中東情勢分析シリーズNo.1 ナイル川におけるグランド・ルネッサンス・ダムの建設をめぐる流域国の緊張関係

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.139

2020年12月14日発行

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  • ナイル川をめぐるエジプト、スーダン、エチオピアの争いは、それぞれナイル川利用の正当な理由があるため非常に複雑である。これまで複数の国や国際機関が仲介を試みたが、失敗に終わっている。
  • ナイル川は流域国が共同で活用すべき水資源システムである。エジプト、スーダン、エチオピア間の争いのみに焦点を当てるのではなく、いかにナイル川の水資源を流域国全体で活用できるかに着目することが重要である。これは、ナイル川がもたらす利益を最大化し、水資源をめぐる将来の緊張を緩和することにつながるだろう。
  • 日本は中立の立場を保ちつつ、流域国による包括的なナイル川利用に向けた合意形成と連携の実現のため、国際社会と共に支援することが重要である。

ナイル川で建設されているグランド・ルネッサンス・ダム(Grand Ethiopian Renaissance Dam: GERD)をめぐるエジプトとエチオピアの交渉は、10年近く経った今もなお合意に至っていない。このままではナイル川流域国と「アフリカの角(Horn of Africa)」地域1 の国々の関係悪化から、紛争状態に陥ってしまうという懸念すら持ち上がっている。この問題の中核的な要因は、ナイル川の水利用をめぐる合意がないことと、ナイル川流域国間の紛争を調停するメカニズムが存在しないということにある。最後の協議の場は、アフリカ連合の仲介のもと2020年8月末に行われたエチオピア、エジプト、スーダンの3カ国による話し合いだったが、GERDの貯水と運用ルールについて合意が得られないままに終わった。

2011年、エチオピアは一方的にスーダンとの国境近くの青ナイル川に、アフリカ最大級のダム建設を始めた。このダムの目的は、貯水と発電である。アフリカ大陸における最大規模の水力発電事業と言えるだろう。総工費40億ドルとも言われるGERDは、エチオピア経済を大きく転換させる可能性を秘めているが、ナイル川流域国、特にエチオピアとエジプト間の緊張を高める要因となっている。エジプトは水資源の90%以上をナイル川に頼っており、そのほとんどはエチオピアに水源があるため、GERDの建設によって水へのアクセスが奪われると主張している。エチオピアはスーダンとエジプトとの合意が無いまま2020年7月に貯水を開始し2 、各国間の緊張がますます高まっている。

図:ナイル川流域(筆者作成)

ナイル川流域(筆者作成)

本稿では、エジプト、スーダン、エチオピア各国が、GERD建設をめぐる協議で達成したいことと回避したいことは何かを考察する。

エジプト

エジプトの最大の懸念は、ナイル川の水資源に対する利権が奪われることにある。エジプトは歴史的にも文化的にもナイル川への強い結びつきがあり、エジプトの憲法第44条には、政府はナイル川に対するエジプトの歴史的な権利を守らなければならないと定められている3 。エジプトの多くの村々はすでに水不足状態に陥っており、GERDの建設によってさらに水不足が深刻化するのではないかという懸念がある。GERDは水の確保に対する脅威だと捉えているのである。エジプトからすれば、GERDの安全性や運用についての情報が不足しており、エチオピアに対して詳細な情報開示を求めている。数年にわたる期間中の貯水量の推移や、貯水が終わった段階でナイル川の流水量がどの程度になるかなどは、エジプトにとって重要な情報である。エジプトはGERDの建設がナイル川のエコシステムに及ぼす影響や変化にも懸念があり、水の質と量は同国の漁業、農業や畜産に影響するだけに、かなり神経を尖らせている。これらの漁業・農業セクターに携わるエジプト人は全国民の4分の1以上の約2400万人にも上り4 、その影響の大きさが窺える。

このためエジプト政府は現在と同じ流水量が維持されるよう、拘束力のある合意を要求しているのである。第一に、エジプトはエチオピアとスーダンとの間で青ナイル川の将来的な開発に関する包括的な協定を結び、共同でGERDの管理と運用を行いたいと考えている。第二に、エジプトは1929年と1959年の協定5 に基づいた取水量の保証を求めている。しかし、これにはそもそも協定から除外されたエチオピアと他の上流国が反対している。第三に、エジプトはスーダンと共に、ダムの安全性に対する保証と十分な放水量を維持することをエチオピアに求めている。複数年にわたる干ばつが発生した際に、エチオピアがどれだけの水量を放流するかは、エジプトにとって死活問題である。さらにエチオピアと合意を締結後も、それが遵守されているかをモニタリングするメカニズムを合意の内容に追加したいと考えている。

エジプトにとってのさらなる地政学的な懸念は、エチオピアとダムの運用や管理について合意できない場合、エジプト政府の同意なしに他のダム建設を推し進めるきっかけになるかもしれないということである。現実的に下流国であるエジプトにとって可能な選択は、協定を結ぶために外交的な圧力をかけるくらいしか無い。しかしエジプト政府は、アラブ連盟、国連安全保障理事会、アメリカ、そして最近ではアフリカ連合を味方につけてGERDの建設や貯水を制限することに失敗しており、外交的な交渉が困難な立場に置かれている。

スーダン

スーダンはGERDをめぐる交渉で重要な役割を担い、エジプトとエチオピアの仲裁を行なってきた。現在アフリカ連合はダム問題の仲介を行なっており、スーダンとしては国連よりもアフリカ連合が青ナイルをめぐる紛争解決の一翼を担うべきだと考えている。

GERDはスーダンにとって、様々な利益とリスクの双方をもたらす。エジプトのアスワン・ハイ・ダムと同様に、GERDは季節的な洪水を防ぎ、川の流量を調整すると期待されている。事実エチオピアに降った大雨により、今年8月には青ナイル川が17.48メートルという記録的な水位に達し、スーダンで大規模な水害が発生した。これは過去100年以上を見ても記録的な水位であり、10万戸の家々を破壊し、数十万人の人々が避難を余儀なくされ、100人以上が犠牲となっている6

スーダンにとってGERDがもたらす利点は多数ある。スーダンは流水量が最大となる6月から9月の雨期にのみ、ナイル川の水を農業用水に利用することができる。他の期間はナイル川の流水量が25%に減ってしまうため、農業に利用することができないのだ。このため、年間を通してナイル川の流水量の調整ができれば、スーダンは農業生産を増やし、ナイル川の水をより効率的に利用することができるようになる。2期作や3期作も可能になるかもしれない。スーダンがより効率的に水を利用することによって、エジプトに流れる水量が減ることになる。またスーダンは、GERDで発電する電気をエチオピアから購入できるようになり、GERDによるナイル川の流水量の調整によって、スーダンの他のダムも年間を通じて発電が可能になるという利点もある。さらに、GERDが他のダムの堆砂を防ぐ役割を果たせば、スーダンはこれらのダムの稼働年数を伸ばすことができる。

一方、スーダンにとっての主なリスクは、ダムの安全性である。万が一GERDが決壊するようなことになれば、スーダンへのダメージは計り知れない。また、GERDから100キロメートルほどの距離にあるロセイレス・ダムは、貯水可能水量がGERDの10分の1程度しかないため、両ダムの稼働が調整されなければロセイレス・ダムは非常に危険な状態になる。このため、スーダンはエチオピアと協議し、GERDの放水量を調整したいと考えている。同時に、干ばつの時にGERDからの放水がなければ、スーダンは非常に深刻な水不足に陥る。またナイル川の季節的な洪水は作物の成長に大切な養分を含むシルト7 を運んでくれるため、ダムの建設によって洪水の回数が減ることで、農業への影響も懸念されている。

スーダンは現在、政治的にも経済的にもかなり不安定な状態にあり、2019年のバシール政権崩壊後の移行期にある。GERDをめぐる隣国エチオピアとエジプト間の対立は、不安定なスーダンの情勢に大きく影響するだろう。

エチオピア

青ナイルの起点であるタナ湖を有するエチオピアは、ナイル川の水を利用する利権を主張している。エチオピアはGERDの建設によって経済成長を促し、国民に電気を供給することを目指している。エチオピアにとってGERDの建設は、ナイル川を計画的に利用し、発展を遂げるための歴史的なチャンスなのである。事実、GERDはエチオピア人の出資によって建設されており、国民がダムによる国家の成長にかける期待は大きい。同時に、エチオピアは地域の「発電所」となり、電気を輸出する狙いがある。 エチオピア政府はエジプトとスーダンに対し、GERDは両国に深刻な影響は及ぼさず、ダムへの貯水はナイル川の流れを途絶えさせるものではないと繰り返し約束してきた。さらに、エチオピアはダム建設の目的は、水力発電だけであるとしている。しかしエチオピアは、将来のナイル川における水力発電事業を制限するような拘束力のある協定を結ぶことを避けようとしている。代わりに、改定可能なガイドライン的協定を結ぶことを望んでいる。言い換えれば、エチオピア政府はエジプトの同意なしに、貯水のペースを決め、必要に応じて他のダムの建設も可能にしておきたいのである。

現在エチオピアは政治的・民族的な分断が深刻化し、国内情勢が不安定である8 。それゆえ政府にとっては、計画どおりにダム建設と貯水を進めることで民衆の支持を取り付け、政治的な正当性を確保することが必須である。政府はGERDを革新的な国家プロジェクトと位置付けており、国家主権のシンボルとして掲げ、国民の動員と団結を目指している9 。このため、エチオピア政府にとって、1959年の協定に基づいてナイル川の取水権を独占してきたにエジプトとスーダンに対し、ダムの貯水や運用について譲歩することは難しい。エチオピアにとって、植民地時代からの協定によって長年ナイル川を経済発展のために利用することが阻まれてきたことは歴史的な不公正であり、特にエジプトとの信頼関係が無いため、情報の開示と運用面での譲歩は困難なのである。

1960年代のアスワン・ハイ・ダム建設は、エジプト国民にとって国家的な偉業であった。アスワン・ハイ・ダムの建設は、アスワンでナイル川の流れをすべて堰き止めるというエジプトの一方的な決断だった。このダムは洪水を防ぎ、エジプトは干ばつに備えて貯水が可能になった。同様に、GERDはエチオピアの国家の威信をかけた大規模事業であり、数百万人のエチオピア人がダム建設に投資をしている。さらに、エチオピアは、エジプトよりも他の流域国からの支持がある。他の上流国も、下流のエジプトやスーダンからの規制なしにナイル川の水資源を活用し、電力を利用したいからだ。エチオピアは、「アフリカの角」とそれを超えた地域に平和、安定と繁栄をもたらすプロジェクトとしてGERDを推進しているのである。これは、「アフリカの角」の経済統合への関心が高い国際社会からも支持されている。国際社会は、エチオピア国民に電気が供給され、国家が繁栄し、GERDが下流の国々のために貯水することで洪水や干ばつ被害を緩和する効果に期待しているのである。

GERDは6ギガワット以上の発電と740億立方メートルの貯水が可能であるとされ、貯水量はエジプトとスーダンの年間の取水量の合計よりも多い。ダムを効率的に活用できれば、エチオピアの食糧の安全保障を改善し、産業発展の柱になるであろう。

まとめ

ナイル川は、数世紀にわたってエジプトとエチオピア間の対立の要因となってきた。現代エジプトは、法的、政治的そして軍事的手段を行使し、ナイル川流域の水力発電の覇権国としての地位とナイル川の水資源へのアクセスを守ってきた。しかしながら、パワーバランスが上流国、とりわけエチオピアに有利に転換しており、エジプトの覇権が揺らぎつつある。

エジプト、スーダン、エチオピア間の信頼関係や合意の欠如が、ダムの安全面、運用、環境への影響等についての共同検証や調査だけでなく、青ナイル川流域における経済成長やビジネスをも妨げている。ナイル川流域の人口は増加しており、農業や他のセクターでの水利用が増大し、合意のないダム建設事業が増えていくことで、対立や紛争の深刻化につながる可能性がある。つまり今回取り上げた3カ国のみならず、ナイル川流域の全11カ国を含む包括的で明瞭な協定締結が急務なのである。

エジプト、スーダン、エチオピアの間には、信頼欠如の構造的な問題が存在する。エジプトとスーダンは、エチオピアが自国に負担を押し付けて利益を得ようとしているとみなしており、他方でエチオピアは、自国がナイル川の水を活用して発展することをエジプトとスーダンが妨げようとしていると考えている。これは、GERDの貯水や運用を含む意見や立場の相違を解決しようという努力を妨げている。ナイル川の活用方法だけでなく、スーダンやエジプトにある既存のダムを含め、ナイル川流域のダムの全般的な運用や管理について直接交渉し、複雑な問題を解決できるようなプラットフォームを築くことが急務である。

ナイル川は全流域国にとって十分な水を供給できるだけの水量があるが、気候、人口、経済の発展レベルが異なる国同士で水の利用方法や必要な水量も異なる。ここで現在欠如しているのは、ナイル川流域における国境を超えた連携と利益の分配である。エジプトのような下流域国が他の水資源を獲得できるためには、淡水化事業や地下水事業への注力も必要だ。ナイル川流域の人口は今世紀の後半までに二倍になると予測されており、水の需要は一層高まることが確実だ。ナイル川の水資源を有効かつ効果的に使用する方法を見つけることは喫緊の課題なのである。

ナイル川とその支流は、流域国が共同で活用すべき巨大な水資源システムである。国境を超えた視点で水、食糧、エネルギーについて考えることで、地域統合と連携が将来的に可能となる。日本にとって重要なのは、中立の立場を保ちつつ、国際社会と共に流域国による包括的なナイル川利用のための合意形成と連携の実現を支援することである。流域国の連携が実現すれば、ナイル川を紛争の源から平和と安定の源へと転換することができるだろう。

(2020年10月27日脱稿)

(ダルウィッシュ ホサム/ 地域研究センター)

  1. 「アフリカの角(Horn of Africa)」とは、インド洋と紅海に向かって角のように突き出たアフリカ大陸東部のエチオピア、エリトリア、ジブチ、ソマリア、ケニアの各国が含まれる地域の呼称。
  2. "River Nile dam: Reservoir filling up, Ethiopia confirms," BBC(2020年7月15日)
  3. エジプト憲法は、エジプト国政情報サーヒス(SIS)のウェブサイト上で閲覧可能(アラビア語)。 (http://www.sis.gov.eg/Newvr/consttt%20 2014.pdf)
  4. 国連食糧農業機関 (http://www.fao.org/egypt/our-office/egypt-at-a-glance/en/)
  5. ナイル川の水利用をめぐり、1929年にエジプトと当時スーダンを含む東アフリカの国々を植民地支配していた英国が利水協定を結んだ。この協定で、エジプトの取水権は480億立方メートル、スーダンの取水権は40億立方メートルと定められ、エジプトはスーダンのナイル川の水利用を監視する権限を持つと定められた。1959年には、エジプトと独立したスーダンの間で新たな利水協定が結ばれ、この協定でナイル川の年間水量は840億立法メートルと定められ、そのうち約100億立方メートルが蒸発する計算で、エジプトは555億立法メートルの取水権を、スーダンは185億立方メートルの取水権を持つと定められた。両協定で上流の国々には何の権利も与えられなかった。
  6. "Sudan suffers catastrophic losses in severest floods in century: PM Hamdouk," Daily News Egypt (2020年8月30日)
  7. 粘土より粗く、砂より細かい粒子の堆積物。
  8. International Crisis Group. "Ethiopia: Ethnic Federalism and its Discontents," Africa Report 153, 2009.
  9. "Nile Dam Equates Second to Human Life: PM Abiy," Anadolu Agency, 1 April 2020.

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。