レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.177 「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」の意義と課題

2023年5月12日発行

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  • 人権デューディリジェンス義務化のなかでガイドラインによる自発性の効果が試されている。
  • 日本政府は日本企業が人権尊重責任を果たせるよう的確なシグナルの発信を。
  • 人権と環境の不可分性など国際スタンダードの動向に即した不断の見直しが必要である。

2022年9月13日、日本政府により「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定された。2020年ビジネスと人権に関する行動計画で政府は、日本企業が国際的人権を尊重し、指導原則の国際的なスタンダードをふまえ、人権デューディリジェンス(DD)のプロセスを導入すること、ステークホルダーとの対話を行うこと、効果的な苦情処理の仕組みを通じて問題解決を図ることを期待した。爾来2年、本ガイドラインは、国際スタンダードを踏まえた企業による人権尊重の取組みをさらに促進すべく策定された。

欧州はすでに自発性から義務化へ

国連指導原則は、企業の人権尊重の取組みを促進する政策として、国内的および国際的措置、強制的および自発的な措置のスマートミックス(賢い組合せ)を提唱する。昨今企業の自発性に委ねていた政策から義務とする政策に加速している。他方、国内的措置と国際的措置は相互連関が深まり、自国企業に対する人権DD促進という国内的措置とともに、貿易政策という国際的措置に重点がおかれ、相乗効果を高めている。

国際的政策課題として責任あるサプライチェーンが議論される嚆矢となった2015年G7エルマウ・サミットでは人権DDの自発的実施を奨励していたが、それから一巡し、再びドイツがG7議長国となった2022年6月のエルマウ・サミット首脳コミュニケにおいては、貿易・サプライチェーンの項に、G7各国は指導原則に沿って行動し、他国に対し取組みに参加するよう求めることが表明され、義務的措置が明記された。義務化はドイツのサプライチェーンにおける企業のDDに関する法(2023年1月施行)やEUコーポレート・サステナビリティ・デューディリジェンス指令案(2022年2月23日公表)など各国法制の動きと連動して国際的な政策協調にも表れている。こうした動きのなかで日本のガイドライン策定は義務化以上の効果を発することができるのか注目されている。

政府は企業へ正しいシグナルを

拙稿(アジ研ポリシー・ブリーフNo.170)において、紛争等の影響を受ける地域における企業の人権尊重の支援が行動計画には明記されておらず、具体的支援策が必要と指摘した。紛争影響地では、事業環境によって、他のアクターによる重大な人権侵害に企業が加担するというリスクを高めるため、事業活動が人権への負の影響を与えないようにするだけでなく、当該地域における暴力を助長しないようにする取組みが必要とされる。ガイドラインでは紛争等の影響を受ける地域における考慮が明記され、2022年6月に公表された国連開発計画(UNDP)と国連ビジネスと人権WGによる「紛争影響地における企業活動のための強化された人権DDガイド」が引用されている意義は大きい。

ガイドラインは、強化された人権DDが必要とされるのは、紛争等の影響を受ける地域と同様に、「国家等の関与の下で人権侵害が行われている地域」を明記している。「国家等の関与の下での人権侵害」は指導原則にはない表現であり、企業にとってより具体的なシグナルになるだろう。

ガイドラインは人権DDにおいて負の影響を取り除くために検討すべき措置である取引停止の項で、「国家等の関与の下で人権侵害が行われている地域での事業活動」と「自社の製品の生産過程等で国家等の関与の下での人権侵害が疑われる場合」を説明する。国家による人権侵害と企業活動の関連性の精査が必要であるとしつつ、「取引停止をすべきと判断しても、それが不可能又は事実上困難と考えられる場合もある」とする。企業に人権への負の影響を防止する適切な措置を求める指導原則19の解説は、企業が事業を継続するのであれば、取引関係の継続が招来する評判、財政上または法律上の結果を受け入れる覚悟をすべきとある。ガイドラインには「特に国家等の関与の下で人権侵害が行われている場合には、日本政府に期待される役割を果たしていく」とある。その役割は、日本企業が人権尊重の取組みができるように適切な情報の提供・助言等とともに、重大な人権侵害に企業が関与するリスクに対処するために、現行の政策、法令、規則および執行措置が有効であるよう確保することである。当該国家等による人権侵害を停止させる国際的な働きかけ、外交政策が不可欠であり、それをもってこそ、企業に対する政府の一貫したシグナルとなる。

OECD多国籍企業行動指針改訂の動き

OECD多国籍企業行動指針は、指導原則に連携する形で人権の章を盛り込んだ2011年の改訂から10年余りの変化に対応すべく、改訂作業が進んでいる。2023年1月13日OECDはコンサルテーション・ドラフトを公表、 2月10日までパブリックコメントを募集。6月のOECD閣僚理事会での採択が企図されている。改訂案では環境の章の記述が拡充され、2022年7月国連総会において採択された「クリーンで健康的で持続可能な環境に対する人権」決議にもとづく人権と環境の不可分性が強調されている。そしてビジネスと市民社会は、共有する空間、すなわち表現の自由、結社、集会の自由、法の支配──当該行動指針を実践可能にする環境を創る──に依拠していると明記されている。人権DDプロセスの鍵は意味のあるステークホルダーエンゲージメントであり、それはステークホルダーの権利でもあると明記されている。さらにはSLAPP訴訟の防止も明記されている。日本政府によるガイドラインは、「国際スタンダードの発展等に応じて見直していく」とあることから、今般のOECD多国籍企業行動指針の改訂を受けて、国際スタンダードに合致する見直しが必要となろう。

救済へのアクセスをいかに確保するか

国家は人権を保護する義務として、その領域・管轄で権利侵害が生じた場合に、司法、行政、立法またはその他のしかるべき手段を通じて、権利を侵害された人々が実効的な救済にアクセスできるように、適切な措置を取らなければならない。指導原則は、ビジネスに関連した人権侵害が生じた際に、それを捜査し、処罰し、および是正するための適切な措置を国家が怠るならば、その保護義務は弱められ、また無意味とさえなりかねないと解説する。ガイドラインにあるように日本政府が「国家としての義務を積極的に果たしていく」ならば、企業の人権DDを促進する政策と同時に、企業にその活動に関係して人権侵害を受けた者に対する責任を果たさせる政策が必要とされる。「国家の積極的義務」には私人による権利侵害を防止、排除するための適切な行政措置、権利侵害が生じた場合に司法的救済その他の効果的な救済を与え、再発防止のための措置を取ることが含まれる。

まとめ

本ガイドラインは「法的拘束力を有するものではない」。人権DDを義務とする法令は、人権尊重責任を果たす手段である人権DD自体を目的化させてしまう惧れがある。各国の国内法による強化のはずがかえって指導原則と齟齬をきたし、企業行動に指導原則の意図と反する変化をもたらしかねない。

指導原則は、法的拘束力はないながらも、国家が締約国である人権条約に規定される権利を企業が尊重すること、すなわち侵害しないことを求めている。国家に対しては義務として、企業が人権侵害をしないようにさせる、そしてもし人権侵害が起こったならば、それに対処すべく救済へのアクセスの柱の下に拘束力のある司法的救済を想定している。国家は未批准の国際人権条約を批准し、自国の市場自体を国際的なスタンダードのレベルプレイングフィールドとすることが求められている。本ガイドライン策定はその好機となるはずである。

(やまだ みわ/新領域研究センター)
(2023年5月22日誤字修正)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

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