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【著者インタビュー】「地域研究を召し上がれ:「中東」に分析を添えて」今井宏平研究員に聞く(後編)

書籍:『クルド問題――非国家主体の可能性と限界』

『クルド問題――非国家主体の可能性と限界』
今井 宏平
発行 岩波書店
3,600円+税
164 pp
2022年2月22日発行
ISBN:978-4-00-022646-2

「クルド問題」をどう料理する?:レストラン今井のマル秘レシピ

後編では、専門的な研究書である今井宏平編『クルド問題』(岩波書店、2022年)についてうかがいます。
前編「目指したのはシチュー:中東研究は食材よりも料理の腕にこだわれ!」はこちら。

―― そもそも「クルド問題」とは何でしょうか。

クルド問題とは、世界最大規模の国をもたない民族とも言われるクルド人と、クルド人が居住している国の政府および住民との間で起こる政治的・文化的摩擦の総称です。本書はクルド民族主義組織に焦点を当てていますが、それは、最も急進的な形で関係国の政府と対立している、もしくは対立してきたためです。

その手段は武力闘争に限らず、1999年に指導者であるオジャランが逮捕されて以降、クルディスタン労働者党が展開してきた政治闘争、イラクの「北イラク地域政府」が展開してきた独立に向けた住民投票などがあります。クルド人については、最近はシリア情勢の報道などでよく耳にするので、ご存知の方も増えてきたのではないでしょうか。

―― 本書の特徴を教えてください。

本書の特徴は大きく2つあります。1つ目は、これまで日本の中東研究のなかでも十分に検証されてこなかったクルド人、特に周辺諸国家の安全保障政策に直結するクルド民族主義組織について正面から扱ったことです。

クルド民族主義組織はイラク、イラン、シリア、トルコで活動しています。それぞれの国のカリスマ性を持ったリーダーたちに率いられ、イラクでは70年以上、トルコでは40年以上という長い年月、クルド民族主義組織は国家と緊張関係にありました。近年、一気に注目を集めたのがシリアのクルド民族主義組織です。その理由は、イラクとシリアで「イスラーム国」が台頭した2014年、米国がシリアにおいて「イスラーム国」に対抗する組織としてシリアのクルド民族主義組織を支持・支援したためです。

逆に最も目立った動きがないのがイランのクルド民族主義組織です。とはいえ、イランのクルド民族主義組織も中央政府との対立の歴史は長いです。

一点強調しておきたいのは、イラク、イラン、シリア、トルコに住むクルド人全員がクルド民族主義を支持しているわけではないという点です。クルド人はトルコでも人口の2割、だいたい2000万人ほど住んでいると言われていて、立場も多様です。

2つ目の特徴は、政治学および国際関係論の枠組みや概念を援用する形でクルド民族主義組織の分析を行なった点です。そのため、各章はできるだけ分析対象国を専門とする研究者と分析で使用する概念に造詣の深い研究者でタッグを組む形で分析を試みました。『クルド問題』も『教養としての中東政治』と同様、三現主義(現地語・現地資料・現地調査)に基づく地域研究を越えていくことを目指しました。『教養としての中東政治』を料理の技法を説明した本にたとえましたが、『クルド問題』はクルド民族主義という素材をさまざまな技法を生かして料理したレシピ本と言えます。

―― アジ研で過去に行なっていたクルド問題についての政策提言研究と本書は関係ありますか。

アジ研で2015年4月から2019年3月まで続けていたクルド問題に関する研究会ですね。はい、本書にはその研究会に入っていただいていた執筆者も参加していますし、アジ研のクルド問題に関する政策提言研究会の影響は色濃いです。

このアジ研のクルド問題の研究会は、まさしく政策提言としてクルド問題に光を当てるべく、この問題をできるだけ広く概観しようとするものでした。その成果の一部は、研究会に参加していたメンバーが多くの章を執筆した山口昭彦編著『クルド人を知るための55章』(明石書店、2019年)に反映されています。

一方、本書は直接的には私が代表者を務めた科学研究費挑戦的研究「クルド系アクターが国際秩序の安定化/不安定化に与えるインパクトに関する研究」(18K18560)の成果です。アジ研での政策提言での作業を踏まえ、本書は対象をクルド民族主義組織にぐっと絞り、研究書として深く掘り下げようとしたものです。

そのため、読者は中東に関する知識をある程度持ち合わせている方や大学院生が主な対象になるのかもしれません。もちろん、『クルド人を知るための55章』から入ってクルド問題に興味を持った方や学部生に読んでいただいても満足できる内容だと思います。

―― 読者に伝えたいメッセージは何でしょうか。

これまで政治学や国際関係論では主権を持つ国家が常に分析の中心に据えられてきました。しかし、それは西洋の現状を前提にし過ぎた見方だったことが、中東におけるクルド民族主義組織や「イスラーム国」の活動を見ると明らかになると思います。

非国家主体は重要な分析対象であり、現実政治における影響力を持ったアクターであるということは強調してよい点だと思います。

また、独立を目指す非国家主体の最適解が必ずしも主権国家になることではないという点も指摘しておきたいと思います。2017年の北イラク地域政府の独立を目指した住民投票はイラク政府、そして隣国のトルコやイランからの反発を買い、失敗に終わりました。ただし、北イラク地域政府は自治政府として機能しており、無理に独立するよりも自治政府としての政体を維持する方が影響力を維持できると考えられます。繰り返しになりますが、主権国家は絶対的な政体ではないということがここからも読み解けます。

―― 2冊を出版されたばかりですが、今後の構想などがあれば教えてください。

これまで述べてきたように、『教養としての中東政治』は料理の技法の本、『クルド問題』はクルド民族主義という素材に関するレシピ本です。今後は、自分の専門であるトルコの外交についての「レシピ本」も執筆しなければと思っていますし、また違うジャンルの「料理法の本」にもチャレンジしたいと考えています。素材そのものだけでなく、調理法にもこだわった研究を心掛けていきたいと思います。

(取材:2022年6月20日)
(聞き手:津田みわ・長峯ゆりか、写真撮影:長峯ゆりか)