在外研究員・網中昭世(国際関係論・地域研究)の7月

2019年6月29日~7月12日

7月から8月にかけての5週間、息子のインターナショナル・スクールが魔の長期休暇に突入、海外赴任先のモザンビークから休暇で一時帰国。直前に『アフリカレポート』の資料紹介原稿を送り、休暇に入ることを伝えておいた。下旬に行う調査の助手にも、諸々依頼。帰国中、6歳になる息子は福岡・千葉とそれぞれの実家で2回もバースデーケーキを食べ、つかの間の日本を楽しみ、再びモザンビーク、マプトの自宅へ。

15~21日

まだまだ休暇中の息子が学友のお宅とお互いに行き来して遊んでいる間に、22日から予定している現地調査と家族のロジスティクス準備(ポルトガル語のできない家族をマプトに放置しては行けない……)。今回の調査は科研の共同研究「持続性を有する難民の『帰還』に関する研究」で私は1990年代のUNHCR帰還支援で南アフリカからモザンビークへ帰還した元難民と帰還しなかった元難民の調査。日本にいる共同研究者らはこの13、14日に東京で研究会を開催していたが、私は不参加だったため、議事録を送ってもらうことに。忙しい中、夫が習っている民族楽器(UNESCOの無形文化遺産)のレッスンは、聴くだけでも十分リフレッシュ。

写真:南部Chopiの民族楽器Timbilaの練習風景

南部Chopiの民族楽器Timbilaの練習風景
16日

休暇前に送っておいた『アフリカレポート』原稿のコメントが届く。休暇後、通常営業ペースを取り戻した頃を見計らって返送してくださった気遣いに感謝。

22~29日

南アフリカ側に残った元難民の質的調査。モザンビークとの国境にある南アフリカのクルーガー国立公園の向こう側にいる元難民が対象。1980年代半ば、モザンビーク内戦から逃れるため、どうやって国立公園のライオンとレンジャーを避けて南アフリカ領内に入ったのか……等々、語ってくださる。アパルトヘイト体制下では難民の地位が認められておらず、見つかれば紛争下のモザンビークに送り返された。調査半ばに、先週末東京であった科研研究会の議事録が届いた。アシスタントの院生さんが漏らさず記録してくれた議事録のお陰で、議論のポイントを頭に叩き込みながら調査続行。

写真:旧ホームランドでの元難民に関するインタビューの様子

旧ホームランドでの元難民に関するインタビューの様子

調査終盤は地理的に国立公園から離れて赤い土埃の舞う元黒人自治区域(ホームランド)にて。サファリもなし。同行した息子は、夫が見守る中、インフォーマントの娘さんに自宅を案内してもらい、同年代の子どもたちに囲まれながら庭で鶏の写真を撮りまくる。お陰様で目標にしていたインタビューの数もこなせた。