途上国における農業経営の変革

調査研究報告書

清水達也 編

2017年3月発行

第1章
本稿では速水(1986)の「農業調整問題」という視点から、中国農業が直面する課題を明らかにするとともに、新たな農業担い手の動向を整理するものである。本稿の分析内容は、以下の3点に要約される。第1に、農業部門と鉱工業部門との労働生産性格差が深刻化してきた2000年代前半から、食糧生産向け補助金の増額や最低買付価格による食糧価格の下支えなど、中国農政が消費者保護から生産者保護的政策に転換してきたことである。第2に、農業の比較劣位化と農業所得の低迷に対応するため、中国政府は1990年代後半から農業産業化政策を本格化させた結果、農業の構造調整が急速に進展している点である。第3に、農地の流動化や農業機械化の普及とともに、農民専業合作社や大規模専業農家、そして家庭農場といった農業の新たな担い手が普及し始めてきた点である。
第2章
近年中国では農業インテグレーション、生産者の組織化、農地流動化が政策的に推進され、従来の小農経営を主体とした農業構造から近代的な経営モデルへの転換がはかられている。本稿では、中国における農業インテグレーションの発展のなかで新しい農業経営モデルの担い手として位置づけられている「農民専業合作社」、「家庭農場」、農業機械作業の請負業者を取り上げる。そして、中国の新しい農業経営モデルが形成された市場的・非市場的要因と、そのなかでこれらの担い手が存立するための条件について検討する。
第3章

本稿はタイの稲作農業における経営規模分布について、その変化の要因を実証的に分析したものである。分析対象となる期間、タイでは農業サービスを通じた農業機械の利用が急速に進展した。農作業の多くを外部委託する稲作農業の形態が、経営規模分布や農家の土地生産性格差にいかなる影響を与えたかを検証することが課題である。農業センサスの県別データを用いた分析結果によると、農業サービスの普及は大規模経営の土地生産性を相対的に上昇させるわけではないものの、取引費用の削減などを通じて経営規模の拡大を促進することが示された。

第4章

本章では、ベトナムで農業経営体の大半が家族経営に占められているなか、①企業経営の増加、②家族経営の外部経済への依存傾向、という変化が生じていることを看取したうえで、家族経営の変化を促す要因について検討した。家族経営は市場、産業構造、技術、政策といった外部環境に応じて変化していくと考えられる。本章では、家族経営がどのような主体/制度を介して外部環境の変化に接しているのかという点に注目し、主要な仲介者/制度の実態を概観した。そのなかで、近年さまざまな取引の仲介役として表れているコー(Cò)という存在が、家族経営の変容に重要な影響を与えているという仮説を示した。

第5章
ベトナムは農業生産の面で様々な有利性をもつ国であるとみられているが,農業部門への海外直接投資は決して多かったわけではない。しかし,その状況は近年徐々に変化しつつある。特に2015年における日本からの農業部門への直接投資額は前年比の13倍にまで急増した。このような急増が起こった背景について,中部高原のラムドン省の事例にもとづいてベトナムにおける農業投資環境の変化を検討するとともに,現地での日本企業の農業ビジネスの実態について考察することが本稿の目的である。本稿では,ラムドン省の近年の農業投資環境の変化について主に政策的側面に関する検討を行う。その上で,同省で農業投資を行っている日本企業3社の事例をもとに,それぞれの事業戦略の特徴と課題を明らかにする。
第6章

メキシコの農業部門は、1990年代以降、きわめて大きな制度的変化を経験した。それは具体的には、所有権制度の確立を目指した農地法制の整備、1980年代に混乱を極めた金融制度の改革、北米自由貿易協定(NAFTA)に象徴される対外自由化、国内規制の緩和などである。これらの制度改革によって、農業部門にも資本主義的ないし新自由主義的な改革がもたらされ、それによって経営規模の拡大、生産の増大、生産物の高付加価値化が目指された。しかしながら、農地所有制度の変更の浸透度には大きな地域差があり、また金融制度の改革にもかかわらず、農業部門はフォーマル金融部門の恩恵には未だ与っていないのが現実である。貿易自由化により野菜・果物類の輸出は増え、それらは企業的な農業生産者によって担われているが、それには国土の南半に存在している低廉な労働力とその背景にある貧困問題の存在が暗黙の前提となっている。企業としての発展もさることながら、それを地域ないし国全体のマクロな経済社会発展に結びつけることができるのかが検討されなければならない。

第7章
ブラジルでは大豆やトウモロコシなどの穀類生産が1990年代以降に急速に増加している。その生産の担い手の中心が企業的家族経営である。本稿ではその経営の実態を明らかにするための準備作業として、まずブラジルを中心とする南米地域、次にブラジル最大の産地であるマットグロッソ州をとりあげ、穀類生産の概要や生産要素の変化について、統計資料や既存研究を整理する。具体的には国際市場における穀類需給の構造や、ブラジル国内での穀類生産にかかわる土地、資本、技術といった生産要素の変化についてみる。また、経営体の実態を把握するために実施した生産者調査の概要と、これから分析を進める必要がある経営体の機能について述べる。
第8章

本稿では先行研究を選択的にレビューし、南アフリカでの雇用環境を考察した後に、最低 賃金への雇用者の対応について南アフリカのデータを用いて吟味した。経済理論からは、 労働市場が競争的かどうか、もしくは、平均採用費用の交差微分の符号によって、雇用量 に与える効果が逆になることが示されている。先進国の実証結果は雇用効果が負かゼロか 結果が分かれているが、一部研究では、最低賃金以下での雇用が多いと規制は雇用に負の 影響を与えやすいことが示されている。南アフリカの商業農業調査データを用いて農家粗 所得に与える影響を検討したところ、推計結果は実質賃金上昇率の高い農村部は農家粗所 得は影響を受けず、労働を資本で代替していることと整合的な結果であった。これは最低 賃金以下での雇用が多いことと整合的な結果である。今後は情報を拡充しながら最低賃金 の影響をより詳細に考察していくことが必要である。