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アジ研ポリシー・ブリーフ

No.263 EUオムニバスI暫定合意の示す方向性と日本企業の向き合い方

木下 由香子

2026年2月19日発行

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  • オムニバスIが日本企業の負担軽減になるとは限らない。今後のガイダンス策定への関与を。
  • 地政学的影響でビジネス環境に不確実性が拡大しても社会課題はなくならない。
  • 企業は自らどのような責任ある行動を取るのかがこれまで以上に問われている。

欧州委員会により法令簡素化の第一弾として2025年2月26日に発案されたパッケージ中の、EU企業サステナビリティ・デューディリジェンス指令(CSDDD)とEU企業サステナビリティ報告指令(CSRD)の改正案(オムニバスI)は、約10か月の議論を経て、2025年12月9日に暫定合意に至った。

第1次フォン・デア・ライエン欧州委員会(2019–2024)はグリーンディールの下、企業の環境・人権責任を強化する規制を進めてきた。しかし第2次(2024–2029)で方針転換が見られる。その背景には、ウクライナ侵攻後のエネルギー価格高騰や地政学環境の変化、さらに欧州産業界による規制負担軽減要求がある。2025年1月の「競争力コンパス」では、中国の安価な労働力、ロシアの安価なエネルギー、安全保障の外部委託に依存してきた欧州の従来型ビジネスモデルの終焉が示され、これを受けてドンブロフスキス欧州委員会副委員長の官房主導の下、オムニバスI改正案はトップダウンで迅速に進められた。本稿ではとくにCSDDDに焦点をあて、法改正議論の過程と暫定合意の内容を踏まえ日本企業への影響を考察する。

改正法案の主要論点と最終合意の特徴

暫定合意により、CSDDDの適用対象基準は2024年7月25日発効時点から大幅に引き上げられた(従業員数は5倍、売上高は3.3倍)。一方、デューディリジェンス(DD)の手法をめぐっては、当初案にあった「直接のビジネスパートナー優先」や「もっともらしい情報(Plausible Information)」の概念は削除された。これらの新概念は、国際基準に従って取組みを進めてきた先進企業の努力を覆す可能性があり、また「もっともらしい情報」に依拠したDDは負担削減に寄与しないと企業側から意見されていたためである。最終法文は、実際または潜在的な負の影響が生じやすい領域に重点をおく、国際基準が想定するリスクベースアプローチへ収斂した。さらに、気候変動移行計画義務(第22条)は全面削除され、民事責任(第29条)ではEU統一規定が削除された。一方、罰則は全世界売上高3%上限(第27条)に整理され、義務開始は2029年7月26日へ1年延長された。

オムニバスIは官報発布をもってその政策プロセスは一旦終わりとなる。CSDDDに関しては、1次法で定められた時期と内容に従って2027年から2029年の間に多くのガイダンス文書が2次法として策定される予定である。

欧州ステークホルダの反応と域外適用に対する第三国からの反応

12月の暫定合意の結果についてステークホルダの反応は分かれている。ビジネスヨーロッパ(BE)をはじめとする企業側は、「概ね我慢できる範囲」と一定の理解を示す。BEのプレスリリースでは、サプライチェーン全体の網羅的把握を必須としない現実的なDDのアプローチや、気候変動移行計画などCSRDとの重複回避を評価する一方、売上高連動型過料の再導入と加盟国による規制導入の断片化に不安を示した。他方で、NGOや、かつてCSRDCSDDDを主導した中道左派の欧州議員らは、気候対策や企業責任の弱体化、企業に課する実効性ある義務の後退を懸念する。

またCSDDDおよびCSRDはレベルプレイングフィールド確保の観点からEU域外企業にも適用される。今回の改正がEU企業の競争力回復を主眼とするため、審議が最終段階に近づくにつれ、域外適用に対して第三国政府、とりわけ米国から政治的な影響を受けたと考えられる強い懸念が表面化した。米国商工会議所は2025年10月、域外企業への過度な義務付けと責任リスクが第三国の主権を侵害し得ると批判した。さらに米国とカタールのエネルギー当局が主要LNG供給国として、CSDDDの域外適用が輸出側企業のコンプライアンスリスク・コストを増大させ、契約維持を困難にし、欧州のエネルギー安全保障を損なうと主張した。対照的に日本・韓国からは、域外企業の法的不確実性と訴訟リスクの管理の明確化、および域外企業の開示スケジュールの延期を求めるなど、法案に対する具体的な意見の貢献が見られた。

政策過程に残された構造的不安要素

欧州企業の競争力強化を目的とし規制の簡素化を掲げて始まったオムニバスIの議論を通じて明らかになったのは、一連の政策プロセスが単なる法規制の緩和にとどまらず、政治的な不安要素を残し始めているという点である。

第一には、オムニバスIのトライローグ(委員会・議会・理事会)合意に向けた交渉過程で、中道右派がこれまで維持してきた中道左派との中道同盟から離れ、極右勢力と連携して規制緩和を推進した点にある。極右政党の多くはEUの制度的枠組み自体に懐疑的であり、場合によってはEUの存在意義すら認めない立場を取るため、こうした連携は政治的重心の大きな変動を意味し、コルドン・サニテール(防疫線)を含む、従来の合意形成の安定性が揺らぎ得る。

二つめは、CSDDDの域外適用に不満を示す米国政府の存在だ。オムニバスIの暫定合意後も米国通商代表部(USTR)が、2025年8月にEUが米国の共同声明で約束した「過度な貿易制約を課さない」義務が守られていないとして、関税を含めた貿易上の対抗措置を検討し得る姿勢を示している。こうした米欧間の緊張を含む地政学的環境がEUの政策形成に影響を及ぼしつつある点も懸念すべき要素である。

第三の不安要素は、オムニバスIの一連のプロセスそのものが生み出した、欧州の政治主導型の意思決定プロセスに対する批判である。欧州の立法手続は、これまで明確なルールに基づき、ステークホルダの意見を体系的に反映する形で構築されてきた。しかし今回のオムニバスIでは、政治的優先順位が手続を上書きし、制度プロセスを変容させる前例を生んでしまった。オムニバスという手法は、サステナビリティ分野に限らず、当面の間、欧州政策の中核的なツールとして用いられる見込みであり、その影響は制度全体に及ぶ可能性がある。今回のオムニバスIに関しては、ステークホルダの意見を取り入れるプロセスの欠落など手続上に問題があったとNGOから訴えがあり、これを受けてEUオンブズマンが緊急時のステークホルダ協議の原則遵守を求める報告書をまとめている。

まとめ~日本企業の今後のアプローチ

オムニバスIにより対象企業は大幅に減少したが、適用範囲の縮小が必ずしも負担軽減に直結するとは限らない点に注意が必要だ。規制の不統一が広がれば実務負担が増える可能性がある。CSDDDDD実施の義務に加え、その実施方法の域内調和を図り、レベルプレイングフィールドの確保と法的確実性向上を目指してきた。しかし、域内調和も十分に実現しておらず、サプライチェーンの中流・上流企業の負担軽減にはつながっていない。域外適用を受ける日本企業は、さらなる詳細を決めるガイダンス策定の過程に今後も積極的に関与すべきである。

欧州はグリーンディールで掲げた目標を維持しつつも、法律策定過程では地政学的影響を受けている。しかし忘れてはならないのは、こうした政治的調整の風向きとは関係なく、社会課題そのものは依然として変わらない点である。オムニバスIが示した最も重要な示唆は、企業は社会課題に取組み続けなければならない一方、地政学的影響によりビジネス環境の不確実性が拡大しているという点にある。従って、規制遵守にとどまらず、企業自らが責任ある行動を主体的に決めていく姿勢が不可欠となる。不確実性が高まる状況では、地政学的な動きを敏感に捉えつつ、法規制は「あるべき姿」の一部を示すにすぎないと認識し、変化を継続的に注視する必要がある。企業自身がどのような責任あるビジネス行動を重視するのかが、これまで以上に問われている。

(きのした ゆかこ/在欧日系ビジネス協議会)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

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