、ストライキの主体にかかわる問題として、第4節において検討することにしたい。
3. 農場労働者に対する最低賃金の改定と雇用への潜在的影響
2012年末から2013年初頭に西ケープ州の農場地帯で起こったストライキが大きな注目を集めたのは、それが非常に稀な出来事であったことに加えて、ストライキを収束するために政府が迅速かつ類を見ない対応を行ったことも関係していた。本節では政府の対応とそれに対する関係者の反応を検討し、ストライキが今後、中長期的にどのような影響をもたらしうるのかについて考察する。
西ケープ州の農場地帯に平穏が戻って間もない2013年2月4日、オリファント労働大臣は、農場労働者の法定最低賃金を日給105ランド(9時間労働した場合)に引き上げること、この賃金改定は3月1日から施行されることを発表した。この改定は今後、3年間にわたり有効とされ、2年目、3年目には消費者物価指数プラス1.5%の割合で最低賃金が上昇改定されることになった。さらに、財政状況が非常に乏しく、105ランドを払えば倒産せざるをえないということを証明できる農場主は、監査済み収支報告書などを添付して労働省に申請すれば、最低賃金の適用を免除されることも定められた[DOL 2013; Sapa 2013d; 2013f]。3月1日に施行された農場労働者の最低賃金は以下のとおりである。
西ケープ州の農場地帯に平穏が戻って間もない2013年2月4日、オリファント労働大臣は、農場労働者の法定最低賃金を日給105ランド(9時間労働した場合)に引き上げること、この賃金改定は3月1日から施行されることを発表した。この改定は今後、3年間にわたり有効とされ、2年目、3年目には消費者物価指数プラス1.5%の割合で最低賃金が上昇改定されることになった。さらに、財政状況が非常に乏しく、105ランドを払えば倒産せざるをえないということを証明できる農場主は、監査済み収支報告書などを添付して労働省に申請すれば、最低賃金の適用を免除されることも定められた[DOL 2013; Sapa 2013d; 2013f]。3月1日に施行された農場労働者の最低賃金は以下のとおりである。
表3 農場労働者の最低賃金
(2013年3月1日~2014年2月28日適用)
(単位:ランド)
(出所)DOL[2012a; 2013]より筆者作成。
(注)日給は9時間労働の場合。カッコ内は今回の賃金改定以前の最低賃金額。
(2013年3月1日~2014年2月28日適用)
(単位:ランド)
月給 | 週給 | 日給 | 時給 |
---|---|---|---|
2273.52 (1503.90) |
524.70 (347.10) |
105.00 (69.39) |
11.66 (7.71) |
(出所)DOL[2012a; 2013]より筆者作成。
(注)日給は9時間労働の場合。カッコ内は今回の賃金改定以前の最低賃金額。
農場労働者が要求していた日給150ランドには満たなかったものの、以前の最低賃金体系と比べると、日給105ランドは50%以上の上昇率であり、大幅な賃金改定となった。もともと非常に低い金額からの改定であり、日給105ランドが南アフリカで人間らしい生活を送るために十分な賃金かどうかについてはもちろん議論の余地があるが、今回の改定により、農場労働者の最低賃金は、同じく低賃金の職種である家事労働者の最低賃金をはるかに上回ることになった 10 。限定的ではあるが、農場労働者によるストライキという直接行動はきわめて直接的・具体的な成果を上げることができたのである。
他方、農場主側のショックと反発は激しく、農場主団体の中でも保守派として知られ、日給80ランドを主張していたトランスバール農業組合(Transvaal Agricultural Union: TAU-SA)は、オリファント労働大臣による賃金改定の発表に対し、最低賃金の急上昇は労使関係を危険にさらし、農業部門の労働者の減少と賃金のインフレにつながるものであるとして強く非難した。TAUの懸念は、最低賃金額が引き上げられることで、経験年数や熟練の度合いなどにより、もともと最低賃金よりも多くの賃金を受け取っていた労働者の賃金も引き上げざるを得なくなるため、農場主は農場内で雇用している全労働者の賃金体系の見直しを迫られる。そうしなければ、スキルの違いによる労働者の賃金の差が維持できないため、中上層レベルの労働者の労働意欲が下がってしまう、ということにあった[Sapa 2013e]。また、Agri-SAを含む多くの農場主団体が農場主に対して免除申請の提出を促した[Donnelly 2013b]。労働省の報告によれば、3月中旬の時点で1432件の免除申請が提出されたが、その40%以上が西ケープ州の農場主から提出されたものであった[PMG 2013]。免除申請は4月末までに1987件に増加したものの、4月中に申請が認められたのは18件(4991人の労働者が対象)にすぎなかった[Sapa 2013h]。
賃金改定を巡る交渉や労働省による公聴会において、労働者側と農場主側の主張は平行線をたどった。日給150ランドを主張して譲らない労働者に対し、150ランド支払ったら離農しなければならない農場主が続出すると農場主団体は警告し[Donnelly 2012; Underhill 2013a]、食糧農業政策研究所(Bureau for Food and Agricultural Policy: BFAP) 11 による農業部門の賃金に関する研究報告書の成果を考慮するよう求めた[PMG 2013]。2012年12月に公表されたBFAP報告書は、果樹産業を中心にフルタイム雇用から季節雇用へのシフトが進んでいること、季節労働者の賃金が最大でも日給84ランドにすぎないことなどを明らかにした上で、労働者の平均賃金が20ランド以上引き上げられ、日給が104ランドを超えた場合、典型的な農場の多くはこれまでのように操業費用を賄うことができないだろうと結論づけた。同報告書によれば、南アフリカの農業部門では賃金上昇圧力に対処するために機械化と農場の合併が進みつつあり、同国の農業は低賃金の非熟練労働者に依存する産業から、数は少ないが技術を持ち、賃金も高い労働者を雇用する産業への移行をすでに開始した[BFAP 2012, vi-vii, 37-39]。農場経営体数が過去20年間に大幅に減少し、農場労働者数も全体として減少傾向にあることは第2節でも確認したとおりである。
農場労働者の法定最低賃金を日給105ランドに改定した政府の決定が、BFAP報告書に依拠していたことは、その金額からして想像に難くない。政府は、日給150ランドを要求する労働者とそれは支払えないとする農場主の両方をある程度まで納得させることのできるような金額を求めていたと考えられるからである。BFAP報告書は、高品質のぶどうや野菜などを輸出向けに生産している農場では、技術的に可能であっても機械化を進めることには限界があるとし、労働コストの上昇がすぐに機械化に結びつくとは限らないとする。また、最低賃金の上昇についても、それが農場労働者の大量解雇をもたらすとは必ずしも断定できないという。なぜならば、農場の大規模化がさらに進み、新たな輸出市場が開拓されるなどにより生産量が増加すれば労働者に対する需要も増えるため、賃金上昇と雇用創出の両方をかなえることが可能だからである[BFAP 2012, vii, 5, 39]。
今回の賃金改定が農場労働者の雇用全体にどのような影響を与えたかについて検討するためにはもう少し時間が必要であるが、いくつかの地域では雇用への悪影響がすでに現実のものとなっている。労働省には、3月の時点でリンポポ州とムプマランガ州の農場主がおよそ2000人の労働者を解雇する予定であることについてAgriSAから報告が届いていた[PMG 2013]。また、ヘックスリバー・バレー生食用ぶどう協会の会長によれば、昨年11月のストライキ以降、デドゥランズの農場主は通常より2割ほど少ない労働者を雇用し、除草剤を使用するなどできるだけ労働者を減らす方法を採用するようになった[Donnelly 2013a]。5月にはデドゥランズの農場主が組合に所属する労働者を解雇している、との声明をFAWUが発表している[Sapa 2013g]。同じ時期にNGOが開催した農場労働者問題に関するワークショップに参加したデドゥランズの農場労働者は、最低賃金改定後、一日当たりの労働時間が短縮され、少ない時間と人数で以前と同様の作業をこなさなければならないなど労働負担が増加したと証言している。さらには、労働者の家庭内で病人が出た場合に、以前は農場主が診療所まで病人を車で運んでくれていたが、賃金改定後は農場主がこういったサービスを拒むようになったという証言もある 12 。ストライキを通じて、農場主と労働者の間のパターナリスティックな関係が崩れ、農場主が提供してきたある意味でのセイフティ・ネットが消失しつつあると言えるだろう。
他方、農場主側のショックと反発は激しく、農場主団体の中でも保守派として知られ、日給80ランドを主張していたトランスバール農業組合(Transvaal Agricultural Union: TAU-SA)は、オリファント労働大臣による賃金改定の発表に対し、最低賃金の急上昇は労使関係を危険にさらし、農業部門の労働者の減少と賃金のインフレにつながるものであるとして強く非難した。TAUの懸念は、最低賃金額が引き上げられることで、経験年数や熟練の度合いなどにより、もともと最低賃金よりも多くの賃金を受け取っていた労働者の賃金も引き上げざるを得なくなるため、農場主は農場内で雇用している全労働者の賃金体系の見直しを迫られる。そうしなければ、スキルの違いによる労働者の賃金の差が維持できないため、中上層レベルの労働者の労働意欲が下がってしまう、ということにあった[Sapa 2013e]。また、Agri-SAを含む多くの農場主団体が農場主に対して免除申請の提出を促した[Donnelly 2013b]。労働省の報告によれば、3月中旬の時点で1432件の免除申請が提出されたが、その40%以上が西ケープ州の農場主から提出されたものであった[PMG 2013]。免除申請は4月末までに1987件に増加したものの、4月中に申請が認められたのは18件(4991人の労働者が対象)にすぎなかった[Sapa 2013h]。
賃金改定を巡る交渉や労働省による公聴会において、労働者側と農場主側の主張は平行線をたどった。日給150ランドを主張して譲らない労働者に対し、150ランド支払ったら離農しなければならない農場主が続出すると農場主団体は警告し[Donnelly 2012; Underhill 2013a]、食糧農業政策研究所(Bureau for Food and Agricultural Policy: BFAP) 11 による農業部門の賃金に関する研究報告書の成果を考慮するよう求めた[PMG 2013]。2012年12月に公表されたBFAP報告書は、果樹産業を中心にフルタイム雇用から季節雇用へのシフトが進んでいること、季節労働者の賃金が最大でも日給84ランドにすぎないことなどを明らかにした上で、労働者の平均賃金が20ランド以上引き上げられ、日給が104ランドを超えた場合、典型的な農場の多くはこれまでのように操業費用を賄うことができないだろうと結論づけた。同報告書によれば、南アフリカの農業部門では賃金上昇圧力に対処するために機械化と農場の合併が進みつつあり、同国の農業は低賃金の非熟練労働者に依存する産業から、数は少ないが技術を持ち、賃金も高い労働者を雇用する産業への移行をすでに開始した[BFAP 2012, vi-vii, 37-39]。農場経営体数が過去20年間に大幅に減少し、農場労働者数も全体として減少傾向にあることは第2節でも確認したとおりである。
農場労働者の法定最低賃金を日給105ランドに改定した政府の決定が、BFAP報告書に依拠していたことは、その金額からして想像に難くない。政府は、日給150ランドを要求する労働者とそれは支払えないとする農場主の両方をある程度まで納得させることのできるような金額を求めていたと考えられるからである。BFAP報告書は、高品質のぶどうや野菜などを輸出向けに生産している農場では、技術的に可能であっても機械化を進めることには限界があるとし、労働コストの上昇がすぐに機械化に結びつくとは限らないとする。また、最低賃金の上昇についても、それが農場労働者の大量解雇をもたらすとは必ずしも断定できないという。なぜならば、農場の大規模化がさらに進み、新たな輸出市場が開拓されるなどにより生産量が増加すれば労働者に対する需要も増えるため、賃金上昇と雇用創出の両方をかなえることが可能だからである[BFAP 2012, vii, 5, 39]。
今回の賃金改定が農場労働者の雇用全体にどのような影響を与えたかについて検討するためにはもう少し時間が必要であるが、いくつかの地域では雇用への悪影響がすでに現実のものとなっている。労働省には、3月の時点でリンポポ州とムプマランガ州の農場主がおよそ2000人の労働者を解雇する予定であることについてAgriSAから報告が届いていた[PMG 2013]。また、ヘックスリバー・バレー生食用ぶどう協会の会長によれば、昨年11月のストライキ以降、デドゥランズの農場主は通常より2割ほど少ない労働者を雇用し、除草剤を使用するなどできるだけ労働者を減らす方法を採用するようになった[Donnelly 2013a]。5月にはデドゥランズの農場主が組合に所属する労働者を解雇している、との声明をFAWUが発表している[Sapa 2013g]。同じ時期にNGOが開催した農場労働者問題に関するワークショップに参加したデドゥランズの農場労働者は、最低賃金改定後、一日当たりの労働時間が短縮され、少ない時間と人数で以前と同様の作業をこなさなければならないなど労働負担が増加したと証言している。さらには、労働者の家庭内で病人が出た場合に、以前は農場主が診療所まで病人を車で運んでくれていたが、賃金改定後は農場主がこういったサービスを拒むようになったという証言もある 12 。ストライキを通じて、農場主と労働者の間のパターナリスティックな関係が崩れ、農場主が提供してきたある意味でのセイフティ・ネットが消失しつつあると言えるだろう。
4. 農場労働者の組織化と代表性
本稿が最後に検討するのは、ストライキを実施した主体としての農場労働者の組織化と代表性に関する問題である。西ケープ州のデドゥランズで始まった農場労働者のストライキは、同州内の他の町・地域へは拡散したが、他州には広がらなかった。このことは、西ケープ州の農場主や州政府を大いに困惑させ、ストライキが政治的動機に基づいたものであるとの誤解を生むことになった。西ケープ州の農場主からすれば、同州の農場労働者は他州の農場労働者と比較して賃金水準が高く、農場主による最低賃金の支払い準拠率も高い[Stanwix 2013, 3]。にもかかわらずストライキが西ケープ州に限定されていたことが不可解であった。DA党首であり西ケープ州知事でもあるジラは、3月17日に発表した「農場ストライキの背後にある本当の話」と題するエッセイのなかで、デドゥランズのストライキは地元のANC指導者により扇動されたものであり、その目的はDAの支持基盤である農場主と農場労働者の対立を煽ることにある、との持論を展開した[Zille 2013]。
だが、農場労働者側は政治的動機を完全に否定している。MGO紙の記者に対して、ある農場労働者は次のように答えている。「ストライキは誰が組織したものでもない。DAが西ケープ州の与党であることも関係ない。これは労働者と労働者の感情についてである。われわれ労働者の生活状態と賃金はひどいものである」[Underhill 2013a]。ストライキ終焉後に開かれたNGO主催のワークショップに参加したデドゥランズの農場労働者も、ストライキが政治的動機を持っていたことを否定し、賃金と生活条件の向上を求める農場労働者自身による自発的な行為であったと証言している 13 。
農場労働者連盟に参加したNGO余剰人口プロジェクト(Surplus People Project: SPP)のロナルド・ウェッソ(Ronald Wesso)は、「自然発生的」と報道されたデドゥランズにおける農場労働者のストライキは、実際には農場労働者委員会によって主導されていたとし、同委員会の特徴について次のように述べている。
農場労働者委員会は、労働者同士のローカルで、インフォーマルなネットワークとして始まった。成員の多くは労組に所属しない季節労働者であり、その地理的な拠点は季節労働者が住む非正規居住区や単身者用宿舎である場合が多かった。委員会について興味深いのは、移民労働者が成員の多数派をなす場合が多いのに、委員会のスポークスパーソンはしばしば農場ないしタウンシップに住む地元の住民であったということである。デドゥランズでは、労働者がなんらかのストライキの実施を模索し始めた過去3年間に委員会が正式に設立された[Wesso 2013]。
農場労働者連盟にとって、農場労働者委員会は、ストライキ参加者とNGOをつなぐ重要な媒介であった。というのも、各地のストライキ参加者を結びつけ、合同会合を開くための場所の確保などの実務的な面ではNGOが同連盟の活動を支えていたものの、「ストライキ参加者の間に同連盟を根付かせ、好戦的な活力と動員のための気迫を提供していたのは農場労働者委員会」だったからである[Wesso 2013]。
ところが、農場主は農場労働者委員会との賃金交渉を拒否し、交渉相手として労働組合を要求した。その結果、農場労働者委員会は、「COSATU、より正確にはトニー・エイレンライヒ」に代弁者となるよう求めざるを得なかった。それゆえ、政府による仲介のもと、農場主と労組の間で賃金交渉が始まると、COSATUやFAWU、BAWUSAの指導者達が抗議者の代弁者としての役割を果たすようになった 14 。だが、これは農場労働者委員会の衰退につながった。「大量の」農場労働者がこれら労組(特にBAWUSA)に加盟し始め、農場労働者委員会のメンバーが労組の専従職員として吸収されるようになり、同委員会の「好戦性」とローカルな主体性が失われることになったからである[Wesso 2013]。以上のようなウェッソの分析は、農場労働者連盟に参加したSPP/ウェッソがCOSATUなどの労組がとった対応に批判的であることを示唆している。とりわけ重要なのは、農場労働者委員会というローカルに存在した主体的な組織の頭越しに労組が交渉主体となり、農場労働者自身が主体的に交渉に参加することができなくなった、ということである。
農場労働者連盟は、西ケープ州の2つのNGO(コミュニティ奉仕活動と教育のための信託基金 とウィメン・オン・ファーム・プロジェクト )のイニシアティブによりストライキ初期に結成された。その目的は、ストライキに関係しているすべての組織と労働者集団が一堂に会することのできる場を創出することであり、同連盟には、農場労働者委員会、NGO(SPP、TCOE、WFP)、コミュニティ組織(Community Based Organisation: CBO)ないし社会運動体(食料主権キャンペーン 、マウブイェ土地権フォーラム 、統一民主戦線 ) 15 、労組(COSATU、 BAWUSA、 FAWU、急進左派の民主左派前線 と同盟関係にある商業・荷役・農業関連労働者組合 、WFPの活動を通じて結成された女性農場労働者の労組であるシクラ・ソンケ )という性格の異なる複数の組織が参加した[Wesso 2013]。その意味では最初から寄り合い所帯であり、拘束性の弱いネットワーク組織にすぎなかった。2012年11月半ばから末にかけて開かれた同連盟の会合においてもっとも紛糾した問題は、COSATUによるストライキの一時停止を求める呼びかけであった。同連盟参加組織のなかでも、デドゥランズの農場労働者委員会や社会運動体といった当事者組織からとりわけ強い反発が出た[Ntsebeza 2013]。ウェッソの分析が既存の主流派労組、とりわけCOSATUに対して批判的なのは、COSATUが政府の要請を受けてストライキの一時停止に合意し、労働者に対してストライキを一時停止するよう説得したことに対して、ストライキ参加者の間で大きな不満があることを同連盟の会合を通じて感じ取ったからだろう。
COSATUが組合員ではない農場労働者のストライキに介入せざるを得なかったのは、おそらくマリカナ鉱山での経験が関係している。COSATU西ケープ州支部書記長のエイレンライヒは、農場労働者のストライキとマリカナの鉱山労働者のストライキは、労働者が組合に組織されていないという点でのみ類似性があるとし、次のように述べている。「労働者が方向性やガイダンスなしに自分たちで行動を起こすときには、危険が伴う。なぜならば、彼らは法律のパラメーターなどを理解しないから。警察の介入を誘い込み、対立が暴力的になってしまう」[Makinana and Underhill 2013]。エイレンライヒは、農場労働者のストライキが進行中、幾度も組織化の重要性を訴え、実際にBAWUSAという比較的新しい組合が特にデドゥランズの農場労働者の間で支持を拡大することになった。BAWUSAはCOSATUやFAWUと友好関係を保っており、その点ではCOSATUと同盟関係にある全国鉱山労働者組合(National Union of Mineworkers: NUM)に敵対する鉱山労働者建設組合協会(Association of Mineworkers and Construction Union: AMCU)が労働者の間で急速に支持を拡大しつつあったマリカナ鉱山とは状況が異なっているように見える。BAWUSAは西ケープ州のカリスマ的指導者率いる労組であり、代表のピータースはストライキ発生以前から農場労働者の待遇や労働条件の改善を求めて活動をしてきた。ストライキを通じてBAWUSAが組合員数を急激に増やすことができたのは、おそらくBAWUSAがストライキの継続を主張する立場をとったからであり、少なくともストライキが終焉するまではBAWUSAは農場労働者連盟に参加したNGOとも友好関係を保っていた。第1節で述べたように、ストライキを終わらせるか否かをめぐり、COSATUとの間で当初、意見の食い違いが生じたが、最終的にはエイレンライヒの説得によりBAWUSAはストライキの終焉に合意した。
ストライキが収束し、新しい最低賃金が施行された後も、農場労働者連盟は、NGOと社会運動体メンバーを中心に日給150ランドの実現を求めて3月23日に議会でデモ行進をするなど、ストライキをきっかけとする農村住民による社会的闘争のモメンタムを継続させようとする動きは続いている[SPP 2013a; 2013b; Koyana 2013]。だが、外部資金に依存する南アフリカのNGOが置かれている状況は安定しているとは言えず、5月に同連盟が企画していた農場労働者の集会は資金難のために無期延期を余儀なくされた 16 。他方、農場主と労働者の代表を集め、農業部門の将来について考える政策対話の試みが中央政府や州政府の主導でいくつか開始されている。そこで明らかになりつつあるのは、COSATU、BAWUSA、FAWUといった組織が農場労働者の代弁者としてますます重要性を増しつつある一方で、これら労組の主張のなかに農場労働者自身の声がどこまで反映されているかが見えづらくなってきていることである 17 。先述したNGO主催のワークショップに参加したデドゥランズの農場労働者は次のように述べている。「ストライキ中には労働組合が助けてくれたが、彼らはもうどこにもいない。最低賃金改定後、労働時間の短縮と労働強化など条件が悪化していることに対して自分たちだけで立ち向かわなければならない状況になっている」 18 。
だが、農場労働者側は政治的動機を完全に否定している。MGO紙の記者に対して、ある農場労働者は次のように答えている。「ストライキは誰が組織したものでもない。DAが西ケープ州の与党であることも関係ない。これは労働者と労働者の感情についてである。われわれ労働者の生活状態と賃金はひどいものである」[Underhill 2013a]。ストライキ終焉後に開かれたNGO主催のワークショップに参加したデドゥランズの農場労働者も、ストライキが政治的動機を持っていたことを否定し、賃金と生活条件の向上を求める農場労働者自身による自発的な行為であったと証言している 13 。
農場労働者連盟に参加したNGO余剰人口プロジェクト(Surplus People Project: SPP)のロナルド・ウェッソ(Ronald Wesso)は、「自然発生的」と報道されたデドゥランズにおける農場労働者のストライキは、実際には農場労働者委員会によって主導されていたとし、同委員会の特徴について次のように述べている。
農場労働者委員会は、労働者同士のローカルで、インフォーマルなネットワークとして始まった。成員の多くは労組に所属しない季節労働者であり、その地理的な拠点は季節労働者が住む非正規居住区や単身者用宿舎である場合が多かった。委員会について興味深いのは、移民労働者が成員の多数派をなす場合が多いのに、委員会のスポークスパーソンはしばしば農場ないしタウンシップに住む地元の住民であったということである。デドゥランズでは、労働者がなんらかのストライキの実施を模索し始めた過去3年間に委員会が正式に設立された[Wesso 2013]。
農場労働者連盟にとって、農場労働者委員会は、ストライキ参加者とNGOをつなぐ重要な媒介であった。というのも、各地のストライキ参加者を結びつけ、合同会合を開くための場所の確保などの実務的な面ではNGOが同連盟の活動を支えていたものの、「ストライキ参加者の間に同連盟を根付かせ、好戦的な活力と動員のための気迫を提供していたのは農場労働者委員会」だったからである[Wesso 2013]。
ところが、農場主は農場労働者委員会との賃金交渉を拒否し、交渉相手として労働組合を要求した。その結果、農場労働者委員会は、「COSATU、より正確にはトニー・エイレンライヒ」に代弁者となるよう求めざるを得なかった。それゆえ、政府による仲介のもと、農場主と労組の間で賃金交渉が始まると、COSATUやFAWU、BAWUSAの指導者達が抗議者の代弁者としての役割を果たすようになった 14 。だが、これは農場労働者委員会の衰退につながった。「大量の」農場労働者がこれら労組(特にBAWUSA)に加盟し始め、農場労働者委員会のメンバーが労組の専従職員として吸収されるようになり、同委員会の「好戦性」とローカルな主体性が失われることになったからである[Wesso 2013]。以上のようなウェッソの分析は、農場労働者連盟に参加したSPP/ウェッソがCOSATUなどの労組がとった対応に批判的であることを示唆している。とりわけ重要なのは、農場労働者委員会というローカルに存在した主体的な組織の頭越しに労組が交渉主体となり、農場労働者自身が主体的に交渉に参加することができなくなった、ということである。
農場労働者連盟は、西ケープ州の2つのNGO(コミュニティ奉仕活動と教育のための信託基金 とウィメン・オン・ファーム・プロジェクト )のイニシアティブによりストライキ初期に結成された。その目的は、ストライキに関係しているすべての組織と労働者集団が一堂に会することのできる場を創出することであり、同連盟には、農場労働者委員会、NGO(SPP、TCOE、WFP)、コミュニティ組織(Community Based Organisation: CBO)ないし社会運動体(食料主権キャンペーン 、マウブイェ土地権フォーラム 、統一民主戦線 ) 15 、労組(COSATU、 BAWUSA、 FAWU、急進左派の民主左派前線 と同盟関係にある商業・荷役・農業関連労働者組合 、WFPの活動を通じて結成された女性農場労働者の労組であるシクラ・ソンケ )という性格の異なる複数の組織が参加した[Wesso 2013]。その意味では最初から寄り合い所帯であり、拘束性の弱いネットワーク組織にすぎなかった。2012年11月半ばから末にかけて開かれた同連盟の会合においてもっとも紛糾した問題は、COSATUによるストライキの一時停止を求める呼びかけであった。同連盟参加組織のなかでも、デドゥランズの農場労働者委員会や社会運動体といった当事者組織からとりわけ強い反発が出た[Ntsebeza 2013]。ウェッソの分析が既存の主流派労組、とりわけCOSATUに対して批判的なのは、COSATUが政府の要請を受けてストライキの一時停止に合意し、労働者に対してストライキを一時停止するよう説得したことに対して、ストライキ参加者の間で大きな不満があることを同連盟の会合を通じて感じ取ったからだろう。
COSATUが組合員ではない農場労働者のストライキに介入せざるを得なかったのは、おそらくマリカナ鉱山での経験が関係している。COSATU西ケープ州支部書記長のエイレンライヒは、農場労働者のストライキとマリカナの鉱山労働者のストライキは、労働者が組合に組織されていないという点でのみ類似性があるとし、次のように述べている。「労働者が方向性やガイダンスなしに自分たちで行動を起こすときには、危険が伴う。なぜならば、彼らは法律のパラメーターなどを理解しないから。警察の介入を誘い込み、対立が暴力的になってしまう」[Makinana and Underhill 2013]。エイレンライヒは、農場労働者のストライキが進行中、幾度も組織化の重要性を訴え、実際にBAWUSAという比較的新しい組合が特にデドゥランズの農場労働者の間で支持を拡大することになった。BAWUSAはCOSATUやFAWUと友好関係を保っており、その点ではCOSATUと同盟関係にある全国鉱山労働者組合(National Union of Mineworkers: NUM)に敵対する鉱山労働者建設組合協会(Association of Mineworkers and Construction Union: AMCU)が労働者の間で急速に支持を拡大しつつあったマリカナ鉱山とは状況が異なっているように見える。BAWUSAは西ケープ州のカリスマ的指導者率いる労組であり、代表のピータースはストライキ発生以前から農場労働者の待遇や労働条件の改善を求めて活動をしてきた。ストライキを通じてBAWUSAが組合員数を急激に増やすことができたのは、おそらくBAWUSAがストライキの継続を主張する立場をとったからであり、少なくともストライキが終焉するまではBAWUSAは農場労働者連盟に参加したNGOとも友好関係を保っていた。第1節で述べたように、ストライキを終わらせるか否かをめぐり、COSATUとの間で当初、意見の食い違いが生じたが、最終的にはエイレンライヒの説得によりBAWUSAはストライキの終焉に合意した。
ストライキが収束し、新しい最低賃金が施行された後も、農場労働者連盟は、NGOと社会運動体メンバーを中心に日給150ランドの実現を求めて3月23日に議会でデモ行進をするなど、ストライキをきっかけとする農村住民による社会的闘争のモメンタムを継続させようとする動きは続いている[SPP 2013a; 2013b; Koyana 2013]。だが、外部資金に依存する南アフリカのNGOが置かれている状況は安定しているとは言えず、5月に同連盟が企画していた農場労働者の集会は資金難のために無期延期を余儀なくされた 16 。他方、農場主と労働者の代表を集め、農業部門の将来について考える政策対話の試みが中央政府や州政府の主導でいくつか開始されている。そこで明らかになりつつあるのは、COSATU、BAWUSA、FAWUといった組織が農場労働者の代弁者としてますます重要性を増しつつある一方で、これら労組の主張のなかに農場労働者自身の声がどこまで反映されているかが見えづらくなってきていることである 17 。先述したNGO主催のワークショップに参加したデドゥランズの農場労働者は次のように述べている。「ストライキ中には労働組合が助けてくれたが、彼らはもうどこにもいない。最低賃金改定後、労働時間の短縮と労働強化など条件が悪化していることに対して自分たちだけで立ち向かわなければならない状況になっている」 18 。
おわりに
本稿では、2012年末から2013年初頭に西ケープ州で起こった農場労働者のストライキについて、その経緯を振り返った上で、(1)農業部門の雇用環境、(2)労働者の主体性の2つの問題について考察を加えた。農場労働者の解雇と農場からの立ち退きの増加、フルタイム雇用から臨時・季節雇用へのシフトは、農場労働者を取り巻く環境の悪化を示すものであり、南アフリカ人権委員会やNGOによって、農場労働者の劣悪な住環境や労働条件、待遇を告発する報告書はこれまでにも複数、発表されてきた 19 。けれども、報告書による告発は農場労働者の待遇改善には直接的には結びついてはこなかった。それと比べると、今回、ストライキの結果、農場労働者の最低賃金が大幅に改定され、西ケープ州の農場労働者の労働条件や待遇に関して複数の政策対話プロセスが開始されるなど、確かにこのストライキは農場労働者問題を重要な政策課題に押し上げることに成功した。5月11日には、ハレマ・モトランテ(Kgalema Motlanthe)副大統領が中央政府の大臣(農業、通産、労働)、副大臣(農村開発土地改革、人間居住、法務憲法開発)ならびに州政府の3大臣(農業、文化問題スポーツ、社会開発)をデドゥランズに集め、農場主および労働者の代表との政策対話を行ったほか、大規模なコミュニティ会合も開いた。こういったハイレベルな政策対話が直接、具体的な政策に結びつくわけでは必ずしもなく、参加した西ケープ州農業大臣は来年の選挙を見越した政治的パフォーマンスに過ぎないとの批判を、後日発表した。だが、西ケープ州政府自身も独自に農場労働者の待遇改善のための「12段階行動計画」を発表しており[Ministry of Agriculture (Western Cape Government) 2013]、これまでANC政府による農業・農村開発政策においては必ずしも優先権を与えられてこなかった農場労働者の労働条件・待遇をめぐる問題に対して、かつてなく大きな資源が注がれようとしている兆しはある。
だが、農場労働者を取り巻く問題が一筋縄ではいかないことは確かである。BFAP報告書は、農場労働者の賃金上昇が農場経営と農場での雇用に与える影響に加えて、農場労働者の賃金に関してより大きな問題提起も行っている。それは、農場主にとって支払うことのできない日給150ランドの賃金をもってしても、ほとんどの労働者世帯は必要な栄養を得るための食料を確保することができない、ということである[BFAP 2012, 39-49]。今回のストライキでは賃金が最大の争点であり、政府による直接・短期的な対応も賃金改定の問題に終始した。農場労働者が適切(ディーセント)な賃金を受け取るべきであることは言うまでもないが、それと同時に農場労働者を取り巻く問題は低賃金の問題に終始するものでもない。筆者は、農場労働者を取り巻く状況を改善するためには労働組合への組織化を進めることが解決策となる、という労組の主張には懐疑的である。
本稿で検討したように、商業農業部門の労働者数はほぼ一貫して漸減傾向にあり、今回の最低賃金上昇によって機械化が進められ、更なる雇用カットが行われる可能性は否定できない。それゆえ、賃金上昇などの労働者としての権利の強化よりも、農場内あるいは農場の外で安定した住居を確保し、農場主や農場での季節雇用に頼らなくても生計を立てることができるようになるための道筋を探ることの方が、中長期的な解決策としては望ましいのではないだろうか。農場労働者をめぐる問題は、土地改革を含めた南アフリカ農業の再編過程と中長期的な将来像をめぐる議論のなかに位置づけて論じられるべきであり、現在の政策対話における議論がその方向に展開していくかどうか、さらにはストライキを通じて支持を拡大した労組BAWUSAや今ではNGO主体となった農場労働者連盟が今後、どのような役割を担っていくのかについては、今後も注視していきたい。
だが、農場労働者を取り巻く問題が一筋縄ではいかないことは確かである。BFAP報告書は、農場労働者の賃金上昇が農場経営と農場での雇用に与える影響に加えて、農場労働者の賃金に関してより大きな問題提起も行っている。それは、農場主にとって支払うことのできない日給150ランドの賃金をもってしても、ほとんどの労働者世帯は必要な栄養を得るための食料を確保することができない、ということである[BFAP 2012, 39-49]。今回のストライキでは賃金が最大の争点であり、政府による直接・短期的な対応も賃金改定の問題に終始した。農場労働者が適切(ディーセント)な賃金を受け取るべきであることは言うまでもないが、それと同時に農場労働者を取り巻く問題は低賃金の問題に終始するものでもない。筆者は、農場労働者を取り巻く状況を改善するためには労働組合への組織化を進めることが解決策となる、という労組の主張には懐疑的である。
本稿で検討したように、商業農業部門の労働者数はほぼ一貫して漸減傾向にあり、今回の最低賃金上昇によって機械化が進められ、更なる雇用カットが行われる可能性は否定できない。それゆえ、賃金上昇などの労働者としての権利の強化よりも、農場内あるいは農場の外で安定した住居を確保し、農場主や農場での季節雇用に頼らなくても生計を立てることができるようになるための道筋を探ることの方が、中長期的な解決策としては望ましいのではないだろうか。農場労働者をめぐる問題は、土地改革を含めた南アフリカ農業の再編過程と中長期的な将来像をめぐる議論のなかに位置づけて論じられるべきであり、現在の政策対話における議論がその方向に展開していくかどうか、さらにはストライキを通じて支持を拡大した労組BAWUSAや今ではNGO主体となった農場労働者連盟が今後、どのような役割を担っていくのかについては、今後も注視していきたい。
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(さとう・ちづこ/アジア経済研究所)
脚 注
- 2012年8月16日、警察の発砲によりマリカナ鉱山で34名のストライキ参加者が死亡し、多数の負傷者が出た。加えて発砲事件前後には、鉱山の警備員や警察官、労組の専従職員などおよそ10名が殺害された。現在、ズマ大統領が設置したマリカナ調査委員会(通称ファラム<Farlam>調査委員会)により、発砲事件へといたる過程についての調査が行われている。
- 非正規居住区とは、公的機関によって正式に認められていない居住区のことで、タウンシップ(旧都市黒人居住区)の周縁部や自治体所有地、私有地に人々が流入し、鉄板などを利用して掘立小屋を建てて住みつくことによって形成される。デドゥランズの非正規居住区はストフランド(Stofland)、サンドヒルズ(Sandhills)として知られ、いずれも国道1号線沿いにある。
- デドゥランズは、2009年11月にジンバブウェ人に対する暴力的な排斥事件が起こった町である。このときには推定2500~3000のジンバブウェ人が暴力から逃れるために避難を余儀なくされた[Misago 2009]。現在でもデドゥランズには多数のジンバブウェ人が住んでいる模様だが、その一部は繁忙期に農場から農場へと移動を繰り返す非定住型の移民労働者であると考えられている[Theron 2012]。今回のストライキにジンバブウェ人やレソト人の移民労働者がどのようにかかわっていたのかについては現時点では不明である。
- 1ランドは約11円(2013年5月24日現在)。
- 最終的には州内のおよそ25の町に抗議行動が広がったとされる[Ntshebeza 2013]。新聞報道やNGOのウェブサイトで抗議行動が拡散した場所として地名が確認できたのは、デドゥランズのほかに、アシュトン(Ashton)、ボニーベイル(Bonnievale)、ブルッドクラール(Broodkraal)、 セリーズ(Ceres)、シトラスダル(Citrusdal)、クランウィリアム(Clanwilliam)、フランシューク(Franschhoek)、フラボウ(Grabouw)、モンタギュ(Montagu)、パール(Paarl)、ピケットバーグ(Piketberg)、ポルタビル(Porterville)、プリンス・アルフレッド・ハムレット(Prince Alfred Hamlet)、リービーク・カスティール(Riebeek Kasteel)、ローソンビル(Rawsonville)、ロバートソン(Robertson)、サロン(Saron)、サイモンズディウム(Simonsdium)、サマセット・ウェスト(Somerset West)、スウェレンダム(Swellendam)、トウズリバー、フィリエズドルプ(Villiersdorp)、ウェリントン(Wellington)、ウォーズレイ(Wolseley)、ウースター(エイビアンパーク<Avian Park>地区を含む)。
- AgriSAは南アフリカ最大の全国的な農場主団体であり、西ケープ州の農場主団体(Agri Wes-Cape)はその傘下にある。
- だが、その後の報道および議会の委員会での労働省による説明を見る限り、共同提案の提出にはいたらなかったようである。
- BAWSIはワイン産業への黒人の参入とエンパワーメントを促進するために1999年に結成された非営利組織(NPO)。農場労働者の苦境と利益を代弁する組織としても活動してきたが、NPOとして登記しており、労働組合組織ではないため、労働者代表として賃金交渉にあたる資格を持たなかった。この状態を是正するため、BAWSI代表のピータースが新たに設立したのがBAWUSAである(BAWSIウェブサイト, http://www.bawsi.org.za/ , 2013年6月17日アクセス。2011年9月30日にパールにて行った筆者によるNosey Pieterse氏へのインタビュー)。
- 南アフリカでは、産業ごとに雇用主代表と労働者代表の団体交渉により賃金改定交渉が行われる場合が多いが、労働者代表組織が不在あるいは組織率が低いため労組が労働者代表として交渉に臨むことができない産業・職業においては、労働大臣により最低賃金が決められる。産業・職種ごとに異なる最低賃金は、2013年現在、11産業において定められている。今回、農場労働者のストライキが発生した後、ストライキを収束させるために急遽、労組と農場主団体の間で賃金交渉が行われることになった。だが、この交渉は通常の労使間での賃金改定交渉とは異なり、最低賃金改定について検討する政府の雇用条件委員会に対して共同提案を提出するための交渉であった。
- 家事労働者の最低賃金は以下のように規定されている。
表4 家事労働者の最低賃金(2012年12月1日~2013年11月30日適用) (単位:ランド)
週27時間より多く働く家事労働者 週27時間以下の労働 A地域 B地域 A地域 B地域 時給 8.95 7.65 10.48 9.03 週給 402.96 344.30 285.62 243.80 月給 1746.00 1491.86 1237.60 1056.35 (出所)DOL[2012b]より筆者作成。
(注)週給、月給は1週間に45時間(ないし27時間)労働する場合の金額。A地域とは都市部を中心とする全国の52の地方自治体地域を指す。B地域はそれ以外の地域。 - 同研究所は、プレトリア大学農業経済・改良普及・農村開発学部とステレンボッシュ大学農業経済学部に所属する研究者を中心に設立された研究ネットワーク組織。南アフリカの農業政策や食料政策に直結するような研究成果・報告書を数多く出版している。
- 2013年5月4日にネイバレー(Nuy Valley)で行われた正義と和解研究所(Institute for Justice and Reconciliation: IJR)主催のワークショップに参加したデドゥランズの農場労働者の証言。
- 前掲IJRワークショップでの証言。とはいえ、特にデドゥランズのストライキ参加者の多くがANC(特にズマ)支持者であったことは事実のようである。Wesso[2013]は、「ストライキが行われている間、12月にマンガウン(Mangaung)で行われたANC党大会でズマ大統領が党首に再選されることを支持する歌を労働者が合唱していた」と述べている。
- COSATUとBAWUSAは、農場労働者の要請を受けて農場主との交渉に臨むようになったと主張している[Underhill 2013b; Makinana and Underhill 2013]。
- 南アフリカのNGOとは主に都市部に事務所を持ち、専従職員を抱え、調査、アドボカシー、コミュニティ支援事業などを行う組織である。それに対してCBOや社会運動体は、基本的に住民や労働者といった当事者が運営する組織・運動体であり、ほとんどの場合に専従職員はいない。NGOから財政的支援を受けたり、NGOが媒介となってCBOや運動体が結成される場合もある。なお、UDFはもともと1983年に結成された反アパルトヘイト運動体であり、ANCなどの政治組織が合法化された1990年に解散したが、2012年になって新たに社会運動体として再結成された模様である[Ntsebeza 2013]。
- Ronald Wesso氏からの情報による(2013年5月13日)。
- 筆者は4月12日にパールで行われた農業大臣が参加する社会的対話と5月11日にデドゥランズで行われた副大統領主導の政策対話を傍聴した。いずれの会合においてもCOSATU、FAWU、BAWUSAといった組織の代表者が農場労働者の代弁者として発言していたが、農場労働者自身の参加や発言はなかった。
- 前掲IJRワークショップでの証言。
- そのもっとも最近の報告書は、ニューヨークに拠点を置く国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチによる『熟した人権侵害』[HRW 2011]である。西ケープ州のワインと果物農場における農場労働者の苦境を告発した同報告書が2011年に出版されると、ヨーロッパを中心とする輸出市場が非常に重要なこれら産業の業界団体は、同報告書について一部の事例のみを扱ったものであり、業界全体の特徴を示すものではないとする声明を一斉に出した。