レポート・報告書
アジ研ポリシー・ブリーフ
No.278 タイ気候変動法案準備の現況と論点
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- タイで起草が進む「気候変動法草案」は、カーボン税、排出権取引、カーボンクレジット、カーボン国境調整メカニズムなど低炭素社会をめざす諸制度の整備を意図している。
- 欧州の炭素国境調整措置等に対応するタイ企業の保護・支援のためにも同法成立は喫緊の課題である。
タイは、2021年国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)において、①2050年までのカーボンニュートラル、②2065年までの温室効果ガス(GHG)排出量実質ゼロを目標に掲げ、2025年11月に政府が提出した第二次「国が決定する貢献」(NDC 3.0)にも、2035年までにGHGを2019年比47%削減する方針を表明した。これらの目標達成の基盤と位置づけられる「気候変動法草案」は、2025年12月2日の閣議にて「原則」承認された。同草案は、カーボン税、排出権取引(EST)、カーボンクレジットなどカーボンプライシングに関わる諸制度を網羅した総合的な法律になる見込みである。
天然資源環境省気候変動環境局(DCCE)によれば、起草作業の出発点は2009年の主要国法制比較の委託調査にあり、過去にも総合的な気候変動対策にかかわる法案は議員立法により下院に提出されてきたものの、いずれも成立しなかった。現在の気候変動法草案においては、立法手続きに定められたパブリック・コメント募集が2回行われ、全国で複数回の説明会も開催されている。
しかしながら、法律成立までの道のりはまだ遠い。閣議の原則承認を受けて、法制委員会(日本の内閣法制局に相当)による法案審査の段階にあり、さらに国会審議が待っているためである。また、法案審査が終了した後も国会への法案提出前にもう一度閣議承認が必要とされる。ここで、2026年2月8日総選挙による政治の影響は予測されていない。それは、議席を伸ばした旧与党が新政権を掌握し、気候変動対策には大きな変更がないと見込まれるうえ、タイ産業界にとって気候変動関連法の整備が喫緊の課題だからである。EUの炭素国境調整メカニズム(CBAM)等の貿易措置の下、セメント、鉄鋼、石油化学などエネルギー集約型輸出企業は、信頼性ある排出削減と透明な炭素会計を示せなければ、今後の炭素関税を課される可能性に直面している。
包括的な気候変動対策
今後の国会審議等における変更部分を考慮しても、現段階の草案の大筋をみてタイの気候変動対策・脱炭素化の行方を占うことは、有益な作業であろう。以下では、第2回パブリック・コメントの草案(202カ条/14章・経過規定から構成)に基づき、気候変動法案の狙いや特徴を整理する。
草案の趣旨説明においては、単に低炭素経済社会に向けた変化だけではない「公正な移行」が強調される。総則(1章)には、気候変動に関わる人およびコミュニティーの情報通知・支援を受ける権利、情報アクセス権、意見表明権、適応のため奨励を受ける権利が規定されている(6条)。ただし、草案には権利の性質・内容や実現方法は明確にされていない。
また、「2050年までのカーボンニュートラル」と「2065年までの排出量ゼロ」の政府目標が、草案第2章に明記されているのも特徴的である。通例では、目標年などの具体的基準の定めは、下位法令に委ねられてきたからである。
気候変動への対応と基金
草案は、「低炭素経済」移行による競争力強化の支援策・技術的投資の資金源として「気候基金」の創設と、その管理組織を定めている(19条)。基金は法人としてMNREの所管に置かれるが、行政府に属しない国家機関であり(19条2項)、その財源に炭素税、過料等、ETS手数料、国際支援等が挙げられている。さらに気候変動適応のための計画策定について、草案は手続規定のみ示し、具体的施策の内容には言及していない。
行政組織の整備
タイのパリ協定批准は2016年9月21日であるが、政府内の気候変動対策への取り組みはそれより早く、2007年6月に首相府規則で設置した、気候変動対策に係る政策・計画立案等のための「国家気候変動委員会」(首相が委員長)に遡る。また、2023年8月に天然資源環境省環境質保全局が「気候変動・環境局」(DCCE)に改称された。草案は既存の委員会を「国家気候変動政策委員会」に改組し、その組織・権限に関する規定を整備した。同委員会は、政策等の提言のほか、気候変動対策マスタープランを内閣の承認を得て制定する役割を果たす(5章)。
GHG排出量報告義務
また草案の対象法人にはGHG排出量の報告等が義務づけられる(2章)。これは従来の企業の自主的報告に代わってより正確なインベントリを可能にし、ETS等の制度的基盤として国際貿易相手国への透明性確保の効果が期待される。特に排出量が年3,000トン超または指定産業に属する法人は、国際基準に基づき、算定、第三者検証、DCCEへの報告、監査が義務づけられる。
炭素税
2025年1月からタイ財務省令により、ガソリンなどの石油製品に「炭素税」が導入された。これは歳入法典上の物品税の一部を炭素税に読み替えたもので、税負担のレベルは変化していない。現行のカーボン価格は1トンあたり200バーツに設定され、ガソリン税率の例では1リットルあたり0.45バーツとされる。草案のなかに炭素税の根拠規定が置かれ、省令等でその税率を定めるが、法律附表でガソリンなど32の対象物品に税率の上限を示している。
排出権取引制度
草案は、排出削減措置(7章)を定めるほか、GHG排出権の割当と排出権取引制度(ETS)を創設する(8章)。排出権は、国が定める排出権割当計画に従い、対象法人の申請ベースで割り当てられる。排出権は対象法人間で譲渡・譲受、売買等が可能な財産(property)(日本民法上の物に相当)とされる(94条)。またカーボンクレジットとの相殺も認められ、譲渡等は登録によって効力を生じる(96条)。
カーボンクレジット
タイにおけるカーボンクレジット制度では、行政法人「温室効果ガス管理機構」(TGO)が運営する「自主的排出量削減プログラム」(T-VER)が先行する。草案はこれに法的基礎を与えるもので(11章)、カーボンクレジットも譲渡等が可能な「財産」とされる(148条)。
炭素国境調整メカニズム
草案は、EUと同様のカーボン国境調整メカニズム(CBAM)導入を定める(9章)。対象産品の輸入者に登録とGHG申告書の提出を義務づけるほか、基準を満たさない輸入について課金を定める(111条)。
草案には罰則(14章)も置かれ、違反行為には過料が科される。たとえば、CBAMによる課金を支払わない輸入者は、500万バーツ以下の過料または得た利益の3倍のいずれか、高い額を科される(192条)。このほか、経済活動分類のための基準策定が規定されている(13章)。
以上のように、「気候変動法草案」は、気候変動対策を網羅する総合的な法の制定を目指すものであり、様々な制度構築を一挙に進める野心的内容を盛り込んでいる。ただし産業界には、炭素税とETSを重複した負担を課される懸念が残る。今後、免除や控除のルールの明確化など、制度間の調整も草案の課題として残されている。
参考文献
- ジェトロ・ビジネス短信「タイ、気候変動法案が12月2日に閣議決定」(2025年12月25日)
(いまいずみ しんや/アジア経済研究所)
本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません
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