「法と開発」基礎研究

調査研究報告書

小林 昌之  編

2007年3月発行

第1章
1990年代以降開発援助における法制度改革支援の興隆とともに「法と開発」研究が盛んに行われているが、開発において法はどのような役割をはたすのかという根本的な疑問はいまだ究明されていない。法を開発を導く道具とみなして法と開発の関係を実証しようとする研究は、法制度を表す変数の設定およびその変化によって決定されるとする開発の定義自体に問題点を有する。

第2章
「法と開発」という学問領域においては、学際的な研究が不可避となる。経済学の研究をみると、現在は混然となっているようにみえるものの、大きく分けて、(1) 経済成長・経済発展の国ごとの違いを説明する変数の一つとして法へアプローチする研究(経済史、経済成長論、経済発展論)と、(2) 経済学の手法を用いて法ないし法の影響を考察する研究(法の経済分析)という二つの流れがあるように思われる。そこで、両者の関係を整理し、それらの特徴と射程の共通点と相違点とを再確認する準備作業として、法の経済分析について学説史を遡って検討する。

第3章
「法と開発」研究の第3 期(1980年代末~2000年代)については、(1) インフォーマル・ルールにも着目した法構造の立体的把握、(2) 国家の役割の重視という2つの特徴がある。本稿では、エスニシティ概念に注目し、無制限に市場化・民主化を推進することへの警鐘を鳴らすChua の議論を紹介する。Chuaは、途上国において市場経済化と民主化を同時に追求しようとするような制度改革を敢行すると、市場化がもたらす経済支配的少数民族と多数派民族とのあいだの格差拡大と、無制限な民主化がもたらす多数派民族の国家主義的な動きによって、民族紛争の危険性が高まることを指摘し、国家がエスニシティを考慮した慎重な法制度を採用・構築することを求める。

第4章
1990年代後半から開発分野において権利に基づくアプローチ(Rights-based Approach)が注目されるようになり、開発機関は権利の見地から業務を再構成し、人権機関も同様に権利に基づくアプローチによる開発にシフトしてきた。権利に基づくアプローチは、広義の貧困に向かい合い、人権を基準として、すべての当事者が社会開発を含むあらゆる開発過程に参加するための法的根拠を主張するものである。そこで本稿では、開発機関や人権機関などにおける権利に基づくアプローチの議論を整理し、さらに新たな適用分野として「障害と開発」の文脈における同アプローチの展開について紹介する。

第5章
民主主義、グッドガバナンス、法の支配を重視した政治・行政分野での制度改革をどのように進めるかは、「法と開発」研究の一つの課題である。現実の政治過程において法の役割や実効性が問われる場合も多い。本稿では、タイの2006年9月軍事クーデタ後の同年10月に制定された暫定憲法の統治構造と新憲法の起草手続きの検討を行う。1990年代の民主化の成果であった1997年憲法体制は、反タックシン運動を契機とする政治的デッドロックを抜け出せず、軍によるクーデタという伝統的な手法でしか事態の打開を行うことができなかった。民主化が課題とされた1990 年代と比べて、制度改革の課題は複雑化している。1997年憲法は多くの問題点を抱えていたが、その多くの要素はなお有効性を失っていないであろう。新憲法における制度設計が1997年憲法を出発点とせざるを得ない点もそこにあるだろう。