アジア開発途上諸国における選挙と民主主義

調査研究報告書

近藤 則夫  編

2007年3月発行

この報告書は中間報告書です。最終成果は
間 寧 編『 アジア開発途上諸国の投票行動—亀裂と経済— 』研究双書No.577、2009年発行
です。
第1章
インドにおける選挙研究 (129KB) / 近藤 則夫
連邦下院、州議会、そして地方自治体であるパンチャーヤットの選挙はインドの民主主義の根幹である。インドの選挙研究は現実の政治の動きと連動しているが、ネルー時代(~1964年)は政治的に安定した時期で、それが故にかえって選挙研究は相対的には盛んでなかったといえよう。インドの会議派を中心とする政治は1960年代後半、そして70年代後半に大きく転換し、1980年代末から多党政、連合政権の政治へと転換するが、選挙研究はそのような選挙政治の大きな変動に応じつつ次第に盛んになってきた。本レビューでは検討する選挙研究を主に連邦レベルの選挙と州レベルの選挙に焦点を当てたものに絞るが、研究を主に集計データを使って行ったものと、サーベイで集めた個票を基礎にして行ったものに分けて検討する。このような分類によってレビューを行うのは、データの性格によって選挙の分析範囲が実際上かなり規定されるからである。

集計データを使っての研究では、識字率、経済発展などのマクロな説明変数は投票率を説明するにはかなり有効で正の相関関係が認められるが、各党の得票率を説明するには大体の場合非力であること、都市化は1960年代までは投票率と正の相関関係が見られたが、その後は弱くなり、1990年代以降は負の相関に転じること、州が説明変数として次第に重要になってきたこと、などが確認できた。一方、個票データに基礎をおく研究からは人々の選挙制度に対する信頼感の高さ、投票者の社会経済的地位が投票行動、政党選択を説明する重要な変数であること、1970年代までは争点はそれほど重要でなかったこと、宗教的、言語的少数派は会議派を支持する傾向にあったこと、会議派の退潮は中間的な社会的地位を占める多数の後進諸階級が会議派から他の政党に支持をシフトさせたことによるところが大きいこと、長期的傾向としては会議派中心の一党優位体制から、各州の社会的亀裂をベースとして成長してきた州政党の連合政権へ進んでいること、大規模な世論調査によると多くの選挙民にとって選挙を認識する争点で重要なのは物価、失業などの生活に直結したものであること等がわかった。

選挙はインド政治全体のペースセッターである以上、他の様々な政治とも深い関連性を有しているはずである。そのような関係を探ったものとしては、選挙と社会集団の動員を検証した研究、選挙と暴力、とりわけ宗派暴動との関係を研究したもの、経済サイクルとの関係を検証したものなどがあり、一定レベルの相関性を示しているが、決定的に立証されたというレベルには至っていないと考えられる。

最後に以上の検討を経てインドの選挙研究の若干の展望が行われた。


The election system is the pillar of Indian democracy. The system consists of various levels of elections to the Lok Sabha (the House of Representatives of the Union), State Legislative Assemblies, and Panchayati Raj Institutions (local self-governing bodies under State Governments). This article includes a review of studies related to the elections of Lok Sabha and State Legislative Assemblies conducted up to the present time. Studies are divided into those based on aggregate data and those based on survey data of the individual electorate. This division has the advantage of providing data that may be used in different analytical areas. Voter turnout and votes polled by party are the two main variables to be explained. This review article thus shows what has been explained in voting behaviour in India up to the present time.

第2章
スリランカは、南アジア諸国の中ではインドと並んで、民主主義的な制度や手続きが維持されている国と言われている。本論では、このようなスリランカの民主主義に関する研究を行っていくための最初の段階として、スリランカの選挙政治と政党政治に関する全般的な状況についてまとめ、その後、研究上の方針と問題点について検討した。その結果、スリランカの選挙政治について理解するためには、制度的枠組みや各政党の動向など、選挙政治以外にも様々な要因を考慮に入れる必要があることが明らかとなった。したがって、スリランカの選挙政治について研究しようという場合には、選挙の集計データの分析だけでなく、先行研究や新聞記事・雑誌記事、各種調査結果などを綿密に検証していくことが必要となる。以上のような問題意識をふまえて、本論の後半では、スリランカの選挙政治を研究する上で役立つと思われる先行研究のレビューを行った。今後は、先行研究の検討をさらに進めるとともに、選挙の集計データや世論調査の分析なども行って、スリランカの選挙制度と政党政治に関してより深く理解していきたいと考えている。

第3章
本稿は、トルコにおける投票行動についての先行研究を概観し、主要な知見と問題点を明らかにすることを目的としている。投票行動を一般的に規定する変数である(1) 政党帰属意識、(2) (社会的)亀裂、(3) 価値観、および(4) 政権業績評価のうち、トルコでは(1) の政党帰属意識を除く残りの3つが説明力を持つ。中でもトルコの亀裂モデルは「中心・周辺」亀裂を基軸とし、さらにその下位に「世俗・宗教」という宗教的亀裂と「トルコ・クルド」という民族的亀裂が存在する。トルコにおいて価値観モデルは亀裂モデルを統合したように見えるが実はその逆である。トルコの価値観モデルでは「物質主義・脱物質主義」軸における、脱物質主義が前物質主義に置き換えられたため、本来の亀裂モデルに後戻りしている。

第4章
マレーシア選挙の研究動向 (107KB) / 中村 正志
マレーシア選挙研究においては,(1) 各総選挙に関する分析,(2) 政治体制を評価する尺度としての選挙研究,の2つが主要な潮流となっている。本稿では,既存研究で何が投票行動に影響を与える要因と見なされてきたかという観点から上記の二大テーマを扱った文献の論点を整理する。

(1) の系統の文献では,民族問題,イスラーム政策,政治改革問題が重要争点とされ,景気や対外関係が解散の時期や与党のキャンペーンに影響を与えるとされる。また,民族混合選挙区における与党の優位が繰り返し指摘されている。この現象の原因については,動員協力,選好差異,戦略投票の3つの説がある。

(2) の系統の文献では,ゲリマンダリング,資源の格差,選挙登録に関する不正が選挙の不公正=体制の非民主的側面として指摘され,一方で競争性の高さが政府の応答性(responsiveness)を担保しているとされる。

(1) の系統の動員協力説や戦略投票説,(2) の系統のゲリマンダリング,利益誘導のいずれも,与党連合の長期的優位について論じたものである。今後の研究課題のひとつとして,swing voting の傾向と要因の把握があげられる。

第5章
インドネシアでは、1955年総選挙から2004年総選挙まで、スハルトによる権威主義体制下でおこなわれた6 回の選挙も含めて9 回の選挙が実施された。当初は、時事的な解説も含めて、集計データを使った選挙分析や地方における事例研究など質的な研究が中心であったが、その中からサントリ・アバンガンという社会的亀裂に基づいた投票行動という枠組みが研究の中心となった。その後、1990年代に入ると計量的分析手法が導入されるようになり、インドネシアにおける投票行動研究も大きく発展した。民主化後の大きな政治変動も重なり、サントリ・アバンガンという社会的亀裂が現在も有権者の投票行動を規定しているのかという点が近年の研究の焦点となっている。概念の操作化においてさまざまな困難があるが、今後の研究の発展が期待される。