レポート・報告書
アジ研ポリシー・ブリーフ
No.259 「トランプ関税」へのASEANの対応
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- 短期的な衝撃緩和だけでなく、変化を恐れない中長期的な戦略的思考で成長機会を模索。
- 経済と安全保障の不可分性を背景に、外務大臣・経済大臣合同会合(AMM-AEM)の定例化へ。
- ルール・ベースの世界貿易秩序の再構築、ASEANの多角化などで日・ASEAN協力も新段階へ。
2018年の米国の貿易赤字は8,704億ドルで、そのうち対中貿易赤字が4,182億ドル(48.1%)にまで急拡大していた。当時の第一次トランプ政権がその要因を中国の不公正な貿易慣行に求めて中国製品に追加関税を課すと、中国が報復関税を導入し、米中貿易紛争が始まった。対中貿易赤字は縮小に転じたものの、米国の貿易赤字は拡大を続け、2024年には1兆2047億ドルにまで達した(表1)。その背景には、米中貿易紛争による高関税を回避するための調達先変更(貿易転換効果)、生産拠点の移転、サプライ・チェーンの再構築などを通じて対米輸出を拡大させ「漁夫の利」を得てきた国・地域があった。
表1 米国の貿易収支と相互関税交渉
(出所)貿易統計はGlobal Trade Atlas、交渉経緯は “Presidential Tariff Actions: Timelines and Status”,
12 January 2026 (R48549)・各種報道等に基づき筆者作成。
(注)2025 年は1 月~10 月までの値。
「トランプ関税」への初動
2025年4月2日、トランプ米大統領は「米国の大規模かつ恒常的な物品貿易赤字の原因となる貿易慣行を是正するための相互関税による輸入規制」に関する大統領令(14257号)を発令し、いわゆる「トランプ関税(相互関税)」を公表した。これは関税引き上げを多くの貿易相手国に一方的に突きつけるものであり、WTOを中心に構築されてきた世界貿易秩序を大きく揺さぶった。世界各国は反発、困惑とともに米国との関税交渉に乗り出すしかなかった。ASEANはEUのような共通域外関税を持たず、対外通商交渉の権限は各国が保持しているため、各国がそれぞれ米国との二国間交渉を行うことになった。しかし、ASEANとしての対応がなかったわけではない。
4月10日に急遽開催されたASEAN経済大臣会合特別会合では、トランプ政権の一方的な措置への反発が表明されたものの、①米国に報復するのではなく建設的に関与すること、②WTO を中心とするルール・ベースの多国間主義の堅持、③関税や貿易の混乱に対する地域・各国の強靭化、という三原則が確認された。また、ASEAN全体に対するより具体的な政策提言を取りまとめることを目的として、各国の経済担当省の高官や研究者から構成されるASEAN地経学タスク・フォース(ASEAN Geoeconomics Task Force: AGTF)が創設された。
5月26日のASEAN首脳会議で発出された「グローバルな経済・貿易の不確実性への対応に関するASEAN首脳声明」では、①域内協力によるASEANの強靭性強化、②域外とのFTAをアップグレード・拡大し、動揺する世界情勢に対応すること、③既存の分野横断的メカニズムやAGTFを活用し、戦略的かつ一貫性のある対応をとること、④外的ショックの影響を緩和するための短期的措置とともに、イノベーションや競争力の強化につながる中長期的な措置を講じること、などが再確認されている。翌5月27日に議長国マレーシアの主導により開催されたASEAN・中国・湾岸協力会議(GCC)首脳会議は域外諸国との新しい協力関係構築への第一歩である。
ASEAN各国の相互関税交渉
4月2日に公表された相互関税は、ASEANの後発国であるCLMV諸国に対して40%以上と、中国よりも高く設定された。一方、もともと自由貿易を推進しており、対米貿易がほぼ均衡状態、小規模な赤字にあるシンガポールに対しては10%のベースライン税率のみが課された。この税率は、各国との二国間交渉の起点になる税率であり、前述の米大統領令14257号の付属文書(Annex I)に規定されている。
これまでにAnnex Iの交渉が完了したのは5カ国である。マレーシアとカンボジアに関しては正式な協定が締結され、ベトナム、タイ、インドネシアとの間では共同声明による決着である。シンガポールに関しては実質的に交渉の余地がなく、残りの4か国は経済規模、貿易不均衡が小さいことから、交渉が後回しになっている。Annex IIは制度的・技術的なルールを横断的に定めるものであり、二国間交渉の直接的な対象ではない。今後の交渉は品目別免税を定めるAnnex IIIに移る。半導体・電子部品など米国産業に不可欠な中間財など、品目別の免税を目指す交渉であり、米国が警戒する迂回輸出の遮断、経済安全保障やサプライ・チェーン強靭化などの地政学的重要性を訴えていく必要がある。
他方、二国間の相互関税交渉が進む一方で、ASEAN諸国の対米貿易黒字はさらに拡大している。2025年1月~10月期のASEAN10カ国の対米貿易黒字の合計は中国を上回る(表1)。
「ASEAN地経学報告書2025」の提言
10月25日、AGTFはその分析と政策提言を取りまとめた「ASEAN地経学報告書2025」をASEAN外務大臣・経済大臣合同会合(AMM-AEM)に提出した。同報告書の副題に挙げられているとおり、ASEANが過去に経験してきた数次の危機のなかでも「今回は違う(This time it is different)」との認識が貫かれている。過去の危機においては既存の秩序に則った対応が求められたのに対し、今回はその「秩序」そのものが動揺している点が「違う」。
AGTFの政策提言は、①外的ショックから地域を守るために短期的なリスクを管理すること、②国内改革と域内市場を活用して地域の統合・強靭化を進めること、③分野間調整、経済と安全保障の整合性をとる仕組みを内包する形で多国間主義およびそれを支える制度を強化すること、④共通域外関税、一貫性のある産業政策、政策実装に関する考え方の刷新といった野心的な目標を追求すること、の4点に集約されている。これを受けたAMM-AEMは、5月の首脳声明を参照しつつ、AGTFの政策提言をASEANの長期ビジョンや戦略計画に組み込んでいくこと、ASEAN首脳会議前のAMM-AEM開催の制度化を検討することを指示した。
日・ASEAN協力も新段階へ
ASEANの経済発展を支えてきた既存の世界貿易秩序が大きく動揺し、各国が経済安全保障を重視するようになった結果、世界経済は分断の危機に直面している。この急激な変革期にASEANは2045年までを見据えた長期ビジョンを採択し、共同体構築の第三段階に乗り出した。そこでは、外的ショックから地域経済を守るという受動的な対応だけでなく、ルール・ベースの多国間主義・世界貿易秩序を堅持する動きにASEANとしても積極的に関与していくという姿勢を読み取ることができる。
これは日本が目指すべき方向性でもある。経済活動の枠を超えて、それを支えるインフラとしての世界貿易秩序の再構築に向けても、日本とASEANの協力の余地は大きい。具体的には、①ASEANが定例化を検討しているAMM-AEMと協力関係の構築、②RCEPアップグレードでの協力やCPTPPへのASEAN諸国の加盟促進、③ASEANの西方諸国(南アジア・GCC・アフリカなど)との連携強化への協力などである。ASEAN諸国に多くの日系企業が進出し、確固たる経済活動の基盤を形成しているからこそ、当事者としてASEANの多角化に貢献することができる。
本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません
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