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久末亮一著『転換期のシンガポール――「リー・クアンユー・モデル」から「未来の都市国家」へ――』

一般書

転換期のシンガポール――「リー・クアンユー・モデル」から「未来の都市国家」へ――

著者/編者

出版年月

2021年1月

ISBNコード

978-4-258-04643-0

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内容紹介

内容紹介

1965年の建国以降、リー・クアンユーが率いた「人民行動党」(PAP)による一党絶対優位のなか、シンガポールは特異な権威主義・開発独裁体制によって、東南アジアの一都市国家にもかかわらず、世界有数の経済的な豊かさを誇るまでに成長した。

しかし、21世紀に入ると、それまで「明るい北朝鮮」と揶揄されてきたようなシンガポールの国家・社会システムは、国内外の急激な環境変化に適応できなくなり、諸問題が顕在化していった。この結果、2011年総選挙での野党躍進と、同年のリー・クアンユーの完全引退を契機として、シンガポールは建国以来の発展至上主義的なモデルを大きく修正し、新しい時代に向けた変革への努力を開始した。

本書では、建国以降の「リー・クアンユー・モデル」ともいうべきシステムの由来が、21世紀に入って限界に直面していった様相を描き出し、これに対して「転換期」となった2010年代には、どのような変化が発生していったのかを、政治、社会、経済、外交・国際関係などの各側面から考察する。これにより、未来に向かうシンガポールが、どのような道を歩もうとしているのかを提示する。

目次

はじめに

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第1章 「リー・クアンユー・モデル」の限界

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第2章 2011年の転換点と「リー・クアンユー・モデル」の終焉

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第3章 「第四世代」の台頭のなかで

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第4章 経済構造改革の行方

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第5章 米中対立の深刻化による対外関係の不安定化

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第6章 複雑化する地域環境のなかで

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おわりに――シンガポールの未来――

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参考文献

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はじめに

はじめに

東南アジアのマレー半島最南端にある都市国家「シンガポール共和国」。面積は東京23区をひとまわり大きくした島国で、総人口は約569万人(2020年年央)。それにもかかわらず、国民1人当たりのGDPは、すでに日本を大きく上回る約6万5000米ドル(2019年)に達している。

このシンガポールという小さな国は、多くの日本人にとっても、ビジネスや観光を通じて、親しみがある。

古くから交易の要衝であるシンガポールは、世界と地域の市場を結ぶ経済センターとしての役割に加えて、建国以来の積極的な経済開発、とくに近年では未来型・先進型のイノベーション産業を軸とした研究開発や製造拠点として、地位を固めている。こうした活発な経済活動に加えて、都市そのものがもつ多様な魅力を、あちらこちらに見出すことができる。「ガーデン・シティ」と呼ばれるほど緑が多く、世界でも最高水準の良好な治安。カジノホテルの巨大屋上プールやコロニアル様式のラッフルズ・ホテルといった印象的な観光施設。チキンライスやラクサなど独特のローカル料理。マレー、中華、インドなどの様式が交錯した極彩色のプラナカン文化など。それらは、シンガポールの印象をひときわ強いものにしている。

一方で、この都市国家には、外国人訪問者が直接目にすることの少ない「実態」がある。たとえば、ルールや罰金などの厳しい措置。政治や人権、言論・表現の自由などへの強い制約。国民の8割が居住する郊外に延々と拡がる無機質な公営住宅(HDBフラット)の風景。幼少期からの熾烈な教育競争とエリート主義。このような管理化・統制化された社会・国民生活は、日本でも話題になることがある。ただし、そうしたシンガポールを生み出してきた背景については、あまり理解されていない。

加えて、「人民行動党」(People’s Action Party: PAP)の実質的な一党独裁体制、「建国の父」リー・クアンユー元首相の苛烈な政治姿勢、その長子であるリー・シェンロン現首相への「世襲」といった印象から、「明るい北朝鮮」という表現を、いまだに目にすることも多い。

しかし、事象にはかならず背景があり、その淵源を理解する必要がある。それと同時に、国家や社会の姿は、時代の流れとともに、不断に変化してゆく。そのように考えれば、「明るい北朝鮮」と表現されていたシンガポールにも淵源があり、同時に、その姿も変化しているのではなかろうか?

変化は、すでにはじまっている。この約10年間のシンガポールでは、ゆるやかではあるものの、多くの新しい動きがみられる。もはやシンガポールは、かつての「リー・クアンユー・モデル」から脱却し、新たな時代における国家生存を図るための、新しいモデルへの移行を模索している。

たとえば、政治面をみれば2011年の総選挙以降、いまだ限られた範囲ではあるが、野党が国会での存在を確立してきた。一方で、政権与党である人民行動党は、「第四世代」と呼ばれる40歳代中心の新世代リーダーへの交代を計画的に準備し、積極的な権限移譲を進めきた。この結果、次期首相には「第四世代」のリーダーであるヘン・スイーキア副首相が内定している。これはリー・シェンロン首相自身が、リー・ファミリーの影響や世襲から、あえてシンガポールを脱却させようとしている証左でもある。

社会面でみれば、多民族・多宗教という環境のなかで、政治・社会の安定を国家存立の絶対条件とするもとでは、いまだ社会的自由が完全に開放された訳ではなく、多くの制約が残っている。それでもソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)での積極的な情報共有・意見表明などは、国民のあいだでは日常のものとなっている。こうしたなかで、政府はこれまでになく、国民の動向や意見を重視せざるを得ず、また、社会保障を中心とした国民への再分配を強化しなければならない環境に変化してきた。

変化がみられるのは、政治や社会だけではない。たとえば、経済面をみれば、もはや以前のような単なる外国資本の投資の受け皿ではなく、世界最高水準の高付加価値・創発型のさまざまな新産業が、シンガポールのスピーディーで柔軟な受入れ態勢や実証実験システムに惹きつけられ、戦略的に集積されつつある。さらには、こうした産業を有機的に結びつけ、新たな産業を生み出すという相乗効果も企図されている。このように、都市国家であるシンガポールを将来にわたって持続的に発展させるための、経済構造改革が不断に行われている。

一方で外交面では、従来からの全方位・バランス外交を原則として、その上で、アメリカ中心のアジア太平洋における安全保障体制に依拠してきたものの、急速に台頭して圧力を強める中国とのあいだで、バランスをとることに苦慮する場面が多くなりつつある。また、国内外ではテロやサイバー攻撃といった、非伝統的安全保障への取り組みにも迫られている。

以上のように、今世紀に入ってからの時代環境がつねに、しかも急激に変化するなかで、それに適応するため、シンガポールは、かつての「リー・クアンユー・モデル」の成功体験に固執することなく、新たなモデルへの戦略的な転換を進めている。それは都市国家であるがゆえの、さし迫った「生き残るための営為」なのである。

本書では、シンガポールという国が、どのような淵源や背景を経て限界に直面し、変化を迫られ、それが2010年代の約10年のなかで、模索を続けながら転換を試み、未来に向かおうとしているのかを描き出す。そのような本書が、読者の皆様が「現在進行形」のシンガポールへの理解を深め、さらに親しみをもっていただくための、契機になることを願うものである。

著者
2020年11月