レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.203 現地で見たインドネシア新首都建設の光と影

2025年2月7日発行

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  • 2024年8月の独立記念式典はヌサンタラでも挙行されたが、年内の移転開始は延期された。
  • 移転予定地では大規模な建設工事が進められており、開発に伴う森林破壊は深刻である。
  • 新首都建設が周辺地域の環境にも悪影響を与えていることが指摘されている。

2024年8月17日、インドネシア共和国の独立記念式典が新首都予定地の「ヌサンタラ首都」(Ibu Kota Negara: IKN)で開催された。式典は首都ジャカルタの大統領官邸と同時に開催され、テレビではその様子が二元中継で放送された。

ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領夫妻と2月の大統領選で当選したプラボウォ・スビアント国防相がヌサンタラでの式典に参加、ジョコウィ政権の副大統領マアルフ・アミン夫妻とプラボウォ新政権の副大統領で、ジョコウィの長男でもあるギブラン・ラカブミン・ラカ夫妻がジャカルタでの式典に参加した。

任期最後の独立記念式典をヌサンタラで開催することは、2019年に首都移転計画を発表したジョコウィの悲願であった。そのために2024年度は中央政府のインフラ予算の9%を充てて建設を急いだ。そのうえで、次期政権の正副大統領を式典のホストとして出席させ、首都移転事業が継続されることをアピールしたのである。

しかし、7月には開始するとしていた一部大臣や公務員の移住は何度も延期された。8月12日には閣僚全員をヌサンタラに招集して、完成した大統領官邸で初閣議が開かれたが、インフラ建設が間に合わず、ジョコウィ大統領は任期中の移転を諦めざるをえなかった。

10月に大統領に就任したプラボウォは首都移転事業の継続を約束しており、2028年8月にはヌサンタラで執務を開始するとの意向を表明している。ただし、2025年度国家予算に計上された首都建設費は前年度比65%減となっており、今後どのようなペースで事業が進められるのかを見通すのは難しい。

環境破壊を伴う新首都建設の実態

筆者はアジ研ポリシー・ブリーフNo.188で、「森林都市」というコンセプトを掲げた新首都建設の過程で大規模な森林破壊が進む危険性を指摘した。2024年9月に東カリマンタン州で実施した現地調査で筆者はその実態を確認した。

筆者は北東に隣接するクタイ・カルタヌガラ県からヌサンタラに向かった。サマリンダとバリクパパンを結ぶ高速道路を降りると、車は森林保護地域である「スハルト丘陵」(Bukit Soeharto)をまず通る。そこから1時間ほど走ると、熱帯雨林が急に消え、工事車両が行き交い、道路には土埃が舞うようになる。ここからヌサンタラまではまだ30分ほどかかるが、すでに多くの森林が切り開かれたことが分かる。首都中心部の予定地に入ると、もはやここがかつて熱帯雨林だったことは想像することさえできない(以下の写真①、②参照)。

9月下旬時点で完成していたのは大統領官邸(写真③)や一部の公務員住宅などわずかな建物だけであった。ただし、官庁などの建物が徐々に立ち並び始め、ホテルや商業施設の建設といった国内企業の投資も始まっている。こうした状況を見ると、首都移転事業はもはや引き返せないところまで来ていると考えざるをえない。

周辺地域に広がる環境問題

こうした新首都建設に伴う環境問題が、移転予定地周辺だけにとどまらないことが最近になって指摘されている。ヌサンタラでは「水道水が飲める」というのが謳い文句のひとつになっているが、ヌサンタラへの水供給が周辺地域の水不足を招く可能性がある。飲料水のためのダムへの河川流入量を確保するため、上流域にあたる北プナジャム・パスル県での取水が制限されたり、ダムからバリクパパン市への飲料水供給量が減らされたりしているという問題が報道されている。しかも、開発に伴って森林が減少して天水の保持能力が落ちているため、とくに乾季における水不足が発生しやすくなっている。水問題は住民生活に直結するだけに、中央政府・ヌサンタラ首都庁(OIKN)と地元自治体・地域社会とのコミュニケーションが重要となってくる。

アジ研ポリシー・ブリーフNo.203 現地で見たインドネシア新首都建設の光と影 写真①

アジ研ポリシー・ブリーフNo.203 現地で見たインドネシア新首都建設の光と影 写真②

アジ研ポリシー・ブリーフNo.203 現地で見たインドネシア新首都建設の光と影 写真③

  1. (出所)すべて筆者撮影(2024年9月21日)

しかし、水問題に限らず、両者間の意思疎通が決定的に欠如している実態が今回の現地調査では判明した。そもそも首都移転計画自体が、地元自治体や住民と事前の協議が何もなされないままジョコウィ大統領から発表された。2022年の「ヌサンタラ首都法」の国会での審議も、地元住民との公聴会は開催されず、上程からわずか43日後に法案が成立している。移転事業が始まった後も、東カリマンタン州政府、クタイ・カルタヌガラ県政府、北プナジャム・パスル県政府との定期的な協議の場は設定されておらず、地元自治体の間には困惑が広がっていた。ましてや地元住民は、首都移転が自らの生活・経済にどのような影響を及ぼすのか、中央政府からも地元自治体からも知らされていない。また、両県から新首都に組み入れられる地域に居住する住民の間では、今後どのように公共サービスが提供されるのかという不安が高まっている。新首都を管轄するOIKNは中央官庁という位置づけで、長官は大統領が任命し、地方議会も置かれない。現在のOIKNは首都建設と移転事業に集中しているため、首都地域を統治することまでは視野に入っていない。OIKNはその点を楽観視しているようだが、地元経済や住民福祉への対応策を早急に考える必要がある。

環境問題は新首都のあるカリマンタン島外にも広がっている。コンクリートなど建設資材に多量の砂や石が必要になったことから、その供給地となった地域で環境破壊が進行しているのである。マカッサル海峡を挟んだスラウェシ島の中部では、砂・石の採掘が急増した結果、採掘地で河川の氾濫による災害が頻発したり、大気汚染による健康被害が発生したりしていることが現地NGOなどから報告されている。

まとめ

2024年中の首都移転開始は実現しなかったが、プラボウォ新大統領はこの事業を引き継いでいくと思われる。計画の遅延はあっても建設工事は続けられるだろう。その過程で環境破壊が発生することは不可避である。中央政府に求められるのは、その時に地元自治体や地元住民との対話を通じて問題の解決に真摯に取り組めるかどうかである。「グリーン、スマート、サステイナブルな都市」が住民の犠牲の上に建設されることがあってはならない。

かわむら こういち/海外調査員)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

©2025年 川村晃一