レポート・報告書
アジ研ポリシー・ブリーフ
No.202 タイのバイオマス資源開発と農村経済への影響
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- タイの「BCG経済モデル」戦略は,技術革新による産業育成と同時に,農村振興などにより国内経済格差の是正を目的としていた。
- バイオマス資源開発においては,未利用資源の活用により農村経済の底上げが期待されている。
- しかしながら,農村経済に与える影響について評価枠組みが存在しないことが包括的な開発への課題となっている。
近年の新興国の経済成長路線として,環境や社会と調和する持続的な経済成長を目指すグリーン経済の進展が注目されている。本稿では,2021年に「BCG経済モデル(Bio-Circular-Green Economy Model)」というグリーン経済戦略を打ち出したタイのバイオマス資源開発を例として,その目的を整理し,現状と課題を概観する。
「BCG経済モデル」と国内経済格差是正
「BCG経済モデル」は,タイが潜在的な競争力を持つとされる生物多様性,文化的多様性に根ざす国内産業,つまり農業,観光,ヘルスケア,バイオテクノロジーという重点産業において,科学技術の刷新を通じた競争力強化を目指す戦略である。同時に,同経済モデルの導入背景には,農業部門など低所得者層が集中する地方部の産業を底上げし,タイ国内で長年の課題となっている都市・地方間の経済格差を是正するという目的があった。
経済格差是正のための重要な産業の一つが,バイオマス資源の活用である。農業生産から排出される残渣や副産物といったバイオマス資源を活用して,発電やバイオプラスチックなど新たな価値や製品を生産する産業の開発を狙うとともに,これまで活用法がなかった資源に付加価値を持たせることで,資源の循環,農家の所得向上,雇用拡大を実現するという,環境,社会,経済の三方面の成長を意図している。一方で,過去のバイオマス資源の開発においては,食料安全保障上の懸念や原料生産拡大に伴う森林伐採,水資源の枯渇といった問題がこれまで指摘されており,農村経済への影響を適切に評価する必要がある。
タイのバイオマス資源
タイはコメ,サトウキビ,キャッサバ,パーム油,ゴムといった農産物の輸出国であり,大量の農業残渣物がバイオマス資源として賦存している。このようなバイオマス資源は,石油資源を輸入に頼るタイにとって国内で安価に調達できる有益な資源として認識されている。
もっとも,タイにおけるバイオマス資源利用の推進は「BCG経済モデル」が発端ではない。過去の国家戦略においてもバイオマス資源開発は奨励産業の一つとして指定されてきた。バイオ燃料はその一部であり,とりわけ2000年はじめからの原油価格上昇により,タイ政府は国産バイオ燃料増産と利用拡大にかかる制度整備を行う必要性に迫られ,現在に至るまでバイオ燃料を混合したガソリン,ディーゼルの販売に対して補助金を投入してきた。
ただし,これら過去の開発政策は農村の追加的な利益を直接の目的としたものではなく,国内資源の有効活用と技術革新の促進という側面が強かった。そのため,原料供給地における農地利用の変化,水資源の競合,および食料生産への影響はほとんど考慮されなかった。例として,2011年に策定された「国家代替エネルギー開発計画(2012年-2021年)」において目標とされたバイオエタノール生産量は,原料となるキャッサバとサトウキビの急激な生産量拡大と土地生産性の向上を前提とした目標設定であった(Wattana 2014)。これは,エネルギー関連政策の管轄がエネルギー省となっているため,農村への影響を査定し,評価する組織や枠組みが存在していなかったことが要因である。このような過去の技術主導型政策に対して,「BCG経済モデル」は改めて農村経済を包括するようにバイオマス資源を位置付けたといえる。
バイオマスエネルギー発電と評価制度の不在
経済発展の結果,タイにおけるエネルギー需要は2000年代から増加を続ける一方で,カーボンニュートラル達成目標においては,2036年までに電力発電における代替エネルギー比率を36%超にする指針が表明されている。タイ・エネルギー省の資料によれば,2023年の全エネルギー最終消費量に占める代替エネルギーの割合は14.6%であり,その内訳は,バイオマス発電が30.2%,太陽光発電が25.3%,水力発電が24.4%と,バイオマス発電の割合が一番大きく,重要な代替エネルギー発電源となっている。
政府が「BCG経済モデル」のもと主導する「コミュニティ発電プロジェクト」は,農村近郊に小規模なバイオマス発電施設を建設し,契約栽培法のもと,発電所が農家からエネルギー原料を買い取るプロジェクトである。エネルギー原料の調達にあたっては,近隣農家からの買取が80%以上を占めるよう規定され,地域への経済的貢献が期待されている。しかしながら,水資源利用や原料の売買契約についてコミュニティと発電企業間での合意形成が困難であることや,配電制度上,コミュニティに直接電気が供給されないなど課題は多く,認可された43件のプロジェクトのうち,2024年8月時点で稼働に至ったものは1件のみである。発電に用いるエネルギー原料は様々なものが考えられるが,通年で収穫でき育成効率の良いナピアグラス(Napier Grass)が推奨される一方で,食料生産からこのようなエネルギー作物に転作する際の経済的,環境的な便益は検討されていない。
また,民間企業においては,農作物を加工する際の副産物を用いて発電を行い,工場内で循環利用し,余分を売電するというビジネスモデルが展開されている。サトウキビ加工を行う工場への聞き取りでは,副産物であるサトウキビの搾りかす(バガス)を代替エネルギー発電の原料として使用しており,より多くの原料確保のため,刈り取りの後に圃場に残る葉を買い取るといった取り組みを行なっている。しかしながら,葉の回収や運搬には大型機械を要するため,小規模農家が多数を占めるタイにおいて,このような取り組みに農家が直ちに参加することは難しい。さらに,精糖生産,エタノール生産分については,法令により生産者と工場間での利益分配が定められているものの,発電による利益について詳細な取り決めは行われていない。一方,バイオマス発電工場の新設に対し,土地収奪や水資源汚染を懸念して農家が反対運動を展開するケースもある(Prachatai 2023)。
以上から,影響評価が明確でなく,適切な利益配分が定められないまま開発が進んでいる現状においては,「BCG経済モデル」の目的である包括的な開発が進んでいるとは言い難い。
今後の課題と展望
2024年末現在,「BCG経済モデル」の発足から2度の政権交代を経たタイでは,同モデルの実施体制は弱体化してしまった。しかしながら,国際社会からの要求,そして国内課題の是正にあたりグリーン経済に向けた政策は必至であり,バイオマス資源開発を含め今後の政権においても推進されていくと予想される。タイにおいて,バイオマス資源開発はカーボンニュートラル達成の一翼を担うと考えられるが,その過程では,ステークホルダーの特定,多面的な影響を考慮した適切な評価枠組みが必要であろう。
参考文献
- Wattana,Supannika. 2014. “Bioenergy Development in Thailand: Challenges and Strategies.” Energy Procedia 52,506-515.
- Prachatai 2023. “Protest sparked in Thung Kula Ronghai over sugar factory and biomass power plant.” Prachatai,22 December.
(たかはし なおこ/地域研究センター)
本報告の内容や意見は執筆者個人に属し,日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません
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