出版物・レポート
レポート・出版物

レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.270 タイにおけるバッテリー電気自動車(BEV)の台頭

Chawalit Jeenanunta、植木 靖

2026年3月4日発行

PDF (410KB)

  • 急成長:タイにおけるBEV登録台数は、「EV 3.0」補助金政策を背景に、2021年の6,000台未満から2025年には14万台以上に急増した。
  • 構造転換:中国製BEVによる「垂直統合型輸入」モデルの導入は、日本企業が構築してきたサプライチェーンを混乱させるリスクがあり、現地のティア2・3サプライヤーから不安視されている。
  • 政策の岐路:産業の空洞化を防ぐため、政府の産業振興政策は、補助金による「キャパシティ(組立設備能力)」構築から、現地化と技術移転を通じた企業の「ケイパビリティ(付加価値創出能力)」構築と産業高度化促進への転換が必須である。
BEV市場の急速な拡大

タイの自動車業界は60年で最大の変革期を迎えている。世界生産量10位を誇る「アジアのデトロイト」としての地位は維持しつつも、国内市場は従来、内燃機関(ICE)搭載の1トンピックアップトラックが主流であった。しかし政府の優遇政策導入により、消費者の購買行動と販売台数に劇的な変化が起きている。

図1 タイにおけるEV登録台数推移

図1 タイにおけるEV登録台数推移

(出所)陸運局データより筆者作成

陸上運輸局のデータ(図1)によると、バッテリー式電気自動車(BEV)の普及が急速に加速している。この増加は市場の大転換を意味する。BEVに注力する中国ブランドが、2025年モーターエキスポで初めて予約シェア首位を獲得した。中国ブランドのシェアは56.8%を占め、既存の日本ブランド(36.8%)を上回った。これはBEVが特殊セグメントから一般的な乗用車選択肢へと移行しつつあることを示唆している。この動きは、BEV取得コストを内燃機関車(ICE)と同等レベルに引き下げた積極的な価格戦略によって推進されている。

政策枠組み:「30@30」構想

販売台数の急増は、国家電気自動車政策委員会が掲げる「30@30」構想(2030年までにゼロエミッション車の生産比率30%達成を目指す)と「EV 3.0政策」の直接的な成果である。政策実現に向けて導入された主な政策措置は以下のとおりである。

  • 需要側(消費喚起):車両1台あたり最大15万バーツ(2026年1月時点で約4,800米ドル)の直接補助金を支給し、さらに消費税率を8%から2%へ大幅に引き下げることで、BEVの初期購入費用を最小化した。
  • 供給側(国産化促進):この補助金は条件付きであり、補助金を利用して輸入CBU(完全組立車)を販売するメーカーは、現地生産(CKD)を1:1比率(輸入1台に対し生産1台)で実施することを義務付けられた。生産開始が遅れた企業の場合、この比率は1:1.5に引き上げられた。
  • インフラ:充電設備の整備に加えて、時間帯別電気料金の導入等により、BEV総所有コスト(TCO)が大幅に削減された。
サプライチェーンへの影響:「垂直統合」リスク

販売台数は伸びている一方、ICE車両とBEVとの技術的違いと中国カーメーカー(OEM)の戦略的行動により、タイの自動車生産・販売基盤による付加価値創造は「空洞化」リスクに直面している。

生産側のリスク要因のひとつは、部品点数の違いによるものである。ICE車両は約30,000個の部品を必要とするのに対し、BEVは約3,000個のみともいわれる。BEVへの移行により、エンジン(影響を受ける企業の51%)とトランスミッション(17%)のサプライヤーを中心とする816社、32万6,400人の労働者が直接的な影響を受けるとの推計もある。

生産技術面では、数十年にわたり現地サプライチェーンを構築してきた日本OEMとは異なり、テスラをはじめとするBEVメーカーは生産を自社内で垂直統合する傾向がある。タイに新規参入した中国OEMの場合、生産現地化に際して、以下のような特徴を持つパススルーに近い「垂直統合型輸入」戦略を採っている。

  • バッテリーやe-axleなどの中核部品を、タイの既存企業から調達せず、中国の既存ルートから一括輸入する。
  • 中国から同伴したサプライヤーにタイ国内で「サテライト工場」を設立させる。これらの多くは実質的に、輸入された構成部品を最終組み立てするだけの拠点と推察される。
  • BEV特有のノウハウを持たないタイ系ティア2・3サプライヤーは、新しいBEVバリューチェーンから排除されるリスクがある。

地場系サプライヤーの調査結果によれば、日系メーカーは、需要予測の共有や品質保証監査を通じて、サプライヤーの能力向上を支援する相互成長の哲学を持っている。一方、新規参入の中国企業は、現在のところ、短期的な取引サイクルで運営され、地場中小企業への技術・ノウハウの移転は最小限に留まっている。

サプライチェーンへの影響:ディーラービジネスモデルの変容

販売側のリスク要因として、BEVシフトによる収益構造の変化を指摘できる。従来の日系ブランドディーラーは、収益の多くをアフターサービスから確保していた。しかし、部品点数の少ないBEVへの移行により、アフターサービスからの収益が蒸発することが予想される。

また、タイ市場に新規参入した中国BEVメーカーは、在庫リスクをディーラーに負わせない注文販売や、ショッピングモール内でのコンパクトなショールームの展開といった新たなモデルを導入している。そうしたなかで、日系ブランドの店舗数は減少傾向にある。

政策提言:BEV組立から付加価値創出奨励へ

タイの自動車ハブの持続可能性を確保するには、BEVの単なる組立を現地生産とみなす現在の基準を改め、以下のような政策を通じて国内での付加価値創出を促進する必要がある。

  • 現地化の促進:EV 3.0における補助金受給要件である完成車生産の現地化義務を履行していないメーカーに対して、義務の履行を厳格に求めるべきである。完成車の単純組立を超え、中核部品の「現地調達率」向上を促進するように、投資促進インセンティブを再構築する必要がある。
  • 技術移転の促進:外国投資家向けのBOI優遇措置は、現地ティア2・3サプライヤーへの技術移転プログラムと連動させるべきである。
  • サプライチェーン支援の重点化:現地企業への財政支援は、ICEサプライヤーによるEV対応部品への転換や非自動車分野での新規事業創出のための支援に集中すべきである。
まとめ

タイが「アジアのデトロイト」としての地位を維持できるかは、現在の「BEV需要の創出」という成功を、いかにして「国内産業の高度化」へと繋げられるかにかかっている。政策の焦点を「組立」から「付加価値創出」にシフトさせ、現地企業がグローバルなBEV価値連鎖に参画できる仕組みを構築することが急務である。

(チャワリット ジーンアナン/タマサート大学シリントーン国際工学部、
うえき やすし/アジア経済研究所バンコク研究センター)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

©2026 執筆者