豪州の新アジア外交—インド・ASEAN
政策提言研究
堀本武功 (京都大学大学院・アジア・アフリカ地域研究研究科特任教授)
2013年3月
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※以下に掲載する論稿は、平成24年度政策提言研究「 中国・インドの台頭と東アジアの変容 」研究会の堀本武功委員が、研究会活動を通じて得た知見を自らの責任において取りまとめたものです。
1. アジアのパラダイム・シフトと豪州
アジアでは、2000年代(2000~09年)から経済・軍事面を中心に中印の台頭が喧伝され、これに対応すべく米国が2011年後半にアジア重視策(Pivot to Asia) 1 を打ち出すなど、パラダイム・シフトが起きつつある。
アジアでは、2000年代(2000~09年)から経済・軍事面を中心に中印の台頭が喧伝され、これに対応すべく米国が2011年後半にアジア重視策(Pivot to Asia) 1 を打ち出すなど、パラダイム・シフトが起きつつある。
アジア重視策では、米国が同盟関係を持つ日本と豪州とも大きな役割を演ずることが想定されているほか、緊密な関係を持つに至ったインドの役割にも期待している。豪州の場合、すでに2012年4月には同国ダーウィンに米海兵隊200人が駐留を開始し、いずれ2500人規模まで増員される予定である。豪州のギラード政権も、米国の動きに呼応して新たなアジア政策を進めつつあり、その政策のなかで同国が従来から緊密な関係を持つ日本とインドが重要な位置を占めている。
従来、アジアの国際関係、特に対中政策を論ずる場合、日印が重要な要因・アクターとして取り上げられることはあっても、豪州を視野に入れて議論される場合が多いとは言えなかった。とりわけ、日本では、豪州が新しいアジアの国際政治でどのような認識を持ち、どのようなアジア政策を打ち出そうとしているのか明らかにされることも少なかった。
そこで筆者は、2012年9月11日から15日にかけて豪州のシドニーとキャンベラで現地ヒアリングを実施した。前者では、ローウィ国際政策研究所、後者では豪州国立大学(ANU)などに所属する研究者などを中心にヒアリングを実施したほか、在豪日本人関係者からも意見を聴取した。
結論めいたことを先に述べれば、今回の現地調査に加え、その他の関係文献を加味して総合的に勘案すると、豪州は、アジアにおける自国の外交的なスタンスを模索している状況、やや、あからさまに表現すれば、日本、中国、ASEAN、インドとの関係を重視しつつ、新たなアジア外交を展開しようとしていると言えるかも知れない。
2. 豪州と4カ国枠組み(米日印豪)
豪州は、第二次大戦以前が英国、第二次大戦後が米国をそれぞれ主要な依拠国とする外交政策を展開した。しかし、冷戦後のアジアにおいて中国が大きく台頭すると、豪州の対外政策は冷戦期のように米国一辺倒では立ちゆかなくなった。
そこで、豪州は、2000年代中頃から浮上した米日印豪による4カ国枠組み政策 2 にも前向きな姿勢を示した。4カ国枠組みはもともと米国で案出された構想(The Princeton Project Papers) 3 であり、リベラルで成熟した民主主義世界でこそ、米国が安全で豊かになることができるとして、民主主義国間の協力を標榜した。
4カ国枠組みの具体的な事例が、2007年9月にベンガル湾のアンダマーン諸島周辺海域で実施された共同海上訓練であり、日米印豪にシンガポール 4 を加えた5カ国で実施された。訓練には、5カ国の艦艇27隻のほか、航空機も加わった大規模な演習であった。
中国は、この海上演習とそのベースにある4カ国枠組みに強く反発した。加えて、推進者の安倍首相、ブッシュ大統領、ハワード首相らが退陣し、豪州では対中関係重視論者で4カ国枠組みには否定的なラッド首相(2007年12~2010年6月)が登場したこともあって、4カ国枠組みは自然消滅的な終焉を迎えた。
しかし、その後、4カ国枠組みは、二国間関係に姿を変えて継続された。すなわち、印米防衛協定(2005年)、印豪の防衛了解覚書(2006年)と安全保障協力共同宣言(2009年)、日印安全保障協力共同宣言(2008年)——日本の場合、米豪以外では初めて——などである。4カ国枠組みは棚上げされたが、「日本の日米同盟に加え、緩やかではあるものの日本の印豪との安全保障関係はアジア地域における新たな安全保障秩序のシグナル」 5 を送っていることになる。このほか、インドを除いた日本・米国・豪州の3国戦略対話(高級レベル)が2006年の第1回以降、2011年に第4回が開催されている点に注目すべきであろう。
2011年11月には、米豪印の3調査機関が3国の協力枠組みを創設し、いずれ、これに日本を含めた枠組みを構築すべきだとの報告書を公開した 6 。当時のラッド外相(首相辞任後に就任)は、報告書公開後、3国安全保障協力協定の締結には賛成であり、印米とも前向きと発言した。ラッド発言直後、両国はこれを否定したが、豪州の本音ではないかとの見方もある 7 。
豪州の地政学的利点は、Indo-Pacific(インド洋と太平洋)という重要な2海域に跨る点にある 8 。豪州では、米国のアジア重視政策とも絡めて、アジア太平洋という議論が広く展開されており、底流には自国をアジア地域に位置付けようとする狙いもあるという 9 。アジアにおける多国間枠組みやアジア太平洋的国家という位置付けも、そうした位置づけによって豪州の外交政策をめぐる苦悩を打開しようとする試みであるとも言えるだろう。
問題は、豪州の場合、自国の経済にとって、中国が最大の貿易相手国であり、対外経済政策上、不可欠な存在となっている事実である。豪州が東アジアとの一体化を目指す最大の理由は、その「経済的豊かさが、実は東アジアとの貿易によって維持されている点」 10 にあるという。この側面は、無視できない、偽らざる現実である 11 。
したがって、中国の台頭とこれに対処しようとするアジアの国際関係にあっては、豪州の出方・対応は非常にデリケートな状況になる。筆者が9月12日にANUで行ったインド外交に関する講演 12 後の質疑では、どのような政治的枠組みがアジアに望ましいかという論議に終始した。特に、ポイントとなった点は、近年の豪州外交関係コミュニティにおいて議論されている、大国協調(Concert of Powers) 13 に準えた「アジア協調」(CA=Concert of Asia)に基づいてアジアの平和を実現しようとする構想の適否をめぐるものであった。いわば、豪州の経済と外交の板挟みに対応しようとする構想である。
具体的には、ヒュー・ホワイト(ANU教授で世界的に著名な国際政治学者)が主張する豪州仲立ち論——豪州が米中の間に立って両国間の調整を図り、これによってアジアの安定を確保とする構想である 14 。この仲立ち論は、豪州国内では強い支持があるわけではない。いわば、ミドルパワーの豪州にはこの機能を果たすだけのパワーを持たないという理由などから否定的な見解が圧倒的であるという 15 。
3. 豪州とインドの関係
インドと豪州間では安全保障面での協力も進み、また、一層の協力関係を構築しようとする動きも出ており、こと、安全保障・戦略分野では、概ね順調である。クリケットやホッケーの二国間交流も盛んである。
しかし、これ以外の分野を見ると、両国関係は微妙であり、緊密な関係とは言い難い。これを裏付ける事実が両国首相の相互訪問の偏りである。豪州首相のインド訪問は、ホーク首相(1983~91年)以降で見ると、2012年10月のギラード首相まで6回を数える。一方、インド首相の豪州訪問は1986年のラジーブ・ガンディーが最後である 16 。背景にはいくつかの問題に存在する。
第1に経済関係である。印豪の総貿易額は2009年に160億米ドルであり、豪州にとってインドは、中国、日本、米国に次いで第4位の貿易相手国である。豪州からの輸出品目は石炭、金、銅などの資源産品であり、インドのそれは、真珠、貴石、繊維製品などである。問題は、豪州側の大幅な出超になっている点にある 17 。
第2に原子力関連問題がある。ウラン埋蔵量が世界最大(生産量は世界第3位)の豪州は、1998年のインド核実験を強烈に批判し、インド側を鼻白ませた。豪州は、NPT(核拡散防止条約)未加盟国にはウラニウムを輸出しないという方針を掲げ(1977年)、インドも対象国となった。しかし、2005年に米印原子力協力が実現すると、ハワード政権が2007年にインド・IAEA(国際原子力機関)の査察協定締結などを条件に輸出の方向を打ち出したが、同年末に誕生した次のラッド政権がこれを撤回、2011年にギラード後継政権がこれを再撤回した経緯がある。
これら2つの問題に加え、多数のインド人にネガティブな豪州イメージを抱かせた問題が豪州における反印感情である。豪州政府は、1975年に成立した「人種差別禁止法」などによって、それまでの白豪主義を撤廃し、多文化主義に基づく多民族共存国家を掲げ、世界各地からの移民を受け入れるようになった。しかし、白豪主義を唱える極右政党(One Nation)が存在するなど、 有色人種に対する偏見は存続している。
豪州の有色人種のうち、インド系豪州人の人口は2001年のインド移民調査報告 18 によれば、約19万人であったが、豪州のセンサス(2011年)では合計68.6万人に急増している。特に2011-12年には、インド人の豪州流入者が全体の首位で15.7%を占めていた 19 。
インド人急増によって、職種によってはインド人が独占するケースもあり、2000年代後半あたりから反印感情は徐々に表面化し、「カレー臭い」などの差別的表現が使用されるようになった。白人青少年による「レッツ・ゴー・カレー・バッシング(Let's go Curry Bashing!)」を合い言葉にインド人留学生(約9.3万人。2009年当時)などに対する暴行襲撃事件が頻発した。2007-08年が1,083件、2008-09年には1,447件に上昇した 20 。
これに対してインド政府は豪州のラッド政権に対して強く対処を求め、政権側も抑え込みを図った。その結果、情勢は沈静化したが、翌年からのインド人留学生は激減した。
インドにとって、これらの3問題——経済・原子力・反インド移民感情——は、いずれもマイナスないしネガティブな色彩が強く、好ましい事態ではないため、結果的にインド首相の訪豪が少なくなると言える。
現地での事情聴取でも、「豪州とインドとの関係は、有り体に言えば、豪州の働きかけに対してインドが十分にレスポンスしてこない点にある。インド首相が23年間も訪豪していないことが象徴的である。明らかにインドの日豪に対する対応には大きな温度差があると言わざるを得ない」 21 、「豪印関係はもっと緊密化してよいはずだが、豪州が思うほどにはインドが対応してこない」 22 という悲観的な見方が多かったほか、より端的に「インドは豪州を米国の走狗(running dog)だと思っているので、別に豪州との関係を深める必要があると考えていないのかも知れない」 23 との極論もあった。
インド側のつれない態度にもかかわらず、豪州はインド重視方針を変えていない。むしろ、強化しているようにも見える。この点を明示した文書が2012年10月28日にギラード首相が公表した白書『アジアの世紀における豪州』(原題: Australia in the Asian Century ) 24 である。白書は、2025年までの13年間において多数の目標を設定し、中国、インド、インドネシア、日本、韓国などの主要なアジア諸国とさらに包括的な外交関係を確立することや、その一環として習得すべき外国語に標準中国語、インドネシア語、ヒンディー語、日本語をあげている。
白書は2013年9月の総選挙に向けた労働党の綱領的な色彩があるとはいえ、成長するアジアとの共存を図ろうとする内容であり、インドを含むアジア主要国との関係強化が意識的に強調されている。
4. ASEANをめぐる豪印の対応
豪州とインドは、いわば、アンビバレントな関係にあるとはいえ、こと、ASEAN(東南アジア諸国連合)に関する限りは、ほぼ、重複する関心と利害を持っており、両国ともに経済・戦略的な観点からASEANとの関係緊密化を図ってきた。
インドの場合、1995年にASEAN対話国、次いで1996年にはARF(ASEAN地域フォーラム)のメンバーとなった。その後、印ASEAN関係は順調に推移し、2012年12月には、対話国20周年(1992年の分野別対話国入りから起算)を記念するとともに第10回ASEAN・インド首脳会議をニューデリーで開催するに至った。インドとASEAN地域との貿易は、2011-12年には、790億米ドルに達している 25 。インドの場合、1990年代前半から当時のラオ政権が開始したルック・イースト政策が結実しつつあることを示している 26 。
豪州は、ニュージーランドとともに2009年に「ASEAN・豪州・ニュージーランドFTA(自由貿易領域)設立協定」に調印した(翌年発効) 27 。2011年時点でASEANの域外貿易を見ると、豪州がASEAN地域外輸出(9568億米ドル)に占める比率は4.5%(インド4.6%)、輸入(9241億米ドル)が2.8%(インド3.1%) 28 と少ないが、FTAの成立で今後の伸びが見込まれる。
印豪ともに2005年に開催された第1回東アジアサミットに参加し、ASEANとの関与を強めようとしている。ASEAN接近は、インドにはルック・イースト政策に位置付けられ、豪州にはアジアに将来を託そうとする戦略の一環である。
ASEANは、両国にとって単なる経済的な位置付けだけでなく、中国を牽制する対応措置としての位置付けがあることは、言うまでもない。
5. むすび
外務省は、豪州の対外政策について「対米同盟を基軸とすると共に、アジア・太平洋を外交・貿易政策上の優先地域に位置づける。創造的なミドルパワー外交を唱え、G20、国連等の多国間枠組みを活用するマルチ外交も重視。貿易面では、APEC及びWTOを通じた多角的自由貿易体制強化や二国間及び多国間自由貿易協定の推進に熱心」 29 と的確に分析している。
ここで言うミドルパワーは経済軍事的な意味のいわば「中規模国」という意味である。豪州から見れば、日本はやはり大国である。事実、ミドルパワー論で有名な日本の研究者がキャンベラで日本が今後ミドルパワー外交を展開すべきとの講演を行ったが、聴衆には全く受けなかったという 30 。
豪州は、今後も、経済と安全保障の両睨みを図りつつ、中国、日本、インド、ASEANとの関係を構築するという、微妙なバランス外交を展開せざるを得ないだろう。
従来、アジアの国際関係、特に対中政策を論ずる場合、日印が重要な要因・アクターとして取り上げられることはあっても、豪州を視野に入れて議論される場合が多いとは言えなかった。とりわけ、日本では、豪州が新しいアジアの国際政治でどのような認識を持ち、どのようなアジア政策を打ち出そうとしているのか明らかにされることも少なかった。
そこで筆者は、2012年9月11日から15日にかけて豪州のシドニーとキャンベラで現地ヒアリングを実施した。前者では、ローウィ国際政策研究所、後者では豪州国立大学(ANU)などに所属する研究者などを中心にヒアリングを実施したほか、在豪日本人関係者からも意見を聴取した。
結論めいたことを先に述べれば、今回の現地調査に加え、その他の関係文献を加味して総合的に勘案すると、豪州は、アジアにおける自国の外交的なスタンスを模索している状況、やや、あからさまに表現すれば、日本、中国、ASEAN、インドとの関係を重視しつつ、新たなアジア外交を展開しようとしていると言えるかも知れない。
2. 豪州と4カ国枠組み(米日印豪)
豪州は、第二次大戦以前が英国、第二次大戦後が米国をそれぞれ主要な依拠国とする外交政策を展開した。しかし、冷戦後のアジアにおいて中国が大きく台頭すると、豪州の対外政策は冷戦期のように米国一辺倒では立ちゆかなくなった。
そこで、豪州は、2000年代中頃から浮上した米日印豪による4カ国枠組み政策 2 にも前向きな姿勢を示した。4カ国枠組みはもともと米国で案出された構想(The Princeton Project Papers) 3 であり、リベラルで成熟した民主主義世界でこそ、米国が安全で豊かになることができるとして、民主主義国間の協力を標榜した。
4カ国枠組みの具体的な事例が、2007年9月にベンガル湾のアンダマーン諸島周辺海域で実施された共同海上訓練であり、日米印豪にシンガポール 4 を加えた5カ国で実施された。訓練には、5カ国の艦艇27隻のほか、航空機も加わった大規模な演習であった。
中国は、この海上演習とそのベースにある4カ国枠組みに強く反発した。加えて、推進者の安倍首相、ブッシュ大統領、ハワード首相らが退陣し、豪州では対中関係重視論者で4カ国枠組みには否定的なラッド首相(2007年12~2010年6月)が登場したこともあって、4カ国枠組みは自然消滅的な終焉を迎えた。
しかし、その後、4カ国枠組みは、二国間関係に姿を変えて継続された。すなわち、印米防衛協定(2005年)、印豪の防衛了解覚書(2006年)と安全保障協力共同宣言(2009年)、日印安全保障協力共同宣言(2008年)——日本の場合、米豪以外では初めて——などである。4カ国枠組みは棚上げされたが、「日本の日米同盟に加え、緩やかではあるものの日本の印豪との安全保障関係はアジア地域における新たな安全保障秩序のシグナル」 5 を送っていることになる。このほか、インドを除いた日本・米国・豪州の3国戦略対話(高級レベル)が2006年の第1回以降、2011年に第4回が開催されている点に注目すべきであろう。
2011年11月には、米豪印の3調査機関が3国の協力枠組みを創設し、いずれ、これに日本を含めた枠組みを構築すべきだとの報告書を公開した 6 。当時のラッド外相(首相辞任後に就任)は、報告書公開後、3国安全保障協力協定の締結には賛成であり、印米とも前向きと発言した。ラッド発言直後、両国はこれを否定したが、豪州の本音ではないかとの見方もある 7 。
豪州の地政学的利点は、Indo-Pacific(インド洋と太平洋)という重要な2海域に跨る点にある 8 。豪州では、米国のアジア重視政策とも絡めて、アジア太平洋という議論が広く展開されており、底流には自国をアジア地域に位置付けようとする狙いもあるという 9 。アジアにおける多国間枠組みやアジア太平洋的国家という位置付けも、そうした位置づけによって豪州の外交政策をめぐる苦悩を打開しようとする試みであるとも言えるだろう。
問題は、豪州の場合、自国の経済にとって、中国が最大の貿易相手国であり、対外経済政策上、不可欠な存在となっている事実である。豪州が東アジアとの一体化を目指す最大の理由は、その「経済的豊かさが、実は東アジアとの貿易によって維持されている点」 10 にあるという。この側面は、無視できない、偽らざる現実である 11 。
したがって、中国の台頭とこれに対処しようとするアジアの国際関係にあっては、豪州の出方・対応は非常にデリケートな状況になる。筆者が9月12日にANUで行ったインド外交に関する講演 12 後の質疑では、どのような政治的枠組みがアジアに望ましいかという論議に終始した。特に、ポイントとなった点は、近年の豪州外交関係コミュニティにおいて議論されている、大国協調(Concert of Powers) 13 に準えた「アジア協調」(CA=Concert of Asia)に基づいてアジアの平和を実現しようとする構想の適否をめぐるものであった。いわば、豪州の経済と外交の板挟みに対応しようとする構想である。
具体的には、ヒュー・ホワイト(ANU教授で世界的に著名な国際政治学者)が主張する豪州仲立ち論——豪州が米中の間に立って両国間の調整を図り、これによってアジアの安定を確保とする構想である 14 。この仲立ち論は、豪州国内では強い支持があるわけではない。いわば、ミドルパワーの豪州にはこの機能を果たすだけのパワーを持たないという理由などから否定的な見解が圧倒的であるという 15 。
3. 豪州とインドの関係
インドと豪州間では安全保障面での協力も進み、また、一層の協力関係を構築しようとする動きも出ており、こと、安全保障・戦略分野では、概ね順調である。クリケットやホッケーの二国間交流も盛んである。
しかし、これ以外の分野を見ると、両国関係は微妙であり、緊密な関係とは言い難い。これを裏付ける事実が両国首相の相互訪問の偏りである。豪州首相のインド訪問は、ホーク首相(1983~91年)以降で見ると、2012年10月のギラード首相まで6回を数える。一方、インド首相の豪州訪問は1986年のラジーブ・ガンディーが最後である 16 。背景にはいくつかの問題に存在する。
第1に経済関係である。印豪の総貿易額は2009年に160億米ドルであり、豪州にとってインドは、中国、日本、米国に次いで第4位の貿易相手国である。豪州からの輸出品目は石炭、金、銅などの資源産品であり、インドのそれは、真珠、貴石、繊維製品などである。問題は、豪州側の大幅な出超になっている点にある 17 。
第2に原子力関連問題がある。ウラン埋蔵量が世界最大(生産量は世界第3位)の豪州は、1998年のインド核実験を強烈に批判し、インド側を鼻白ませた。豪州は、NPT(核拡散防止条約)未加盟国にはウラニウムを輸出しないという方針を掲げ(1977年)、インドも対象国となった。しかし、2005年に米印原子力協力が実現すると、ハワード政権が2007年にインド・IAEA(国際原子力機関)の査察協定締結などを条件に輸出の方向を打ち出したが、同年末に誕生した次のラッド政権がこれを撤回、2011年にギラード後継政権がこれを再撤回した経緯がある。
これら2つの問題に加え、多数のインド人にネガティブな豪州イメージを抱かせた問題が豪州における反印感情である。豪州政府は、1975年に成立した「人種差別禁止法」などによって、それまでの白豪主義を撤廃し、多文化主義に基づく多民族共存国家を掲げ、世界各地からの移民を受け入れるようになった。しかし、白豪主義を唱える極右政党(One Nation)が存在するなど、 有色人種に対する偏見は存続している。
豪州の有色人種のうち、インド系豪州人の人口は2001年のインド移民調査報告 18 によれば、約19万人であったが、豪州のセンサス(2011年)では合計68.6万人に急増している。特に2011-12年には、インド人の豪州流入者が全体の首位で15.7%を占めていた 19 。
インド人急増によって、職種によってはインド人が独占するケースもあり、2000年代後半あたりから反印感情は徐々に表面化し、「カレー臭い」などの差別的表現が使用されるようになった。白人青少年による「レッツ・ゴー・カレー・バッシング(Let's go Curry Bashing!)」を合い言葉にインド人留学生(約9.3万人。2009年当時)などに対する暴行襲撃事件が頻発した。2007-08年が1,083件、2008-09年には1,447件に上昇した 20 。
これに対してインド政府は豪州のラッド政権に対して強く対処を求め、政権側も抑え込みを図った。その結果、情勢は沈静化したが、翌年からのインド人留学生は激減した。
インドにとって、これらの3問題——経済・原子力・反インド移民感情——は、いずれもマイナスないしネガティブな色彩が強く、好ましい事態ではないため、結果的にインド首相の訪豪が少なくなると言える。
現地での事情聴取でも、「豪州とインドとの関係は、有り体に言えば、豪州の働きかけに対してインドが十分にレスポンスしてこない点にある。インド首相が23年間も訪豪していないことが象徴的である。明らかにインドの日豪に対する対応には大きな温度差があると言わざるを得ない」 21 、「豪印関係はもっと緊密化してよいはずだが、豪州が思うほどにはインドが対応してこない」 22 という悲観的な見方が多かったほか、より端的に「インドは豪州を米国の走狗(running dog)だと思っているので、別に豪州との関係を深める必要があると考えていないのかも知れない」 23 との極論もあった。
インド側のつれない態度にもかかわらず、豪州はインド重視方針を変えていない。むしろ、強化しているようにも見える。この点を明示した文書が2012年10月28日にギラード首相が公表した白書『アジアの世紀における豪州』(原題: Australia in the Asian Century ) 24 である。白書は、2025年までの13年間において多数の目標を設定し、中国、インド、インドネシア、日本、韓国などの主要なアジア諸国とさらに包括的な外交関係を確立することや、その一環として習得すべき外国語に標準中国語、インドネシア語、ヒンディー語、日本語をあげている。
白書は2013年9月の総選挙に向けた労働党の綱領的な色彩があるとはいえ、成長するアジアとの共存を図ろうとする内容であり、インドを含むアジア主要国との関係強化が意識的に強調されている。
4. ASEANをめぐる豪印の対応
豪州とインドは、いわば、アンビバレントな関係にあるとはいえ、こと、ASEAN(東南アジア諸国連合)に関する限りは、ほぼ、重複する関心と利害を持っており、両国ともに経済・戦略的な観点からASEANとの関係緊密化を図ってきた。
インドの場合、1995年にASEAN対話国、次いで1996年にはARF(ASEAN地域フォーラム)のメンバーとなった。その後、印ASEAN関係は順調に推移し、2012年12月には、対話国20周年(1992年の分野別対話国入りから起算)を記念するとともに第10回ASEAN・インド首脳会議をニューデリーで開催するに至った。インドとASEAN地域との貿易は、2011-12年には、790億米ドルに達している 25 。インドの場合、1990年代前半から当時のラオ政権が開始したルック・イースト政策が結実しつつあることを示している 26 。
豪州は、ニュージーランドとともに2009年に「ASEAN・豪州・ニュージーランドFTA(自由貿易領域)設立協定」に調印した(翌年発効) 27 。2011年時点でASEANの域外貿易を見ると、豪州がASEAN地域外輸出(9568億米ドル)に占める比率は4.5%(インド4.6%)、輸入(9241億米ドル)が2.8%(インド3.1%) 28 と少ないが、FTAの成立で今後の伸びが見込まれる。
印豪ともに2005年に開催された第1回東アジアサミットに参加し、ASEANとの関与を強めようとしている。ASEAN接近は、インドにはルック・イースト政策に位置付けられ、豪州にはアジアに将来を託そうとする戦略の一環である。
ASEANは、両国にとって単なる経済的な位置付けだけでなく、中国を牽制する対応措置としての位置付けがあることは、言うまでもない。
5. むすび
外務省は、豪州の対外政策について「対米同盟を基軸とすると共に、アジア・太平洋を外交・貿易政策上の優先地域に位置づける。創造的なミドルパワー外交を唱え、G20、国連等の多国間枠組みを活用するマルチ外交も重視。貿易面では、APEC及びWTOを通じた多角的自由貿易体制強化や二国間及び多国間自由貿易協定の推進に熱心」 29 と的確に分析している。
ここで言うミドルパワーは経済軍事的な意味のいわば「中規模国」という意味である。豪州から見れば、日本はやはり大国である。事実、ミドルパワー論で有名な日本の研究者がキャンベラで日本が今後ミドルパワー外交を展開すべきとの講演を行ったが、聴衆には全く受けなかったという 30 。
豪州は、今後も、経済と安全保障の両睨みを図りつつ、中国、日本、インド、ASEANとの関係を構築するという、微妙なバランス外交を展開せざるを得ないだろう。
脚 注
- 米国のアジア重視策については、例えば、森本敏「米国のアジア重視政策と日米同盟」(『国際問題』No. 609、2012年3月)を参照。
- quadrilateral framework。 米日豪印主導によるアジアの国際的な政治枠組み。端的には、中国に対する安全保障上の対抗政策。極論すれば、中国封じ込め策である(Sridhar Kumaraswami, "India, US Defence cooperation 'set to escalate,'" The Asian Age , September 9,2007.
- G. John Ikenberry and Anne-Marie Slaughter, FORGING A WORLD OF LIBERTY UNDER LAW U.S. NATIONAL SECURITY IN THE 21ST CENTURY (The Princeton Project Papers), The Woodrow Wilson School of Public and International Affairs and Princeton University, 2006.
- シンガポールの参加は、4カ国枠組みの色彩を薄めることが主目的だったと言われる。
- P教授の見解(キャンベラで2012年9月13日)。
- Lowy Institute for International Policy, The Heritage Foundation and Observer Research Foundation, Shared Goals, Converging Interests: A Plan for U.S.-Australia-India Cooperation in the Indo-Pacific , 2011.
- S教授の見解(キャンベラで2012年9月13日に面談)。
- S教授の見解(キャンベラで2012年9月13日に面談) 。
- B教授の見解(シドニーで2012年9月15日に面談)。
- 竹田いさみ『物語オーストラリアの歴史』中公新書、2000年、p.240。
- G教授の見解(キャンベラで2012年9月12日に面談)。
- India's Foreign Policy since 1990s: Tradition and Adjustment(Takenori HORIMOTO)
http://asiapacific.anu.edu.au/events/event_details.php?searchterm=cap_415216002&semyear=2012 - 815年のウィーン会議後のヨーロッパで大国間の力の均衡によって保持された平和状況。
- Hugh White, The China Choice , Black Inc, 2012.
- 日本人関係者(M氏)の見解(キャンベラで9月12日)。
- “Why the Indian Prime Minister won't visit Australia,” The Age , August 29, 2012
http://www.theage.com.au/opinion/politics/why-the-indian-prime-minister-wont-visit-australia-20120828-24yn8.html - David Brewster, India as an Asian Pacifc Power , London & New York: Routledge, 2012, pp.124-125.
- The Ministry of External Affairs, The India Diaspora , 2001,p. XXXII
( http://indiandiaspora.nic.in/diasporapdf/part1-exe.pdf ) - 在豪インド大使館(http://www.hcindia-au.org/indian_in_australia.html)。2013年2月16日アクセス。内訳は、インド生まれが29万5362人、祖先がインド人の豪州在住者39万894人。
- “Racial Attacks Trouble Indian Students in Australia,” Time , June 6, 2009.
- G教授の見解(キャンベラで2012年9月12日に面談)。
- S教授の見解(キャンベラで2012年9月13日に面談)。
- B教授の見解(シドニーで2012年9月15日に面談)。
- 豪州政府ホームページ( http://asiancentury.dpmc.gov.au/white-paper )。
- インド政府リリース India-Asean Trade to Reach $100 Billion Mark by 2015, Says Anand Sharma ( http://pib.nic.in/newsite/erelease.aspx?relid=90886 )
- インド外交については、堀本武功「第1章 現代インド外交路線の検討」(近藤則夫編『現代インドの国際関係—メジャー・パワーへの模索—』研究双書No.599、アジア経済研究所、2012年、pp.37-68)およびTakenori Horimoto, “Chapter 1 Strategic Convergence of Japan-India Relations and China’s Emergence,” in Takenori Horimoto & Lalima Varma eds., India-Japan Relations in Emerging Asia , Manohar, 2013.pp.19-39.
- 豪州、NZ とブルネイ、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、ベトナムが批准している(石川 幸一「新段階に入った東アジアのFTA」[『国際貿易と投資』 Summer 2010/No.80] ( http://www.iti.or.jp/ )。
- 外務省『目で見るASEAN-ASEAN経済統計基礎資料—』2012年11月
( www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/pdfs/sees_eye.pdf )。 - http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/australia/data.html#04
- T講師との面談(キャンベラで2012年9月11日)。豪州(やカナダ)ほどの中堅国こそがミドルパワー外交を展開することに意義があるが、日本は経済軍事的に見ればミドルパワーではなく、日本外交はやはり大国外交ではないかという反応だったようである。やはり、豪州は大陸であり、ややナィーブな部分があり、理想主義(Utopian というと怒られてしまいそうだが)的な色彩が強いという。