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タイの刑事司法制度とその動態
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内容紹介
内容紹介
タイの近代的司法の発展は19世紀末に始まるが、現代の司法には1990年代の民主化期の制度改革が大きな影響を与えている。とくにタイでは2006年、2014年にクーデタが成功し、軍政が復活するなど近年は「民主主義の後退」が顕著となっている。政治過程における司法判断への影響も大きく、刑事司法のあり方が政治的な争点ともなってきた。
本書はアジア経済研究所が2023~2024年度に実施した「タイの刑事司法改革」研究会の成果であり、タイにおける数度の現地調査のなかで刑法学者や司法省、裁判所、検察庁、弁護士会、タイ司法研究所(TIJ)へのヒアリングをもとに、タイの刑事司法改革が何をめざし、どのような変化をもたらしたのか、そして現在の刑事司法制度の運用にどのような特徴や課題があるかを明らかにする。刑事法学的な分析を主としながら、地域研究的な手法を加味することで、タイの刑事司法の実像の一端を浮き彫りにする。
まえがき
まえがき
本書はタイの刑事司法にどのような課題があり、それに対してどのような対応が模索されてきたかを考察するものである。具体的には、1990年代以降の刑事司法改革をレビューすることを通じて、タイの刑事司法の特徴やその実態を明らかにする。考察にあたっては、個別の制度について解説するだけでなく、タイの刑事司法の変化の長期のトレンドを示すことに力点をおく。外国の最新の情報がネットで簡単にかつ即座に手に入る現代においては、改革の背景や過去のトレンドを理解するための情報がより重要であると考えるからである。
1990年代のタイにおいては民主化や政治改革運動が進展し、新憲法制定などを契機とする制度改革がさまざまな分野で進展した。刑事司法も抜本的な改革が進展した分野の1つであり、たとえば、司法関係機関の独立性を高める制度改革や刑事司法の場における人権保障伸長のための法整備が行われた。本書が分析の起点を1990年代に求めるのはこのためである。
しかしながら、タイでは2006年、2014年にクーデタが成功し、軍政が復活するなど近年は「民主主義の後退」が顕著となっている。国内の政治的分断と軍の政治関与が強まるなか、司法の政治利用や刑事司法の場での人権侵害に対する懸念が強まった。また、経済社会の変化や技術発展に伴って生ずる新たな犯罪、たとえばネットを利用した犯罪に対応するための諸立法も行われたが、これらは、国民の表現の自由を脅かす危険性も有している。他方、軍政下でも「国の改革」が強調されたこともあり、刑事司法の場における人権保障、刑事司法手続の適正化などを目的とした法整備も根気強く続けられている。一見すると相反する方向の変化が同時に進むのがタイの刑事司法の近年の特徴であるといえよう。
本書は、アジア経済研究所が2023~2024年度に実施した「タイの刑事司法改革」研究会の成果である。本研究会はタイにおいて数度の現地調査を実施し、刑法学者や司法省、裁判所、検察庁、弁護士会、タイ司法研究所(TIJ)等においてヒアリングを行った。インタビューを受けていただいた方のお名前をすべてここで記すことはできないが、ご協力に心より深く感謝申し上げる。とくにタマサート大学法学部のナロン・ジャイハーン教授、ピサワート・スコンタパン元准教授、チュラロンコーン大学法学部のカナポン・ジャイホーム教授には何度もインタビューの機会をいただいたほか、研究の進め方についても多くの助言をいただいた。ここにあらためて深く感謝の意を表したい。
司法改革という言葉を聞いたとき、多くのタイ人は19世紀末からチュラロンコーン王(5世王)によって進められた法の近代化を思い浮かべることが多いであろう。日本と同様に、欧米列強の植民地化とならなかったタイ(当時の国名はシャム)が、条約に基づく領事裁判権の撤廃などのため、外国人の法律顧問の力を借りて、近代的な法改革を進めたことが広く知られているからである。外国人法律顧問のなかに、ベルギー、イギリス、フランス、アメリカなど欧米出身に混じって、政尾藤吉という1人の日本人がいた。政尾は、1898年から1913年までシャムに滞在し、刑法起草にも深く関与した。起草にあたって当時の日本刑法も参照されたことが政尾自身の論文に書き残されている。日本法の影響は現行のタイ刑法典にも残るといわれるが、先行研究で十分に解明されたとは言い難いようである。本書が現代のタイ刑事法の変化の一端を明らかにするとともに、日タイ間の比較研究を促す一助となれば幸いである。
2026年3月 著者
