レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.166 中東情勢分析シリーズ No.5 紛争の要因としての利水協定――ナイル川流域からの考察――

2022年3月25日発行

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  • これまでに締結されたナイル川の利水協定は、現在の流域国の協力関係構築を妨げ、紛争の要因となってきた。
  • 1990年代からナイル川流域国の協力に向けた動きはあるものの、国際社会やアフリカ連合による仲介は行き詰まり、現状では拘束力のある新たな利水協定が締結できていない。
  • ナイル川の流域国は、水需要の増大、環境の悪化、干ばつ・洪水の頻発などの共通課題に直面し、共通して水力発電や開発に関心があるため、ナイル川流域全体の水資源管理やガバナンスの合意形成が急務である。
利水協定がはらむ紛争の種

国際河川の利水協定の存在は、協定締結国間の協力を促進すると論じられることが多い。利水協定の存在が締結国間の水をめぐる協力枠組みの構築や連携の実現にポジティブに作用するということだ。河川管理の実行、モニタリング、紛争解決などの制度的メカニズムを含む利水協定によって管理される国際河川においては、協定締結国間の水資源についての協力関係が醸成され、より効果的な水資源のガバナンスにつながる傾向があるのだ。この例とされるのが、1960年にインドとパキスタンの間で締結されたインダス川協定(Indus Waters Treaty)である。この協定は、インド・パキスタン間の二つの戦争を経てもなお、60年以上にわたって維持されている。利水紛争解決のメカニズムを含んだインダス川協定は、敵対関係にあるインドとパキスタンが、長期的な水供給の保護を可能にしたと言えよう1

しかしながら、ナイル川流域の利水に関する複数の協定は、協力ではなくむしろ紛争の要因となっている。その原因は、エジプトを植民地支配していた英国がナイル川の水源を管理し、エジプトでの自国の利益を保護するという目的に合わせて協定の中身が設計され、強制されたという植民地時代の遺産にあると考えられる。これらの協定は、英国が当時植民地支配していた国々を代表してエジプトと結んだ協定であり、上流国がエジプトの同意なしにナイル川の水資源を利用することを効果的に妨げているのだ2。エジプトは、現在も植民地時代に結ばれた協定や、独立後に上流国を含まずに締結された協定を利用したいと考えている3

下記の表は、1959年までのナイル川に係る主要な協定や覚書をまとめたものである。これらの協定や覚書に対し、ナイル川上流の国々はしばしば抗議し、反対してきた。これらの協定のなかでも、ナイル川の支流でのダム建設プロジェクトに反対するため、下流国のエジプトとスーダンによって頻繁に言及されるのが1902年、1929年と1959年に結ばれた協定である。これらの3つの協定が流域国の関係にどのような影響を及ぼしているかを次に考察する。

ナイル川をめぐる3つの主な協定と歴史的背景

この3つの主要協定のうち、最も古いものは、1902年に締結された青ナイル川の利用に関する英国・エチオピア協定である。この協定は、スーダンの宗主国英国がエチオピアと結んだもので、エチオピア・スーダン間の国境を確立することを主眼としつつ、青ナイル川の水の流れを阻むような事業を行わないよう、エチオピアに要求するものだった。英国はまた、その地域で英国に対抗しうるフランスやイタリアなどの植民地支配勢力とエチオピアが水利用に関する合意や協定を結ぶことを妨げたいと考えていた。英国の植民地だったエジプトとスーダンは、自国がこの1902年の協定の後継者であると主張し、エチオピアがナイル川でいかなる事業や開発プロジェクトを行う場合にも、エジプトとスーダンの同意が必要であるとした。一方エチオピアは、この協定は批准されていないとして、これを拒否している4

二つ目の利水協定は、1929年にエジプトと、スーダンの代わりに英国の間で結ばれたナイル川利水協定である。この協定は、スーダンが利用可能な水の量を制限し、ナイル川で将来的に事業を実施する際にエジプトの承認が必要であると定めている。重要なのは、この協定がエジプトにビクトリア湖に至るまでのナイル川の水資源の利用権限を与えたことである。この協定を通じて、エジプトはナイル川全体の流水に対する自国の権利を主張できるようになり、エジプト国外のナイル川流域に検査官を派遣する権利と、エジプトの利益を脅かすナイル川での建設や開発が行われないことが保障された。言い換えれば1929年の協定により、エジプトは事実上ナイル川全域における主権を確立したのである5

1929年のナイル川利水協定は、1959年のエジプトとスーダン間の協定によってさらに強化された。独立したアフリカの国家間での初の協定となったこの1959年協定は、ナイル川の上流国を含まず、エジプトとスーダンの二国家間でのみ締結された。この協定では、アスワン・ハイ・ダムで計測された約840億㎥をナイル川の年間流水量とすることで合意し、100億㎥は蒸発損失としたうえで、エジプトとスーダンの取水量はそれぞれ555億㎥と185億㎥と定められた。この協定は、ナイル川流域国がエジプトの許可なしに大規模な灌漑や他のプロジェクトのために水を利用することを禁じる条項を引き継いだものだった。ナイル川の水の80%の水源となっているエチオピアは、協議の機会すら与えられず、スーダンを除く他の上流のどの国にも、将来的な利用目的での取水量の割り当ては行われなかった6

ナイル川流域における協力枠組み構築に向けた動き

1990年代半ばまで、下流のエジプトとスーダンはナイル川における覇権的地位を維持し続け、上流の国々はその状況を変えることができなかった。しかし1990年代になると、水資源管理を目的とした多国間イニシアティブを確立するため、ナイル川流域国は協力関係を樹立していった。この動きは流域国だけでなく国際社会からも支持され、多くの欧州諸国、欧州委員会(European Commission)や世界銀行から資金的な支援を受けることができた。

1999年には、ブルンジ、コンゴ民主共和国、エジプト、エチオピア、ケニア、ルワンダ、南スーダン、スーダン、タンザニア、ウガンダのナイル川流域の10カ国により、ナイル川流域イニシアティブ(Nile Basin Initiative:NBI)と呼ばれる政府間パートナーシップが樹立され、エリトリアはオブザーバーとしてNBIに参加した7。このイニシアティブの主目的は、すべての流域国を含む協力枠組み協定を締結することだった。ナイル川流域における協力枠組み協定(Nile Basin Cooperative Framework Agreement : CFA)の構築に向けた取り組みはすぐに開始され、協定締結に向けた努力が10年以上も続けられた。しかし、エジプトとスーダンは1959年の協定に基づく既存の権益と水利用の権利を主張し、上流国はナイル川の水の公平かつ合理的な活用を要求したため、意見の対立が続いたのである。結局、NBIは2010年にエジプトとスーダンが離脱し8、残された上流国のみで協力枠組み協定が締結された9

グランド・エチオピア・ルネッサンス・ダムの建設による現状変更

上流国だけによる協力枠組み協定への署名から1年も経たない2011年3月、エチオピアはスーダンとの国境から約20kmの青ナイル川で、グランド・エチオピア・ルネッサンス・ダム(Grand Ethiopian Renaissance Dam: GERD)の建設に着手すると発表した。GERDは完成すれば、アフリカで最大級、世界でも10番目に大きなダムとなる。エジプトとスーダンはGERD建設に激しく反対したが、時間の経過とともにGERD建設は既成事実化していった。エジプト、スーダン、エチオピアの3カ国は、2015年3月にスーダンの首都ハルツームにおいて「原則宣言(Declaration of Principles)」に署名し、現実を受け入れざるを得ない状況となった。

しかしその後の上記3カ国の外交・技術代表団による複数回に及ぶ交渉でも、干ばつの際のGERDへの貯水と運用、また将来的な紛争を解決するためのメカニズムについては拘束力のある合意と協定の締結に至ることができなかった。現在エチオピアは2021年7月にGERDの2回目の貯水を完了し、3回目の貯水への準備を進めている。エジプトとスーダンは国連安全保障理事会に介入を求めたが、国際河川に関する紛争が安全保障理事会に持ち込まれるのは初めてのことであり、安全保障理事会は地域的な解決が必要であるとしてアフリカ連合(AU)に仲介を委託した。しかしAUによる仲介は難航し、行き詰まったままである。

行き詰まりの要因

どんなに反対があろうともGERDが建設されたことは事実であり、ダムは完成に近づいている。エジプト、スーダン、エチオピアの3者が納得できる合意に到達するためには、AUの仲介が鍵となる。過去の協議や交渉が失敗に終わった主な理由は、合意の性格について当事国の意見が一致しなかったことにある。エジプトは干ばつや、干ばつに伴って他の問題が引き起こされた際の水利用の保障が含まれた法的拘束力のある合意を要求しているが、エチオピアにとっては自国領土内のダム建設などは主権の問題であり、拘束力のある合意は主権を侵害するという立場なのである。

おわりに――GERDの共通利益を探す

以上見てきたように、ナイル川流域国間の協力関係の構築が、植民地時代に結ばれた協定や排他的な協定によって妨げられていることは明らかである。下流のエジプトとスーダンは、他の流域国と水資源利用の協力関係を築きたいとしつつも、ナイル川の水資源に対する自国の「当然かつ歴史的な権利」を保持する現状を変えないという条件をつけている。一方、上流の国々は公平、公正かつ合理的な水資源の配分と活用に基づく協力を望んでいる。ここから言えることは、ナイル川の水資源利用をめぐる協定は、協力ではなく紛争の要因となっていることだ。

しかし、協力関係の構築の可能性が全くないということではない。ナイル川のすべての流域国は、水需要の増大、環境の悪化、干ばつや洪水の頻発という共通の課題に直面している10。また、これらの国々には、水力発電、灌漑、漁業、家畜や産業の開発という共通の関心もある。これらの共通した課題や関心を梃に、ナイル川流域国が協力関係を築き、流域全体の水資源管理やガバナンスのための合意形成につながる可能性もある。流域国がGERDの運用に向けた合意に達することができれば、GERDは上流国だけでなく、下流国にも利益をもたらすことだろう。

(ダルウィッシュ ホサム/地域研究センター)

* GERDをめぐる関係国の主張等については、アジ研ポリシー・ブリーフNo. 139 を参照のこと。

  1. Kalair, Ali Raza, Naeem Abas, Qadeer Ul Hasan, Esmat Kalair, Anam Kalair, and Nasrullah Khan. “Water, energy and food nexus of Indus Water Treaty: Water governance.” Water-Energy Nexus 2, no. 1 (2019): 10-24; Kraska, James. "Sharing water, preventing war—Hydrodiplomacy in South Asia." Diplomacy & Statecraft 20, no. 3 (2009): 515-530.
  2. Salman, Salman MA. “The Nile River Basin and its changing legal contours.” In Research Handbook on International Water Law. Edward Elgar Publishing, 2019.
  3. Kimenyi, Mwangi S., and John Mukum Mbaku. “The Limits of the New ‘Nile Agreement’.” Brookings, Africa in Focus (28 April 2015), https://www.brookings.edu/blog/africa-infocus/2015/04/28/the-limits-of-thenew-nile-agreement. (アクセス日: 2021年1月25日)
  4. Ullendorff, Edwakd.“The Anglo-Ethiopian treaty of 1902.” Bulletin of the School of Oriental and African Studies 30, no. 3 (1967): 641-654.
  5. Crabitès, P., 1929. The Nile Waters Agreement. Foreign Affairs, 8 (1), pp.145-149.
  6. Abdalla, Ibrahim H. "The 1959 Nile Waters Agreement in Sudanese‐Egyptian relations."Middle Eastern Studies 7, no. 3 (1971): 329-341.
  7. Swain, Ashok. “The Nile River Basin Initiative: Too Many Cooks, Too Little Broth.” SAIS Review (1989-2003) 22, no. 2 (2002): 293-308.
  8. スーダンは、2012年にナイル川流域イニシアティブ(NBI)に復帰した。
  9. Salman, Salman MA. “The Nile basin cooperative framework agreement: Disentangling the Gordian Knot.” In The Grand Ethiopian Renaissance Dam and the Nile Basin, pp. 18-40. Routledge, 2017.
  10. Mohamed, Mostafa A., Gamal S. El Afandi, and Mohamed El-Sayed El-Mahdy. “Impact of climate change on rainfall variability in the Blue Nile basin.” Alexandria Engineering Journal 61, no. 4 (2022): 3265-3275; Gelete, Gebre, Huseyin Gokcekus, and Tagesse Gichamo. “Impact of climate change on the hydrology of Blue Nile basin, Ethiopia: a review.” Journal of Water and Climate Change 11, no. 4 (2020): 1539-1550.

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。2022年3月25日 ©日本貿易振興機構アジア経済研究所