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【著者インタビュー】「地域研究を召し上がれ:「中東」に分析を添えて」今井宏平研究員に聞く(前編)

書籍:『教養としての中東政治』

『教養としての中東政治』
今井 宏平
発行 ミネルヴァ書房
3,000円+税
264 pp
2022年3月31日発行
ISBN:978-4-623-09344-1

目指したのはシチュー:中東研究は食材よりも料理の腕にこだわれ!

アジア経済研究所(以下、アジ研)の研究員は、専門的な研究書にとどまらず、一般向けの本づくりにもひろく参加しています。2022年に入り2冊の編著を刊行している今井宏平研究員に、アジ研における研究と編著とのかかわりについて聞きました。

前編では、一般向けに書かれた今井宏平編『教養としての中東政治』(ミネルヴァ書房、2022年)をとりあげます。

後編「「クルド問題」をどう料理する? :レストラン今井のマル秘レシピ」はこちら。

―― 本書の特徴を教えてください。

いきなり脱線しますが、コロナ禍で以前より料理をする人が増えたと言われています。読者の皆さんはいかがでしょうか。私は長野から上京し、大学1年から一人暮らしをしていたので、料理することは常に身近な行為でした。トルコに留学した際もトルコの素材で創作料理を作っていました。最近、研究と料理は似ていると感じており、今回の企画では料理の比喩から編著を紹介させていただきます。

本書には3つの特徴があります。まず、第1に、本書はある意味で、包丁の使い方や火入れの仕方といった料理の技法について解説する、料理本によく似ています。実家暮らしであまり料理をしたことがない学生の皆さんがいるかもしれないので、一言付け加えると、料理の本には大きく、料理を作るためのイロハを解説したもの、そしてそうした基本を踏まえたうえでのレシピ本があります(最近は基礎がなくても作れるレシピ本も多数ありますが)。本書は前者とシンクロします。

これまで、日本で蓄積されてきた地域研究に根差した研究では、研究の対象を徹底的に知ることが推奨されてきました。その方法として、政府が刊行する一次資料、当事者へのインタビュー、現地での新聞や図書の収集などがあげられます。料理にたとえれば、素材を徹底的に調査し、極上のものを手に入れるようなものです。

しかし、中東の諸国家は新興国や程度の差はあれ、権威主義的な国家が多く、政府が刊行する一次資料が非公開になっていたり、政府高官などへの接触も困難であったりするケースが多いです。こうした点が現代中東の諸国家の政治を研究することを難しくしていました。つまり、中東研究では、欧米諸国や日本を対象とする研究に比べ、極上の素材が手に入りづらいのです。

それでは極上の素材が手に入らなければ美味しい料理は作れないのでしょうか。いいえ、必ずしもそうとは言えません。料理の腕、つまり料理の技法を学べば極上ではない素材でも美味しい料理が作れます。シチューは古くて固くなった肉を美味しく食べようと、長時間肉を煮込んだことで生まれたと言われています。本書は、中東諸国においていかに良い素材を獲得するのかではなく、手に入りやすい素材をどのように料理するのか、つまり分析するのかという点に焦点を当てて書かれています。高級食材の探し方、買い方ではなく、普通の食材を美味しく食べるにはどうすれば良いかを探る、といったイメージでしょうか。

―― 料理の技法を学ぶ本を想定されていたとは意外でした! その他の特徴は何ですか。

2つ目の特徴は、この教科書が高校の社会科の分類では政治・経済の延長線上に位置付けられるという点です。これまで中東の教科書の多くは歴史に根差したもの、つまり世界史の延長線上に位置付けられるものでした。それに対して、本書は政治・経済の教科書が扱う分野である、宗教、政治体制、外交手法(これは教科書にはなかったかもしれません)、移民・難民などを軸に章構成をしています。

3つ目の特徴として、中東の諸国家を横断的に取り上げたことがあげられます。これまで日本では、中東に関する研究成果の多くは国ごとの分析になっていました。しかし、本書は中東という地域的なまとまりに注目しました。「中東」とは西洋諸国によって作られた地域概念なので、中東諸国の人々はこの概念に複雑な思いを抱いています。また、中東は広範にはアフガニスタンからマグレブ地方までを含みますが、本書ではそのなかでもアラブ諸国およびイスラエル、イラン、トルコについて扱いました。

―― 読者の方に伝えたい思いはありますか。

教科書は事典と違い、あくまで基礎的な知識を提供する「きっかけ」です。料理の技法の本でも同じです。例えば、魚のさばき方の本に、すべての種類の魚のさばき方は載っていません。白身魚、青魚といったような区分で基本的な魚が載っているだけで、太刀魚、スズキ、ウマヅラハギ、メガネモチノウオ(ナポレオンフィッシュです)と逐一すべてが解説されているわけではありません。要はいかに活用、応用するかだと思います。それによって教科書は様々な「表情」を見せることになります。

本書の冒頭で教科書をリジッドデニム(生デニム)にたとえましたが、固めのデニムを着込んで/履きこんで、格闘して自分なりの表情をつけることと、教科書を自分で活用してさまざまな事象の分析に使いこなしていくことは似ています。活用の仕方は十人十色ということです。ちなみに私は中学でバスケ部、高校でテニス部に入っており、足が太くてジーンズはふくらはぎで詰まるのでもっぱら育てるのはデニムジャケットです(笑)。

―― この本はアジ研に入っていなければ刊行できなかったとお話しされていましたが、詳しく教えてください。

2つの点でアジ研の恩恵が大きかったです。1つ目は比較政治学への接近です。私は専門が国際関係論ですが、アジ研には比較政治学を専門とする人が多く、入所後は比較政治学の研究会や勉強会に出る機会が増えました。本書には国際関係論の項目もありますが、比較政治色が強い教科書です。比較政治学への興味はアジ研に入っていなければここまで強くなかったと思います。料理の比喩で言えば、イタリアンのシェフとしてレストランに入ったところ、フレンチの一流シェフたちがそのレストランにおり、そこでフレンチの技法を学んだといったところでしょうか。

2つ目は地域を方法論で切るという手法の重要性です。アジ研はもともと「三現主義」――「現地語」を用い「現地資料」にあたり「現地に滞在」して調査する主義のこと。編集部注――を掲げてきましたが、現在は方法論を学んで、そのうえで地域の現状を分析することがアジ研の1つの作法となっています。再度料理の例を用いると、素材重視から料理方法の重視へとシフトしているということです。その意味では、アジ研は一流シェフが多く揃った5つ星レストランと言えます。こうした環境で研究生活をおくれていることは恵まれていると感じています。

一方で、アジ研は大学の教員に比べ、教育に関わることが少ないです。しかし、アジ研の研究員でも教育に貢献することはできるというところを見せたいと日頃思っています。今回の編著もそうですし、2017年に中央大学出版部から刊行した『国際政治理論の射程と限界』という国際関係論の教科書も、そうした思いから生まれました。多くの学生および社会人の方に手にとっていただき、この本をきっかけに中東政治の分析を自分なりに行なってもらえると嬉しいです。そうすればあなたも立派なシェフです(笑)。

―― ありがとうございます。後編では、より専門的な近編著である今井宏平編『クルド問題』(岩波書店、2022年)について聞いていきます。

後編「「クルド問題」をどう料理する? :レストラン今井のマル秘レシピ」はこちら。

(取材日:2022年6月20日)
(聞き手:津田みわ・長峯ゆりか、写真撮影:長峯ゆりか)